その後の愛すべき不思議な家族2

   18

 本来なら1泊だけするつもりだったのだが、後片付けなどを手伝ってるうちに、外はかなり暗くなっていた。戸高泰宏の勧めもあって、春道たちは結局、この日も泊まらせてもらうことになった。前日も使用した部屋に、和葉が3人分の布団を敷いてくれた。温泉旅館に宿泊した時や昨晩も川の字で寝たので、抵抗などはなかった。むしろ葉月なんかは、皆で一緒に眠れるので大喜びだ。
 せっかくの夏休みで、他の家にお泊り中。子供なら、はしゃぐのは当たり前だ。和葉もその点は理解しているらしく、今日ばかりは早く寝なさいと注意したりしなかった。葉月は家で特にゲームをやらないため、携帯用のゲーム機などを持参してたりはしない。そこで彼女が自分のバッグから取り出したのは、愛用のトランプだった。子供の頃、和葉に買ってもらったらしい。
「懐かしいのが出てきたわね。トランプで何をやりたいの?」和葉が尋ねる。
「ええとね……ババ抜きっ」
 ババ抜きと聞いて、春道はハッとする。恐る恐るチラ見をすると、視線に気づいた和葉が急に両目を細めた。
「春道さん……何か言いたいことがあるのですか?」
「い、いや……その、ババって……言葉が……あ、あはは」
「あら、春道さんたら。何を笑って誤魔化そうとしてらっしゃるのかしら」
 いつになく妻の目が怖い。床に座ったまま、たまらずに春道は後退りする。一方でババ抜きを提案した葉月は、どうして父親が母親に詰め寄られてるのかわからない様子で、可愛げに小首を傾げていた。
「ま、待て。せっかくの機会なんだ。皆で仲良くババ抜きをしようじゃないか」
「私は最初からそのつもりでした。こうなったのは、春道さんが悪意ある視線を向けてきたせいです」
 そのとおりなので、春道は「ごもっともです」と謝るしかなかった。ため息をつきつつも、なんとか和葉が落ち着いてくれたところで、ババ抜きをするために3人で円を描くようにして座った。
「ねえ、どうしてババ抜きって言うのー?」
 いざ始めようとした時に、急に葉月がババ抜きの名前の由来について質問してきた。学校の先生じゃあるまいし、春道にそこまでわかるわけがない。携帯電話で検索サイトを開き、調べてあげるべきか。そう考えていると、側に座っていた和葉が口を開いた。
「昔、イギリスから伝わった時に、トランプのクィーンを使って行うゲームだったからよ。英語でOld Maid、日本語に訳すと独身の老齢女性という意味があるの。それで日本で紹介される際にはお婆抜きとされたのよ。その後、これまでにはなかったジョーカーというカードが加わったので、それをクィーンの代わりに使用するようになったの」
「へえ〜そうなんだ……じゃあ、クィーンとかジョーカーを使わなかったらどうなるのー?」
「その場合は春道さん抜き――もとい、ジジ抜きになるわ。ジョーカーに加えて、もう1枚組み合わせのないカードを別に用意するのをジジババ抜きと呼んでいるはずよ」
 なにやら説明の途中で、さらっと文句が織り交ぜられたような気もするが、あえて何も言わないでおく。先に変な視線を向けてしまったのは春道なので、ここで抗議してもほぼ確実に言い負かされる。夫が妻の尻に敷かれてた方が、家庭は上手くいくのだ。自分でもわけのわからない慰めを心の中で呟き、静かにひとり悲しみを堪える。
「あ、パパが切なそうな顔をしてるよー」
 先ほどまで「ママ、すご〜い」を連発していた愛娘が、春道の異変に気付くなり立ち上がる。トコトコと側へ寄ってきて、いい子いい子と頭を撫でてくれる。本人は慰めてるつもりなのだろうが、春道の切なさはさらに加速する一方。それでも葉月にこれ以上の心配はかけられないので、笑顔でありがとうとお礼を言う。
「さあ、皆でババ抜きをするぞ」やけくそ気味に春道がそう告げると、葉月は嬉しそうに頷いた。

