愛すべき不思議な家族 43

 混乱に驚きを加えて、唖然となってしまった人間の感情を、一体どのように表現したらいいのだろう。とんでもない場面で、とんでもないカミングアウトをされ、春道は自分でもわけのわからない状態になっていた。
  異性とこうした場面まで進展したのは、春道にとっても初めてなのだ。経験のない人間がどう頑張っても、うまくできるはずがない。というより、そんなことを心配してる場合でもない。変に恰好つけても仕方ないので、春道も正直に白状することにした。
「いや、それが……俺も、初めてなんだ」
「え……!?」
  不意に二人の視線がぶつかった。恐らく申し訳なさそうにしてる春道を、すぐ正面にいる松島和葉が、信じられないとばかりに目を大きく開いて見つめている。
「な、なんというかだな……し、仕事に没頭してるうちに、こんな歳になってしまっていたというか、出会いが少なかったというか。と、とにかく、そ、そんな感じだ」
  気づけば、言い訳としか思えない台詞を無意識に並べていた。最初はポカンとしていた松島和葉も、やがてクスクスと笑いだす。
「この歳で経験がないから、こちらが笑われるかもしれないと思っていたのですが……どうやらお互い様だったみたいですね」
  至近距離で浴びせられた笑顔は、闇夜でも眩いほどの輝きを放っていた。改めて春道は目の前にいる女性の魅力に気づき、言葉を失ってしまうぐらいに見惚れてしまっていた。
  スッと松島和葉の瞼が閉じられる。健康的なピンクの唇は、口紅を塗ってなくてもまるで芸術品のようである。そこへ顔を近づけていける幸せを噛み締めながら、春道はそっと――。
「パパとママだけずるいーっ!」
  バタンと急に開かれたドア。廊下を照らしている灯りが、室内の闇を隅へ押し込んでいく。そこにデンと仁王立ちしてたのは、春道の母親と一緒に寝てるはずの松島葉月だった。
  突然すぎる展開に、思わず春道と和葉は顔を見合わせてしまう。少女のことだから、結構な足音を立ててきたはずなのに、緊張していたせいか二人揃ってちっとも気がつかなかったのだ。
  パジャマ姿のまま、春道たちがいる布団へと乱入してきた。二人でもギリギリだったのに、これが三人となるとかなり窮屈だ。しかし、そんなことを葉月が考慮するはずもなかった。しっかりと真ん中のポジションを獲得し、そのまま自ら肩まで毛布をかける。
  多少残念な気分にはなったものの、少女に対して怒りなどの感情は覚えなかった。それは松島和葉も同様だったみたいで、二人で小さく笑い合った。
「何笑ってるのー。葉月にも教えてー」
「何でもないわ。それより、お義母さんたちはどうしたの?」
「起きたら、ママとパパがいないんだもん。だから葉月、ずっと探してたのー」
  立ち上がった春道が廊下を確認すると、まるで日中のごとく電灯が点けられている。どうやら、手当たり次第にスイッチを入れてきたみたいだ。やれやれと思いつつも、春道はその後始末をしてまわる。
  そのついでに両親の部屋まで行ってみるも、何事もなかったかのように眠っている。春道も一旦眠れば、地震が発生しても起きないタイプだった。開けっ放しになってるドアを閉め、自室へと戻る。
  室内へ入ると、松島母娘が何事か楽しそうに会話をしていた。春道が戻ってきたと知った葉月は、笑顔で自分の隣をポンポンと叩いている。
「早く、早くー。パパも一緒に眠るの。家族でお寝んねするのー」
  ここまできたら逃げられるわけもないので、素直に「わかったよ」と返事をしておく。腰を下ろすと、ごろごろと布団の中で少女が春道の方へ転がってくる。
「えへへー」
  家族というものに憧れていた少女だけに、こうして川の字で眠れるのが楽しくて仕方ないのだろう。表情や態度から、わかりすぎるくらいに感情が伝わってくる。
「ねえ。葉月が来たとき、パパとママ、何かしようとしてなかったー?」
  あまりに急な質問をされ、春道は思わず松島和葉と顔を見合ってしまう。わかってて質問してるのか、それとも単純に疑問に思っただけなのか。はたしてどちらなのだろう。だが今は、そんなことを考えるより回答をする方が先決だった。
「……まさか、こんな言い訳を使う日がくるなんてな……」
  春道の呟きが聞こえたのか、和葉がキョトンとしたあとで小さく笑った。そんな姿を見て、松島葉月は「なになに、どうしたのー」と目を輝かせて聞いてくる。
「早く教えてよー」
  何度も尋ねてくる葉月に対して、春道と和葉はほぼ同時に口を開いていた。
「プロレスごっこさ」
「プロレスごっこよ」
  二人の声が、見事なまでに重なり合う。狙ったわけではないのに、図ったようなタイミングだった。春道と和葉はまた顔を見合わせ、声をだして笑う。
  てっきり拗ねるかと思いきや、松島葉月もまた、春道たちにつられたかのように満面の笑みを浮かべていた。
「早く寝なさい。ママも……パパも、どこにもいかないから」
  優しい声で囁いたあと、愛娘の髪を和葉がそっと撫でた。春道も少女に頷いて見せると、松島葉月は安心しきった様子で「うんっ」と答えた。
  もしかしたら、わざわざ春道たちを探しにきたのも、知らない間にいなくなってしまうのではないかと恐怖したからかもしれない。恐らくは、今回の一件が軽いトラウマになっているのだ。さすがに罪悪感を覚える。
  最初はあれこれ話したがってた少女も、睡魔に勝てないようで、やがてすやすやと静かな寝息をたてはじめた。その寝顔を愛しげに眺めてた松島和葉が「私たちも、そろそろ休みましょう」と声をかけてきた。
  春道も素直に同意する。こんな状態で、変なことを考えようとも思わない。仮に望んだとしても、相手が了承してくれるはずもなかった。怒られるだけだ。
「……それにしても……」
「どうかしたのですか」
  心の中にあった言葉の欠片を、無意識に春道は唇の隙間からこぼしてしまっていた。別に話しかけたわけではないのだが、近い距離にいる松島和葉が丁寧に反応してくれる。
「いや、何でもない。眠ろうぜ」
  春道がそう言うと、まだ気にしていたものの、松島和葉も頷いた。すでに結構な時間になっているので、さすがに眠らないと朝が辛くなる。
  和葉と二人きりだった時は、あれだけ緊張したのに、松島葉月が増えただけでなんとも言えない安心感があった。横に眠っている二人を意識することもなく、すんなりと春道も眠りに落ちていくのだった。

