その後の愛すべき不思議な家族2
32
「ああ、憂鬱だな……」
その日は――いや、正確には数日前から、表情を曇らせていた佐々木実希子がやや大げさにため息をつく。葉月たちが通う小学校では、今日から期末テストが開始される。勉強があまり得意でない実希子は、それが嫌で先ほどから似たような態度と言動を繰り返していた。
「でも、実希子ちゃん。期末テストが終われば、もう少しで冬休みだよー」
少しでも友人を元気づけてあげようと、葉月が明るい話題を提供する。佐々木実希子はパッと表情を輝かせたが、それも一瞬だけ。すぐに皆で集まってる葉月の机に突っ伏してしまう。
「あっ、実希子ちゃん。教科書が見れなくなっちゃうよ」
抗議すると、すぐに佐々木実希子は「ごめん」と顔を上げてくれる。実は、葉月も今回のテストはあまり自信がなかった。母親である高木和葉の妊娠に感激しすぎたあまり、赤ちゃんはいつ産まれるのかな、などと事あるごとに考えてしまって、自宅でのテスト勉強が疎かになっていた。これではまずいと、テスト前のわずかな時間を使って、必死で教科書やノートを見ている状態だった。
「諦めきってる実希子ちゃんと違って、葉月ちゃんには将来があるのだから、邪魔をしては駄目よ」
にっこりと微笑む今井好美の表情は穏やかだが、発したばかりの台詞には棘がつきまくっていた。佐々木実希子を嫌ってるわけではなく、大体がこんな調子だった。あまり物事を深く考えず、後腐れのない性格をしてるだけに、好美も毒舌を吐きやすいのだろう。葉月や室戸柚も被害にあったりするが、回数は明らかに実希子が一番多かった。
「別に諦めてるわけじゃない」
一段と言葉遣いが男っぽくなってきた佐々木実希子が、むくれながら今井好美に反論する。
「アタシはただ……絶望してるだけさ」
「恰好をつけて言ってるけど、要するに勉強してなかっただけでしょう? クラスでほとんど最下位も同然なんだから、少し頑張れば劇的に上昇するというのに」
「アハハ、好美はアホだな。勉強するアタシなんて……アタシじゃないだろ」
親指で自分を指示し、何故か胸を張る佐々木実希子に、さすがの好美も頭を抱える。「もはや処置なしだわ」
「ま、まあ、人それぞれでいいじゃない」
呆れ果てる今井好美の隣で、室戸柚が事態の収拾を図ろうとする。どちらにしても、もうすぐテスト開始の時間になるのだから、皆は自分の席へ戻るしかなかった。
なるようになるだろと完全に諦め口調で呟いた佐々木実希子の背中を見送ってから、葉月は自分の教科書へ視線を移す。残り少ない時間であっても、出来る限りの勉強はしておきたかった。
程なくして、担任の先生が教室にやってくる。朝の会が終われば、わずかな時間後すぐにテストが始まる。なんとか前回よりも良い点が取れるよう願いながら、葉月は先生の話を聞くのだった。
テストが終わった途端に元気を取り戻した佐々木実希子が、放課後になるなり葉月のところへやってきた。
「なあなあ、学校も終わったし、皆で遊びに行こうぜ」
テレビゲームも大好きな佐々木実希子だが、外で身体を使って遊ぶのも大好物だ。今時の小学生女子にしては珍しく、公園でかくれんぼなどもするくらいだった。
「もう遊びの相談をしてるの? それより、テストの結果を心配したらどうかしら」
今井好美も葉月の席までやってきた。横目で佐々木実希子を見ながら、皮肉めいた発言を本人に直接ぶつけた。
「手応えなんてあるわけないだろ。逆だったら、自信あるけどな」
豪快に笑う佐々木実希子に呆れながら、室戸柚も輪に加わる。クラス全体の仲もいいけど、特にこの4人で集まる機会が多い。室戸柚の転校騒動も経て、ますます親密さが増した。放課後になれば、一緒に遊べなくとも4人で帰宅するのがほとんどだった。
「それじゃ、駄目でしょ。好美ちゃんじゃないけど、実希子ちゃんも少しは勉強しないと」
「うっわー。柚にまで言われたよ。でも、アタシ以外は皆、成績いいもんなぁ。葉月もテストは余裕だったんだろ」
