愛すべき不思議な家族 9
自分でも気持ちの整理がつかないうちに、春道は血の繋がってない娘と並んで外を歩いていた。日中なら近くのスーパーが営業してるので、そこへ行くつもりだった。松島母娘と、二度目の対面を果たしたあの店だ。
道順は葉月も知ってるらしく、先導するかのごとく少し前を歩いている。
表情どころか、全身から一緒にお出かけができる嬉しさみたいなオーラが放出されていた。ここまで喜んでもらえると、子供が苦手な春道もさすがに悪い気はしない。
「パパとこうしてお出かけするの、ずっと夢だったんだ」
「そうなのか」
「うんっ。ママから初めてパパがいるって教えられて、写真を見せてもらってからはずっと頭の中で想像してたの」
もう一度春道は「そうなのか」と同じ台詞を返した。愛想がないわけでも、少女を嫌ってるわけでもない。本当にそれ以外の言葉が思いつかなかったのである。
学校でいじめられ、友達もおらず、頼りの母親は深夜まで帰ってこない。辿り着いた暇つぶし方法こそ、想像世界でのひとり遊びだったのである。
引越し当日、作業の邪魔をしないよう遊びに行って来いと春道は言ったのだが、もしかしたら凄く残酷な要望だったのかもしれない。
「学校は楽しいか」
「うん。友達もたくさんいるし、凄く楽しいよ」
ニッコリ笑顔で葉月が答えた。春道がいじめの事実を知ってるとは夢にも思ってないのだろう。恐らく母親の松島和葉にも、心配をかけさせまいと同じように言ってるに違いない。
まだ十歳にもなってないのに、まるで大人みたいな心配りの仕方だった。
子供なんて憎たらしいぐらいにしか思ってなかった春道に、急速に少女への同情心が芽生えていた。
父娘らしく手を繋ぎ、スーパーを目指す。傍から見る分には、本物の親子に見えてるだろう。しかし実際には違い、まだ親子関係に慣れてない春道は顔が赤くなるほどに照れていた。
顔面が火照ってるのが自覚できるだけに、急いで気分を落ち着かせようとする。このままではまるで変質者だ。
葉月との会話には上の空になってしまったが、努力の甲斐あって目的の店に到着する頃には平常心に戻っていた。
「このお店にママと来た時、パパと会ったんだよね。きっとまた会えるって思ってたから、葉月はすっごく嬉しかったんだ」
当時の喜びを表現するかのごとく、少女はその場でピョンピョン飛び跳ねる。さらに言葉を続けた葉月は、スーパーに来るのはそれ以来だとも教えてくれた。
松島母娘と、この店で偶然の再会をしたのは二週間近くも前である。
少女がひとりで外出した形跡はほとんど見られないだけに、もしかしたらそのあいだはただ学校と家を往復する日々だったのかもしれない。
引きこもりも仕事の一部になってるどこかのフリープログラマーじゃあるまいし、不健康極まりない生活である。
しかも登校すればいじめられ、家へ帰ればひとりぼっち。精神科医じゃない春道でも、この調子なら遠くない将来に少女が鬱病になる可能性が高いとわかる。
他人の家庭問題なのだからと、割り切れれば楽にはなれる。なのに実行できそうにないのは、知らないうちに葉月へ情が移ってしまったからだろうか。
「それで、パパは何を買いに来たの」
自分は一体どうするべきかと悩む春道に、葉月が明るい声で聞いてきた。出かける前に一瞬だけ見せた落ち込んだ表情が、今ではすっかり消えている。どうやらこの買物は、彼女にとっても気晴らしになってるらしい。
先々のことはわからないにしても、今はそれで充分かもしれない。単純に春道は思った。
「買いに来たのは、ジュースやお菓子さ」
入口付近に積み重ねられている、買物カゴを左手でひとつ取りながら答えた。
ジュースとお菓子。子供なら誰でも喜ぶ単語に、葉月もパッと表情を輝かせた。
「パパもそういうの食べるんだねー」
「そりゃ、そうさ。いくつになっても、美味しいものは美味しいからな」
「うん、わかるよ。葉月もチョコレートとかプリンとか大好き」
女の子らしく、甘い食物の名称が横からポンポンと出てくる。