 深夜近くまでトランプを楽しんだあと、春道たちは川の字になって眠った。布団は3つあるが、転がればすぐに他の人のところへ移動できる。もっとも、自由に動けるのは真ん中の葉月くらいのものだ。寝返りを打って、顔とかに腕がぶつからないよう気をつけないとな。そんなことを思ってるうちに、春道は強い眠気に襲われた。
 目を開けるとすでに朝で、陽光が頬を照らす。いつ起きたのか、春道は部屋の中で胡坐をかいていた。自宅から持ってきたジャージで眠ったはずなのに、何故か今は私服姿だ。寝ぼけてたのだろうか。なんとか記憶を手繰ろうとするも、目当てのものは見つからなかった。本来なら不安になってもおかしくないのに、今の春道は不思議にも思わない。当たり前のように、部屋で座り続ける。するとドアが開き、廊下から妻の和葉が室内へ入ってきた。
「春道さん、お茶を持ってきましたよ」
 お盆に乗せて持ってきた緑茶入りの湯呑みを、笑顔で手渡してくれる。そのあとで、春道の向かい側に座っている男性にも、湯呑みをひとつ差し出した。
 ああ、そうだ。自分は今、和葉の父親と話をしていたんだった。大事な何かを思い出すように、現状を認識する。
 いつの間にか、和葉は部屋からいなくなっていた。目の前には彼女の父親の姿がある。春道にとっても、義理のだが父親になる。
「春道君。娘は君に迷惑をかけていないか」義父が、両手に持った淡い白色の湯呑みを床に置きながら話しかけてくる。
 途端に緊張でドキドキしてしまう。口を開けば、声の代わりに心臓が飛び出てきそうだった。何かを言わなければと強く思ってるのに、肝心の言葉が何も浮かばない。声が出ない時間が増える。慌てた春道は、半ばパニック状態だ。情けないと怒鳴られるかと思いきや、義父は優しそうに笑ってるだけだ。
「強情な子だが、私の娘に変わりはない。元気でやってくれているのなら、それでいいんだ」
 そう言った義父は少しだけ寂しそうだった。湯気の出ている湯呑みを両手でまた掴み、口元まで運ぶ。美味しそうにひと口だけすすったあと、元の位置へ戻した。
「君には色々と苦労をかけているみたいだが、その分、心から信頼してるとも言える」
 改めて春道の目をじっと見てくる。顔つきは真剣そのものだ。和やかさには程遠い空気に包まれ、春道の表情も自然と引き締まる。
「あの子の頑固さは私似だからな。よほど心を許さなければ、迷惑をかけようなどとは思わない。誰より私がよく知っている」
 義父が自嘲気味に笑う。
「実はああ見えて、息子の方がしっかり者なんだ。逆に娘はしっかりしてるように見えて、案外抜けている。普段の姿からは、あまり想像できないだろうがね」
 今度はとても愉快そうにするので、釣られて春道も口角を上げた。なんだか口を挟んではいけないような気がして、ひたすら聞き役に徹する。
「息子は会社を継いでも、のらりくらりと敵になりそうな連中をかわしながら上手くやるだろう。だが娘は一直線に進む形が多い。誰かとぶつかっても、自らの主張を押し通そうとする」
 そこでまたひと口だけお茶を飲んでから、義父が言葉を続ける。
「そういう場合は、逆に突き放してやった方がいいと思った。やるだけやって駄目なら、帰ってくるだろう。その場合は責任を取ってやればいい。泣きついてくるまでは、娘の好きにさせてやろうと考えていた」
 湯呑みを両手で持ったままの義父が、春道を見て「ところが君は違った」と言った。
「真正面からあの子の想いを受け止め、その上で正面から言葉を返した。口論になるのを厭わずにな。それでいて、不必要な嘘はつかない。そういった姿勢も、あの子が気に入った面のひとつだろう」
 お茶を飲み干した義父が、満足げに息をひとつ吐いた。
「君のような男が側にいてくれれば、娘も大丈夫だろう」
 空になった湯呑みを床に置くと、義父はゆっくりと立ち上がった。
「さて、私はそろそろ行くとしよう。ではな、春道君。あの元気な孫娘にも、よろしく言っておいてくれ」
 最後まで春道は何も言えなかった。声を出そうと必死になって試みても、まるで呪いでもかけられてるみたいに上手くできないのだ。仕方なしに、無言のまま義父の背中を見送る。遠ざかっていく後姿はどこか寂しげでありながら、安堵しきってるようにも見えた。
 やがて義父がドアを開く。家の中のはずなのに、ドアの向こうからは眩しい日が差してくる。あまりにも鮮烈な光だった。目を開けていられなくなり、春道は瞼を閉じた。

