その後の愛すべき不思議な家族2

   11

 夏休みもすぐそこまで迫ってきたある日、いつものように葉月は教室で仲のいい友人たちとお喋りをしていた。担任の先生――戸高祐子が教室へ来るまでは、葉月の机の近くに集まって会話をするのは日課みたいなものだった。この日も皆で楽しく話していると、室戸柚が「そう言えば、知ってる?」と新たな話題を提供しようとしてきた。
 知ってるかとだけ聞かれても、わかるわけがない。早速、佐々木実希子が「何のことだよ」と室戸柚へ逆に質問をした。彼女は待ってましたとばかりに、微笑みながら口を開く。
「3年生になると、野球部の応援に参加しないと駄目なんだって」
 どこから情報を仕入れてきたのか、室戸柚は得意げだ。実際に葉月たちも知らなかったので、本当なのと驚く。
「応援か。平日なら大歓迎なんだけどな」
 基本的に勉強より運動が好きな佐々木実希子は、普通に授業するよりかは野球部の応援へ行きたがる。運動があまり得意でない今井好美も、観戦するだけなので別に嫌がったりはしなかった。
「葉月、野球って見たことないから、楽しみ」
 家で見るテレビといえば、決まってバラエティかアニメだ。きちんと宿題を済ませていれば、母親の和葉はどんな番組を見ていようとも、あまりうるさくは言わない。だからこそ余計に、見たい番組が放映される予定の日は、頑張って早めに勉強を終わらせる。なのでついさっき話したとおり、葉月がテレビで野球を見るような機会はなかった。そういえば前に、最近は中継の数が減っていると、父親の高木春道が嘆いてた記憶がある。
 葉月の楽しみという発言に誰より早く同調したのは、今回の情報を持ってきた室戸柚だった。どこか蕩けそうな笑顔を浮かべながら「実はね……」なんて言ってくる。
「まだ何かあるのか?」佐々木実希子が聞いた。
「仲町和也君が、早くもレギュラーになったみたいなの」
 これまでになく、室戸柚の言葉に力がこもる。聞いていた佐々木実希子と今井好美は顔を見合わせたあと、柚に視線を戻して「なるほどね」と言った。
「道理で嬉しそうに野球部の応援があるなんて言うはずよね。実希子ちゃんじゃあるまいし、変だとは思ったのよ」
「本当だよ……って、ちょっと待って。アタシじゃあるまいしって、どういう意味だよ」
 笑う今井好美の隣で、不服そうに佐々木実希子が唇を尖らせる。これもよくある日常のひとコマだった。少し前に室戸柚の引っ越し話があった際には、こんなふうに笑いあえるなんて想像もできなかった。考えれば考えるほど、葉月が父親の春道に心の中で感謝をする回数が増えた。
「詳しい話なら、祐子先生が教えてくれるわよ」
 室戸柚がそう話した時、朝の会の始まりを告げるチャイムが、黒板の上に備え付けられているスピーカーから鳴った。それを合図に、立ち話をしていたクラスメートたちが、ぞろぞろと自分の席へ戻る。程なくして、担任の戸高祐子がドアを開けて、教室へ入ってきた。
「皆、おはよう」
 母親の兄と結婚した女性教師から、今年中に産休を取るとクラスの皆に教えられたのが数日前。よく意味がわからなかったので、産休について両親に尋ねた。春道からは「ありがとう」の意味だと教えられたので、和葉に使いまくっていたら、その日の夜遅くに2階から父親の謝る声が聞こえてきた。実際には、赤ちゃんを産むために取るお休みらしかった。産休を取るまでは、これまでどおりに戸高祐子が葉月たちのクラスを担当する。

