愛すべき不思議な家族 17

 話は半日ほど遡る。
  父親の部屋から追い出された松島葉月は、トボトボと階段を下りて自室へと戻った。突然現れたお祖父さんに、頭脳は混乱しっぱなしである。
  母親である和葉が会社から帰ってきたら話を聞こうと決め、それまでに学校からの宿題を済ませようとする。
  まるで手につかない。腰を下ろしてる椅子の上で両手を組む。机の上で開かれたノートの上で、直前まで使用していた鉛筆がコロコロと転がる。
  どこまでいくのか見てれば、ノートのすぐ隣で同じように開いてあった教科書にぶつかって、鉛筆のひとり旅は終了した。
  いつもなら宿題に手こずったりはしない。学級内でも葉月の成績は常に上位で、勉強に関して和葉に怒られた経験はない。
  もっとも別に勉強が好きなわけじゃなくて、友人もおらず、やることも他になかったので仕方なく教科書を開く生活をしてたら、いつの間にか成績が上昇してただけだった。
  それでも学力テストでいい点をとれば母親が褒めてくれる。閉鎖的だった葉月の社会において母親の存在は非常に大きく、褒められるために勉強してたといっても過言ではない。
  だがこのところその図式は崩れつつあった。勉強は今までどおりしてるけれど、葉月の個人社会において父親である高木春道の存在が非常に大きくなっていたのだ。
  だからこそ問題が発生すれば、常に忙しそうな母親よりも先に春道へ相談に行く。今日は邪険にされてしまったけど、大抵は面倒臭そうにしながらも話を聞いてくれる。
「お父さん、きっと寝ちゃってるよね」
  仕事と言っていたが、どう考えてもパジャマ姿でするとは思えない。仮に葉月なら、パジャマを着て宿題をしたりしないからだ。
  同級生の中には、眠る前にパジャマ姿で宿題をする子もいるみたいだけど葉月は違う。母親の和葉から、幼い頃にきちんとパジャマは眠る前に着るものだと教育を受けたせいもあり、私服でないといまいち集中できないのである。
  一度パジャマで宿題をしようとしたけれど、すぐに眠くなってしまって、それどころではなくなった。
  結局、翌日に早起きをして慌てて宿題をしたのを昨日のことのように覚えている。
  本当はもっと父親とたくさん話をしたかった。でも眠ろうとしてた春道を起こすのもかわいそうである。
「お祖父さんか……どんな人なんだろー」
  気を取り直して宿題をしようとするも、すぐにまだ見ぬ祖父のことを考えてしまうのだった。

「駄目です」
  帰宅したばかりの母親に、葉月が電話での内容を告げた途端に即答された。
「どうしてー」
「どうしてもです」
  唇を尖らせて反論した葉月に、母親は一切譲ろうとはしない。
  何故、お祖父さんの存在を内緒にしてたのか聞いても教えてくれない。会いに行きたいと言えば、ロクに考えもせずに拒否される。意地悪をされてるとしか思えなかった。
「いいもん。じゃあ、パパに連れてってもらうもん」
「いい加減にしなさい。最初にママとした約束を忘れたの? パパの仕事の邪魔をしないはずでしょう」
「……う〜……」
「パパがママと離れて暮らしてたのは仕事のためだと説明したわよね。それでも家族のためにパパは一緒に暮らしてくれてるのに、葉月が仕事の邪魔ばかりしてると、また出て行ってしまうかもしれないわよ」
「いやっ!」
  反射的に葉月は叫んでいた。いると聞かされてた父親と一緒に暮らすのを、心の底から望んでいたのは葉月だった。せっかく願いが叶ったのに、また離れ離れになるのは絶対に嫌だった。
「それならわかってくれるわね。ママも仕事で都合がつかないし、パパもお仕事が忙しい。仕方ないの」
  母親である和葉の言いたいことは充分理解できた。けれど、どうしてもお祖父さんに会いたいという心を抑えこめない。
「わかった……」
「よかったわ。今度休みがとれたら、代わりにどこか他の場所に連れて行って――」
「葉月がひとりで行ってくる」
  この申し出はまったく予想してなかったみたいで、さしもの和葉もすぐには言葉を見つけられず口を半開きにしてしまっている。
「地図とお金さえ貰えば、ママとパパに迷惑かけないようにするから」
  考えた末の結論だったが、これも和葉には承諾してもらえなかった。
「まだ小学生の娘を、知らない場所にひとりで行かせられるわけないじゃない」
「なら、ママがついてきてよ!」
「いい加減にしなさい。いつからそう聞き分けが悪くなったの? 素直じゃない子はママ、嫌いよ」
「だってお祖父さんに会いたいんだもん!」
  周りにいた子供たちは、皆お正月とかになれば両親だけじゃなく、お祖父さんやおばあさんからもお年玉を貰っていた。
  他にもお祖父さんの家で虫を取って一緒に遊んだとか、母親しか知らない葉月にとっては羨ましい限りの夏の思い出がクラスメートたちにはあった。
  以前ならこうした我侭を口にはしなかった。働いてる母親が大変だと子供ながらにわかっていたからだ。けれど父親と一緒に住めるようになって、少しずつ欲がでてきたのかもしれない。
  何度もベッドの中で思い描いていた理想の家族が作れるような気がして、葉月の感情は自分でもコントロールできないぐらいに昂っていた。
「駄目よ」
  どれだけ葉月が頼みこんでも、相手の答えは一貫して同じだった。
「……ママとママのパパ――葉月のお祖父さんは仲が悪いの。だいぶ前に絶交してるの。だから会いたくないのよ」
  いつまでも葉月が引かないので、理由を話して納得させようと思ったのか、いつになく怖い顔と口調で和葉がそう告げた。
  あまりに迫力があったので、葉月は一瞬何も言えなくなってしまった。いつの世も子供より親が強いもので、本気で言われると太刀打ちできない。まして葉月はまだ子供だ。
  いつもならここで勝敗は決する。だからこそ、和葉も少し強めの口調を選んだに違いない。しかし今回だけは勝手が違った。
「喧嘩してるんだったら、仲直りしなきゃ駄目でしょ! 自分だけじゃなく、他の人のことも考えなさいって、ママがいつも葉月に言ってるんじゃない!」
  ほとんど泣きながら葉月は叫んでいた。どうしてもお祖父さんに会ってみたかった。
「ママ、お願い! 一回だけでもいいの」
  涙ながらの懇願を続ける葉月を、母親の和葉はしばらく真っ直ぐ見つめていた。やっぱり駄目かと、諦めかけた時だった。
  和葉が目を伏せて、小さくため息をついたのだ。
「仕方ないわね。わかったわ。ママと一緒にお祖父さんのお家へ行きましょう」
  葉月は目を輝かせる。和葉はかなり頑固なところがあるので、連れて行ってもらえるとしても、もっと苦戦すると想定していた。まさしく嬉しい誤算だった。
「じゃあ、パパにも言わなきゃ」
  葉月の提案に対して、母親が反対する前に言葉を続ける。
「お祖父さんに会いたいって言ったら、パパがママに相談しなさいって言ったの。だからパパも一緒なの」
  かなり強引な理由づけだったが、母親と父親、それにお祖父さんも一緒になって遊ぶ。それこそが葉月の夢のひとつでもある。父親の高木春道が一緒でなければ叶わないのだ。
  これに母親の同意を得るのも、かなり大変だろうと葉月は予測していた。しかし結果は予想を裏切るものだった。
「……いいわ。ただし、パパが一緒に行ってくれるって言ったらの話よ」
「うんっ」
  葉月は元気一杯に返事をした。
  それからは楽しい気分で一日を過ごせた。食事もいつもより美味しく感じられ、お風呂もいつもより楽しかった。
  幸いにして明日からは土日になる。学校は休みなので、翌日には出発することになった。残っている問題は、父親の高木春道である。
  普通に頼んでも一緒に行ってくれるかは五分五分。しかも日中眠そうだったので、もしかしたらまだ寝ているかもしれない。無理やり起こして、機嫌を悪くさせては元も子もない。なので葉月は明日の早朝に狙いを定めた。
  起きるて準備を終えると同時に、春道の私室へ行って寝ぼけてる状態の父親に有無を言わさず同行させるのだ。
  土壇場の状況になれば、高木春道は味方になってくれる。半ば確信めいたものが葉月にはあった。
  すべては明日だ。楽しみにしながら、葉月はベッドに入るのだった。

