愛すべき不思議な家族 40

「でねー。ママったらね、ずっと泣きそうな顔をしてたんだよー」
「あら、そうなの。二人はラブラブなのね」
  ホテルのフロントに尋ねてもわからない。ロビーを探しても見当たらない。そんな少女を発見したのは、春道が家族とともに参加していた披露宴会場だった。
  春道の実母の膝上に座りながら、何やら笑顔で会話している。もっともラブラブなんて単語が母親から出てるあたり、ろくでもない内容なのは容易に想像がつく。
  どうして会場へ戻っているかは別にして、とりあえず発見できたことにホッとする。一応探してくれてるであろうフロントへ伝えるため、会場内にいるホテルの従業員へ春道は言伝をお願いした。
「……まったく、心配かけさせて……」
  変な事件に巻き込まれたわけではなかったので、隣にいる松島和葉も心底安堵してるみたいだった。それでも少しは注意してやろうと、わずかに厳しい表情をしつつ愛娘がいる場所へ近づいていく。その時だった――。
「うん、らぶらぶー。だって、パパがいないだけで、凄く落ち込んでるんだもん。あんなママ、葉月も初めて見たー」
  ――ピシッと。硬直した松島和葉がその場で足を止めた。その後ややしてから、ぎぎぎっと油切れの機械のごとく春道の方を向いてくる。真っ赤な顔に存在する両目は「今の台詞は聞こえてないですよね」と聞いているようだった。
  聞いてないふりをしてもよかったが、そんな強引な方法が通用するのは一回だけだ。そして上機嫌になっている松島葉月が、先ほどのような発言を繰り返さないはずがなかった。後々を考えれば、いっそ正直に話してやるのが和葉のためだろう。
「どうやら俺たちはラブラブらしいな」
  先行していた松島和葉にツカツカと近寄ったあとで、春道は相手の耳元で囁いた。その直後に赤面レベルを上昇させた和葉は、慌ててブンブンと首を左右に振った。一生懸命に否定をする姿は、普段とのギャップに満ちており、なんとも微笑ましい。
「な、な、何を言っているのですか。あ、あ、あれはあの子のう、嘘です。ほ、本気にしないでください。い、いいですね」
「……そのわりにはどもりまくってるぞ。いっそ認めた方がいいんじゃないか」
「な、な、何をですか。ま、まさか、私が……そ、その……あの……ち、違います! ……い、いえ……まったく違うわけではないのですが……あ、ああ……もう! ど、どうしてこんなことに……」
  ひとりパニくりまくって、頭を抱える松島和葉を見てると、少しからかってやろうかな、なんて衝動に駆られる。
  そんなふうに思えるようになるなんて、出会った当初からは考えられなかった。それこそ意味合いは違うだろうが、どうしてこんなことにという感じだった。
  だがここで問題が発生する。面白ネタを口走ったのは、松島葉月ひとりだけではなかったのである。
「春道も――パパもね、ひとりで帰ってきたのはいいけど、物凄く寂しそうなのよ。いきなりママの名前を叫びだしたりしないか、心配したわ」
「なっ――!?」
  そんな素振りをした覚えなんかない。そう反論するより早く、これまで防戦一方だった松島和葉が勝機到来とばかりに目を光らせた。
「なるほど。恰好をつけて去ったはいいものの、実は後悔していたのですね。春道さんも可愛らしいところがあるじゃないですか。子供みたいですよ」
  ついさっきまでどもりまくってたのが嘘のように、すらすらと松島和葉が言葉を並べてくる。逆に春道の顔面が熱くなり、額にじっとり浮かんだ汗が頬を流れる。
「ま、待て……! いいか、よく聞け。あれは親が勝手に、しかも大げさに言ってるだけだ。確かに多少は何だ……その……あれだったが、あそこまでじゃなかったはずだ」
「言い訳なんて男らしくないですし、見苦しいですよ。春道さんこそ認めたらどうですか。せっかくこういう場なのですし、罰は当たらないと思いますよ」
