その後の愛すべき不思議な家族
30
戸高家から歩くこと数キロメートル。ようやく辿りついた神社の光景に、哲郎は言葉を失った。
こんな田舎町のどこに、これだけの人が隠れていたのかというぐらいの混雑ぶりだった。
同行している戸高泰宏の説明によれば、穴場として認知されてるだけに、遠方からも結構な人が集まるとのことだった。
しかもそのほとんどが若い男女のカップルであり、冬の寒さも吹き飛ぶような熱々ぶりを人目をはばからずに披露している。
「若いねぇ……」
世間一般から見れば春道も充分若いのだが、そんな感想が自然と口からこぼれていた。
「そうだね……それについては、同意見だよ」
意外なことに、春道の呟きを拾って戸高泰宏が同意してくれた。
考えてみればせっかくの大晦日にも春道たちと過ごし、新年恒例の行事に関しても行動を共にしている。
久しく交流がなかった実妹との仲を回復させたがってるとばかり思っていたが、よくよく考えてみればとても寂しい結論に辿り着いた。
「ん? どうかしたのかい」
複雑な気持ちになった春道の心の動揺に気づいたのか、微笑みながらもどこか威圧のある問いかけが戸高泰宏の口から発せられた。
何でもないですと答えたあと、話題を変えるためにも春道は妻と娘の姿を探した。
二人ともすぐ後ろを着いてきており、春道の視線に気づくと「どうかしましたか」と声をかけてくる。
妻の和葉だけでなく、娘の葉月も晴れ着姿だった。
実家には幼い頃の和葉の服なども大事に保存されており、大晦日前に家の中を掃除した戸高泰宏が発見していた。
葉月ならサイズが合うのではないかと、わざわざ事前に用意してくれていたのである。
あまり晴れ着姿になったことのない愛娘はもちろん、母親の和葉もおおいに喜んだ。自分の幼少時代の衣服に、葉月が袖を通すのがよほど嬉しいみたいだった。
春道にはあまり理解できない感情だったが、楽しそうな顔を見てるだけで幸せのお裾分けをしてもらってる気分になれた。
さらにサプライズはもうひとつあった。なんと和葉の父親が、娘へのプレゼントとして晴れ着を隠していたのである。
こちらの発見者も戸高泰宏であり、自然と父娘の橋渡し役になっていた。
素直になれない面があるだけに、晴れ着を見せられた時はあまり感情を表に出してなかった。
けれど嬉しくて仕方ないのは、愛妻の軽やかな足取りを見てればすぐにわかった。
もっともその点を指摘しようものなら、逆襲とばかりに春道の普段の生活態度を責められるのはわかりきっている。
余計な真似はせずに、黙って見守る。それこそ、戸高泰宏みたいに悠然と構えてればいいのである。
「それにしても……馬子にも衣装というのは、本当だな」
春道が心の中で見直した矢先に、この発言が戸高泰宏からされる。悪気がなさそうに見えるので天然なのだろうが、実妹の機嫌を損ねたのだけは間違いなかった。
「うふふ、その通りですね。ですが、そうなると衣装すらない兄さんは、永遠に馬子のままでしょうか。いけません、失言でした」
浮かべている笑顔とは裏腹に、明らかに怒っている和葉へ、手を繋いでいる愛娘が問いかける。
「ママー。馬子にも衣装って、どういう意味ー?」
「他者を蔑む者は、どんな衣装を身に纏っても未来永劫、卑しい立場のままということを示した諺なのです」
「お、おいおい……いくら何でも、出鱈目を教えるなよ」
へぇ〜と納得してしまっている愛娘を危惧して、春道が和葉を注意する。
「そうだぞ、俺は褒めたんだからな」
「いや……馬子にも衣装は褒め言葉ではないです」
知識を春道に一刀両断された戸高泰宏が、信じられないとばかりに目を見開いた。
「名家の当代であるのに、正しい意味も知らなかったのですか。元は馬子という馬を引く仕事をする者でも、外見を装えば立派に見えるという意味で使われた言葉なのです」
春道が説明するまでもなく、妻の和葉がきちんと理解していた。
申し訳なさそうに肩をすぼめる戸高泰宏を眺めながら、今度は葉月が口を開いた。