「パパーっ」
 再び目を開けると、春道の顔を覗き込んでる少女の顔があった。娘の葉月だ。
「葉月? あれ、ここは……」
「パパ、寝ぼけてるのー? ここは泰宏おじちゃんの家だよ」おかしそうに葉月が笑う。
「いや、それはわかってるけど……お義父さんは?」
「え? お父さんって、パパのことだよね?」首を傾げたあと、葉月が春道を指差した。「それなら、ここにいるよー」
 確かに葉月にとっての父親は春道になるのだから、間違ってはいない。しかし、聞きたいのはそういうことじゃなかった。
「違う。ママのパパのことさ。つまり、葉月のお祖父ちゃんだな」
 言いながら、上半身を布団から起こす。すると、背後から「何を寝ぼけてるのですか」という声が届けられた。葉月だけでなく、和葉も春道の近くにずっといたらしい。
「私の父なら、すでに故人ですよ。わけのわからない発言をしてないで、そろそろ起きてください。この時間まで、葉月にどーんを我慢させるのは大変だったんですから」
 和葉がため息をつく。額には、大粒の汗が確認できる。春道の安眠を守るために、ずいぶんと悪戦苦闘してくれたみたいだった。
「それより、起きたのでしたら、顔を洗ってきてください。私は先に居間へ行ってます」
 昨日も利用させてもらってるので、洗面所はトイレの場所は覚えた。春道は「わかった」と返事をして、先に居間へ向かう母娘と別行動をとった。

 居間へ行くと、取り寄せたのか、大きな容器に入ったお寿司がちゃぶ台の上に置かれていた。すでに食事の準備は終わってるらしく、春道を除く全員が揃っていた。
「どうやら俺が最後みたいですね。ご迷惑をおかけしました」
 戸高泰宏にひと言謝ってから、和葉の隣に座る。
「気にしなくていいさ。むしろ、ゆっくりできているようで何よりだよ」
 戸高泰宏は笑顔でそう言ってくれた。そのあと、全員でお寿司を食べる。かなり美味しかったので、自然と箸が伸びる。葉月も大喜びだ。
「それにしても、春道君はいつもこんなにゆっくりなのかい?」
 食事をしながら、戸高泰宏が聞いてくる。怒ってるような雰囲気はまるでないので、単純に気になっただけだろう。
「本来、朝は早い方なんですけどね。変な夢を見たせいかな」
 春道がそう言うと、和葉が反応する。
「そういえば、朝からおかしな発言をしていましたね。あれは夢のせいだったのですか」
「ああ。普通なら起きると忘れてしまうんだけど、何故か今もはっきり覚えてるんだよなぁ」
「どんな夢だったんですか?」聞いてきたのは、中トロを頬張ってる最中の戸高祐子だ。
 隠す必要もないので、春道は「実は……」と見た夢の内容を、全員に教えた。すると戸高泰宏が神妙な顔つきになった。
「……そういえば、あの部屋……生前に親父が使ってたな」
 その言葉を聞いた、和葉の顔色が変わる。
「え? 父さんの部屋は他のとこだったはずじゃ……」
「お前がいた頃はな。出ていったあとに変わったんだ。言ってなかったけ?」
「聞いてませんっ」
「そうだったか。ま、いいじゃないか。嫁の父親として、旦那に取扱説明書でも渡そうとしたんだろう」
「と、取扱説明書って……兄さんは、私を何だと思っているのですか!」
 怒鳴る和葉の近くで、今度はウニに狙いを定めている戸高祐子がぼそっと呟く。「邪魔者」
「貴女は黙っていてくださいっ」
 賑やかすぎる昼食の場となった居間に、飾られている義父の写真。その顔は、昨夜の夢で春道が会った時と同じように、優しく笑ってるように見えた。

 続く

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