愛すべき不思議な家族 18

 何でこんなことになってるんだ。私室でスーツに着替えている高木春道の脳内では、巨大なハテナマークが無数に並んでいた。
  仕事をし終えたあとで、戸籍上で最近娘となった松島葉月から相談を受けた。確か内容は祖父に関するものだったと記憶している。
  父親をほしがる娘のためにと、葉月の母親である松島和葉は春道に結婚してほしいと頼んできた。数々の好条件と引き換えに、愛のない結婚を了承する。
  その時に決めた約束事のひとつに相互不干渉があった。お互いの生活を尊重するために、必要以上に相手の生活に入りこまないようにしようということだ。
  それがどうしたわけか、子供嫌いなはずなのに春道から松島葉月の世話を焼いてしまった。それ以来、どうも懐かれている。
  好ましくない状況だと、何度も松島和葉から怒られ、その度に気をつけようと思うものの、どうしても決意したとおりにはいかない。
  そして今日。これまた何でか、松島和葉の実家に春道も同行することになったのだ。
  緊急の仕事ではないので日程に余裕があり、なおかつ和葉の承諾も得てるらしきことを葉月が言っていた。そうなれば居候に等しき春道は従わざるを得ない。
  祖父に関しては、戸籍上は父親でも実際は他人の春道がどうこう言える問題ではない。だからこそ、母親である松島和葉に相談しろと葉月に言った。
  わりと素直な性格をしてる松島葉月は、そのとおりに母親と話し合ったのだろう。どういういきさつがあって、家族三人で実家に行くことになったのかは不明なままだ。
  仮初の夫婦である春道と和葉だけに、ひょんなことでボロがでないとも限らない。スーツに着替え終えても、春道の気は重かった。
「乗りかかった船か……」
  一度大きくため息をついてから、決定してしまったのは仕方ないと気合を入れる。松島和葉は一階で、娘の松島葉月は二階の廊下で春道を待っている。出発の時間もあるので、そろそろ部屋を出ないといけない。
  私室のドアを開けると、即座に葉月が駆け寄ってきた。よく懐いてる子犬みたいだ。
  合流した松島葉月を連れ添って階段を下りると、すでに松島和葉は突き当たりの玄関で待っていた。準備したものを入れたバッグを二つ側に置き、すでに靴をはき終えている。
  荷物のうちのひとつは可愛らしいリュックサックで、見つけた葉月が楽しそうに背負う。まるで遠足気分な我が子を見て、少しだけ和葉が微笑む。春道には決して見せない表情だ。
  一泊したとしても明日には帰ってこれるので、春道は一切着替えなどを準備していない。元々無頓着なタイプなので、同じ服を二日続けて着てもわりと平気だったりする。
「で、実家にはどうやって行くんだ」
  今朝方、松島の実家に向かうと告げられたばかりなので、移動方法などはまるで知らされていない。葉月に聞いてもよかったが、朝からだいぶ興奮してるので、まともな返答が得られるとは思えなかった。
「新幹線でと思っています。実家も田舎なので、結構電車を乗り継ぐことになります」
  となると時刻表を見ての移動になる。何事も余裕を持って望みたい性分だけに、キツキツのスケジュールには若干の抵抗がある。万が一不測の事態に陥った場合、次の手に困ってしまうからだ。
  そこで春道は車では駄目なのか和葉に聞いてみる。車ならいちいち乗り継ぐ必要はない。それに文明の発達した昨今では、高速道路なんて便利なものも存在する。
  悩む和葉に、隣で話を聞いていた少女が「葉月もパパのお車がいいー」と春道の考えに賛同した。こうなれば娘を溺愛している和葉が反対するわけもなかった。
  車で移動することになり、春道が鍵を開けると和葉が葉月を後部座席に乗せた。それから自分が助手席へと乗る。一応は夫婦なのだから、家族で出かける配置としてはこれが普通なのかもしれない。
「では、おせ――いえ、お願いします」
  途中で和葉が言葉を変更した。恐らくは春道に「お世話になります」と言おうとしたのだろう。けれど、それではあまりに他人行儀すぎる。そこでわざわざ言い直したのだ。
  とはいえ、途中まで台詞が出かかるあたり、やはり葉月とは違って家族とは認めてないようである。
  当然の話だった。春道とて、未だこうして和葉たちと暮らしてる現実に違和感を覚えたりするのだ。ほとんど初対面に等しかった男女が、何の感情もなく突然結婚したのだから無理もない。
