愛すべき不思議な家族 41

「一体どういうつもりだ」
  披露宴も終わり、会場の外へ出た春道は、一緒にいる松島和葉へ早速質問をした。周囲には誰もいない。関係者はまだそれぞれ仲の良い親族と会話をしたりしている。松島葉月は、そんな春道の母親へ連れられてともに行動している。
  いくら義母とはいえ、それを松島和葉が承諾した事実がとても信じられなかった。てっきり反対するとばかり思っていた。実際に春道が知っている和葉ならば、想像どおりに口調は丁寧ながらもきっぱりと断っていたに違いない。
  春道の嫁が会場に来たと、物珍しげに親族が集まってきても、ひとりひとりにしっかり応対していた。しかも表面上だけの可能性は高いが、それでも楽しそうに笑いながらだ。
  突然どこからか、ドッキリカメラと書かれた紙を持った人間が乱入してくるのではないか。本気でそう心配して、何度も会場の出入口を確認したほどだった。それぐらいの変わりようだったのである。これをスルーできるほど、春道の器は大きくない。
「名字の件にしてもそうだ。一体何がどうなってるのか、俺にはさっぱりだよ」
  心の底からの台詞だった。混乱しすぎて、親戚の誰に話しかけられても、まともな返答ができなかった。もっともその場合は、すべて松島和葉が助け舟を出してくれ、親戚一同からの評価を獲得していた。
「別に難しく考える必要はないでしょう」
  さも当たり前のごとく、しれっと松島和葉が答えた。その目は、どうして春道が疑問がってるのかわからない。本気でそう言ってるみたいだった。
「この前までのアンタだったら、あんな台詞を言ったりはしなかったはずだ。いくら何でも少し変わりすぎだろう。そんなに俺を驚かせたいのか」
「……失礼な言動ですね。まずはアンタと呼ぶのを止めてください。私には和葉というきちんとした名前があります。それとも、私にあなたと呼んでほしいから、あえてそんなふうに言ってるのですか?」
  相手の台詞に、春道は思わず吹きだしそうになってしまった。頭の中で、エプロンをつけた松島和葉が、笑顔を浮かべて「あなた」なんて言ってるシーンが再生される。慣れてないせいなのだろうが、何故かとてつもなく背筋がゾッとする。
「……どういう理由かは不明ですが、春道さんの表情を見てたら不愉快になってきました。何故でしょう」
「……何でだろうな」
  想像をいちいち教えていたら、いくら怒鳴られても足りない。松島和葉も、時にはヒステリーを起こしたりする普通の人間なのだ。
「……出会った頃と対応の違いがあるのは当然です。あの時は長く夫婦生活を続けようとは思っていませんでした」
  春道は頷く。それは相手の態度からも充分伝わっていたし、こちら側としても同様の考えを持っていた。いくらなんでも、あんなに至れり尽くせりの生活を、長く送らせてもらえるわけがない。
「ですが現在は違います。できる限り夫婦生活を続けたいと思っています。そうであるなら、こちらもそれなりの対応をとっていかなければなりません。名字についても、春道さんの親族への応対にしてもそうです」
  実にわかりやすい説明で、春道はある程度納得できたのだが、どうしたことか言い終えたあとで、いきなり松島和葉は顔を真っ赤にしてしまった。
「か、勘違いだけはしないでください! あくまで……あくまで! 葉月が望んでるからこそ、夫婦生活の継続を決めたのです。その点だけは、しっかりと理解していただかないとこちらが困ります」
「そ、そんなに何度も念を押さなくてもわかってるよ。要するに、葉月のために仕方なく俺と夫婦をするって言いたいんだろ」
  うまく相手の台詞をまとめたつもりだったが、さらに和葉は顔を真っ赤にさせた挙句、今度は両目を吊り上げてしまった。
「そのとおりです! ご理解いただけて嬉しい限りです!」
「あ、ああ……っていうか……何で、俺は怒られてるんだ?」
「……怒っていません」
「いや、怒ってるだろ。明らかに」
「怒ってません!」
