愛すべき不思議な家族 16

 おじさんって誰だろう。それが電話で応対している松島葉月の感想だった。
  日頃、母親の松島和葉が昔の思い出を語るケースはまったくと言っていいぐらいにない。葉月も親戚と呼ばれる人間たちとは会った経験がなかった。
  それが当たり前の状態になっていたので、とりたてて会いたいと思ったことはない。伯父さんとはどういうものか、電話相手から詳しく聞いてようやくわかったくらいである。
「ほ、本当にママの……お兄ちゃんなの?」
「ああ、そうだよ。ママはいないみたいだね。何時頃、帰ってくるかわかるかな」
  和葉の行動予定を葉月もある程度把握してないと、万が一の事態に対応できなくなるので、毎月の和葉の出勤シフト表は毎月渡されていた。
  リビングの伝言ボードに張ってあるシフト表を見ると、今日の勤務終了は午後六時になっている。とはいえ、残業が多いだけにアテにはできない。
  シフト表の隣には、和葉が勤めている会社の電話番号と、直通の内線電話の番号が書かれたメモ帳もあった。緊急の用事なら連絡しても文句は言われない。
「いつ帰ってくるかはその日によって違うから、詳しくは……」
  最近はオレオレ詐欺なんてのも流行しているし、顔も見えない相手の言葉を額面どおりに信じるのは無用心だ。何せ葉月は、伯父さんと言われても、顔どころか声も聞いたことがないのである。
「そうか……なら、君に伝言を頼もうかな」
  電話向こうで少し考えた後、伯父と自称する人物は戸高泰宏と葉月に自己紹介してから、本題に入った。
「実はお母さんのお父さん……要するに、君のお爺さんの具合が悪くなってしまってね」
「えっ!? お祖父ちゃん!?」
  これまたビックリな発言だった。父親がいるとは教えられていても、祖父がいるとは教えられてなかった。何故、母親の松島和葉がその事実を隠していたのか考える余裕もなく、葉月は伯父にその話は本当なのかしつこく尋ねる。
「もちろんだよ。どうやらお母さんは君に教えてなかったみたいだね」
「うん。伯父ちゃんのことも知らなかった」
「そうか。仕方がないかもしれないね。そうだ。まだ君の名前を聞いてなかった。いつまでも君って呼んでるのも失礼だからね」
「私は葉月。松島葉月って言います」
  続いて自分の年齢も伯父に説明する。
「まだ小学校の低学年なのに、きちんとした受け答えができるんだね。伯父さん、感心したよ。これなら安心して伝言を頼めるよ」
  葉月が戸高泰宏から頼まれたのは、一度ど実家に帰ってきてほしいというものだった。
「葉月ちゃんだって、お祖父さんに会ってみたいだろ?」
  会いたいかどうかで問われれば、葉月の答えは決まっている。母親以外の家族はいないと思ってたのに、本当はお祖父さんまでいるのだ。会いたくない理由など見当たらない。
  昔からお正月が明ければ、今年はお祖父さん、またはお祖母さんからどのくらいお年玉を貰ったという話ばかりが聞こえてきた。
  葉月もお年玉は貰っていたが、あくまでも母親の松島和葉ひとりからだけだった。決まってそういった話には加われず、幾度も疎外感を味わってきた。そんな葉月だからこそ、お祖父さんがいる事実だけで胸が熱くなった。
「うん……会いたい」
  素直な気持ちを葉月は口にしていた。相手の満足そうな様子が、電話から伝わってくる。
「なら、お母さんと一緒においで。お祖父さんも伯父さんも葉月ちゃんを待ってるから」
  きちんとした会話はそれで最後だった。あとは簡単な別れの挨拶をして電話を切った。何もかもが突然の展開で、心の整理ができない葉月の心臓はドキドキしっ放しである。
  それにしても母親の松島和葉は、どうしてお祖父さんの存在を内緒にしていたのだろう。もしかしてお父さんなら何か知ってるかもしれない。急いで葉月は再度二階へと向かうのだった。

