愛すべき不思議な家族 33
ある程度覚悟していたとはいえ、耳元で松島和葉にこれだけ怒鳴られ続けると、さすがの春道も嫌気を覚えてくる。最初は相手の気が済むまで怒られてるつもりだったが、段々と黙っていられなくなる。
相手が冷静さを失ってるのは、充分すぎるほどにわかっている。何せ、あの松島和葉が丁寧な言葉遣いも忘れて声を荒げているのだ。これまでの共同生活の中では、とても考えられない事態だった。
やはり松島和葉も普通の女性だったのだ。どこか安心したりもしたが、やはり芽生えた怒りすべてを打ち消すまでにはいたらない。
「悪かったよ。けど、とりあえずこっちの話も聞けって」
「お断りよ! 言い訳なんて聞きたくないわ! 大体、悪いと思ってるならまず最初に謝るのが普通でしょ! 違う!?」
「だから謝っただろうが!」
「はあ!? いつどこで誰が謝ったの!? 私にはちっとも理解できなかったわ! もう一度小学校で日本語を勉強してきたら!?」
「な――!? 黙ってれば好き勝手言いやがって……少しは他人の気持ちも考えろって言ってんだよ!」
「その台詞、そっくりそのまま返してあげるわ! 何なら利息もつける!?」
ギャーギャーと喚きあってるおかげで、ひとりまたひとりと野次馬が戸家の中から出てくる。葬儀の日に騒いでるのだから、迷惑を通り越して全員呆れてるに違いない。
「もうやめてよ!」
さらに過熱しそうになってる言い争いに、原因のひとつである小さな少女が割り込んできた。こちらも大きな声を発したりするのは珍しく、さすがの和葉も言葉を止めて愛娘を見る。
「パパ、悪くないもん。葉月が頼んだんだもん。だからパパを怒らないで」
興奮のしすぎで肩を大きく上下させている母親を、小さな娘が必死でなだめようとしていた。この光景だけ見れば、一体どちらが保護者なのかわからなくなる。
これで事態もある程度は収束するだろう。そう思った春道だったが、予想に反して思わぬ方向へ進みだす。なんと松島和葉が、いきなりボロボロと泣き出してしまったのだ。
「どうして……どうして葉月はママの味方をしてくれないの……そんなにママが嫌いなの!?」
普段溜めていた感情が大爆発してしまったのだろう。松島葉月の台詞にも、いちいち食ってかかっていく。完全な駄々っ子モード入っている。常に冷静沈着だった和葉に、こんな一面があったとは驚きだった。
「嫌いじゃないもん! 葉月、ママ大好きだもん。世界で一番大好きなんだもん!」
母親の涙につられてしまったのか、葉月までその場でわんわん泣き始める。可愛らしい顔をくしゃくしゃにしながらも、決して松島和葉から視線を逸らそうとしない。
「じゃあ何で、いつもいつもパパって言うのよ。ママがいればいいじゃない! それともやっぱり本当の子供じゃないから――」
「――おいッ!」
不穏な雰囲気に気づいて、慌てて春道が声を張り上げるも遅かった。決定的なキーワードが、和葉の口から発せられてしまった。
己の愚行にようやく気づいたのだろう。今頃になって松島和葉が顔面を蒼白にする。戸家の前だけ時間が停止したみたいだった。実に重苦しい沈黙が場を支配する。
誰も何も言わない。いや、言えないのだ。うっかりと口を滑らせることが多い戸高泰宏でさえ、顔を俯かせて唇を真一文字に結んでいる。どうしたらいいのか。どうすればいいのか。誰にも答えが見つからない。
「……もん」
どれほどの間、そうしていたのか。止まっていた時を再び動かしたのは、目を真っ赤に充血させている少女の言葉だった。
「葉月、ママの本当の子供じゃないって知ってたもん! 捨てられてたのを、拾ってもらったのわかってたんだもん!」
服の袖で涙を拭いながら、松島葉月は先ほどの母親の台詞内容よりも衝撃的な告白をした。これには周囲の大人たちが揃って目を真ん丸くする。よもや本人が出生の秘密を知ってるなんて、誰も想像してなかったのだ。
「は、葉月……貴女……」