  とりあえず松島の実家までのナビを和葉に頼み、春道は車のエンジンをかける。マフラーから威勢のいい音が鳴り響く。今日も愛車はご機嫌のようだった。
  ガレージから車を発進させ、松島和葉の案内で目的地を目指すのだった。

 高速道路を使い、途中途中でパーキングエリアにも寄りながら、なんとかその日のうちに松島の実家へと到着する。
  考えてみれば、松島和葉と結婚したはいいものの、春道は相手方の両親へ一度も挨拶をしていない。
  それは和葉も同様だったが、春道はわざわざ両親に紹介する必要もないと思ってたので、実家に連れ帰ったりはしてなかった。頼んでも断られそうだったし、どうせ松島葉月に父親が不要になれば離婚する約束なのだ。
「うわー。おっきいお家ー」
  田舎と和葉が称してたとおり、この近辺で目撃した景色と言えば田んぼと森程度だ。春道たちが住んでるところも都会とは言えないが、この地域こそ田舎と呼ぶに相応しい。
  平屋が多い一帯の中で、ひときわ目立つ立派な家。昔ながらの由緒正しき家柄といった感じで、一見すると武家屋敷を連想させる。
「こ、ここが……本当に……?」
  思わず春道まで上擦った声をだしてしまう。テレビでしか見た経験のない建物だった。車から降りた松島和葉は、どこか忌々しげに春道の問いかけに頷いた。
  道中から機嫌が悪かったが、実家が近づくに連れて拍車がかかっていた。無愛想ながらもきちんと応対してくれるいつもとは違い、迂闊に話しかけられないオーラが全身から発せられている。
  何かとんでもない事態に巻き込まれてしまったんじゃないか。嫌な汗が春道の頬を流れた。
「なんかねー。ママはお祖父さんと絶交してるんだってー」
  ぴょんと後部座席から地面に飛び降りた松島葉月が、にこやかな笑顔でとんでもない事実を通告してきた。
  絶交――それはすなわち、松島和葉が実家から勘当されてるということではないのだろうか。そんな事実はまったく聞かされていなかった。
  葉月に前から知ってたのか聞くと、さも当然そうに「うんー」と肯定の言葉が返された。
  道理で松島和葉が、父親――葉月にとっては祖父の存在を隠していたわけである。どんな理由があるかは不明だが、そんなデリケートな問題に娘を関わらせたいはずがない。
  恐らくは何度も松島葉月の頼みを拒絶したに違いない。それでも最終的には娘の熱意に折れた形になったのだろう。そうでなければ、こんな展開になるとは考えられなかった。
  かなりヘビーな問題なのに、自分なんかが関わってもいいのだろうか。漠然とした不安を春道は感じていた。それでもここまで来た以上、和葉たちと一緒にいくしかなかった。
  松島和葉も肉親などに、春道と結婚した本当の意味を教えてるとは思えない。ならば、春道と和葉はれっきとした夫婦なのだ。妻の問題は夫の問題でもある。ここで春道がいなければ、後々面倒事に発展するかもしれない。
  逃げたところで厄介な事態が好転するはずもない。どこかで必ず向き合わなければならない。それが本当の夫婦だったらの話だが。
  春道と松島和葉の夫婦関係は独特なので、どちらかと言えば巻き込まれたような気がしなくもない。今更そんな恨み言を口にしても後の祭り。なるようにしかならない。
  覚悟を決めて、春道も車から降りてロックをする。家も広大なら、土地も広大。駐車スペースには困りようもなかった。
  和葉は自分の荷物を持ち、少し離れた場所で娘と一緒に春道を待っている。とっくの昔に置いていかれたと思っていたが、そうではなかった。
  少し嬉しく感じたものの、よくよく考えてみれば初めて来た嫁の実家で、夫をひとり置き去りにして行くケースもそうそうない。
  葉月に「パパ、早くー」と呼ばれ、少し急ぎ足で春道は二人に追いつく。
「ここが私の実家です。訳あって勘当されてますが」
  淡々と松島和葉から、実家と現状の説明がされた。勝手知ったる我が家のはずなのに、やはり嬉しそうな様子は微塵もない。
  春道自身も、自分の顔が引きつってるのがわかった。どんな事情があるにせよ、実家から勘当されたからには複雑に決まっている。
  実家とは割と疎遠な春道でさえも、両親から勘当だと通告された経験はない。何をどうすれば、そこまで事態が発展するのか想像もつかなかった。