 廊下から松島和葉は、自室に戻った娘の様子を窺った。どうやらすでに眠ったようだ。
  リビングに戻り、椅子に座ってテレビもつけずにボーっとする。すでに睡眠を開始するのに最適な時間になっており、必要な家事もすべて終えていた。
  まさか葉月を狙ってくるとは予想外だった。兄に電話をして文句を言おうかとも思ったが、葉月が祖父にあそこまで会いたがってる以上、相手を責めたところでどうにもならない。
  父親と絶好している。娘の葉月に言ったとおりだった。正確には和葉が自分の父親――つまりは実家から勘当されていた。
  実家を出た時に、和葉は二度と戻るまいと心に決めた。それがこんな形で自分にたてた誓いを破る結果になろうとは想像もしてなかった。
  加えて、本来なら何の関係もない高木春道も同行するかもしれない。同居したての頃なら拒否されただろうが、現在の彼は葉月が頼めば応じる可能性が高い。
  それをわかった上で、和葉は娘の申し出を全部了承したのだ。実家に戻れば、確実に娘だけじゃなく、夫の顔も見せろと要求されるのは明らかだったからである。
  結婚したことは実家には告げてない。だから兄も知らない。和葉自身から言うつもりはなくても、娘の葉月が兄に教えるケースは十二分にあり得る。
  そうなった場合、その場に戸籍上の夫である高木春道がいないと、またややこしい問題に発展しまう。
  あまり関わりたくない問題だったからこそ、父だけじゃなく、兄とも実家を出てから一度も会ってなかった。
  けれどこうなってしまったからには、もう関わりたくないなどとは言ってられない。どうせ直面するのなら、この機会に一気に片付けてしまおう。それが和葉の考えだった。
  実家は車でも電車でも、一日あればゆっくり着くことができる。近くもないが、極端に遠くもない。現代は交通整備がされており、車の場合は高速道路。電車の場合は新幹線を使えばいいだけである。
  どちらもオフシーズンなので、お正月やお盆みたいに帰省客でごった返すこともない。スムーズに目的地へ行けるはずだ。
  夕食後に会社に電話して、明日と明後日の二日間を有給休暇にしてもらった。ここのところ働きづめだったので、直属の上司である店長も快く休みをくれた。
  何気なく天井を見上げる。実家に住んでいた頃の思い出が蘇ってくる。
  地元には仲の良い友人もいるし、家族とも決して仲が悪いわけじゃなかった。そのすべてを変えてしまったのがあの問題だった。和葉が実家から勘当されることになったあの――。
「……とにかく明日ね」
  下手に夜更かしをして体調を崩しても仕方ないので、和葉も自室に戻って眠ることにする。
  そして、久しぶりに実家に戻る運命の日を迎えるのだった。



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