 朝の会が始まると、まずは戸高祐子が連絡事項を幾つか口にする。その中には、野球部の応援の件も含まれた。
「野球部の試合がある時間だけは授業をお休みして、球場へ応援に行きます。こら、男子。あまり、はしゃがない」
 授業をお休みと聞いて、何人かの男子が歓声を上げた。注意して静かにさせたあと、戸高祐子はクラスで野球部へ所属してる生徒たちに「頑張ってね」と声援を送った。
「頑張れって言われても、和也以外は皆と一緒にスタンドから応援するんだけど」男子生徒のひとりが、苦笑いを浮かべながら言葉を返した。
「あ、あら、そうなのね。でも、和也君は試合に出られるんだ。3年生なのに凄いわね」
 仲町和也の体格は、同じクラスの男子と比べてもかなり立派だった。上級生とも大差ないくらいで、運動神経の良さはクラスどころか学年でもトップクラスだ。野球部でも存在感を発揮しているらしい。だからこそのレギュラー抜擢なのだろう。なんとなしに凄いなと思っていたら、当の仲町和也が横目で葉月を見てきた。ほんの一瞬だけ目が合うと、すぐに逸らされる。
「た、たいしたことねえよ。それに、今度の試合は本当のレギュラー以外を試すんだ。そうじゃなきゃ、俺だって試合に出られてねえし」
 何か恥ずかしいことでもあったのか。顔を赤くした仲町和也が早口でまくしたてた。周囲はそれでも凄いと褒め、教室のあちこちで拍手が起こる。もちろん葉月も笑顔で手を叩いた。
「と、とにかく、頑張るよ」
 急に嬉しそうな表情になり、手を上げて仲町和也は歓声に応える。時折ちらちらと葉月を見てくるのが気にはなったものの、たまたまだろうと考える。近くの席では柚ちゃんが「格好いいよね」と呟きながら、仲町和也を見つめていた。

 数日が経過して、仲町和也がレギュラーとして参加する野球部の試合の日がやってきた。学校からさほど離れてない球場で行われるとあって、現地までは徒歩で移動した。事前の打ち合わせどおり、3年生から6年生までが応援に参加する。葉月たちがスタンドへ着いた頃には、すでにグラウンドで試合前の練習が行われていた。たくさんの生徒が、グラウンドで動く見知った部員に声援を送る。
「皆、揃ってるわね。それじゃ、席について」
 引率の戸高祐子が、担当するクラスの生徒全員がいるのを確認してから指示を出した。近いとはいっても、10分以上は歩いてきたので、皆、安堵したようにスタンドへ設置されている長椅子に腰を下ろす。席順は自由に決めていいとのことだったので、葉月は今井好美らいつものメンバーと並んで座った。
「あ、ねえ、葉月ちゃん。あそこに仲町君がいるよ。一緒に声援を送らない?」
 洋服の袖を引っ張ってきた室戸柚にされた提案を、葉月は笑顔で承諾する。2人で大きく息を吸い込み、外野でノックを受けている仲町和也に大きな声で声援を送った。こちらに気づくと、仲町和也は照れ臭そうにはにかんだ。
 そのうちに試合前の練習が終わり、対戦する両校の野球部員が審判の求めに応じて整列する。頭を下げて挨拶をすると、いよいよ試合が開始されそうになる。この日のために、応援へ行くとわかってから、葉月は父親の春道に、野球について色々と教えてもらった。家族揃ってテレビでの野球中継も見たりした。おかげでルールなども覚え、前よりは詳しくなった。
 球審がプレイボールを宣言すると、後攻側のチームがグラウンドに散らばる。各自の守備位置につき、これから投げるピッチャーに声をかける。先攻となるのは、葉月が所属する小学校だった。仲町和也は8番ライトで、スターティングメンバーに名前を連ねている。
 チームが攻撃を開始すると、吹奏楽部が盛大に楽器を鳴らす。流れてくるメロディーに合わせて応援を行う。スタンドにいる生徒が一体化したような感覚が、妙に楽しかった。バッターの打球に一喜一憂し、気がつけば誰もが熱心に観戦をするようになった。
 序盤の攻防が終わり、ついに仲町和也の初打席がやってくる。隣に座ってる室戸柚は先ほどから興奮しきりだ。頻繁に「打てるかな」などと話しかけてくるので、葉月まで緊張をしてしまう。心臓がドキドキする音を聞きながら、スタンドで打席に立つ仲町和也の雄姿を見守る。
 以前は虐められていた相手だったにもかかわらず、最近では一緒に調理実習へ参加するなどの仲になった。これも父親のおかげだった。そんな仲町和也が、いつになく真剣な顔つきで対戦相手の投手と対峙している。グラウンドに張りつめている緊張感が、観客席にまで伝わってくる。思わず生唾を飲んだ瞬間に、ピッチャーがボールを投げた。

