リセット

  71

 翌日の二日目。翌々日の三日目と、さしたる問題もなく大学受験は行われた。もちろん哲郎も水町玲子も、無事に参加できた。
 哲郎が精魂込めて製作した受験対策ノートのおかげで、最終日を迎える頃には水町玲子の顔にも自信がたくさん見られるようになった。
 そしてすべての日程が終了し、あとは後日発表される合格者の名前を確認すればいいだけだった。
 やり直してきた人生において何度も合格している大学なので、今さら自信がどうとかは思わない。受かるのが当たり前になっていた。
 大学受験におけるハードルは大きく下がっているが、比例して合格した際の喜びも減少していた。だがこれも仕方のないことなのだと受け入れ、哲郎は己の人生をリセットしてきた。
 おかげで最愛の女性の役にも立てたではないかと、前向きに捉える。実際に哲郎がいなければ、水町玲子が今回受験した大学に合格していた確率は限りなく低い。
 そもそも、受験すらしていなかった可能性が高い。その後、どのような人生を送るかはわからないが、あまり幸せそうなイメージは想像できない。これも哲郎が経験してきた人生で、彼女の末路を何度も見ているからだろう。
「やっと終わったね」
 最終日の試験日程をこなし、ホテルへ戻ってきた恋人の少女が自分の部屋で大きく伸びをする。
 水町家にはすでに電話連絡をしており、手応えもあると報告していた。電話向こうから、大きく喜ぶ声が聞こえてきて、哲郎も嬉しくなった。
 本来なら合格発表まで東京に滞在し、色々と遊んだりするのもよいのだが、哲郎には水町家の工場にて仕事があった。
 数日穴を空けただけでも、現場では大変な事態になっているはずだと容易に想像がつく。跡取り娘だけあって、水町玲子もそれがわかっているからこそ、余計な希望を決して口にしたりしなかった。
「本当だな。これで今日の夕食は、ゆっくりと味わえそうだ」
 哲郎の言葉に、恋人の少女が笑う。受験で頭が一杯で、食事を楽しむ余裕がないのは水町玲子も一緒だった。
 すぐに何度も頷いては「楽しみだね」と肯定の言葉を返してくれた。
 合格してるかどうかは置いておいて、とにかく目の前の大学受験はひと段落した。少しくらいハメを外しても、罰は当たらないはずだった。
 宣言していたとおり、夕食はホテルのレストランで、恋人の少女と一緒に心から堪能した。これほど豪華なメニューが出ていたのかと、水町玲子は改めて驚いていたくらいだ。
 夕食を終えたあとは、哲郎の部屋で夜遅くまであれこれと語り合った。肌を重ねるような真似はせず、まるで中学生みたいにとりとめのない話をして笑った。
 その中でお互いの未来についても話した。哲郎は躊躇いなく、水町家の工場で働いていきたいと告げた。
 信頼も厚い哲郎は様々な仕事を任せてもらえるし、進言すれば大抵の要望は通してもらえた。文字どおりやりがいがあったのである。
 なにより頑張れば頑張るほどに、愛する女性のためになる。これが嬉しかった。余計に仕事に力が入り、時には周囲から心配されたりもした。
 学業とアルバイトを見事に両立させ、きっちりと己の恋愛も成長させてきた。所属している高校の教員からも一目置かれ、最難関の大学受験で学校の期待も背負った。
 友人からはプレッシャーばかりで大変だねと同情された。だが水町玲子と幸せな未来を築くための基礎工事だと思えば、辛いとは思わなかった。
「大変だったけど、終わってみれば少しだけ楽しかったかな」
 眠る少し前に、水町玲子が今回の大学受験に対する感想を述べた。安堵してる様子でもあったので、哲郎は意地悪をしてみたい衝動に駆られた。
「なら、もう一回受けてみる?」
「え……その……楽しいけれど、遠慮しておくわ。哲郎君は、相変わらずたまに意地悪になるね」
 夜のホテルの部屋に響いた笑い声が、まるで哲郎と水町玲子の大学受験というイベントのエンディングに思えた。

