その後の愛すべき不思議な家族2

   2

「裏切り者って何ー?」
 葉月が尋ねた瞬間、仲良しの今井好美がビクリと肩を震わせた。
「あ、ご、ごめんね。先生が一緒の班で作業してくれると言っていたのに、いなくなってしまったから、つい口にしてしまったの」
「そっかー。残念だね。どーん」
 今井好美の言葉に納得しながら、機械みたいに手を上下に動かす。もちろん葉月は包丁を握ったままである。
 どこかで「ひいっ」という声が聞こえたような気もするが、気にせずに葉月は作業を継続しようとする。
「ちょ、ちょっと待った! も、もう一回、作業の分担をやり直さないか!?」
「さ、賛成、大賛成。先生もいなくなってしまったし、よく考えましょう」
 佐々木実希子が提案するなり、待ってましたとばかりに室戸柚が同意する。
 そこへすかさず今井好美も賛同の言葉をかぶせて、多数決で誰がどの調理を担当するか、今さらながらも話し合われることになった。
「ね、ねえ、葉月ちゃん。その包丁さばきは誰に教わったのかな」
 恐る恐る尋ねてくる今井好美へ、葉月は元気な声で「自分で勉強したのー」と告げてから胸を張った。
 あまりに堂々としすぎているためか、班員はそれぞれポカンと口を開けている。
「そ、そうなんだ。き、気を悪くしないでほしいんだけど、自分の技量に疑問を抱いたことがないかな」
「えーとね。小さいことを気にしてると、立派な大人になれないんだよ」
 これまた自信満々に話す葉月へ、今度は佐々木実希子が「誰に?」と質問してくる。
「誰にって、パパだよー」
 パパという単語が出た直後に、室戸柚が何かを諦めたように首を左右に振った。
「駄目よ。葉月ちゃんにとって、お父さんの言葉は絶対的な重みを持っているわ」
 室戸柚の発言に、今井好美が「確かに」と応じる。
 常に日頃からともに学生生活を送っていれば、葉月が両親に好意を抱いているのは普段の言動で十分に理解できる。
 林間学校でも、その父親の「免許皆伝」という言葉が原因となって、今井好美たちは数々の苦労と恐怖を背負うはめになった。
「そ、そんなに上手な葉月ちゃんが作業をすると、私たちの練習にならないから、今日のところは野菜を洗っていてほしいの」
「うーん……好美ちゃんが、そう言うなら、野菜を洗うね」
 話し合いにより、今井好美が基本的に調理を担当して室戸柚がフォロー。そして佐々木実希子と葉月が野菜を洗ったり、ボールを用意したりなどの基本的な作業を行う係に決定した。
 葉月が包丁をまな板の上に置くと、場にほっとした空気が流れた。どうしてだろうと思いながらも、葉月は指定された野菜洗いを一生懸命こなすのだった。

 その日の放課後、自宅へ帰るなり、葉月は父親の仕事部屋をノックした。
 一緒に生活を始めた当初こそ怒られたりもしたが、今ではいつ訪ねても歓迎してもらえる。
 唯一の難点は父親の高木春道が仕事に集中しすぎていると、葉月の存在になかなか気づいてもらえないことだった。
 以前も一緒に夕食へ行く約束をしていたのに、そのせいでだいぶ遅れてしまった。
 過ぎ去ってしまえばいい思い出になるが、現在進行形で味わわせられると、なかなかに悲しくなる。
「お、葉月か。今、帰ってきたのか?」
 ドアを開いてくれた父親の問いかけに頷きながら、葉月は仕事部屋に入る。
 高木春道の仕事部屋にもすっかり慣れており、葉月が座る定位置みたいなものも決まっていた。
 といっても勝手に自分でそこへ座っているだけなのだが、いつの間にか高木春道も葉月がその場所へ座るものだと思っている。
 部屋の壁を背もたれにして床へちょこんと座ったあと、葉月は学校での出来事を教える。
 すると瞬時に高木春道の表情が曇り、どう言うべきかと悩み始めた。
「そ、そうだ。下に和葉がいるだろ。そう言った話は、ママが専門だ」
「え、でも……」
「おっと。そう言えば仕事が残っていたなー。ああ、大変だ」
 仕事道具であるパソコンは電源が切られているので、言うほど忙しくないのはすぐにわかった。
 けれど棒読みの「忙しい」を連発したあとで、高木春道は葉月を廊下へ押し出した。