  これ以上ツッコみを入れるのは、何かと危険が多そうな気もするので、ここらで口を閉ざしておく。それにしても、どうして相手が怒ったのか。春道は未だに理解できていない。
「……そう言えば、私も春道さんに聞きたいことがありました。よろしいですか」
  改まって尋ねてきた和葉に頷いてみせる。答えられる質問であれば、別段拒否する理由などなにもない。
「実は、私の父が遺言を残していたのです」
  春道が戸家を去ってからの出来事を、松島和葉は事細かく話してくれた。様々な感情が含まれてるみたいで、その表情は複雑そのものだった。
「私には父の考えも気持ちもわかりません。けれど、同じ男性である春道さんなら、少しは理解できるのではないかと思い、質問させていただきました」
「別に深く考える必要はないだろ」
  思ったままに答えると、松島和葉は即座に目を見開いた。もしかしたら、答えなどもらえないと判断してながらも、ただ聞いてみたかっただけなのかもしれない。
「まさか……父の一連の行動について、理解することができたのですか」
「いや。他人の頭の中なんて、本人でなければわからないだろ」
「……おっしゃるとおりです。では何故、先ほどわかったかのような言葉を発したのですか。私には春道さんの思考もわかりません」
「そうか? 正しいかどうかは別にして、ある程度なら予想できるだろ」
  親指と人差し指で閉じたまぶたを軽く押さえたあとで、和葉がわずかに首を左右へ振った。そうしてから、目を開いて「では、その予想を教えていただけますか」と言ってきた。もちろん断る理由はないので、普通に春道は相手の要求へ応じる。
「親子だからだよ」
  単純明快なひと言だと思ったのだが、和葉は目をパチクリさせるだけで、無言で春道の顔を見つめている。
「……親子だから……そうね……そのとおりだわ……」
  いつもの丁寧な言葉遣いではなかったが、これが本来の松島和葉なのだろう。空を見上げ、遥か遠くまで視線を飛ばしている。まるで見えない誰かと、会話でもしてるかのようだった。
「……ありがとうございました」
「ああ……別にいいさ」
  他にすることもなかったので、春道も相手に倣って空を見ていた。外も少し冷えてきたので、松島和葉にジャケットでもかけてやろうか。そんなふうに考えていると、遠くから「ママー! パパー!」と元気な声が聞こえてきた。
  知り合いとの会話と、恐らくは孫自慢を終えた春道の母親が、松島葉月を連れて待ち合わせ場所へ戻ってきたのである。先陣を切って駆け寄ってきた愛娘を、和葉は母親らしく優しい笑顔で迎える。
「楽しかった?」
「うんっ! いろんな人に、きちんとママとパパのことをお話してきたからね」
「そ、そう……う、嬉しいわ。ありがとう」
  葉月は心から楽しそうな表情をしているが、松島和葉が作っている笑顔は実に微妙なものだった。春道の母親に対しての説明内容でも思い出してるに違いない。
「お仕事を終えてきたという話だったから、今日は泊まっていけるのよね」
「え、ええ……そうですね」
  本来なら今日中に帰りたいはずだ。父親の葬儀でも会社を休んでいるし、今月の欠勤日数はかなり増えているのは想像に難くない。だが春道の母親からそう言われれば、無下に断ったりもできない。これも適当に話を作ったせいである。
  視線で助けを求められても、春道には状況を覆すつもりはない。正確には、それが無理だと悟っているのだ。母親は初孫の葉月に夢中で、可愛くて仕方ない様子だった。それゆえに、何がなんでも自分の意見を通したがるに決まっている。
  とどめに、松島葉月は春道の実家へ泊まる気全開なのだ。これではどれだけ反対したところで、向こうのタッグに押し切られるのは目に見えていた。要するに諦めるしかない。
「決まりね。なら、早速帰りましょう」
  フロントへ預けてあった荷物は、すでに車へ積んである。あとは春道の両親と松島葉月待ちの状態だっただけに、異論は誰からも出なかった。先に娘たちが乗ったのを確認したあとで、松島和葉は諦め顔で小さなため息をつく。