「……で、どっちが本当なのー?」
お賽銭を入れるには並ぶ必要があったので、その間に春道が愛娘へ諺について、ある程度のレクチャーをする。
ようやく春道たちの番が来ると、まずは葉月が喜び勇んで五円玉を賽銭箱へ投げ入れた。
引き続いて春道と和葉もお賽銭を入れ、仲間外れにしないでくれとばかりに戸高泰宏も同様の行動をする。
四人が横一列に並んだ状態で、愛娘の葉月が代表として鈴緒を鳴らした。
そのあと全員でお祈りをして、場所を後ろに並んでいる人たちに明け渡す。これで初詣は一応終了となるが、ここまで来てすぐ帰ろうなんて展開は期待するだけ無駄だった。
「ほら、葉月。おみくじがあるわよ」
「あっ、本当だー」
若い巫女さんが売り子をしている場所へ赴き、販売しているおみくじを母娘が仲良く購入する。
「ハハハ。あれじゃ、どちらが子供かわからないね」
娘と一緒になってはしゃぐ実妹を見て喋ったのだが、戸高泰宏の台詞はしっかりと和葉の耳にまで届いていた。
途端に鋭くなった視線が戸高泰宏へ向けられ、瞬間的にピリッとした緊張感が現場に走る。
「……きちんと兄さんは、他人を思いやれる人間になれるようお祈りしましたか?」
購入したばかりのおみくじを見もしないまま、痛烈な皮肉を実の兄へぶつける。
もう少し仲良くしたらどうなのかとも思うが、これがこの兄妹のスタンダードだとしたら、春道が口を挟むだけ野暮である。
現に家族が揉めれば、悲しそうな顔をしてなんとかしようとする葉月も、母親と戸高泰宏のやりとりに関しては無視を決め込んでいる。
「そ、そんなに酷いか、俺……?」
「そうですね。正直に言って、確実に配慮が足りないわ」
肉親だからこそ、多少厳しい発言でも遠慮なしに口にできるのだろう。それはそれで、ある意味羨むべき家族関係なのかもしれない。春道はそんなふうに考える。
妹の指摘に「気をつける」と兄が返したところで、問題は一応の決着を見たみたいだった。
「ねえ、パパー」
律儀にも母親がおみくじを見るまで、自分も我慢して待っている愛娘が、クイクイと春道の上衣の裾を引っ張った。
「何で、あの鈴みたいなのを鳴らすのー?」
基本的にこういった行事の作法などについては、学校では習わないのだろう。現に春道も、子供の頃に教わった記憶はない。社会人になり、仕事上の必要に迫られ、個人的に調べて初めて知った。
出し惜しみするほどの情報でもないので、意地悪せずに春道は葉月へ説明する。
「あれは鈴緒と言って、これからご挨拶しますという合図なのさ。人間で言うところのインターホンみたいなものかな」
いつの間にやら、和葉や戸高泰宏も春道の話を聞いていた。
「確かに間違ってはいませんが……その例えは、いかがなものでしょうか……」
「そうか? 我ながら、わかりやすいと思ったんだが」
あまり初詣などに興味を示してこなかった春道と違い、和葉は意外と信心深いのかもしれない。一方の葉月は「へぇ〜」と感心したように頷いては、己の知識をまたひとつ高めていた。
以前ならこういうケースでは、私も教えられたのにと和葉が若干悔しそうにしていたが、最近ではそうした態度をとることはほとんどなくなっていた。
それだけ春道を家族として、葉月の父親として認めてくれているのだ。心の中で、改めて妻にありがとうと感謝する。
その妻は、大事な娘とせーので、それぞれが購入したおみくじを見ようとしていた。
「わー、大吉だー」
その場でぴょんぴょん飛び跳ね、大喜びする葉月とは対照的に、母親の和葉は引きつった笑みを浮かべていた。
「……大凶か」
戸高泰宏のポツリとした呟きに、驚くべき速度で和葉が反応する。
「ですから! 兄さんには他者へ対する配慮が足りないのです。もう少し、実の妹をいたわろうという考えはないのですか」
「……す、すまん。けど和葉だって、普段から俺をいたわってくれてもいいと思うんだ」
