愛すべき不思議な家族 39

「だから一時的に戻ったとしても、何の解決にもならないだろ」
  目の前で何故か赤面している松島和葉に、春道はそう指摘した。元々、葉月が分別のつく歳になったら、真実を話して離婚する決まりだったのだ。
  あまり松島母娘へ関わらないように、しつこく和葉が注意してきたのも、必要以上に仲良くなりすぎないためである。親密になりすぎると別れが辛くなる。それが理由だった。
  要望どおりにできたとはとても思えないが、春道もその意見には賛成だった。子供嫌いといっても人間である。一緒に暮らしてれば、どうしたって接触する機会が発生する。そうして現在の関係が構築されたのだ。
  共に生活する期間が延びるような事態になれば、より信頼関係が増す可能性が高い。もっともその逆もあるわけだが、松島和葉がそれに期待してるのだとしたら、とてもじゃないが春道は賛成できない。あまりにも不確定要素が強すぎるためだ。
「……本当に貴方は……」
  呟いたあとで、発生したいらつきを抑えようとするかのごとく、松島和葉は大きく二度深呼吸をした。そのあとで春道を再度見つめてくる。
「この状況下で、私が貴方へ一時的に戻ってほしいと要望すると思いますか? そんな真似をしてもらっても、葉月にとって何ひとつ好影響はないでしょう」
  事実、そのとおりだった。最初は喜ぶに決まってるが、また春道がいなくなるとわかれば途端に「駄目ー」と駄々をこねはじめるに違いない。それでも無理やり家を出れば、余計に少女の心の傷を深めることになりかねない。その程度は簡単に推測できる。
  要するに松島和葉は、一時的ではなくずっと一緒に暮らしてほしいと言ってるのだ。嫌われてると思っていた春道は、相手の真意がどこにあるのかわからず戸惑うばかりだった。
「けど、俺が戻っても仕方ないだろ。父親を欲しがったのだって、お互いを思っての結果だ。それなら母娘二人で仲良く生きていけばいい。もとからそのつもりだったんだろ」
  松島葉月はともかく、和葉は自分たちの生活に他社が介入するのを極端に嫌っていた。だからこそ、自宅の二階部分を丸ごと春道へ貸し与えてくれたのだ。
「俺が戻る理由はないってことだ。それにこっちだって都合がある。結婚したのをあれだけ喜んでくれてる両親に、もう嘘をつきたくない。これも本音だ」
  結婚しただけであれだけ喜んでいるのなら、離婚するとわかればどれだけ悲しむのか。別れるのが決まってる生活を継続するより、別々の道を進んだ方がお互いにとってベターだと春道は判断していた。
「……理由など必要ありません」
  そう言って松島和葉は懐から何かを取り出した。それは春道が置いてきた離婚届だった。何をするのかと問うより先に、相手は手に持った紙をビリビリと破いてしまった。
「これで貴方と私は夫婦のままです。結婚してるのだから、家族が待つ場所へ戻るのは当然で、理由を気にするなどナンセンスです」
  いきなり展開された理論に、今度は春道が頭を抱えたくなってしまう。相手が何を考えてるのか、まったくわからない。
「それに……ご両親へ嘘をつく必要などありません。最初は嘘だったとしても、途中で真実に変われば、それは嘘ではなくなります」
「……ちょ、ちょっと待て……」
  ここで春道は自分の頭の中を整理する。ずいぶん遠まわしな言い方だが、これは本当の意味できちんとした夫婦になりましょうと言われてるのではないだろうか。最初からこれを伝えたかったと考えれば、これまでの松島和葉の不自然な態度も納得できる。
  そんな意図の告白を、よもや松島和葉にされるとは微塵も想定してなかった。離婚届を置いて勝手に出て行けば、悲しむよりも喜ぶとばかり思っていたのだ。たまらず春道も顔を真っ赤にしてしまう。
「いや……その……なんというか……」
「か、勘違いしないでください……!」
