リセット
11
わずかな春休みを満喫したあと、哲郎はいよいよ中学生となった。
入学式は新入生の歓迎会が体育館で行われ、所属が決まった各教室にて自己紹介をする。
戻ってくる前の人生でも、ここまでの中学生活は順調そのものだった。
だが仲の良かった友人たちとは離れ離れになり、違うクラスで中学生活を送ってるうちに疎遠となる。
一方の哲郎はといえばクラスに馴染みきれず、いつの間にか孤立化していた。
そんな苦い経験をしてきてるだけに、今度こそはの思いが強い。けれど、そこまで力を入れる必要はなかった。
「梶谷と同じクラスなんだ。なんか、玲子に監視してって言われてる気分だわ」
不意に耳へ届いてきた声は、もしかしなくても巻原桜子のものだった。
ミーハーでマセている巻原桜子は、中学生活早々に垢抜け始める。
理由は年上の男性と交際するからだ。哲郎の記憶が確かならば、相手は高校生ぐらいだったはずである。
もっともあくまで噂を聞いただけなので、今もって確証は得られていない。同じ小学校出身でありながらも、あまり会話をする仲ではなかっただけに、詳しく聞くこともできなかった。
当時の哲郎が、根本的に巻原桜子へ興味を抱いてなかったのも影響している。
「いきなり、何を言い出してるんだよ。ビックリするじゃないか」
小学校生活を経験して、中学校へ進学した現在では、だいぶ歳相応の言葉遣いができるようになっていた。
無意識に大人の口調を使用するケースもあるが、大体は中学生なのによく勉強していると感心されて終わる。
「驚くってことは……もしかして、誰かをじっくり見てたとか? 浮気なんかしたら駄目よ。玲子に報告するからね」
過去へ来る前の中学生活では、数えられる程度しか会話しなかったのに、現在では相手から気さくに話しかけてくる。
これもすべて、水町玲子の存在ゆえだろう。心の中で恋人に感謝しつつ、哲郎はからかい続けてくる巻原桜子をたしなめる。
「え、何。もしかして、恋人とかいるの?」
哲郎と巻原桜子の会話に、謎の声が突如割り込んできた。
声の主を確認すると、黒髪のショートカットで、見るからに活発そうな少女が瞳を輝かせていた。
少女の顔には、かすかに見覚えがあった。中学三年間同じクラスでありながら、接点がないも同然だった女性である。
どちらかといえば文学タイプになっていた哲郎に対して、少女は勉学よりも運動に秀でていた。
陸上部に所属しており、可憐な顔立ちから、通っていた中学校では男児からの高い支持を得ていた。
勉強に己の進むべき道を見出していた哲郎にとって、遠くから眺めるしかなかった存在の女児である。
名前は確か――。考えてるうちに、自然と哲郎の口が開いた。
「貝塚美智子……」
「あ、もうアタシの名前、覚えてくれたんだ。まだ話もしてなかったのに、記憶力いいんだね。君はええと……」
「梶谷哲郎だよ」
眉間にしわを寄せて考え込んだ貝塚美智子に、哲郎は改めて自己紹介する。
「そうそう。たまたまど忘れしちゃってたけど、きちんと覚えてたんだよ。本当だからね」
釘を刺してくる少女にわかったと頷きつつ、哲郎は当時の記憶を引っ張り出してみる。
ほぼ初対面の相手にも物怖じしないのだから、明るい性格だという印象が残ってるのも当然だった。
ただひとつ疑問がある。記憶によれば、巻原桜子と貝塚美智子は犬猿の仲だったはずだ。にもかかわらず、哲郎の目の前で親しげに会話なんぞをし始めている。
「私は巻原桜子よ。よろしくね、貝塚さん」
「美智子でいいよ。アタシも桜子ちゃんって言うから」
「わかった。じゃあ、美智子ちゃん」
互いを下の名前で呼び合って、早くも意気投合している。
二人の仲については、哲郎の勘違いなのだろうか。頭の中に残っているのは、遠い昔の記憶だけに、いまいち確信が持てなかった。
「で、君って結局、恋人がいるの。それとも、いないの?」
二人で会話を楽しんでるのかと思いきや、いきなり矛先が哲郎へ向けられた。
すっかり油断していた哲郎は、挙動不審な態度をとってしまう。相手の目には滑稽に映ったのか、貝塚美智子がケタケタと笑い出した。
「その様子じゃ、本当みたいだね。なかなかやるじゃない」
この時代にしてはやや珍しい口調を駆使し、一応は知り合ったばかりとなる少女がからかってきた。
よせばいいのに、追随するのが巻原桜子である。
水町玲子から聞いていたのか、人が告白した経緯から丁寧に、先ほどできた友人に教える。
「男の友情より、女の子との恋を選んだの!? 凄いね」
心から感心してくれるのは結構だが、是非とも声の音量は小さくしてほしかった。
哲郎が素早く周囲の様子を確認すると、すでに幾人かがこちらを注目し始めている。
しかも男性より、圧倒的に女性の比率が高かった。どちらが異性に興味を持ってるかは、一目瞭然の結果である。
「梶谷君か……ちゃんと、名前を覚えたからね」
そう言って、貝塚美智子がウインクを披露する。
かなり様になっているので、わざと演じたわけでなく、本人の癖なのかもしれない。顔立ちが綺麗な女性ではあるので、ほんの一瞬だけ哲郎の頬が熱くなる。
「あれ……もしかして、早速の浮気の兆候? 名前も覚えてたし、怪しいわね」
どこぞの探偵よろしく、顎に指を当てながら、そんな台詞を巻原桜子が口にしてくる。
水町玲子へ報告する気満々で、ノートの隅に鉛筆でメモまで取っている。
ここで止めてくれなんて頼んだりすれば、さらに不審がられるのは火を見るより明らかだった。
