愛すべき不思議な家族 2

 人生において滅多に遭遇できないであろう体験から一週間後。春道は近所のスーパーを歩いていた。スーパーといっても大型小売店なので、店内はかなり広い。
  三階建てで一階が家電類。二階が衣料品で、三階がゲームセンターとなっている。食料品は地下で販売している。春道が歩いてるのは、食料品売場だ。
  普段はコンビニを利用するのだが、現在時刻がスーパーの閉店である午後八時に近いため、特売品がないかと思って足を伸ばしてみたのだ。
  春道は料理をほぼまったくできなかった。カップメンやインスタント食品を除けば、作れるのはかろうじて炒飯程度である。従って、生きていくにはコンビニやスーパーの惣菜等に頼らざるを得ないのだ。
  自炊ができれば生活も少しは楽になるのに。自身の不器用さに呆れつつ、ため息をつく。
  貧乏よりは苦労をと、これまで何度か自炊に挑戦した。現在の生活状態を見てわかるとおり、結果は惨敗に終わっている。
  参考にした料理本には誰でも簡単に作れると書いているのに、何故か春道が作ればある意味誰よりもクリエイティブな料理が完成してしまうのだ。
  涙なしには語れないそれらの体験を経て、最終的に春道は自炊を諦めた。おかげでどうしても高くなる食費のために、他での出費を我慢しなければならないのである。
  当初は苦痛に感じたりもしたが、慣れてしまえば別にどうということはなかった。
「お、レバニラが安いな」
  何度かこのスーパーで買い物をしており、その際に購入したレバニラはなかなかの一品だった。以前に食べた味を思い出してると、たまらず口元から涎が溢れそうになってしまう。
  夕食のメニューに加えるのを決意し、右手に持っていた買い物カゴへひとパック放りこむ。さて、次の獲物はと――。
  おつとめ品のシールが貼られた売れ残りの惣菜をじっくりと品定めしていく。
「本日も当店にご来店頂きまして、誠にありがとうございます」
「――ん?」
  買い物する手をピタリと止める。唐突に若そうな女性店員の声が、店内各場所に設置されているスピーカーから流れてきたからだ。
  声の主に心当たりがあって、淡い恋心を抱いていたから、などというような思春期真っ盛りの中学生みたいな理由ではない。
  もしかしてタイムサービスでも始まるのではないかと期待したのだ。閉店間近で客数が少なくなっているので、もしそうならわりと楽に入手が可能となる。
「ご来店中のお客様に、迷子様のご案内を申し上げます」
  何だ、迷子か。期待していた台詞とは違い、春道は少なからずガッカリしてしまった。
「松島葉月ちゃんのご両親様。葉月ちゃんがサービスカウンターにてお待ちしております。お聞きになっておられましたら、どうぞ至急サービスカウンターまでお越しくださいませ」
  日中に比べると圧倒的に人も少ないし、親も油断してしまったのかもしれないな。他人事の感想しか持たなかった春道だが、次の瞬間には認識が甘かったと知る。
「パパー」
  わずかに聞き慣れた声が、春道の左耳を貫いたのだ。
  待てよ。そう言えばさっき、確か迷子の名前を言っていたはずだ。
  松島葉月――。
  記憶の糸を手繰ると、すぐに見つけることができた。つい一週間前も、場所は違えどほとんど同じシチュエーションに遭遇したばかりである。
  このスーパーは地下の食品売場にサービスカウンターが併設している珍しいタイプだった。そして春道が歩いてるのは、丁度そのすぐ側である。
  ぎくりとしながらサービスカウンターを見ると、見覚えのある女の子が満面の笑みで、春道に向かってブンブンと右手を振っていた。
  確実に見覚えのある顔だった。元来、人の顔や名前等の覚えはよくないのだが、あれだけのインパクトがあればそうは忘れない。
  このまま知らないふりをして通り過ぎようかとも思ったが、生来の人の良さが反対をする。何より父親が見つかったと思って、ホッとしているサービスカウンターの女性従業員を見たら無視できなくなってしまった。