「んー……そうでもないかも……わからないところが多かったし……」
素直に答えると、他の皆が意外そうな顔をした。今井好美には及ばないにしろ、普段は室戸柚と上位を争う成績なので、先ほどみたいな返しは予想してなかったのかもしれない。
「体調が悪かったの?」今井好美が心配してくれる。
「体は大丈夫なんだけど、勉強があまりできなかったんだー。今回はちょっと、成績が下がっちゃうかもー」
「たまにはそういうこともあるわよ。あまり気にしないで」慰めてくれたのは室戸柚だ。
「……なんか2人とも、アタシの時とはずいぶん対応が違わないか?」
佐々木実希子が唇を尖らせるも、ろくに相手をしてもらえない。彼女の場合は、最初から本気で勉強をするつもりがないとわかっているからだ。
「でも、終わったものは仕方ないよね。葉月は実希子ちゃんと遊べるけど、好美ちゃんと柚ちゃんはー?」
好美と柚が、ほぼ同時に「大丈夫よ」と返してくれる。いつまでも落ち込んでると皆に心配をかけてしまうので、答案用紙が返ってくるまでは、あまり気にしないでおこうと決めた。
クラスに所属してる全体人数がさほど多くないからなのか、翌日には採点された答案用紙が戻ってくる。受け取った瞬間に「うあー」と呻く佐々木実希子ほどではないにしろ、事前の予想どおり葉月の点数は伸びなかった。
前回よりも成績が下がってしまってるので、母親の高木和葉に見せるのが躊躇われる。でも、テストが実施されたのはすでに教えているので、今さらなかったふりもできない。
とりあえずこの日は皆で遊んだりはせず、早めに帰宅をした。家には、妊娠が発覚したばかりの高木和葉がいる。よほど忙しければ別だが、いつも玄関先まで葉月を出迎えにきてくれる。
「おかえりなさい」
見慣れた笑顔に「ただいま」と告げる。ランドセルを背負ったまま洗面所へ移動し、まずは手洗いとうがいをする。そのあとで自室へ戻ってランドセルを置き、その日の宿題をするなり、皆で遊びに出かけたりする。今日に限っては何の約束もしていないので、すぐに宿題を終わらせる。
それからが本番だ。終わった宿題を忘れないよう、ランドセルに入れる。代わりに取り出したのは、今日渡されたばかりのテスト用紙だ。両手に持ってるだけで、しつこいくらいにため息がこぼれる。とはいえ、見せないわけにはいかない。覚悟を決めて、母親のいるリビングへ移動する。
「あら、宿題は終わったの?」
この間、産婦人科へ行って、妊娠が確定したばかりの和葉が、リビングへ入ったばかりの葉月へ声をかけてくる。父親の高木春道は仕事中なのか、ここにはいない。
「うんー……」
「……どうしたの? 元気がないわね」
隠し事をするのはあまり好きではないので、正直にテストの結果が悪かったと告げる。
「そうなのね。でも、たまには仕方がないわ。毎回良い点を取れるにこしたことはないけれど、次で挽回すればいいじゃない」
にこやかな母親の態度に、少しだけ安堵する。赤ちゃんを体内に宿してからというもの、時折辛そうにはするけれど、和葉は嬉しそうだった。
「そうだよね。えっとね、これが返ってきたテストだよ」
期末テストは、国語、算数、理科、社会の4科目で行われる。以前に父親の高木春道へ教えた際には、小学生から期末テストなんかあるのかと驚かれてしまった。
テストの点数と授業中の態度などで、通信簿の評価が決まる。なので、決して適当に終わらせていいものではなかった。日々の予習復習をしてれば、大体は良い点が取れる内容ばかりなのだが、今回は考え事をする時間が多すぎて失敗してしまった。おかげで平均点も前回よりガクンと落ちた。
最初はにこやかだった母親の高木和葉も、受け取ったテスト用紙を見るなり、表情を露骨に変えた。笑顔から真顔になり、最終的には葉月が怯えるくらいの怒りを浮かべる。
「え、ええと……ママ……?」