拭いても拭いても溢れてくる涙をどうにもできず、鼻を啜りながら松島葉月が頷く。もしかしたら程度には思っていたが、まさか本当に少女が真実を知っていたとはさすがに春道も吃驚していた。
「……グスッ……ずっと前に、ママがお友達と話してるの聞いたの……。葉月が本当の子供じゃないのに、よく育ててるねってその友達が言ってたの……」
何か思い当たるフシでもあるのか、松島和葉はギクリとした様子で顔面を蒼白にさせている。少女に真実を知られてしまったのは、完全に自業自得のパターンだ。恐らく近くにいないか、遊びに行ってると思って電話か何かで話していたのではないだろうか。
家事をしながら電話をしていたりすれば、さすがの和葉も周囲への注意が疎かになる。客人を前にしていれば、他のことをしながら応対するわけにもいかないので、それなりに注意力が発揮されるはずだった。
そうとでも考えなければ、慎重な性格をしている松島和葉がそんなイージーなミスを犯すとは思えなかった。先ほどの喧騒で若干印象が変わりつつあるものの、ほぼ間違いない。
しかし、松島葉月が真実を知っていたのなら疑問がひとつ生じる。それは――。
「……そこまで知っていたのなら、どうして父親についてしつこく尋ねてきたの?」
松島和葉の質問は、春道も知りたかったことだった。葉月は自分が捨てられていたと口にした。それならば、父親とも血が繋がってないと理解してることになる。要するに、最初から存在しないはずの人間を求めたのだ。
「だって……だって……ママ、寂しそうだったんだもん。だからパパがいれば寂しくないと思ったの。それで……」
「――葉月っ!」
愛娘に駆け寄った松島和葉が、地面に膝をついて目の前にある小さな身体をギュッと抱きしめた。お互いの肩が小刻みに震え、小雨が降る中でただ無言で泣いている。
何のことはない。最初から松島和葉の心配は杞憂だったのだ。松島葉月は実の子供でない事実を認識しながらも、しっかり娘として生活していた。
いかに幼いとはいえ――いや、幼いからこそ、真実をしったあとでふんぎりをつけるのが大変だったはずである。それなのに少女は変な遠慮をするわけでもなく、松島和葉の愛情に応えていたのだ。
「……道理で年齢よりも、ずっと大人っぽく感じたりするわけだ」
松島母娘が抱き合ってるシーンを眺めながら、誰にともなく春道が呟いた。葉月が時折感じさせた年齢不相応な雰囲気は、こうした苦労から無意識のうちに身につけたものだったのだ。
「……ごめんなさい。葉月、ごめんね……」
「葉月こそごめんなさい。葉月ね、ママが大好きだよ。本当だよ」
「ええ、わかってるわ。ママもよ。葉月が大好きなの。だから……これからも貴女の母親でいさせてくれる?」
わずかに顔を離し、松島和葉が正面から葉月の目を見つめる。もちろん少女が首を左右に振るはずもなかった。
「葉月のママは、ママしかいないもん! だからママも、ずっと葉月のママだよ!?」
「……もちろんよ。葉月が嫌だって言っても、一生ママを続けるからね」
ここでようやく二人が笑う。大きな胸のつかえがとれたような、とても爽やかな心からの笑顔だった。それにつられたかのように、天まで雨を降らせるのを止めてしまった。
「……春道君……君は……その……」
これまで黙って成り行きを見守っていた戸高泰宏が、小声で春道に話しかけてきた。これもまた当然の展開だった。先ほどの松島母娘の会話からすべてを把握するのは不可能でも、何か不自然な点を感じるのはさして難しくない。
「……ただの雇われた父親ですよ」
そう言って春道は小さく笑った。それ以外に言いようがなかった。多少呆れてはいたが、別に怒ったりはしていない。むしろこれでよかったのだと思っている。快適な生活を失う結果にはなったが、そもそも計画自体が異常だったのだ。
「雇われた父親……って、どういう……」
「言葉のとおりですよ。まあ、その役目も終わりましたけどね」
元々、春道と松島和葉が結婚したのは葉月のためだった。愛娘が欲した父親として適当に指名し、奇跡的に近所で出会ってしまった。そこから今の生活が始まる。けれど、今回の一件でその必要はなくなった。
