リセット

  56

 この間、行われた中間テストの答案用紙が帰ってきた。各教科の授業中に各生徒へ渡され、昼休みには廊下へ成績上位陣の順位表が張り出される。
 入学当初の実力テストで一度経験しているが、まだ他の生徒は慣れてないような雰囲気を出していた。通常なら哲朗も仲間に入るのだが、裏技で人生を何度も繰り返している中で、順位表の件も何度も味わってきている。
 だがこれまではとにかく優秀な人間になって、お金を稼げるようになるのが目的だったため、自分のテスト順位に一喜一憂することはなかった。
 言い換えれば、ゆっくりトップに立った優越感に浸っている余裕を失っていたのだ。隣に水町玲子がいなかったのもあり、わざわざ廊下へ順位表を身に行ったりもしていない。
 それが今回の人生では大きく違った。恋人の少女の誘われるままに廊下へ行き、その他大勢の生徒たちに混じって順位表で自分の名前を確認する。
 相変わらず哲朗の名前は一番右側。つまりは最高順位に記されていた。得点は五教科すべてで満天を記録している。
 ザワめきと羨望の眼差しに包まれる哲朗のすぐ横で、水町玲子が自分ごとのようにはしゃいでいる。それはそれで嬉しかったが、直後に別の名前に目を奪われた。
「玲子も五十位以内に入ってるじゃないか」
「え? まさか、そんな……あ、あった。凄い。三十五位だなんて、どうしよう」
 自分の名前があるとは、想像もしていなかったのだろう。あまりの驚きで、玲子の身体が小刻みに震えている。
 喜びを爆発させるというよりかは、予測不能な事態が起こって怖がってるような感じだった。
「もっと素直に喜べばいいよ。玲子の実力なんだからさ」
「違うよ。これも全部、哲朗君が私に勉強を教えてくれたからよ。ありがとう」
 廊下で深々と頭を下げられると、なんだかとても照れ臭くなる。そんな哲朗と水町玲子に、順位表を見終えた知り合いの生徒たちが次々に話しかけてくる。
 すべてが賞賛の言葉であり、自分たちにもわからないところを教えてほしいと懇願されたりもする。複数回辿ってきた人生において、このような経験は初めてだった。
 水町玲子との未来以外は目に入らず、一心不乱に突き進んできたのだから当然だった。これからもそうするつもりだが、周囲に人がいるのも悪くない。そんなふうにも思えていた。
 これも隣に恋人の少女がいてくれて、哲郎の心が穏やかになってるからだろう。とてもいい傾向だと考えているうちに、自然と満足気に顔を頷かせていた。
「この調子で、これからも頑張っていこうね」
 水町玲子の言葉に同意しつつ、哲朗は教室へ戻るのを提案する。まだ食事の途中だったのである。
 昼食中に同級生のひとりが「順位票が廊下に張り出された」と、教室にいる生徒に教えてきた。
 哲朗はたいして興味もなかったが、水町玲子が食事が終わるのも待てずに、早く見に行こうと急かした。その後が今の状況である。
 順位表を見るという目的は果たしたのだから、あとは残りの昼休み時間内で食事も終える必要があった。
 こちらの様子をずっと見ていた水町玲子は賛同しながらも、ふと芽生えたらしい疑問をぶつけてきた。
「哲朗君って、テストでトップをとってもあまり嬉しそうにしないよね。私なんて、順位表に名前があっただけで、大騒ぎしてしまうのに……凄いな」
 褒めてるとも皮肉を言ってるともとれる内容だが、後者の確率は低い。水町玲子は、そういうタイプではないからだ。
「そうだね。自分の点数はあまり気にしてないかな。でも、玲子の成績が上がったのは、素直に嬉しいよ」
「ありがとう。ふふ、やっぱり哲朗君には余裕があるな。そうでないと、満点でトップなんてとれないのかもしれないね」
 笑顔を見せてくれた水町玲子と一緒に教室へ戻ると、今度はすでに順位を知っている同級生たちが周囲を取り囲んできた。
 このぶんでは昼食をすべてとり終えるのは難しいかもしれない。内心でため息をつきながらも、嬉しそうにしている恋人の少女の姿に哲朗は目を細めた。