 ドンドンと部屋のドアがノックされる前に、高木春道は松島葉月の来訪に気づいていた。足音に特徴があるので、松島母娘のどちらが来たかはすぐに判別できる。
  つい先ほど松島葉月の相談に乗ったものの、何もしてあげれずにガッカリさせてしまったばかりだった。
  普段は仕事の邪魔になるからと、あまり二階に上がってこない少女にしては珍しい。よほど重大な事件でも起きたのかもしれない。ノックの音もいつもより荒々しかった。
「パパー。お祖父さんがママで内緒だったから、凄いビックリしたのー」
「……そうか。俺も今驚いてる最中だ」
  慌てふためく少女は、部屋に入ってくるなり口早に台詞を発したが、支離滅裂で理解できる内容ではない。
  とりあえずストックしてる飲料の中から、葉月でも飲めそうなジュースを探す。徹夜明けの気分を落ち着かせる際によく飲むグレープフルーツジュースしかなかったが、コーヒーよりはマシだろうと手渡す。
  興奮のしすぎで彼女自身も喉の渇きを自覚していたのだろう。受け取ったと同時にプルタブを開けて、一気にジュースを飲み干した。
「酸っぱいよー」
  一気飲みしてから言う台詞ではないと思うが、とにかく多少は気持ちを落ち着かせられたみたいだった。
「で、何がどうしたって?」
  当初の説明ではまったく意味がわからなかったので、少女の呼吸が整うのを待って再度尋ねた。
「そうなの。ママが内緒でお祖父さんだったんだよー」
  飲んだジュースの代金を払え。思わず春道はそう言いそうになる。駆け足でここへやってきたと思われる少女は、まだ頭をパニくらせているようだった。
「ママがお祖父さんだったら、俺はお祖母さんになるのか」
「違うよー。ママがね、お祖父さん隠してたの。で、葉月が見つかったの」
  何のクイズだ、これは。そうは思っても、これ以上具体的な話は望めそうもない。頼みの綱の少女は興奮しっぱなしで、フンフンと荒い鼻息を室内に放出している。
  少ない情報量から、葉月が何を言いたいのか考える。重要になってくるキーワードは「ママ」と「お祖父さん」だろう。それにさっき彼女は何て言ってたか。
  ほんの数秒前に交わした会話の記憶を手繰り寄せる。ママがお祖父さんを隠してた。そうだ。確かに隠してたと言っていた。
  ここまで考えて、ようやくぼんやりと解答が見えてきた。もしかして――。
「葉月にはお祖父さんがいたけど、ママが内緒にしてた。これで合ってるか?」
「うんー。何でー?」
  問いかけに問いかけが返ってきた。恐らく少女の発した疑問符は、何故母親が祖父を隠していたかということだろう。
  祖父の問題なら、父親も知っていて当たり前。少女がそう考えるのは、むしろ自然の流れだ。しかし実際問題、戸籍上のみの父親である春道にわかるはずもない。
「ママが帰ってきたら聞いてみな」
  無難にこう答えるしかなかった。お祖父さんと言われても、松島和葉の父親なのか、それとも少女の本当の父親の父親なのか。それすらも春道は知らないのだ。
  迂闊なことを言って墓穴を掘ったりしたら、それこそ松島和葉に何を言われるかわかったものじゃない。
「えー。パパ、教えてくれないのー? ズルいー」
「俺は仕事中だ。邪魔をしちゃ駄目だって、ママに言われてなかったか?」
「そうだけど……」
  葉月が言葉を詰まらせる。少々意地悪な気がしないでもないが、この状況から無事に春道が逃げるためにはやむを得なかった。
「でも、パパっていつもお布団の隣でお仕事してるのー?」
  うっ……! 発生した呻きを、なんとか春道は声に出さすに心の中で処理をする。慌しい足音に邪魔されたが、仕事ではなく睡眠をとろうとしていた最中だった。
  疑惑の視線が、最近娘になったばかりの少女からじーっと向けられる。最終兵器を繰り出し、確実な勝利を手に入れたとばかり思ってたのに、まさかの反撃を食らってしまった。
「ちょっと忘れ物を取りに来たんだ。すぐに仕事をする部屋に戻るさ」
「パジャマ着てるのに?」