  春道の様子を見て何かを察したのか、顔を背けながら松島和葉が若干声を荒げた。表情は見えなくても、赤くなっている耳から二人とも似たような状況にあると理解できる。
「私はあくまであの子の幸せを第一に考えています。その葉月が、貴方と一緒でなければ嫌だと言いました。だからこそ、わざわざ迎えにきたのです。そうでなければ……」
「そうか。俺を迎えにきてくれたんだ」
  何気なく呟いた春道の言葉に、こちらを向いたばかりの相手の顔が茹蛸のごとく真っ赤になる。ここまで表情をころころと変える松島和葉は初めてだった。それだけ先ほどの台詞に嘘偽りがないということになる。それが何より嬉しかった。
「わかった。それなら、遠慮なく家に戻らせてもらうよ」
「す、少し待ってください。あ、貴方は何か重大な勘違いをしていませんか。こちらの言いたいことを、正しく理解してくださってるのか不安で仕方ないのですが……」
「大丈夫だ。葉月のために、これまでの家族生活を無期限に延長したいって言うんだろ」
「ま、まあ……概ね間違ってないので、それでよしとしましょう。ですが、絶対に離婚がないわけではありません。そこらへんは普通の夫婦と一緒です」
  春道もそうだが、松島和葉もこういった事態には慣れてないのだろう。あくまでも普段どおりに振舞おうとしてる姿が、妙に可愛らしく思えた。血は繋がってないかもしれないが、こういったところは娘とよく似ている。そんなふうに思った。
「な、なんですか……ニヤニヤして……気持ち悪いですよ」
「いや、悪い。まさかこんな展開になると思ってなかったんでな。ひょっとしたら、俺は嬉しいのかもしれない」
  自分の感情を素直に表現できないあたり、やはり春道も松島和葉と同類だった。そうした意味では似たもの夫婦と言えるのかもしれない。それでも相手は微笑んでくれていた。
「なら葉月に感謝してください。本音を言えば、私は貴方を迎えに来るつもりはありませんでした」
  当然の反応だと春道は思った。仮に自分と和葉の立場が逆だったとしたら、決して己の意思では迎えに行かないはずだ。あくまで松島和葉という存在が真ん中にいたからこそ、これまでの生活があり、これからも続いていこうとしてるのだ。
「不思議な子だな……」
  春道は子供が嫌いで仕方なかった。松島葉月に関しても、当初はうっとうしく感じていたくらいだ。それがいつの間にかすぐ側へいるようになっていた。自然と仲良くなり、気づいた頃には嫌悪感もなくなっていた。
「そうですね……」
  春道の呟きに、松島和葉も頷いていた。相手もまた何か思うところがあったに違いない。もしかしたら他人の運命に、少なからず影響を与える星の下に生まれたのかもしれない。少しロマンチストすぎるなと、思わず苦笑してしまう。
「葉月がいたからこそ、和葉にも出会えたんだよな。事の発端はとんでもない理由だったけど」
「……言わないでください。それだけ当時は余裕がなかったからでもありますが、あれは我ながら軽率だったと反省しています」
  たまたま撮った写真に、たまたま春道が写っていた。そして愛娘から父親について尋ねられた際、たまたま選んだのがその写真だった。偶然もここまでくると立派である。
「できれば反省しないでもらいたいけどな」
「……どうしてですか?」
「和葉が軽率じゃなかったら、俺の今はないからさ。感謝したいくらいだ」
  ――アホなことを言わないでください。そんなツッコみが入るとばかり思っていたのだが、予想に反して松島和葉は、せっかく戻りつつあった顔を再び赤くして俯いてしまった。
「……貴方はどうして、そう……突拍子もないことをいきなり言い出すのですか……」
「……? 何か変なこと言ったか、俺」
「無自覚ですか。本当に質が悪いですね」
  そう言われても、やはり春道には何のことかわからない。詳しく理由を聞いてみようか、迷った末にやめておくという結論に達する。それをすると、相手を怒らせてしまうような気がしてならないからだ。