楽しそうな少女を連れて、真っ直ぐ春道は目的地であるお菓子やジュースのコーナーに突き進む。何回も利用してるだけあって、店内の間取りはほぼ正確に頭の中へインプットされていた。
迷わずに飲料水コーナーへ到着すると、缶のコーヒーやらココアやらをまとめて二十缶はカゴに入れる。
大量買いに縁がなかったのか、初めて見たかのような驚きぶりを葉月が示した。
「次は菓子だな」
すぐ側にあったスナック菓子売場で、これまた大量に確保する。あっという間にカゴは満杯になり、筋力トレーニングでもするつもりかぐらいの重さになる。
これで春道自身の買物は終わったが、ツカツカと歩いていき、あるデザートを最後に二個カゴに入れた。子供に大人気のビッグサイズプリンである。
「一個は……お前にやるよ」
言葉のあいだにわずかな間を入れて春道が伝えると、飛び上がらんばかりに少女が喜んだ。人目も気にせずにおおはしゃぎである。
「本当!? 本当にいいの」
「ああ、約束だ」
「ありがとう」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、何度も何度もお礼の言葉が口にされる。よほど嬉しかったのだろう。そんな少女の姿を見ていたら、不意にまた昔を思い出した。
たまに母親が早く帰ってきて、買物に行くと聞くと、荷物持ちをするなどと理由をつけてとにかく一緒に行きたがった。
当時は小学校の低学年だったので、荷物持ちとしてたいした戦力にはならなかったが、それでも母親は春道の言葉に微笑んで頷いたものだった。
近所のスーパーでおまけ付きのお菓子をねだり、一個だけ買ってもらう。小学生だった春道少年は、それが楽しみで仕方なかった。
状況は多少違っているが、あの時の母親も今の春道と同じ、微笑ましい気持ちになっていたのかもしれない。
そこまで思ってから春道は苦笑いをする。子供が苦手だと自負してるくせに、これではまるで子供大好きの親バカである。
「どうかしたの」
小首を傾げて見上げる葉月に、春道は何でもないと答えてレジへと向かう。生活環境が変わったせいで、心の調子が少し狂ってるのかもしれない。
プリンを買ってやる時、途中で一瞬言葉を詰まらせたのも、相手の少女を名前で呼ぼうかどうか悩んだせいだった。結局面と向かって名前で呼ぶのは照れ臭くて、お前なんて無骨な言い方になってしまったが。
レジで会計を済ませると、レジの女性が商品を入れてくれた袋からプリンを一個だけ取り出して、そっと少女に手渡した。
一緒に店を出てからも、まるで宝物を扱うように両手で大事に持っている。時折じーっと手の中のプリンを見つめては、何かを思い出したかのように無邪気な笑顔を見せる。
「そんなにプリンが好きだったのか」
あまりに同じ光景が繰り返されるため、たまらず春道が聞いた。
「違うよー」
楽しげな笑みを浮かべたままの少女が、ブンブンと小さな顔を左右に振った。
「プリンも大好きだけど、それよりパパに買ってもらえたのが嬉しいんだよ」
なんとも泣かせる台詞だった。考えてみれば、子供だった頃の春道もお菓子やおまけなんかより、母親が自分のためにお菓子を買ってくれた事実の方が嬉しかったのかもしれない。
幼少時代の自分の姿が脳裏に蘇ってくると同時に、その時の親の気持ちまで流れこんでくるようだった。
共働きで忙しいなりにも、子供のことをきちんと両親は考えていたんだなと再認識させられる。子を持って初めて親の考えや心情がわかると言われるが、実際そのとおりかもしれないと春道はつくづく実感していた。
「うふふ、楽しみだなー」
「楽しみにするのはいいけど、ちゃんと夕食後に食べるんだぞ。甘いものを先に食べると、ご飯を食べる量が減ってしまうからな」
言い終えて、また苦笑いをする春道。今の台詞は、自分の子供時代に散々口うるさく両親から言われたものだった。それをまさか、春道自身が口にする日がこようとは夢にも思ってなかった。
「わかってるよ。ママにもよく言われてるしね」