 哲朗は毎日、途中で待ち合わせをして、恋人である水町玲子と一緒に通っている高校へ通学している。
 入学して以来ずっとで、これまで一日たりとも別々に登校していなかった。学校でも仲の良さを前面に出しているため、周囲が羨むぐらいのカップルになっていた。
 だが中間テストを終えて数日後の朝。いつもの場所に、見慣れた少女の姿はなかった。
 珍しく寝坊でもしたのかと思って少しばかり待ってみたが、恋人の少女がやってくる気配はない。心配になった哲朗は駆け足で、通い慣れている水町家へ向かった。
 全速力で走ったため、目的地へ到着した頃には、ずいぶんと派手に息が切れていた。ハアハア言いながら、人様の家のドアを叩く。もしかしなくとも、傍から見れば不気味な男にしか映らない。
 幸いにして通報されたりしないうちに、水町家のドアが開かれた。玄関にいたのは恋人の母親だった。
「あら、哲朗君。ごめんなさいね」
 いつも待ち合わせて、一緒に登校してるのを知っている水町玲子の母親は、哲朗の顔を見るなり謝罪の言葉を口にした。
 何のことかわからずに、顔にクエスチョンマークを浮かべる哲朗へ、水町玲子の母親が事情を説明してくれる。
「あの子、風邪をひいたみたいでね。今朝から熱があるのよ。だから、学校を休ませることにしたの。本人は行きたがっていたんだけど、こればかりはね」
 学校へ行きたがる我が子を抑えつけて、親が休ませるくらいなのだから、水町玲子の発熱はよほど高いのだろう。ならば、哲朗があれこれ言う資格はなかった。
 水町玲子の健康が大事なのは哲朗も一緒であり、自分のために無理をさせたいとは思わなかった。
「玲子は大丈夫なんですか」
「ええ。栄養のあるものを食べて、二、三日ゆっくり休めば大丈夫だと思うわ」
「そうですか。安心しました」
 本当は恋人の少女のお見舞いをしたいところだったが、ここでゆっくりしていたら他ならぬ哲朗が学校へ遅刻してしまう。
 心配してもらうのは嬉しくとも、そのせいで哲朗が高校を休んだと知れば、きっと水町玲子は悲しむ。自宅には両親もいるのだから、こちらが必要以上に身を案じなくともよかった。
「それじゃ、俺はひとりで学校へ行きます。終わったら、お見舞いに来ますので」
「あら、気にしなくていいわよ。哲朗君に風邪をうつしてしまったら大変だからね」
「いえ、俺がお見舞いしたいんです。それに、玲子の風邪なら歓迎しますよ」
「あらあら。貴方たちは本当に仲が良いわね。それならあとで玲子に伝えておくから、哲朗君は何も心配しないで学校へいってらっしゃい」
 背中を押される形になった哲朗は、恋人の母親へ「いってきます」と挨拶してから、水町家を出た。
 寄り道をしたも同然なので、朝のホームルームが始まるまで、ほとんど時間がないはずだった。
 水町家へ来たのと同様に、哲朗は懸命に両足を動かして、高校までの道のりを全力で駆ける。
 運動部に所属していなくとも、日々のアルバイト業務で、知らず知らずのうちに体力がついていたらしい。
 息が切れるのは当然にしても、なんとか遅刻だけはせずに所属している教室まで到着できたのである。
 自分の席へどかっと腰を下ろすなり、哲朗は背もたれに身体を預けて、懸命に息を整える。
 間もなく、朝のホームルームが始まろうとしていた。