  何はともあれ、必要以上に松島家の問題に口を挟むつもりはなかった。解決するかどうかも含めて、あくまで松島和葉の判断次第なのだ。ここで春道が変に横槍を入れれば、さらに面倒な事態になるのは想像に難くない。
  あまり実家のことは語りたくないのか、それきり無言になった松島和葉がスライドタイプの古めかしい入口を開ける。
  ガラガラと特有の音が鳴り、玄関が姿を現す。視界に映った景色は、これまたテレビでよく見るような由緒正しきものだった。
  帰宅すれば「ただいま」と言うのが普通なのだが、松島和葉の場合は「ごめんください」と感情のこもってない声で、玄関奥に向かって声をかけた。
  小さな声だったがきちんと届いたようで、奥から足音が聞こえてくる。葉月が春道の私室へ来る時みたいな慌しさはない。あくまでも、家の雰囲気どおりの丁寧さを備えていた。
  玄関からの道筋は一本で、突き当たりで廊下が左右に別れている。初めて来た春道には、もちろんどちらにどんな部屋があるかなど知る由もない。
  やがて右側の廊下から、ひとりの若い男性が姿を現した。すぐに玄関までやってきて、まずは一度ぺこりと頭を下げた。
  年齢は春道より少し上程度。顔つきはいたって穏やかで、見るからに好青年といった感じである。かけている眼鏡が育ちの良さをより際立たせている。
  体型もスラッとしているけども、痩せすぎといった感じはしない。標準体型という形容が一番相応しい。面影がどことなく松島和葉に似ていると思っていたら、男性はまず最初に「よく帰ってきてくれたな」と和葉に声をかけた。
「葉月まで使って、そう仕向けたのは兄さんでしょう。別に帰ってきたわけではありません」
  瞼を閉じ、不機嫌さを隠そうともせずに、松島和葉は兄と呼んだ目の前の男性にそっけなく言い放った。
  辛辣な台詞を浴びせられた男性は苦笑いを浮かべながら、今度は春道の方を向いた。
「初めまして、戸高泰宏です。和葉はおしとやかそうでいて、気が強いから貴方も大変でしょう」
「い、いえ、そんなことはありません。あ、私は高木春道です」
  同情の視線を向けられても、そのとおりですよなどと春道は口が裂けても言えない。差し障りのない言葉を返してから、春道も自己紹介して頭を下げた。
  それと同時にある種の疑問も生じた。
「戸高……?」
  思わず頭の中に浮かんだ疑問を口にだしてしまった。マズいと思った時には、増した濃度の苦笑いを浮かべる戸高泰宏がいた。
「ある程度の事情は妹から聞いてると思いますので、正直に話します。妹――和葉は戸高家から勘当された身ですので、母方の旧姓である松島を名乗ってるのです」
  無礼な態度をとってしまったにもかかわらず、それを咎めることもなく懇切丁寧に戸高泰宏が事情を説明してくれた。どうやら普通にいい人のようである。
  それにしてもずっと松島の実家だと思ってたのが、まさか戸高家という別姓の家だとは予想もしてなかった。
  和葉は当然ながら、葉月もある程度は承知してたようであまり驚いてない。それとも単に事態が理解できてないだけなのか。それは松島葉月本人にしかわからない。
「おじさんがママのお兄さんなのー?」
  ここまで大人たちのやりとりを黙って聞いていた松島葉月が、ここで初めて口を挟んできた。春道と歳がさほど変わらない相手を、平気でおじさん呼ばわりするとはさすが小学生である。歳の若さなら最強の部類に入る。
「そうだよ。伯父さんがママのお兄さんだ」
  それでも戸高氏は嫌がりもせず、しゃがみこんで葉月と目線を合わせてから笑顔でそう答えていた。
「積もる話や聞きたいこともあると思うけど、とにかく父と会ってくれないか」
「……そうね」
  気乗りはしてなさそうだったが、一応松島和葉は頷いた。実家へ来た本来の目的は、葉月が祖父と会いたがっていたからだ。娘の希望を叶えるためには、どれだけ嫌でも一度は勘当した父親と会わなければならない。
  はたしてそういった時の心情とはどんなものなのか。同じ事態に直面した経験のない春道にはわからなかったが、とにかく和葉や葉月とともに、戸高家にお邪魔させてもらうのだった。



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