「それよりそっちはいいのか」
「いいのか……って何がですか?」
「だから、俺とずっと結婚生活を続けることになっても構わないのか」
  それはずっと考えていた疑問だった。人並みの春道とは違い、松島和葉は極上と形容しても構わないぐらいの美貌を誇っているのだ。本気になって探せば、いくらでも条件のいいパートナーを見つけれるはずだった。
  春道からすれば、これ以上ないくらいの本気な質問だったのだが、どういう理由か相手は再び頭を抱えてしまう。
「……今さらそれを聞くのですか……」
「ま、まずかったか……」
  あまりの落胆ぶりを見せられ、尋ねたのが申し訳なく思えてきた。こういう時だけは、女性経験が豊富でモテる男性が羨ましくなる。元々が鈍感な春道でも、ある程度の場数を踏んでいれば異性の気持ちが多少なりとも掴めるかもしれない。
  だがそんなのは後の祭りだった。今さら人生をリセットなんてできない。ゲームと違ってセーブ機能もないのだから、少し前からやり直すなんて荒業も不可能だ。不便だとしても、これが現実なのである。
「……そうですね。恐らく一般的な女性なら、先ほどの状況で質問されたくないもののひとつだったのではないでしょうか」
  一般的な女性と表現したからには、当然のごとく松島和葉もその中に含まれているのだろう。相手を気遣ったつもりなのだが、どうやら逆に迷惑をかけてしまったようだ。
「敏感なのか、鈍感なのか実に判断しにくい人ですね」
  とりあえず謝っておくべきか考えてる春道に、そんな言葉が和葉からかけられた。
「いいですか、一度しか言いませんよ」
「あ、ああ……」
「葉月が父親として望んでいるのは、高木春道という男性なのです。ですから母親である私も、当然同じ男性を夫として望みます。以上の理由から、貴方は何も遠慮する必要はありません。解答はこれで充分ですね」
「え? い、いや……理解できたような……できないような……」
「充分ですよね!?」
「は、はいっ」
  相手の気迫に押され、春道は思わず返事をしてしまっていた。正直なところ納得はできてないが、この話題を継続するのは松島和葉の態度を見る限り不可能そうだった。
「ようやくわかってくれたようですね。では話もまとまったところで、披露宴を行っている会場へ戻りましょうか」
  あまり長く席を外してるのもマズいので、その意見には春道も賛成だった。しかし、先ほどからどうも違和感がある。何か大切なものを忘れてるような気がしてならないのだ。十中八九、自分自身の問題だと思うがとりあえず和葉にも聞いてみる。
「……そう言われれば、確かにそんな気もしますね。私からお話しするべきことはすべて伝えたはずですが、何か忘れてしまっているのかもしれません」
  会場へ戻ろうとしていた足を止め、その場で松島和葉も考えこむ。問題は起きてないはずだった。話し合いも、予想より順調すぎるくらいに終わった。
  ――そう。順調すぎるくらいに。そこに引っかかった春道は、慌てて周囲を見渡してみる。そして違和感の原因にやっと気がついた。
「……おい、葉月はどうした」
「え? 何を言ってるのですか。葉月ならここにきちんと――」
  自分の隣を確認した和葉が固まる。そこにいると思っていたはずの少女が、いつの間にかいなくなっていたのである。驚愕から呆然とした表情へ変わり、やがて松島和葉は顔面を蒼白にする。
  迂闊だった。自分たちの話に集中しすぎて、注意力が散漫になっていた。それゆえに、離れていく松島葉月に気づけなかったのである。
「は、葉月……? え? い、嫌……」
「落ち着けよ。子供なんだから、何かに興味を惹かれて、その辺をふらふらしてるだけかもしれないんだ」
  取り乱しそうになっている和葉を安心させつつ、春道は急いで少女の姿を探すのだった。



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