 ホテルから一旦地元へ戻り、各家庭でゆっくり過ごす予定ではあったが、哲郎はすぐに水町家でのアルバイトを行っていた。
 周囲が配慮してくれるのはありがたかったが、案の定、哲郎が担当していたところはかなりの混乱ぶりになっていた。
 本命の大学の他に、きちんと滑り止めも受験しているので、どこかしらで水町玲子と一緒に合格している大学があるのは間違いなかった。
 哲郎に限って言えば、受験したすべての大学で合格している自信がある。あとは水町玲子次第だ。
 しかし深く考えれば不安になるので、哲郎はあえて仕事に精を出すことで頭の中をからっぽにした。
 一生懸命身体を動かすなり、頭を働かせていれば余計なことを考えずに済む。そうしてるうちに、受験した大学の合格発表の日程になる。
 哲郎と水町玲子はまたもや一緒に上京し、仲良く合格発表を見に行く。知り合いに頼む人間も多い中、こうして簡単に旅費が確保できるのはありがたい限りだった。
 最初に受験した大学こそが本命であり、そこに合格していれば、他の合否はほとんど関係なくなる。それだけに水町玲子は移動の最中から、緊張の面持ちを隠せないでいた。
 気がつくたびに哲郎は「大丈夫だよ」と穏やかに声をかけるのだが、恋人の少女は半ば反射的に「うん」と頷くだけだった。
 哲郎の言葉が満足に聞こえてるかもわからない状態なので、下手に話しかけるのは逆効果の可能性もあると考慮する。
 あれこれと励ますよりもと考え、哲郎は水町玲子の手をそっと握った。一瞬だけ驚いた様子を見せた恋人の少女だったが、すぐにこちらの手を握り返してきた。
 電車での移動の最中、ろくに会話はなかったけれど、哲郎と水町玲子はずっと手を繋いでいた。お互いの温もりが、何も言わなくとも相手の気持ちを伝えてくれる。
 それから数時間後。歓喜の時間が哲郎たちに訪れる。受験をした大学にて設置されたボードに、膨大な数の番号が書かれている。これこそが合格発表だった。
 一緒になって哲郎と水町玲子は、自分たちの受験番号を探す。そして発見する。何度も何度も確認した恋人の少女が、その場に膝から崩れ落ちた。
 おおいにはしゃぐのかと思いきや、気力を使い果たしたようなグッタリした様子で「良かった」と心の底からの気持ちを呟いた。
 そんな恋人の少女に手を貸して立たせたあとで、哲郎も「よかったね」と応じる。
 受験の際も使用したホテルへ数日宿泊し、滑り止めも含めて受験した大学の合格発表を連日見に行くことになっていた。
 数日の留守でもなんとかなるとわかったので、今回は哲郎も水町家の工場がどうなってるかを心配しなくて済む。その分、恋人の少女と類稀な都会を観光できそうだった。
 実際に水町玲子の両親も、哲郎の両親も合格していたら、そうしていいと言ってくれていた。明日からは滑り止めの合否を確認しがてら、色々な場所へ遊びに行くつもりだった。
「ありがとう」
 唐突に水町玲子がお礼を言ってきた。訳がわからない哲郎は、情けなくも目をパチクリさせるしかできなかった。
 きょとんとしてる様子がわかったのだろう。少しだけおかしそうに笑いながら、恋人の少女がお礼の言葉の真意を説明してくれる。
「私がこんな立派な大学に合格できたのも、哲郎君のおかげだから。ひとりならきっと、受験もできていなかったと思う。ずっと前から、無事に合格できたら言おうと思っていたの」
 照れくさそうな水町玲子に、哲郎は「お礼が言いたいのはこっちだよ」と返す。今度は相手女性がきょとんとする番だった。
「水町玲子という女性がいてくれるから、俺の人生は楽しいんだ。だから、玲子がいてくれるだけで幸せなんだよ。本当にありがとう」
「……うん。私も同じ気持ちだよ。だから、私からもありがとう」
 合格発表のボードの前。哲郎と水町玲子は人目も気にせず、抱き合って喜びの涙を流していた。

 ホテルに戻り、それぞれの家へ電話で合格を報告すると、どちらの両親もおおいに喜んでくれた。
 加えて通っている高校にも報告する。一流大学に二名もの合格者を出したことで、職員室は狂喜乱舞といった感じだった。
 あとはどの大学を選ぶにしろ、哲郎たちの意志に任せられる。高校に限れば、有名な難関大学に現役の在校生が合格した事実が何より大事なのだ。
 もっと卒業生が、一流大学に通っているのもかなりのステータスになる。本音では教員たちも、哲郎と水町玲子にそのまま一番良い学校を選んでほしいと願ってるに違いなかった。
 事前に約束していたとおり、翌日からは他の大学の合格発表を確認しがてら、哲郎と水町玲子はデートをする予定を立てた。
 本来なら上京する前に行うべきなのかもしれないが、余裕のある哲郎とは違って、人生で一度限りの大学受験の合否に意識が集中していた水町玲子に、そのような提案をするのは酷な状況だった。
 合格発表を待っている日々の間、なんとかアルバイトをこなしてはいたが、普段ではあまり考えられないケアレスミスを連発していた。
 いつもは多少の小言を口にする社長である水町玲子の父親も、この時ばかりは何も言わずにただ見守っていた。
 一方で同じ状況にいるはずの哲郎にそわそわした様子はなく、仕事も通常どおりにこなした。その姿を見ていた社長に「哲郎君の胆力は凄まじいな」と賞賛されたほどだ。
 実際の哲郎は気が強くなければ、度胸もない。繰り返しの人生において、少しずつ身についてきただけの話だった。
 累積で百年以上の人生を送れてようやく多少の変化を見出せるくらいなのだから、一度の人生しかない人間に「心身ともに強くなれ」というのは、簡単な課題ではないと思うようになっていた。
 なにはともあれ、ここ最近の心労の大半を占めていた大学受験の問題は最高の形で解決した。水町玲子の満面の笑みが証明している。
「凄い。ここの大学も合格しているわ。哲郎君が高校の先生になったら、きっとその学校はもの凄く有名になるよ」
「玲子が合格できたのはきちんと努力していたからだよ。勉強しない人間に、いくら頑張って予想した問題集を渡しても何の役にも立たないだろ」
「それはそうかもしれないけれど……でも、私は哲郎君の力が大きいと思うもの」
 またもや二人の受験番号が書かれている合格ボードの上で、互いに笑顔で褒めあう。関係のない人々には、きっと奇妙な光景に映っているはずだ。
 初日に合格していた大学よりはレベルが少し劣るものの、それでも一流と呼ばれるランクに入るところなのは間違いない。いかに進学校に通っていても、合格するのは難しい。
 そんな大学にも合格できたことで、水町玲子のテンションはさらに上昇。ホテルへ戻るまでに映画やお茶をしたが、その間もずっと楽しそうにしていた。
 結局、哲郎と水町玲子は受験したすべての大学に合格していた。報告を受けた高校の担任は電話向こうで叫び、いまだかつてないくらいに職員室は騒がしくなっていた。
 あまりの喜びぶりに、地元に帰ったらパレードでも行われるのではないかと、水町玲子と笑いあった。
 数日の有意義だったホテルでの宿泊を終え、哲郎と水町玲子は近い将来から住むことになる土地をあとにする。
 通い慣れた高校の卒業式が、もうすぐそこまで迫っていた。

 続く


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