愛すべき不思議な家族 42

 これは困った展開になった。春道は率直にそう思った。自室を和葉に預け、リビングでひとり眠ればいいのだが、万が一そんな姿を両親に見られたら、夫婦仲がどうのこうの言われるのは明らかだ。
  その点は松島和葉も考えていたらしく、チラリと春道を横目で見たあとで「仕方ありませんね」とため息をつく。部屋へ案内してほしい――そう要求してきたからには、母親の言うとおりにするつもりなのだろう。
  春道もそれしかないと思っていた。確かに同室で休むことにはなるが、別に一緒に寝るわけではない。やましい気持ちがまったくないと言えば嘘になるが、以前の約束が有効なら、夜の夫婦生活は禁止されている。
  自室の前まで来ると、松島和葉が先に着替えさせてほしいと告げてきた。母親が用意したサイズの合ってないパジャマを、律儀にも使うつもりなのだ。着れないほどではないだろうが、結構ぶかぶかになるのは間違いない。
  春道は相手の申し出を了承し、ドアを開けて先に松島和葉を入室させる。
「――っ!?」
  その後ドアを閉めようとしたところで、相手の異変に気づいた。部屋の中央を見つめたまま、松島和葉が呆然と立ち尽くしているのだ。普段冷静な女性にしては珍しく、かなり驚いた顔をしている。
「どうしたって――!?」
  相手の視線の先を追っていくと、春道も同じ場所で驚愕してしまった。母親が用意したといっていた布団はひとつだけだったのである。これでは二人で仲良く寝てくださいと言ってるようなものだ。
  春道も無言で立ち尽くしていると、不意に視線を感じた。松島和葉がジーっとこちらを見ているのだ。
「まさか……グルじゃないですよね」
「そ、そんなわけあるかよ! お、俺だって初めて知ったんだ。い、今、文句を言ってきてやるよ」
  身を翻そうとした春道を、和葉が「待ってください」と引き止めた。そんな真似はしなくていいと言うのだ。理由を問う春道に対して、相手は普段と変わらぬ口調で話し始める。
「一緒に眠るのを拒否する新婚夫婦がどこにいるのですか。恐らくお義母さんが気を遣ってくれたのでしょう。葉月という小さな子供がいるせいで、その……ええとですね……な、仲良くできてないのではないかと、そう思ったに違いありません」
「そ、そう……なんだろうな。ま、まあ、俺は別に床で寝てもいいわけだから、へ、変なことは考えなくても大丈夫だって」
「――っ!? へ、へ、変なことというのはい、一体何のことですか? わ、私の先ほどの台詞には、別に他意はありませんよ」
「わ、わかってるよ。だ、だから、と、とにかく着替えろよ」
「そ、そうですね。い、言われなくてもそうします」
  何やら変な日本語での会話をし終えたあとで、松島和葉はひとりで室内へ足を踏み入れた。内側からゆっくりとドアが閉じられ、春道は廊下にひとりでポツンと立っている。
  まだ変な汗が止まらない。息子夫婦のことを考えてかもしれないが、いくらなんでも親としてこれはどうかとも思う。大恋愛の末に結ばれた夫婦だったとしても、実家でそんな真似をするのには抵抗があるはずだ。
  悶々とした考えが浮かんでは消える。そんな思春期の少年みたいなことをしてるうちに、部屋のドアが静かに開いた。
「……もう大丈夫です」
  パジャマに着替え終えた和葉が、そう言って室内へ招き入れてくれた。春道は部屋着のジャージで眠っているため、別段着替える必要はない。夜も更けているし、疲れてもいるので、あとは眠るだけである。
  毛布を貸してもらったら、逆に相手が寒くなるかもしれない。そう考えた春道は、自室にある衣服を毛布代わりにしようと決めた。披露宴で着たジャケットなどを取り出し、それを片手に部屋の隅でごろんと横になる。
  それを見ていた松島和葉が、やや躊躇いがちに「大丈夫ですか」と声をかけてきた。大丈夫かどうかは不明だが、とにかく相手へ余計な心配を与えないよう「慣れてるよ」と言葉を返す。
「電気を消すぞ」
  電気を消すと室内は闇に包まれるものの、実家の部屋の窓へカーテンをつけてないので、外から月明かりが入ってくる。目が慣れだしたこともあって、徐々に周囲の様子がわかるようになってきた。
  松島和葉は布団に入っており、春道からは相手の後頭部がかろうじて確認できる程度だった。別に寝顔を拝みたかったわけではない。むしろ視線が、こちらを向いてなくて安心したぐらいだった。
  この状況下で視線なんかがあったりしたら、変に気まずくなる。実際にそんな展開にならなくても、少し考えれば簡単に想像できた。
  とりあえず眠るか。春道も目を閉じる。明日も母親から、夫婦仲や葉月のことをあれこれ聞かれるに決まっている。それに今日のはしゃぎぶりでは、孫を連れて遊びに行きたがるかもしれない。休める時に休んでおいて損はない。
「……あの……起きてますか……」
  ウトウトし始めた頃、唐突に暗闇の中から話しかけられた。室内には二人だけしかいないため、相手は確認するまでもなく松島和葉である。異変でも起きたのかと思い「どうかしたのか」と応対する。
「……いえ……その……」
  わりと何でもスパスパ物事を言う和葉にしては、珍しく口をもごもごさせてなかなか言葉を完成させてくれない。やがて痺れを切らした春道は「何かあったのか」と相手へ再度問いかけてみた。
「……考えたのですが、やはりその恰好で眠るのは、あまり利口とは思えません」
  それはもちろんそのとおりだ。春道にも充分わかっているが、他の方法がないのだから仕方ない。だがここでそんな説明をするのも気がひける。なので「余計な心配をしてる暇があるなら、早く眠った方がいいぞ」とだけ言っておく。