  完全に形勢が逆転してしまった。勝ち誇ってる相手をもう一度うろたえさせるには、新たな援軍の到着が必要不可欠だった。それを期待して、春道はちらちらと松島葉月を見る。すると魂胆に気づいた和葉は、慌てて愛娘の側へ駆け寄ろうとする。
  だが遅かった。春道の母親を始め、高木家の親戚に囲まれて上機嫌の少女は、普段の数倍も口を滑らかにしていた。
「ママも素直じゃないんだよ。本当はパパのこと、好き好きなのに――もがっ」
「ひ、ひとりで勝手にいなくなったりしたら駄目でしょう。心配をかけたらいけないわ」
  にこやかな笑顔で娘に注意をしているが、その頬には冷や汗が列を作って流れている。もう少し早く葉月が口を開いていれば、面白い台詞が聞けただろうに残念だった。
「ごめんなさいね、和葉さん。私が葉月ちゃんをロビーから連れてきちゃったの」
  悪びれもせず、春道の母親が説明をする。松島葉月は知らない人間についていったりはしないが、面識のある人物なら話は別だ。初対面同然だったとしても、正体がわかってるのだから別に怖がったりする必要もない。
  特に少女は、標準的な家族というものに強い憧れを抱いている。祖母となる女性に声をかけられ、食事をご馳走されれば機嫌もよくなって当然である。しかしこの分では、かなりの内情を春道の母親に話してると考えて間違いなさそうだった。
「そうだったのですか。いえ、事情がわかればそれでいいのです。どうもお騒がせをしました」
  ぺこりと頭を下げる和葉に、母親は「こちらこそ、ご迷惑をかけてしまって」と応じる。その直後に、息子である春道にジト目を向けてきた。ひとりだけ離れてる場所で突っ立ってるわけにもいかず、自分の席があるテーブルへ歩いていく。
「アンタ、どういうつもりなの。子供がいるなんて、ひと言も話してなかったじゃない」
  隣に座った春道のジャケットを引っ張り、怒るというより呆れ気味な顔で話しかけてきた。めでたい席のため、おおっぴらに叱責できないのかもしれない。そこらへんの理由はともかく、これは好都合だった。ある程度冷静な会話が可能だからだ。
「なるほどね……これなら、なかなか家に帰ってこれないわけよね。お嫁さんどころか、すでにこんな大きな子供までいるんだから」
  春道が何か言う前に、うんうんと頷きながらひとりで勝手に納得し始める。これにはさすがの松島和葉も、どうしたらいいのかわからないらしく、葉月の口に手を当てたまま成り行きを見守っている。
「和葉さんとはずっと前に出会ってたそうじゃない。その時にデキちゃったのね。それなのにアンタは知らないふりして別れ、和葉さんはひとりで立派に子育てをした。ウチの愚息が本当にご迷惑をおかけいたしました」
  深々と頭を下げる春道の母親に、やはり対応方法に悩んでいる松島和葉は「い、いえ……」としか答えれなかった。もちろん当人である春道にも、口を挟む余地などない。
  そのせいで、どんどんおかしな流れになってるのがわかっても、ここまできたら成り行きに任せるのがベターだと判断したのだ。下手に弁解なんかしたら、逆にややこしい事態へ発展しそうだった。
  予期してなかった現状に気が緩んだのか、松島和葉は娘の口を押さえてる手から力を抜いていた。それを知った葉月が顔を動かし、母親の戒めを自力で振りほどく。
「パパをいじめたら駄目だよ。だって、ちゃんと葉月を迎えに来てくれたもん。ママだってパパを信じてたんだよー」
  着々と、松島葉月が望む家族関係が構築されつつある。この流れを計算して作り出してるのだとしたら、少女は類まれなる策士の才能を有してることになる。
「まあまあ、葉月ちゃんは本当にいい子ね。とても春道の子供とは思えないわ」
  そう言うと母親は、可愛くて仕方ないとばかりに葉月へ頬ずりをした。少女も満更ではなさそうで、されるがままになっているもののその顔には満開の笑みが咲いている。