 高校に入学して初めて、恋人の少女が教室にいない時間を過ごす。いつもと変わりない風景のはずなのに、どこか色褪せて見えるのは、哲朗の心境を如実に反映しているからだろう。
 寂しい気持ちと、風邪で寝込んでいる恋人への心配で、頭の中は一杯だった。それでも黒板の前に来て、問題を解くように指名されれば、難なく教師の要求に応じる。
 朝のホームルームの時点で水町玲子の欠席が、担任の教師から発表されていた。ひとつだけ主のいない席が、切なげに教室の中で佇んでいる。
 普段は周囲が騒がしいくらいなのに、今日はやけに静かだ。理由はわかっている。哲郎の傍らに、類稀な美貌を誇る少女がいないからである。
 哲朗ひとりだけになれば、単なる冴えない男子と大差なくなる。そんな人間に近寄ろうとする者が珍しいだけで、現在の状況は不思議でもなんでもなかった。
 会話をする相手もいないので、これまでの人生と同じように教室の備品のごとき存在になって授業に集中する。
 昼休みになればひとりで黙々と食事をとり、午後の授業に備える。こうした時間の過ごし方には十分に慣れているため、不自由を感じたりはしなかった。
 やがて通常のスケジュールどおりにカリキュラムが終了し、割り当てられた場所の掃除を行ってから、帰宅するために教室へ戻る。
 あとは自分の荷物を持って、下校すればいいだけだった。同級生たちはすでに所属する部活動などへ行っており、教室に残っている人間は皆無だった。
 哲朗も早く学校を出て、水町家へ行くつもりだった。アルバイトなのはもちろんだが、水町玲子の病状が心配でもある。
 なのに、こんな時に限って、誰かに突然呼び止められた。先ほどまで確かに無人だった教室内に、ひとつの影が浮かび上がる。
 哲朗のあとに教室へやってきたらしい女生徒は、斗賀野真子だった。入学して早々の実力テスト後に話しかけられ、恋人の少女にやきもちを焼かせた張本人でもある。
「斗賀野さん? 俺に何か用かな」
 すでに水町玲子には、斗賀野真子とは何もなかったと説明し、納得も理解もしてもらっている。
 それ以来、あまり話しかけられることはなくなったのだが、今日になって帰ろうとする哲朗を呼び止めてきた。
 時間帯は放課後。場所は無人の教室。声をかけてくる女生徒。男性側を勘違いさせるには、抜群のシチュエーションだった。
「水町さんは……大丈夫なのでしょうか」
 何の用かと思えば、水町玲子を心配してくれていたのだ。哲朗は単なる風邪だろうことと、これからお見舞いに向かう旨を告げた。
 暗にすぐ帰りたいというのをほのめかしたのだが、入口付近にいる斗賀野真子はなにやら考え込むように俯いている。
「梶谷さんは、いつも水町さんと一緒ですものね」
 どこか寂しげに呟いた斗賀野真子が、哲朗の言葉を待ちもせずに、意を決したように顔を上げた。
 少し潤んだ瞳を正面から向けられれば何も言えなくなり、哲朗は自然にゴクリと喉を鳴らしていた。
 最初の人生ではまったく無縁だったこの独特の雰囲気の正体が、人生をやり直してるうち、徐々にわかるようになってきた。
 このまま教室に留まっていてはいけないと本能が警告するものの、金縛りにでもあったみたいに哲朗は自身の両足を動かせなかった。
「……水町玲子さんの役割……私には……できないでしょうか……」
 いかに哲朗が鈍い人間とはいえ、相手女性が何を言いたいのかは理解していた。要するに、これは告白なのである。
 成績優秀で美人な女性が、どうして哲朗みたいな冴えない男性に好意を抱くのか。理由がさっぱりわからない。
「ど、どうして……俺なんか……」
 かすれきった声が教室内へ響くと同時に、極度の緊張が哲朗の全身を襲っていた。


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