返ってきた反応も、当時の春道のとよく似たものだった。もっとも、隣を歩いてる少女の方がずっと素直な性格をしてはいるが。
和やかな雰囲気のまま、松島家――葉月にとっては自宅に到着する。厳密に言えば、春道にとっても現在の自宅なのだが、まだそう呼ぶ気にはなれなかった。自分は居候であるという認識が未だに強いからだ。
家の中に入ると、春道は仕事をすると少女に告げて、二階にある己の居住区へと向かった。葉月は名残惜しそうにしてたが、わかったと返事をして、改めてプリンのお礼を言ったあと部屋で宿題をすると教えてくれた。
冷蔵庫に缶ジュースを一本だけ除いてしまいこみ、菓子類を専用の場所に置いたあとで春道は敷きっ放しの布団の上に座った。差し迫った仕事はないため、いるのはDVDデッキ等が揃ってる私室だ。
仕事に関してはひと段落してるのだから、別に葉月と遊んでやってもよかったのだが、これ以上彼女と一緒にいると、さらに情が移りそうで怖かったのだ。
同じ屋根の下に住んでるものどうし、仲良くなっても住みにくくなったりはしない。ただ仲良くなりすぎると別れが辛くなる。もしかしたら、それを危惧して松島和葉は相互不干渉を決めたのかもしれない。
いつになるかは不明だが、離婚すると決まってる人間と必要以上に親しくなっても、お互いに得は少ない。
であるならば、どこかで一線を引いて付き合った方が、最終的に受けるダメージをいくらかは軽減できる。
これからは不用意な行動や言動には気をつけるようにしよう。そう決意した春道は、とりあえず仕事で溜まったストレスを癒すため、缶コーヒーとスナック菓子をお供に、今度こそDVD観賞を始めるのだった。
一本、二本と見終わり、夕食をとったあとで三本目を見ようかと思ってると、珍しく私室のドアがノックされた。
もしかしたら葉月だろうか。春道は廊下にいるであろう人物に対して「どうぞ」と告げた。
ドアが開かれ、室内に入ってきたのは松島和葉だった。
「部屋に鍵をかけたりはしないのですか」
春道が用件を尋ねる前に、逆に和葉から質問されてしまった。
「一応は企業秘密の資料なんかもあるから、仕事部屋には鍵をかけてるさ。私室にはわざわざかけておく必要もないだろ」
この家に住んでるのは松島母娘と春道の三人だけ。ふたりとも寝込みを襲うタイプではないし、今のところ命を狙われる理由も見当たらない。
基本的に戸締りはしっかりと和葉がしてるだけに、家外から侵入者がやってくる可能性は極端に低いはずだ。
「そうですか」
「まさかそれを聞くために?」
静かに松島和葉が首を左右に振る。元気いっぱいの娘とは対照的な動作だ。
「お礼を言いに来たのです」
「お礼?」
最初、相手が何を言ってるのかピンとこなかった。和葉には世話になりっぱなしで、世話をした記憶は一切ない」
「プリンの一件です」
そう言われて、ようやく昼間の出来事を思い出した。見ていたDVDがなかなかに面白くて、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「食後にどこからかプリンを取り出してきて食べ始めたので、どうしたのと聞いたらパパ――高木さんに買って頂いたと」
食後の娘の様子がわかったということは、今日は早めに返ってきていたのだろう。そう言えば、現在時刻もまだ午後八時前だ。
「冷蔵庫に閉まっていたみたいで、とても美味しそうに食べてました」
「それは良かった。それとも余計なお世話だったか」
「いえ。あの子も喜んでいたようですから」
表情を変えずに、淡々と和葉が言葉を続ける。
「そこでお礼を言うついでに、代金をお返ししようと思いまして、お邪魔させていただきました」
「代金って……いいよ、そんなの」
パタパタと右手を振りながら春道が答えた。買ってやったと言っても、百円ちょっとのプリン一個だけである。
確かに春道の年収は大手企業で役職についてる和葉より少ないだろうが、そこまで金にガツガツしてるわけでもない。それに、あれはあくまで葉月へのプレゼントだったのだ。