 相手投手は6年生なのに、3年生の仲町和也はちっとも恐れてなかった。強いスイングを繰り出し、向かってきたボールを痛烈に弾き返す。もの凄い速度で、打球が外野にまで転がっていく。内野を守っている人たちが、ほとんど反応できないほどだった。
 1塁上で、ヒットを打った仲町和也がガッツポーズをする。彼の目は明らかにこちらを見ていて、隣に座ってる室戸柚は大はしゃぎだ。
「仲町君、凄すぎっ。葉月ちゃんもそう思うよね?」
「うんっ。凄いね」
 葉月が同意をすると、室戸柚が満足そうに頷く。その様子を見ていた佐々木実希子と今井好美が、意味ありげに笑う。
「ライバルと一緒に喜ぶなんて、柚は健気だね」ニヤニヤしながら実希子が言う。
「ちょ、ちょっと! 実希子ちゃんは黙ってて!」
 室戸柚が顔を真っ赤にする。その反応でからかわれてるのは理解できたが、佐々木実希子の台詞については意味がわからなかった。
「ねえ、実希子ちゃん。ライバルって何ー?」
「……そっか。そういえば、ライバルにすら、なっていなかったんだな」
 今度は同情するように言ったあと、佐々木実希子は室戸柚の肩に手を置いた。
「そうなのよ。でも、葉月ちゃんだから許せるんだけどね」
 室戸柚たちが笑う中、葉月ひとりだけが首を傾げた。でも、皆が嬉しそうだからいいやと考えて、最終的には自分も笑みを浮かべた。

 この日の試合は惜しくも敗れてしまったが、レギュラーとして出場した仲町和也は3打数3安打の大活躍だった。試合は午後1時から行われ、終わったのは丁度2時間後。学校も終わる時間なので、教室へ戻れば帰りの会をするだけだ。
 掃除も終わって皆で一緒に帰ろうとなった時に、試合で活躍した仲町和也がユニフォーム姿で教室へやってきた。皆から賛辞を贈られると、まんざらでもない感じで「ありがとう」と返した。試合があったので今日の練習は休みになったらしかった。彼は周りを囲んでいる友人に別れを告げると、一直線にこちらへ向かってくる。葉月の前で立ち止まった途端に、何故か顔を赤くする。
「な、なあ、その、一緒に……帰らないか?」
「うん、いいよ」
 笑顔で応じた葉月は、そのまま仲町和也に背を向けて、今井好美らに声をかける。
「今日は仲町君も一緒に帰るってー」
「え? あ……いや、その……」何故か、急に仲町和也が戸惑いを見せる。
「なあに。どうかしたのー?」
「……いや、何でもない」
 希望どおり皆で一緒に帰れるのに、仲町和也が肩を落とす。今井好美らが苦笑してる中、やはり葉月ひとりだけが小首を傾げる結果になった。
 そして帰り道。仲町和也は、意を決したように葉月へ話しかけてくる。
「な、なあ。今日の俺……どうだった?」
「え? う〜ん……格好よかったよ」
「ほ、本当か!? そ、それなら――」
 仲町和也がそこまで言ったところで、葉月は前方に見慣れた人影を発見した。近くにあったコンビニから、商品が入ったレジ袋を持った男性が出てきたのだ。それが誰なのかはすぐにわかった。
「パパだーっ」
 大きな声で叫ぶと、友達が一緒にいるのも忘れて、葉月は父親の高木春道へ突進する。パパと呼ばれたのが聞こえていたらしく、春道は振り返ってすぐに葉月の姿を確認した。
「今、帰りか?」春道が聞いてくる。
「うんっ。今日ね、野球の試合を見てきたんだよ。パパから教えられたのが、役に立ったんだよっ」
 笑顔でひとしきり今日の報告を終えたあと、一緒に帰宅中だった皆を見る。すると驚くほど落ち込んでる様子の仲町和也を、室戸柚が何故か一生懸命に慰めている最中だった。

 続く

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