 申し訳なさそうにドアが閉められると、葉月は廊下にひとりだけになる。
 さすがにこの状況は寂しすぎるので、父親に言われたとおり、一階にいる母親の元へ向かう。
「あら、葉月。パパとお話は済んだの?」
「ううんー。忙しいって、途中で終わっちゃったー」
「忙しい? 変ね……今朝、急ぎの仕事は終わったと言っていたのに……」
 首を傾げる母親の高木和葉は、この間まで会社勤めをしていたが、今では主婦として高木家の台所事情を支えている。
 昔はなかなか会えなくて悲しい思いもしたが、最近では一緒に過ごせる時間が増えたので嬉しい限りだった。
 そこで葉月は、父親にしたのと同じ話を母親の高木和葉にもしてみた。
 すると和葉はすぐに合点がいったとばかりに「そういうこと……」と呟いた。
 そのあとで小さく「春道さん、逃げたわね」とも口にした。
「逃げたって、何ー?」
「ううん、なんでもないわ。じゃあ、ママと一緒にお料理の勉強をしましょうか」
 何度か一緒に料理をしているので、葉月はすぐに首を縦に動かした。
「それなら、早速始めましょう。まずは包丁の持ち方ね。うん、大丈夫よ」
 葉月の包丁の握りを確認した上で、和葉は用意したまな板の上に冷蔵庫にあった人参を乗せる。
「それじゃ、これを切ってみてくれる?」
「うん。いくよー。どーんっ」
「――え?」
 ドンと音がキッチンへ響き、まな板の上で人参が憐れなくらいに真っ二つになっている。
 その光景を何故か冷や汗を垂らしながら眺めていた母親が、ここで小さく「なるほどね……」という呟きを漏らした。
「いい、葉月。そんなに強く切ったら、人参さんがかわいそうでしょう。こうして優しくしてあげるの」
 左手で食材を支えさせながら、丁寧な切り方をまずは母親の和葉が実演する。
 そのあとで葉月も実際に切ってみるが、段々とまどろっこしくなってくる。
 そこで考えついたのが、重力を使って、一気に人参を切る手法だった。
「ま、待って、葉月。貴女……また、さっきのをやるつもりね……」
「あれ? どうして、わかったのー?」
 きょとんとしながらも、葉月は学校で今井好美たちに告げた台詞を口にする。
 すなわち、小さいことを気にしていると、立派な大人にはなれないという父親から教わった言葉である。
 それを聞くなり、母親の高木和葉は家の電話を遣って、どこかへ連絡をとり始めた。
「春道さん。すぐに降りてきてください。ええ、すぐにです! 逃れられるとは、思わないでくださいね」
 若干声を荒くした母親が受話器を置くと、葉月の側へ戻ってくる。
 その数十秒後には、父親の高木春道もキッチンへやってきた。
 ――かと思ったら、すぐに母親へリビングの隅へ連れて行かれる。
 何事かを会話しながらも、時折室内へ響く高木春道の悲鳴。それらを数度繰り返したのち、両親が葉月のいるキッチンへやってきた。
「は、葉月。いいか……時には、小さなことを気にするのも、必要なんだぞ。そうしないと、パパみたいにママから――あ、いえ。なんでもないです」
 母親の横目に怯えつつも、父親がそんな台詞を発してくる。そのあとで「葉月が、きちんと料理できると嬉しいな」とも付け加えられた。
「そっかー。じゃあ、ママみたいに作ればいいんだね」
 葉月がそう言うと、母親の高木和葉が瞬時に表情をパッと輝かせた。