  仕方なしにサービスカウンターへ近づいていくと、嬉しそうに松島葉月ちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねながら春道の到着を待っていた。ガッチリと手を握り、まるでもう逃がさないと言わんばかりである。
「よかったわね。お父さんが迎えに来てくれて」
  事情を知らない女性従業員がニッコリと微笑みかけると、負けないくらいニッコリと少女が笑顔を見せた。ひとり泣きたい気分の春道だけが、複雑な表情を浮かべている。
  担当者に見送られてサービスカウンターを後にする。隣には春道の手をしっかりと両手で掴んで離さない少女がいる。
「パパもお買物だったの。それともママと待ち合わせしてたの」
  無邪気にきゃいきゃいと色々聞いてくるものの、何て答えたらいいのかわからない春道は無言を貫いていた。それでも松島葉月はめげたりせずに何度も話しかけてくる。
  傍から見たら本物の親子にしか見えないだろうな。ため息をつきながら春道は思った。事情を知らない人間が見れば父娘が戯れる微笑ましい光景かもしれないが、ふたりが赤の他人だと知ってる人間が目撃すれば、春道にその気がなかろうがこれは誘拐である。
  悠長に買い物なぞしてる場合ではなくなったので夕食選びを中断し、買物カゴの中に入ってる商品だけを精算してしまう。
「パパ、晩御飯これしか買わないの」
  誰のせいでそうなったんだよ。喉元まで出かかった言葉を春道はなんとか飲みこんだ。ここでこの子供にへそを曲げられたりでもして、騒がれれば何かと面倒だからだ。
  もっとも、騒動を起こせば母親がやってきてくれる可能性も高い。
  納期が差し迫っている仕事を抱えてるだけに、万が一にでも警察から事情聴取を受ける事態になればマズい。およそ現実的な方法ではなかった。
  だから子供は嫌いなんだよ。レジで支払いを済ませたあと、つくづく春道は思った。
  なのに何故か子供に好かれる体質らしく、初対面の子供が相手でもやたらと懐かれてしまうのだ。そう、例えば今回のケースみたいに。
  店内に設置されてる休憩スペースで母親を捜そうにも、スーパーはもはや閉店間近でそれもできない。
  どうするかな。この現状では、さすがに春道も途方に暮れるしかなかった。
  母親は娘を放っておいて何をやってるんだよ。再びサービスカウンターの近くに戻って呆然と立ち尽くしていると、これまた見慣れた顔が息を切らしながらこちらへ走ってきた。
「葉月」
「あ、ママだー」
  少し前までは迷子になっていたと思えないほど、能天気な声で母親に笑顔を向ける。
「急にいなくなったから心配したのよ。店内放送で呼ばれてサービスカウンターへ迎えに来ても、お父様がもういらっしゃいましたとか言われるし――」
  我が子がいなくなったのが相当効いていたのだろう。取り乱した母親が娘へ矢継ぎ早に言葉をぶつける。
「ご、ごめんなさい」
  あまりの迫力に、さすがの女児も顔を俯かせて母親へ謝った。
  これで母親もひと段落着いたのか、ようやく一緒にいた春道の存在に気がついてくれたようだった。
「貴方はこの前、銭湯で葉月がご迷惑をおかけしてしまった方ですよね」
  顔にはありありと、何故貴方が私の娘と一緒にいるのですかと言いたげな様子が浮かんでいる。
「パパが葉月を迎えに来てくれたんだよ」
  どう説明したものか春道が悩んでるうちに、一緒にいた女児が事実と違う台詞を口にした。それではあらぬ誤解をしてくださいと言ってるようなものである。
  案の定、美女は目つきを鋭くしてこちらを睨みつけてきた。
「別にどうこうしようとしたつもりはない。全部偶然だ」
  と言ったところで、やはり簡単には納得してくれない。仕方ないので、どうしてこうなったのかを最初から詳しく説明する。