春道もまったくそのとおりだと思うのだが、愛妻が発した台詞は「言い訳など、聞きたくありません」だった。
もしかしたら唯一の肉親に甘えてるのかもしれない。そう考えると、和葉の生意気ぶりも急に可愛く思えてきた。
「い、いきなり笑い出して、どうしたのですか……」
失敬にも、何か不気味な存在を見るような視線を向けてくる。さすがに少々ムッとしたので、軽く意地悪をする。
「わざとお義兄さんを困らせて、構ってもらいたがるなんて、和葉にも甘えん坊な一面もあったんだな。可愛いぞ」
「――っ!!? な、な、な――っ!!!」
まるで小爆発でも起こしたみたいに、愛妻はボッと顔面を真っ赤にした。
耳まで赤く染まった状態で反論しようとするが、それより先に行動を開始したのは、他ならぬ戸高泰宏だった。
実の妹に甘えられてるという春道の指摘に、大喜びでお兄さんらしさを発揮しようとする。
嫌がる和葉を物ともせず、頭を撫で撫でしながらおみくじをそっと奪い取る。
「いくつになっても、和葉は変わらないな。小さい頃は、よくお兄ちゃんって言いながら、俺の後ろをちょこちょことついて回ってたっけ」
当時を思い出してるのなか、実に懐かしそうに戸高泰宏が呟く。それを聞いて、より一層恥ずかしそうにしてるのが和葉だった。
「本当に大凶だ。あるところには、あるものなんだな……」
和葉が引いたおみくじを、戸高泰宏が読み上げる。
「気をつけるべきは仕事運。全体的に苦労の絶えない年ですが、唯一の救いは好調な家族運です。大事にしましょう」
「……兄さんは家族に入ってないわよ」
今度はパッと顔を輝かせた戸高泰宏が口を開く前に、和葉が先手を打った。
ガッカリと肩を落とす実兄の側をすり抜け、和葉が春道の前までやってくる。
「……そういうわけですので、今年もよろしくお願いします」
「あ、ああ……こちらこそ……」
ひとりのけものにされてると感じたのか、トトトと駆け寄ってきた葉月がばふっと母親へ抱きついた。
「ねえ、パパー。葉月のおみくじも見てー」
「……その前に、おみくじって、人に見せるものだったか?」
尋ねた春道へ、和葉がゆっくりと首を左右に振る。
「ですが……楽しみ方は、人それぞれでよいのではないでしょうか」
「そうだな。じゃあ、遠慮なく見せてもらうか。ええと……大吉。全部大丈夫。やったね……何だ、このおみくじ……」
和葉にも葉月のおみくじを見せると、愛妻は指で軽く頭を押さえた。
「……大凶を間に受けた私が愚かでした……」
そう言いたくなるのがわかるぐらいの内容だったが、戸高泰宏だけは何故かひとり朗らかに笑っている。
「ま、さっき和葉も言ってたけど、楽しみ方もそれぞれなら、作り方もそれぞれってことだな」
「それにしても、度が過ぎる……って、兄さん……知ってましたね」
「えっ!? な、何のことだ」
焦った戸高泰宏が逸らした視線のその先、春道と葉月はとんでもない看板を発見した。
「ママー。あっちにもおみくじ売ってるところがあるよー」
「え? ……兄さん。どういうことですか」
「ハ、ハハ……ここの神社、とっても面白くてな。最近、若者向けのゲーム的なおみくじを同時に発売してるんだよ」
道理で大凶なんてのが入ってるわけである。
恐らく、初詣に来た若者たちが、盛り上がるために購入するのだろう。よくよく観察してみれば、年配の参拝客は真っ直ぐにもうひとつの販売所へ向かっている。
「兄さん……知ってて、私たちをこちらへ誘導しましたね?」
「な、なかなか、楽しめただろ……ハハ……ハハハ……」
「ええ、とても。このお礼は是非、させていただきます」
久しぶりに新年を一緒に迎えた兄と妹が、向かい合って独特の笑みを披露して、今年の初詣は終了へ向かうのだった。
面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。
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