  本来ならこれで話は終了となるのだが、どうしたわけか、松島和葉は先ほどの言葉で納得してくれなかった。
「申し訳ありませんが、眠れません」
  呟くように発言したあと、布団から上半身を起こした。何をするつもりなのかと驚き、春道も同様に座り体勢になる。
「ふ、布団がひとつしかないのなら、は、春道さんも……その……一緒に……」
  暗闇の中でもはっきりとわかるぐらいに、松島和葉は顔を真っ赤にしていた。口を真一文字に結んで、正面から春道を見つめてくる。その様子は怒ってるのか、それとも緊張してるのか、どちらかわからないぐらいだった。
  普通の男性なら「喜んで」と応じるに決まっていた。けれど、春道と松島和葉は通常の夫婦とは違いすぎている。どちらかに恋愛感情があって、めでたく結ばれたわけではない。だからこそ、これまでそうした展開とは無縁の日々を送ってきたのである。
  結婚はしても、夫婦の営みはしない。事前にそう通告してきていた相手が、そうした発言をしたのだから、春道も驚くばかりだ。声も出せずに唖然としてると、松島和葉は赤面したまま、顔の前で手を小さく左右にパタパタ振った。
「へ、変な誤解をしないでください。は、春道さんに風邪をひかれたりすると、お義母様にへ、変な疑惑を抱かれてしまうかもしれないので、さ、先ほどの提案をしたまでです」
  さすがの松島和葉も冷静さを保っていられないらしく、早口で一気にまくしたててきた。こうした光景を、初めて見た時こそビックリしたが、今はそれほどでもない。すでに何度も経験してきてるので、慣れてきたのだろう。
  それにしても、ただ眠るだけとはいえ、よもや相手からそんな提案をされるとは思ってもみなかった。だがここで春道はハッとする。一緒に寝たいと言った、相手の真意がはっきりとわかったのだ。
「なるほど、そういうことか」
「そ、そ、そういうことって何ですか。あ、貴方、とても大きな勘違いをしてませんか。ご、誤解はいけませんよ」
「そんなに慌てなくてもいいだろ。誰にだって、苦手なものの一つや二つはある」
「……は?」
  相手を気遣った春道の発言に、何故か松島和葉は呆気にとられた顔をする。
「あ、あの……一体何を……」
「何をって、今さら隠すなよ。要するに暗いのが怖いんだろ。じゃないと、俺と一緒に寝たいなんて言い出すわけないもんな。そうだ。それなら電気を点けて寝ればいいじゃないか。俺は別に構わないぞ」
  親切心で言ってるのに、どうしたわけか松島和葉は、目元を押さえて大きなため息をつく。今日だけで、何度この光景を見たかわからない。もしかしたら、春道はまた何かやらかしてしまったのかもしれない。
「……小さな子供ではないのですから、電気を点けてないと眠れないなんてことはありません。単純に、春道さんが風邪をひかないよう気遣って提案したのです。あまりくだらない発言をしないでいただけますか」
  呆れ果ててしまってるかのごとく、ジト目で松島和葉は春道を見ている。意図とまったく違う解釈をされただけに、信じられないような気持ちになっているのだろう。しかし、それは春道も同じだった。
  先ほどの発言内容を思い出して、詳しく考えてみれば、とんでもない結論へ辿り着く。単純に松島和葉は、春道と一緒の布団で眠りたかったということになるのだ。
  慌てふためく心を抑えるために、春道は一度大きく深呼吸をする。簡単に答えを導き出すのは危険だった。ついさっきも、それでミスをしてしまったばかりなのだ。それにやましい行為をするわけではない。あくまでも同じ布団で寝るだけだ。
「へ、変にて、照れないでください……こ、こちらまで、恥ずかしくなってしまいます……そ、それで、どうするんですか」
「あ、ああ……な、ならお言葉に甘えさせてもらうよ」
  思わずそう答えてしまったが、春道の心臓はバクバクで、手がつけられないほどの興奮状態だ。女性と一緒に眠るなんて経験がないだけに、それも当然だった。世間一般では、あまりたいしたことじゃないのかもしれないが、春道にすれば重大事件である。
  お邪魔しますと松島和葉の隣へ腰を下ろし、二人で並んで布団へ横になる。さすがにマクラまで一緒に使う気にはなれず、春道は自分の衣服を丸めて頭の下に置く。
  こうして眠ることになったのだが、当たり前のごとくゆっくり休めるわけもない。緊張が緊張を呼び、先ほどから変な汗が止まらない。落ち着けと自分へ言い聞かせるほど、興奮するのだからどうしようもない。
  頭の中がパニックになり、何も考えずに寝返りをうってしまう。すると、春道の手が松島和葉の手に触れた。
「――ッ!!」
「あ、ご、ごめん」
  急いで謝ったものの、莫大な緊張のせいで身体が自由に動かない。金縛りにあったかのごとく、春道の手は相手の手に重ねられたままだ。
「……い、いい……ですよ……」
  遠慮がちな声で、松島和葉がそう呟いた。
「い、いいって……な、何がだよ」
「これ以上、女性に言わせないでください」
  背中を向けていた和葉が、急に身体の向きを変えてきた。互いの顔が至近距離で向かい合い、未だかつて経験したことのない異質な空気が生まれる。
  松島和葉が何を許可してくれたのか。それぐらいは、今日一日類まれなる鈍感ぶりを発揮してきた春道にもわかる。まさかこんな展開で、初めてのチャンスを獲得できるとは思ってもいなかった。最終確認のため、一応「本当にいいのか」と尋ねる。
「……な、何度も……言わせないでください……た、ただ……」
「た、ただ……?」
「……優しく……してください……私……その……経験が……ないんです……」



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