  店内に閉店時の音楽が鳴り響く頃にはすっかり誤解もなくなり、逆に春道は美女に頭を下げられていた。
  何度も同じ光景を見てるだけに、誘拐犯扱いされそうになったことに怒りを覚えるより、この人も大変だなと同情する気持ちの方がずっと強い。
「とりあえず、外に出よう」
  春道は謝罪の言葉を口にしようとしていた美女に提案した。閉店準備に追われている従業員の視線が、妙に刺々しいのだ。明らかに春道たちを邪魔にしてる様子である。
  客商売のスペシャリストらしく、顔を見ればどの従業員もニコリと笑みを返してくるが、纏ってる雰囲気が早く退店して下さいと急かしてるように感じられるのである。
  以前に松島和葉と名乗った美女も同様の感想を抱いてたのか、春道の言葉に「そうですね」と頷く。

 店の外に出ると、スーパーの電気は店内外を含めてほとんど消えかかっていた。ここら辺は田舎だけに街灯が少なく、商店街と言えど、店が閉まれば不気味なくらいの静けさと暗さに包まれる。
「こんな場所で立ち話も何ですから、せっかくなので家へいらっしゃいませんか」
  美貌の母親からの予期せぬ誘いだった。そんなに知った間柄でもないのに、ほいほい家へついて行くのもどうかと思う。今晩のおかずもある程度は買っているのだ。
  しかし、どうにもハッキリさせなければならない問題がある。どうして松島葉月が、幾度も春道を父親にしたがるかだった。
  二度あることは三度ある。よく知られている言葉だ。嬉しくない三度目がやってくるまえに、原因究明をしておいて損はない。単に本当の父親に背格好が似てたなんて理由でも、判明すると意外にスッキリするものだ。
  春道は松島宅へお邪魔すると決めた。美しき人妻とお近づきになりたいとかのやましい理由ではなく、一連の騒動に収拾をつけるためである。
  両者とも徒歩でスーパーに来ており、松島和葉の先導で夜道を歩く。普通、こういう場合は母親の手を子供は握ったりするのだが、松島葉月は親ではなく、さっきからずっと春道へまとわりついてきていた。
  春道と手を繋ぎたがってるようだが、両手をズボンのポケットに突っ込んでいるので、仕方なしに上衣の裾をギュッと掴んでいる。確か銭湯前で初めて会った時もこんな感じだったはずである。
  母親の和葉は何度となく振り返って、迷惑をかけないよう娘に注意をするが効果はまったくない。そのうち諦めてしまったようで、申し訳なさそうな視線を春道に向けてくるようになった。
  嫌いで仕方ない子供に、どうしてこうも懐かれてしまうのか。春道にとって不必要極まりない特性だった。
「もうちょっとでお家に着くからね」
  笑顔ひとつない春道を見て、子供ながらに機嫌をとろうとしたのか、にこやかに葉月が話しかけてきた。
  それに合わせて和葉も「申し訳ありません。本当にもうすぐですから」と春道を気遣ってきた。
「大丈夫だよ」
  丁寧な言葉遣いは苦手だが、せっかくかけてくれた言葉を無視するほど無愛想ではない。面倒だとは思うものの、必要最低限の社交性は持ってるつもりである。
  ただ、子供に関しては別だった。奴らは相手をしてやると、すかさず調子に乗ってくるのだ。あとはずっと遊んでやらないといけなくなってしまう。しかも子供というのは無邪気で、時にそれは残酷なまでの凶器となる。
  えぐるように心を傷つけられても、相手が子供だけに本気で怒れない。そんな真似をしようものなら、周囲の両親どもを中心に大人げないだのと、散々文句を並べられた挙句にいつの間にかこちらが悪者にされてるのだ。
  ましてや、事情を知らない人間からすれば、プログラマーなんてほとんど謎の職業である。不審者みたいな扱いを受けたりしたケースもあり、子供と関わると損しかしないと春道は痛感しまくっていた。
「着きました。ここです」

 

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