  まるで松島和葉ばりの洞察力である。以前なら、何も言わずにすんなり退室してたはずが、迂闊に仲良くなってしまったせいで簡単にツッコまれる状況を作りだしてしまった。まさに自業自得である。
  これだから子供は嫌いなんだよ。そう思ったところで後の祭り。こうなれば仕方ないと、春道は開き直って強引に会話を終了させる道を選ぶ。
「そのとおりだ。俺は気合を入れて仕事をしたい時はパジャマ姿でやるんだよ。知らなかったか?」
「でも、この間はちゃんとお洋服――」
「さあ、仕事だ仕事。葉月も宿題があるんだろ。部屋に戻って勉強しないとな」
「え? ちょ……パ、パパ!?」
  まだ何か言いたそうな少女の背中を押し、半強制的に部屋から退室させる。急な出来事に抵抗もできず、廊下に追いやられた松島葉月はドア越しに「パパのけちー」となんとも可愛らしい声で、なんとも子供らしい文句を口にした。
「お祖父さんがそんなに気になるんなら、きちんと今夜ママに聞いとけよ」
  明日もこんな騒ぎに巻き込まれたら洒落にならない。予定外の事態が続くほどに、人間はボロをだしやすくなる生物なのだ。
  それは春道だけに通じる論理かもしれないが、とにかくややこしそうな問題は松島母娘だけで解決してもらうに限る。
「わかったー。パパも仕事頑張ってねー」
  部屋から追い出されたのに別段怒ってる様子はなく、独特の語尾を延ばす口調で逆に春道を気遣ってくれた。
  もしかしたら、仕事をしてたという嘘を完全に見抜いた上での高度な嫌味かもしれないが、松島葉月が意図してそんな台詞を言うとはとても思えない。
  何か返事をしてやろうかと思案してる間に、トコトコと少女の足音が部屋の前から遠ざかっていくのが聞こえた。
  しょうがないから仕事をするか。一度は本気になった春道だったが、襲いくる睡魔に結局勝てず、私室の布団で横になるのだった。

 ドタドタとうるさい足音が、一直線に惰眠を貪ってる春道の下へと向かってくる。寝ぼけた状態でも正体が誰だかはわかる。松島葉月だ。また何か問題でも発生したのだろうか。
  ドアがドンドンとノックされる前に、上半身をのっそり起こす。時計を見ると、すでに夜を通り過ぎて朝になっていた。仮眠のつもりが、しっかり熟睡してしまった。
  仕事はあるものの、緊急を要してはないだけに問題はない。たまにはゆっくり眠るのもいい。結果的に強烈な目覚ましで、途中覚醒するハメになってしまったが。
  案の定、慌しいノックの音が室内に響く。そう言えば昨日、祖父の問題で母親の松島和葉とよく会話するように言っていた。その報告だろうか。
  パジャマ姿のまま、春道は「開いてるよ」と声をかけた。
「パパー、お仕事は……」
  笑顔のまま、松島葉月が絶句した。パジャマ姿でボサボサ頭の春道を直視している。
  ……相手の反応で、昨日仕事をするからと部屋から追い出した光景が脳裏に蘇ってきた。
「何だよ。せっかく仕事を終えて、眠ったばっかだったのに」
  ちょっと怒った声をだし、ずっと寝てたわけじゃないとわざとらしいアピールをする。ドアを開けて廊下に立ってるのが松島和葉だったら、一発で嘘だと見抜くに違いない。
「ご、ごめんなさい……」
  信じてくれたのか、それとも怒声に畏怖してしまっただけか。葉月はすぐに謝罪してきた。素直な反応をされれば、春道も他に何も言えなくなる。
「で、どうかしたのか」
「そうだった。パパを呼びにきたのー」
「呼びにきた? 何のために」
「一緒にお祖父ちゃんの家に行くんだよー」
  にこやかに葉月が本題を告げてきた。なるほど、お祖父ちゃんの家へ一緒にねぇ……。
「――って、何ィ!?」
  予想外の展開に驚く春道を、松島葉月は嘘じゃないばかりに、瞳をキラキラ輝かせながら何度も頷いたのだった。



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