  どうやら不承不承ながらも、春道の実家へ泊まっていくしかないと判断したみたいだった。お気の毒様と言うこともできず、とりあえず春道は相手の肩を一度だけポンと叩く。
「え? あ……」
  何故か驚いてるふうの和葉に車へ乗るよう促し、一番最後に春道は運転席へ座る。色々あった披露宴も、これでようやく終わりだ。ただひとつ申し訳なかったのは、松島母娘が突然やってきたせいで、新郎新婦よりも注目を集めてしまったことだった。

 実家に戻り、全員で夕食を囲む。料理は母親と松島和葉が担当し、それを父親と葉月が手伝って完成した。春道も手伝おうとはしたが、すでにそれだけの人員がキッチンへいたので、これ以上は逆に邪魔になると判断した。
  これだけ大勢の家族で、食事する機会は当然初めての松島葉月は、最初から最後まではしゃぎっぱなしだった。春道の母親と一緒にお風呂まで入り、夜になって全員でカードゲームなどをしてるうちに、いつの間にやら寝入ってしまっていた。
  元気に振舞ってはいたが、やはり小さな身体にはかなりの疲れが蓄積されていたのだろう。思い返してみれば、少女にとってここ最近はかなり忙しかったはずだ。
  泣いて、笑って、怒って、喜んで。色々な経験をさらに積んで、また年齢にそぐわない大人っぽさを身につけたりするのだろうか。松島葉月の寝顔を眺めながら、そんなことを考えたりしてしまう。
「この子には苦労をかけてしまいました。あとできちんと謝らないといけませんね」
  春道の側へやってきた和葉も、愛娘の寝顔を愛しげに見つめる。額にかかった髪の毛をそっと払い、優しく頬を撫でる。はたから見てれば、間違いなく優しい母親だった。
「……私がどうかしましたか?」
  春道の視線が、松島葉月から自分へ移ってるのを知った和葉がそんな台詞を口にした。
「いや。いい母親だなと思っただけだ」
「ありがとうございます。けれど、春道さんだって立派に父親をしていると思いますよ。今回の一件を除けばの話ですけどね」
  悲報があったとはいえ、実家の問題も無事に片づき、心のもやもやを解消した松島和葉は余裕に満ち溢れてるみたいだった。同じ丁寧な口調でも、初対面時のようなどことなく冷たい感じはもう受けない。
  それに娘だけがすべてという価値観だった頃の和葉なら、間違っても先ほどみたいに父親としての春道を褒めたりしなかったはずだ。もちろん些細なジョークなど、言ったりするわけがない。
「本当にあなたたちは仲が良いのね」
  いつの間にか母親までやってきて、春道と和葉が赤面する台詞を言ってくれる。どういう対応をしたらいいかわらかず、二人とも黙していると、寝場所の用意が整ったと告げてきた。実家はお世辞にも広いとは言えず、客間なんてものは存在しない。
「春道ひとりしか帰ってこないって聞いてたから、部屋がひとつ片付いてないのよ」
  そうなると、開いている部屋は両親の寝室と春道の部屋しかない。あとはリビングとなるが、ソファもなければ予備の布団もないはずである。とはいえ、男性の春道ひとりなら、毛布ひとつあれば床で眠るのも可能だった。
「でも問題ないわよね。夫婦で春道の部屋を使えばいいんだから」
「……は?」
  素っ頓狂な声をだした春道になど一切構わず、母親は笑顔で言葉を続ける。
「葉月ちゃんは私たちが面倒を見るから、たまには夫婦水入らずでゆっくりしなさい。子供は二人ぐらいが丁度いいわよ」
「……は?」
  今度は春道ではなく、松島和葉がポカンとして声をあげていた。どんな意味だったのかすぐにわからなかったみたいだが、次の瞬間には理解して茹蛸のごとく顔面を紅潮させる。
「そんなに照れなくていいわよ。それじゃ、いい夜を。おやすみなさい」
「あ、おい!」
  春道の制止を振り切って、母親は眠っている少女を抱いてそそくさとリビングから出て行くのだった。



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