 翌日は「葉月ちゃんがいなくなっちゃった」と大騒ぎする母親が目覚まし代わりとなり、それからが忙しい一日の始まりだった。結婚式で松島和葉の存在を知った親戚たちが、次々と改めて春道結婚のお祝いを持ってやってきたのだ。
  結局、春道の実家にもう一泊することになり、松島和葉は有給を使って休みを延長していた。それでなくても訃報で疲れてるだろうに、そうした泣き言は一切口にしなかった。下手に教えて、場の雰囲気を壊すような真似を控えてくれたのだ。
  大きすぎる思いやりに、春道は二人になった時「すまない」と即座に謝罪した。そうすると、松島和葉は笑顔でこう答えたのだ。
「構わないわ。夫婦なのだから」
  続々と尋ねてくる春道の親戚連中に、丁寧な応対をしては称賛の言葉を送られる。その隣では葉月もまた、にこにこと大人たちに笑顔を振りまいている。気づけば、少女の両手には大量のお菓子が乗っていた。
  母親はまだまだ残っていてほしそうだったが、さすがにこれ以上松島和葉に迷惑はかけられないと春道が必死で説得し、次の日には家族三人揃って松島家へと戻ったのだった。

 全員で春道のマンスリーマンションから荷物を運ぶ。本来ならひとりでやるつもりだったのだが、松島母娘が手伝うと言い出したのである。最初は断っていたが、特に葉月がどうしてもというので、こうして家族全員で引越しを行っていた。
  もう二度と戻らない覚悟で家を出ておきながら、まさか一ヶ月もしないうちに戻ることになるとは想像もしてなかった。若干恥ずかしく、そして情けなくもあるが、これも自分で選んだ道だ。
  以前と同じく、二階部分を春道が使用することになった。仕事部屋と私室の配置も変わらない。変更点があるとすれば、食事は一階のリビングで、松島母娘と一緒にとると決まった点ぐらいだ。
  引越し用に調達したレンタカーから、荷物を運んでる途中で、松島葉月が何かに気づいて「あっ」と声を上げた。春道も和葉も丁度近くにいたので、どうしたのかと少女を注目する。
「カメラがあるよー」
  両手でしっかりと持ち上げたのは、春道が主に取材で使用してるものだった。資料などにする風景を撮影するため、きちんとした高いカメラで機能もそれなりについている。もっとも、所持者である春道も完璧に使いこなせるわけではない。
  カメラマンになりたいわけでもないし、あくまで本業の助けとするための機材でしかないのだ。それでも、写真を撮影するだけなら充分すぎるほど使える。
「ねえねえ、パパー。皆で写真撮ろうよー」
  引越し作業の途中でもあるので、Tシャツにジーンズ姿の和葉が反対する。
「我侭を言って、パパを困らせたら駄目よ。それに記念写真が欲しいのなら、もっときちんとした形で撮影しましょう」
  春道も葉月も、和葉と似たような恰好だった。どこかへ遊びに行くわけでなく、最初から引越し作業をするつもりだったので、むしろ当たり前の選択である。だが記念写真撮影用の衣装となれば、話はまったく別だ。
  そこらへんを松島和葉も考慮したのだろうが、少女は納得する素振りをまったく見せてくれなかった。駄々っ子のごとく、何がなんでも自分の望みを叶えようと必死である。ため息をつく母親を尻目に、必死で春道に写真撮影のおねだりをしてくる。
「普段の写真が欲しいのー」