 その日から、高木和葉による特訓の日々が続いた。夕食時には必ず一緒に葉月も作り、包丁の使い方を丁寧に学ぶ。
 本来なら自由気ままに作るほうが好きなのだが、どうやらそれでは駄目みたいだった。
 だからこそ今井好美を始めとした班の皆も、葉月の包丁さばきに驚いていたのである。
 幸いにして、また遠くないうちに調理実習の時間が予定されていた。
 今度こそ美味しい肉じゃがを作って、皆に褒めてもらうんだ。葉月は一生懸命に、母親の手ほどきを受けて調理方法をマスターしていく。
「……また今夜も肉じゃがなのか」
 夕食時間になって、メニューを目にした父親を、母親がギロリと睨みつける。
 それだけで白旗をあげそうになっているところへ、葉月が必殺の一撃を言葉にして繰り出す。
「パパは、葉月の作ったご飯、食べたくないのー?」
 少し悲しそうな顔をすれば、より効果的になる。これまでの共同生活で得た経験をフルに活用し、父親に手料理を喜んで食べてもらおうとする。
 しかし、ここで思いもよらない計算違いが発生する。
「え? そうだな。できれば、もう食べたくないな」
「マ、ママーっ! パパが悪い子になっちゃったー!」
 ――わかったよ、葉月。優しくこう言って連夜の肉じゃがを、残さず平らげてくれる。想像していた未来は、希望に満ち溢れていた。
 けれどすぐ側まで迫っている現実は、悪夢のごとき結末をもたらそうとしていた。それを悟った葉月は、直前になって母親へ助けを求めた。
「大丈夫よ。食べたいと思わせる料理を作ればいいの。そのためには明日から、朝、昼、晩とパパの食べる分は葉月が作って、自分の腕を認めさせるのよ」
「あ、そっかー。さすが、ママー」
 母娘で楽しげに「うふふ」と笑い合う一方で、父親の高木春道が蒼ざめた顔で何故か謝罪をしてきた。
「俺が悪かったから、それだけは勘弁してくれ……」
 一瞬にしてやつれたような父親の表情が気になったものの、頑張って作った肉じゃがを食べてくれることにはなったので、とりあえず納得する。
 笑顔で「それじゃあ、葉月の肉じゃがをたくさん食べてね」と告げれば、高木春道は引きつった笑顔で「頑張るよ」と応じた。
「大丈夫です。味は私が保障します」
「そ、そうか。じゃあ、皆で晩飯にするか」
 一同で食卓を囲み、盛り付けられた肉じゃがや、ご飯に野菜などが入った容器がテーブルの上に所狭しと並んでいる。
「早く食べてー」
 父親の高木春道に喜んでほしくて、葉月は自分が食べるより先に相手へ勧める。
 また断られたりすることもなく、父親は最初に肉じゃがへ箸をつけてくれた。
「……ん? お、おお……これは意外……いや、失礼。予想よりも、ずっと美味しいじゃないか」
「慌ててフォローしたつもりなのでしょうけど、その言い方にも若干の失礼さが残っていますよ」
 ツッコみを入れながらも、母親の高木和葉は穏やかに笑っていた。
「でしょーっ!」
 両親の反応を見てるだけで嬉しくなり、思わず葉月は声を上げていた。
 そのあとで自分も箸を使って肉じゃがを食べ、大好きな父親と母親へ「本当に美味しいねー」と話しかける。
「ああ。これなら、全然大丈夫だ」
「えへへー。そうだ。そこまで言うんなら、パパのご飯は葉月が――」
「――葉月。学生の本分は勉強だ。基本的に料理はママに任せて、お手伝いをすればいいんだよ」
「……父親らしいお話にも聞こえますが、要は葉月の料理を毎日食べるのは嫌だと言うことですね」
 よほど鋭い指摘だったのか、高木春道がギクリとした様子で高木和葉をチラリと見る。
「い、いや……そうじゃなくてだな……」
「それなら、葉月が毎日作っても、大丈夫だよねー」
「――いいか、葉月。学生の本分は勉強だ」
「それ、さっき聞いたー」
 こうして、今日も高木家の夜は平和に更けていくのだった。

 続く

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