恋人への誤解は後で解けばいいと考えて、哲郎は小学校時代からの知り合いである少女の行為を黙って眺めていた。
そうこうしてるうちに担任の教師がやってきて、立っていた生徒にも着席するよう告げる。
見るからに強面で、体格も立派な男性教員だった。歳も三十代前半ぐらいで、若そうである。
これで格好よかったりすれば、一躍女性陣の人気者となりそうだが、生憎と顔の造りは悪い部類に入っていた。
だが生徒たちを恐れさせるには、充分な風貌だった。
まだ春先で肌寒さが残ってるにもかかわらず、角刈りの男性教員は白のタンクトップひとつしか上衣に身に着けていなかった。
筋肉を見せつけるかのごとき服装に、数人の男児が「うわ……」などと、感嘆とも恐れともとれる呟きを漏らしていた。
男性教師の担当は体育らしいので、授業時間に教室で対面する機会は極端に少なそうだった。
小学校ではひとりの先生が、複数の科目をまとめて教えてくれたが、中学ではそれぞれの教員が担当している。
勉強のレベルも一気に難しくなり、徐々に授業内容へついてこれなくなる生徒も現れ始める。
一時間目の授業の準備をするように告げたあと、男性教員は肩で風を切るように歩いて、教室から退出していった。
本当に教師かと思えるぐらいの風貌と態度だったが、昔はこうした先生も多かったなと懐かしくなる。
それに哲郎の記憶に間違いがなければ、ああ見えて面倒見のよい教員だったはずである。
体罰も辞さない怖い教師には変わりないが、虐めなどがあって相談されれば、解決するために昼夜を問わずに尽力してくれる。
おかげで人生を救われた生徒が、何人もいる。
もっとも哲郎は男性教師の暑苦しさが苦手で、相談したりしたことは一度もなかった。
いつか「虐められてるんじゃないか」と気にしてくれたが、その際も哲郎は否定して教師の助力を断った。
そんな中学生活とは、早くも一変している。
巻原桜子や貝塚美智子に話しかけられてるうちに、他の女生徒も気軽に声をかけてくるようになった。
同時に女性陣を目当ての男性連中――本来なら哲郎を相手にしないタイプの格好良い奴らも集まるようになっていた。
気付いたら、いつの間にか哲郎を中心にグループみたいなのが形成されていたのである。
「よう……大人気みたいだな」
授業の合間の休憩時間、トイレへ立ったあとの哲郎を追いかけてきたのか、隣の小便器に高橋和夫がやってきた。
いわゆる連れションみたいになっているが、別に哲郎が頼んだわけではない。女性は仲の良い者同士でトイレへ行くみたいだが、男性の場合はその限りでなかった。
下手に仲良く、いつも一緒にトイレへ行ってれば、変な噂が立つのは必然だった。
「いきなり……何を言ってるんだい?」
一応は友人の部類へ入る高橋和夫へ、男性用トイレの中で発言に真意について尋ねる。
「なんか、お前……水町との一件があってから、変な言葉遣いをするようになったよな」
友人の指摘にギクリとしながら、哲郎は「そ、そうか」と曖昧な返事で誤魔化そうとする。
「他の奴らに先駆けて恋人ができたから、浮ついてるんだろうけど、その喋り方、気持ち悪いぜ」
冷淡な目つきでジロリと哲郎を見たあと、さっさと高橋和夫はトイレから出て行く。一体何を言いたかったのかは、最後までわからないままだった。
程なくして哲郎もトイレを終えると、手を洗って教室へ戻る。
道中でふと考えてみる。記憶の中の高橋和夫は、女性好きなお調子者だったはずである。
哲郎にとっては、最後まで数少ない話し相手になってくれた人間のひとりだった。
それがどういうわけか無口になっており、挙句に敵意みたいなものまで抱いている。
自分が何かしたのかと、これまでの行動を思い返してみるが、直接的な原因はどこにも見当たらなかった。
もしかして、哲郎の現在の言葉遣いが嫌なのだろうか。それならそれで、困った事態になる。
本来の人生で哲郎が中学生だったのは遥か昔であり、今さらになって当時の口調を思い出せと言われても不可能だった。
できるだけ他人を傷つけないように、穏やかかつ割りとゆっくり話すようになったのは就職してからだ。働く上では、その方が都合が良かった。
累積の学生時代よりも、社会人時代はずっと長い。構築されてきた態度や話し方を、簡単に変えるのは難しかった。
どうするべきか悩んでも、簡単に答えは見つからない。ならば、しばらくはこのままでいくべきだった。
そうしてるうちに、次第に問題点が明確になってくる。解決策を探すのは、それからでも遅くない。駄目なら駄目で、哲郎には最後の手段がある。
「あ、帰ってきた。ようやく話を続けられるね」
哲郎が自分の席に着くやいなや、貝塚美智子が水町玲子についての話を求めてくる。
休憩時間のたびにこうなのだから、さすがに少し鬱陶しくなっていたが、邪険に扱うのもかわいそうである。
というより、そんなに話が聞きたいのであれば、仲良くなった巻原桜子からでも聞けばいい。なのに貝塚美智子は、あくまでも哲郎に聞いてきた。
交際を開始した時の気分はどうだっただの、二人きりでどこへ行って遊んだりするかなど、質問は多種にわたる。
それだけ異性関係に興味を持っているということなのだろうが、逐一聞かれる立場からすれば恥ずかしいだけである。
話さなければ諦めそうにない顔をしてるだけに、最終的には哲郎が根負けして、ため息まじりに相手の質問へ答えていくのだった。
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