  松島葉月が、春道の母親へどんな説明をしたかは不明だが、とりあえず血が繋がってないという事実は伏せておくべきだろう。そう判断して、無言のまま自分の席へ座る。
  春道の結婚を親戚中が知っていたので、同じテーブルに松島和葉の席は用意されていた。しかし、娘がいる事実は誰一人として知らなかった。そんな理由だから、もちろん葉月が座る椅子はこの場にない。もっとも当人はそれほど困ってないみたいだった。
「葉月ちゃん、これ食べる?」
「うんっ」
  春道の母親の膝の上で、先ほどから甘やかされっぱなしなのだ。さすがに迷惑をかけてると思ったのか、和葉が少女に自分の席へ座るように促した。
「あら、気にしなくていいのよ。ずっと孫の顔が見たいと思ってたから、とても嬉しいの。迷惑でなければ、もう少しお世話をさせておいてくれないかしら」
  一応は義母となる人間にそう言われれば、松島和葉も断りきれない。何より、葉月もそうしたいと言ってるのだから、頷くより他になかったのである。
「葉月もね、ずっとお祖母さんと会いたかったんだよー」
「あら、そうなの。うふふ。お祖母さんですって。嬉しいような悲しいような、なんだか複雑な気分ね」
  春道の子供だと疑ってない母親に、ますます真実を説明できなくなる。とはいえ、無理に教える必要はないのかもしれない。血が繋がっていようがいまいが、どちらにしろ春道の娘であることには変わりないのだ。
  松島葉月と楽しそうに会話をしながら、時折チクリチクリと、春道に毒づいてくるのも忘れない。孫の存在を隠されていた事実に、腹を立てている証拠だった。今さら謝るよりも、このまま少女に任せている方がずっと回復させてくれるのは間違いない。
  そんな母親が、ふと松島和葉を真正面から見る。あまり遠慮というものを知らない人間だけに、聞きにくい質問でも平然とする。嫌な予感を覚えたが、春道に制止する暇などまったくなかった。
「貴方たちは夫婦別姓にしてるのよね。最近の若い人では、そういうケースって多いのかしら」
  心配していたほど、とんでもない質問ではなかった。冷静かつ頭脳明晰な松島和葉であれば、適切な回答をしてくれる。安心しきった春道は、渇いていた喉を潤すため、テーブルの上にある水が入ったグラスを手に取る。
「そうですね。仕事の関係で別姓にはしてましたけど、それも落ち着いてきたので、葉月ともども高木姓にしたいと考えています」
「――ブフッ! ゴホッ!」
  危うく口に含んだばかりの水を、盛大にそこらじゅうへばら撒くところだった。むせてはしまったものの、間一髪で食道を通って胃袋へと到着している。
「そうだったの。うん、それがいいと思うわ。……ところで、アンタは何でむせてるの」
「……放っておいてくれ」
  まったく予期してなかった台詞だったので、驚きのあまり口から水を噴射しそうになりました。とてもそんな説明をする気にはなれない。いきなり何を言い出してくれるんだと、横目で松島和葉を見るが、相手はしれっとした顔をしている。
「そう言えば、結婚式もしてなかったのよね。どう? こういった席に参加すると、自分もしてみたいとか思ったりしないかしら」
  またもやとんでも発言が母親から飛び出す。質問された松島和葉は、一瞬だけ春道を見たあとでさらりと答える。
「私も女性ですから、やっぱり羨ましかったりもしますね」
  春道が知ってる女性と、とても同一人物に思えない受け答えが続く。何がどうなってるのか戸惑う春道へ、もう一度松島和葉が顔を向けてきた。
「……なんだかな」
  肩をすくめて苦笑する春道の視界には、穏やかに微笑む女性が座っていた。



面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。



小説トップページ ・ 目次へ ・ 前へ ・ 次へ