理由もきちんと説明したのだが、それでも松島和葉は納得してくれなかった。
「貴方に結婚してほしいと頼んだのは私ですが、何も本当の家族になってほしいと頼んだ覚えはありません」
まるで謎かけのような台詞を和葉が告げた。目は真剣そのもので、適当な気持ちで言ったりしてないのは明らかだった。
「私はあの子とふたりだけで生きていければよかったんです。それがあの子を傷つけまいとついた嘘から、こんなことになってしまうとは夢にも思いませんでした」
自分の不在時に、愛する娘にちょっかいをだされたのが不愉快なのか、棘のある言葉がズバズバと唇から繰りだされる。
「自分がついてしまった嘘である以上後にはひけないので、やむを得ず夫婦となる道を選択しました。ですがご承知のとおり、私と高木さんは何も大恋愛をして今の形に落ち着いたわけではありません」
「それはわかってる。この生活はあくまでお互いの損得勘定に照らし合わせた結果生まれたものだ。離婚してほしいと言われれば、俺はすぐにでも応じる」
春道の言葉を聞いた和葉が頷く。
「それにそっちの魂胆も大体読めてる。俺に無愛想な態度をとらせて、あの子が持ってる父親像を壊そうとしてるんだろ。そうすれば、予定してる期間よりずっと早く母娘だけの生活に戻れる」
「そこまでご理解していただけてたのでしたら、改めて私から申し上げることはありません」
悪びれもせず、春道の目を見据えたまま松島和葉はそう口にした。
たいした女だと春道は思った。隠していた本心を知られてもなお、狼狽した様子を微塵も見せずに相対してるのだ。
いや、もしかしたらすでに自分の意図が見破られてると想定してたのかもしれない。バレてなければ変わらず接しておけばいいし、そうでなくても対応はさして変わらない。あくまで春道が和葉との結婚に応じたのは、待遇の良さにあると知ってるからだ。
春道にしても、松島和葉が好意を寄せてくれてるなんて微塵も思ってない。利害関係の一致のみによる仮面夫婦。そんな現実は百も承知だった。
「頭の良い高木さんなら、何も言わなくても察していただけますよね」
「要するに、お嬢ちゃんとあまり関わるなってことだろ」
和葉が頷く。やはり表情は変わらない。
「冷たい女だとお思いでしょうが、これもあの子のためなのです。仲良くなり、高木さんを慕えば慕うほど、別れの時はよりショックが大きくなるでしょう」
そのあとで和葉は、万が一真実を知られてしまった場合もと付け加えた。それに関しては同感だったので、特に春道に反論する理由はなかった。
「わかった。これからは気をつける」
春道が言うと、ようやく松島和葉が少しだけ笑顔を見せた。
「ではプリンのお金を――」
「それはいらないと言った。代わりにこれをやるよ」
相手の台詞を途中で制し、春道はズボンのポケットに入れたままにしてあった一枚の紙切れを和葉に差し出した。葉月と出かける前に玄関で拾った、悪口が書かれたあのメモ紙である。
「いけません。こちらがお世話になったお返しに来ておいて、さらに物を受け取ったりなどとてもできません」
何を勘違いしたのか、そう言って松島和葉が首を左右に振った。
「紙切れ一枚を他人へのプレゼントにする人間なんてそういないだろ。これは恐らく葉月が落としたものだ」
娘の名前が出たことで、和葉の視線がスッと鋭さを増していく。
「そこまでわかってるのなら、どうしてあの子に返さず、高木さんが所持してるのでしょうか」
「非人道的な行為だと責めるのも結構だが、まずは中身を見てみろよ。それで理由がわかる」
どうしようか少し思案してたようだったが、結局促されるままに和葉はクシャクシャのメモ用紙の中身に目を通した。
面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。
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