葉月は自分の生い立ちを知っていた。そして父親を求めたのは、母親のためだったのである。
実家から勘当されたのが、少なからずショックだったのだろう。それゆえ不意に寂しそうな顔をしてしまい、その場面を松島葉月に偶然目撃されてしまったのだ。
何のことはない。お互いがお互いを想って、父親を欲しがったのだ。それがわかったのだから、これからはそれぞれの寂しさを母娘で補っていけばいい。努力すれば、きっと血よりも濃い絆を作れる。心の中で、春道は松島母娘にエールを送った。
「役目が終わった……? ちょっと待ってくれるかな。俺には何がなにやら……」
「そんなことより、誰か呼んでますよ。行かなくていいんですか」
恐らくは親戚のうちの誰かだろう。何か泰宏に用があるらしく、遠くからこちらをじーっと見つめている。
戸高泰宏も視線に気づいたようで、そちらを向くと「あ、いけない」と声をあげた。どうやら何か大事な用を忘れていたようだ。
「とにかく、あとで話をしよう。春道君も葬儀とかには参加してくれよ」
それだけ言い残すと、戸高泰宏は慌てた様子で見ていた人がいる方へ走っていく。忙しないことだ。去っていく背中を眺めながら、春道は苦笑する。
「あの……」
そんな春道に遠慮がちな声がかけられた。松島和葉だった。隣には愛娘の葉月もおり、小さな肩をしっかり片手で抱いている。今回の一件で、二人の絆はより強くなったみたいだった。
「気にするな。あの場面で平常心を保っていられる人間の方が珍しいだろ」
「……すみませんでした」
本当に申し訳なさそうな様子で和葉が謝罪してくる。言い争いをしていた光景を冷静に振り返ってみて、自分も大人げなかったと気づいたのだろう。
もっとも、怒られるのを覚悟してきておきながら、言い返してしまった春道も褒められたものではない。ゆえに和葉を責める資格はなかった。
「ママをいじめちゃ駄目なんだからね」
「いじめないさ」
春道の言葉を聞くと、小さな少女がにぱっと笑った。これまで見てきた笑顔の中でも、一番輝いてるように思えた。
「ねえ、葉月もママと一緒にいていいー?」
「……ええ、もちろんよ。葉月にとってもお祖父さんなんだものね」
「うんっ」
これまた嬉しそうに松島葉月が頷く。そうこうしてるうちに、再び戸高泰宏が家の外に出てきた。
「悪いけど、和葉たちも来てくれないかな」
これから何が始まるのか、来たばかりの春道にはわからないものの、色々と仕事があるのは間違いない。それに勘当された身とはいえ、一応は血の繋がりがあるのだ。松島和葉が戸高泰宏に必要とされるのも当然だった。
「わかったわ」
松島和葉が泰宏へ返事をすると同時に、娘の葉月が春道へ手を伸ばしてくる。
「パパもいこっ」
隣にいる和葉が春道を見ながら頷いた。参加しても構わないという意思表示なのだろう。しかし春道は、松島葉月の手をとることができなかった。
「……取引先から電話がきたみたいだ。仕事の話かもしれない。悪いけど先に行っててくれないか」
そう言って春道は携帯電話をズボンのポケットから取り出し、受話ボタンを押して耳に当てた。少女は少し寂しそうにしたものの、母親に「仕事だから邪魔しちゃ駄目よ」と言われて、仕方なしに引き下がる。
「ちゃんと後で来てね。約束だよ」
「……ああ、すみません。ええ、その件でしたらもう大体できてます。はい……」
再び泰宏に呼ばれたこともあり、松島母娘は春道ひとりをこの場に残して玄関へ向かっていく。そうして視界から誰もいなくなったのを確認して、春道は携帯電話を切った。唐突だったが別に構わない。どうせ最初から電話などかかってきてないのだ。
「……じゃあ、行くか」
春道はゆっくりと歩きだす。戸家の玄関へではなく、向かっているのは愛車をとめている場所だった。
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