上目遣いでこっそり、無言になってしまった母親の様子を窺う。できることなら怒られるのは避けたかったが、前回の平均90点以上に比べて、今回は平均で60点程度。佐々木実希子は平均で40点くらいだよ、などと教えたところで和葉が納得してくれるとは思えなかった。
「……葉月、そこに座りなさい」
優しさが消えた声で、食卓の椅子に座るよう命じられる。おとなしく従う葉月の正面に母親の和葉が座り、テーブルの上に受け取ったばかりのテスト用紙が並べられる。次で挽回すればいいと言ってくれた時の笑顔はどこへやら。かなり厳しい目つきで見つめられ、たまらず俯いてしまう。
「多少なら仕方ないと思ったけれど、いくらなんでも、これは悪すぎでしょう。一体、どうしてしまったの?」
赤ちゃんが楽しみで、勉強が手につかなかったなんて言えない。口ごもるしかない葉月に、母親を納得させられるだけの言い訳を用意するのは不可能だった。
「もしかして、毎日きちんと宿題をするふりをして、遊んでたりしたのかしら」
「ち、違うよ。きちんと宿題してたもん」
信じてもらえないのが悲しくて、懸命に抗議をする。点数が悪かったのは確かでも、予習や復習の時間を誤魔化したりはしていない。ただ、ほんの少しだけ、集中できていなかっただけだ。
険悪な雰囲気が漂い始めた頃、父親の高木春道がリビングへやってきた。呑気な感じで、葉月に「おかえり」と声をかけてくる。
「あ、ただいま」
「おう。で、何を言い争ってるんだ? 階段のところまで聞こえてきてたぞ」
高木春道の問いかけに、和葉がまずはテーブルの上を見るよう促した。
「葉月のテストの点数が、前回よりも下がってるのです。多少なら目もつぶれますが、ここまでの落ち幅だと心配になります。春道さんも、何か言ってあげてください」
成績が悪ければ、お説教されるのも当たり前。そう思っていた葉月は、父親の春道からも怒られるんだと覚悟した。けれど、春道は怒るどころか、いきなり面白そうに笑いだしてしまった。
これに驚き、腹を立てたのは母親の和葉だった。「何を笑ってるのですか」
「別にテストが悪くてもいいじゃないか。成績優秀な人間が漏れなく立派な大人になれるのなら、地位のある奴らは全員聖人君子じゃなきゃ、おかしいだろ」
「で、ですが……」
「開き直ってるんなら話も別だが、葉月は十分に反省してそうじゃないか。だったら、それでいいだろ。それとも、友人関係を破壊させてでも勉強漬けにして、成績を上げれば満足か?」
「……いえ。そういうわけではありませんが……それでも、最低限の学業レベルは、社会を生き抜くうえで必要だと思います」
「それは俺も否定しない。でも、成績の前に、俺は他人のことを考えられる、しっかりとした人間になってもらいたいんだ。あとは、元気なら文句はないさ。自分もたいした学歴じゃないしな」
そう言って、何故か少しだけ照れ臭そうに春道が笑った。その様子を見ていた高木和葉が、軽くため息をついたあとで、やはり同じように微笑む。
「春道さんらしいですね。ですが、元気が一番というのは、よくわかります。とはいえ、学業をあまりに疎かにされては困ります」
細められた和葉の視線が、葉月を射抜く。あわあわしながら、何度も首を上下に動かして、これからはもっと頑張るというのを態度で示す。
「つ、次は大丈夫だよ。う、うん、きっと」
「きっと、というのが頼りなくはありますが、とりあえずはそれで納得しておきましょう。葉月、パパに感謝しなさい」
「うんっ。パパ、ありがとー」
「ハハ、別にいいさ。和葉に怒られない程度には勉強して、カッコいい大人になれよ」
春道が頭を撫でてくる。髪の毛をくしゃくしゃにされる心地よさを感じながら、葉月は笑顔で両親に告げる。
「なるよ。葉月、パパやママみたいな大人になるっ」
優しい視線を向けてくれる両親のためにも、次のテストは頑張ろうと葉月は心の中で強く誓った。
続く
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