  その言葉で、少女の意図がわかった。着飾った記念撮影などではなく、日常の一風景としての写真が欲しいと言ってるのだ。これからたくさん撮っていくが、最初は家族全員で一枚に写りたいのだろう。
  松島和葉もそれはわかったらしく、お願いできますかという視線で春道を見てきた。こうなっては、春道ひとりが反対しても仕方ない。それに、反対するほど嫌なわけでもなかった。
「じゃあ、セルフタイマーで撮影するか」
  備品として存在してるはずの三脚を探し、見つけだすと同時に家の前へ設置する。共同生活を開始した松島家をバックにするのが一番いい。春道がそう判断し、松島母娘からも異論は出なかった。
「ねえ、葉月にやらせてー」
  こういった機材を扱うのは初めてなのだろう。爛々と瞳を輝かせた少女が、とことこと近づいてきた。セルフタイマーのセットの仕方を教え、きちんとできるのを確認してから、春道は先にポジションへつく。
  子供は嫌いだったはずなのに、気がつけばこうして普通に応対できるようになっていた。すでに家の前で待っている和葉の横へ行き、少し離れて立つ。別に遠慮してるわけではなく、少女のポジションを空けておいたのだ。
「あの……」
「ん?」
  一生懸命カメラを操作してる愛娘を見つめながら、松島和葉が春道に声をかけてきた。
「春道さんの実家で、三人で眠った時、何かを言いかけてましたよね。一体何を言おうとしてたのですか」
  問われて、春道は当時の記憶を思い出す。確かに「……それにしても……」と口にしておきながら、松島和葉には気にしないよう告げて、その話を終了させていた。だが相手は今日に至るまで、ずっと気にしていたのだ。
「そんなに気になってたのか」
「……教えていただけませんか」
「別にそんなたいしたことじゃない。ただ……」
「ただ?」
「葉月は、童貞と処女の夫婦の娘になるんだなと思っただけさ」
  春道に言われて、松島和葉が「あっ」というような顔をする。何ひとつ狙ったわけではない。ふと気づけば、そんな家族構成になっていたのだ。
「人の縁というのは不思議ですね」
「本当だな。まったく不思議なものだ」
  春道と和葉が笑いあっていると、セットを終えた松島葉月が、慌てて戻ってきた。しっかりと真ん中にポジションをとったあとで「何が不思議なのー?」と春道に尋ねてきた。ある程度の会話内容は聞こえていたのだろう。
  何と返そうか思案してる松島和葉に代わって、春道が「お前の頭の中だよ」とからかい口調で話してやる。すると松島葉月はぷーっと頬を膨らませてしまった。
  初めて出会った時は、まさかこんな冗談を言うような関係になるとは思ってもいなかった。松島和葉の言葉ではないが、本当に人間の縁とは不思議なものだ。
「早くポーズをとらないと、変な姿で写真に写ってしまうわよ」
「あ、いけない」
  反論しようとしていた少女が、母親の言葉で表情を一転させた。にこやかな笑顔を浮かべ、左右の手でそれぞれ春道と和葉の手を握ってきた。
「これからも、ずうっと家族だからね」
「ええ、もちろんよ」
「そうだな」
  もう離さないとばかりに、少女の手に握力がこめられる。春道がそれに応じた時、カメラは三人の前でシャッター音を響かせたのだった。

                  終

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