リセット

  57

 哲郎とて、告白された経験はある。最初の人生では皆無だったが、何度もやり直せるスイッチのおかげで、それなりに豊富になっていた。
 中学生時代に知り合った貝塚美智子もそのひとりだ。もっとも水町玲子以外に見えてない哲郎は、他の女性と交際するつもりにはとてもなれなかった。
「ご、ごめんなさい。い、いきなりで……さぞ、驚かれましたよね……」
 よほど困った顔をしてしまっていたのだろう。酷く申し訳なさそうに、告白をしてくれたばかりの斗賀野真子が哲郎に謝罪をしてきた。
 恋人の少女が風邪を引いて学校を休んだその日に、まさかこのような展開が待っているとは予想もしていなかった。頭の中はパニックになりつつあるが、どうするべきかは考えるまでもない。
「……梶谷さんが、水野さん以外の人を選ぶはずがないのもわかっています。ですが、どうしても自分の気持ちを抑えられませんでした。迷惑をかけるとわかっていたのですけれど……本当に……ごめんなさい……」
 相手女性の瞳に涙が滲む。生半可な覚悟で想いを口にしたのではないと知り、哲郎は声にすべき言葉を失った。
 交際を断る。簡単なことなのに、酷く難しく思える。それほどまでに、斗賀野真子の言葉に込められた感情は重かった。
「ど、どうして……俺、なんか……」
 先ほども言った覚えがあるものの、どうしても再び尋ねずにはいられなかった。斗賀野真子という女性は非常に魅力的であり、声をかける男性も少なからずいるはずだった。
 一方の哲郎はといえば、お世辞にも特別に格好いいとは言い辛い。加えて、すでに仲の良い恋人の女性もいる。堂々としているだけに、学校関係者では知らない者がいないのではないかというくらい有名な二人になっていた。
 当然のごとく、そんな男――つまりは哲郎に告白しようなんて、考える女性はいない。ずっと、そう思ってきたのだが、よもやの出来事が今まさに起きている。
「最初はとても凄い人だと、梶谷君を尊敬していました。本当にそれだけでした……」
 涙は流さない。懸命に斗賀野真子は、泣きそうになるのを堪えていた。一度でも透明な雫をこぼしてしまったら、歯止めが利かなくなるのを、自分でもよくわかっているのだろう。
「純粋な尊敬の念だったはずなのに……気がつけば、梶谷さんの姿を目で追うようになっていました」
 二人の他には誰もいない教室で、ストレートのロングヘアーを揺らしながら、斗賀野真子による哲郎への告白が継続される。
 長身でスレンダーな美少女に愛を語られているのだから、ひとりの男としては誇らしい気分になる。
 批判はされるだろうが、男性を中心としたクラスメートを集めて一連の出来事を自慢してやれば、羨ましがられるのは間違いなかった。
 ただでさえ哲郎には、水町玲子という誰もが羨望の眼差しを向ける恋人がいるのだ。さらなる幸運を公表すれば、周囲からの妬みはより強烈になる。
「月日が流れるうちに、水町さんを羨ましいと思うようになりました。そこで私は、初めて自分の気持ちに気づきました」
 窓から日の光が差し込んでくる教室で、文学美少女はなおも言葉を続ける。頬は桃色に染まっており、恥ずかしがっているのが容易にわかる。
 相手の気迫のようなものに押されているのか、哲郎は斗賀野真子の告白を聞き続けなければいけない気持ちに支配されていた。
「私……梶谷さんのことを好いています。心の奥底に隠したまま、生活していこうと考えていました。けれど、もう……心が限界です。申し訳ありません。自分だけ楽になろうとして……」
 そこまで言うと、ついに斗賀野真子は耐え切れなくなって、瞳に溜まっていた涙をこぼした。
 桜色の頬を流れるひと筋の透明な液体は、なによりも綺麗で、哲郎はほんの一瞬だけとはいえ目を奪われた。

 けれどやっぱり、水町玲子を裏切るような真似はできないし、実行するつもりもなかった。哲郎にとっての人生こそが、恋人の少女の存在といっても過言ではないくらいになっている。
 数々の苦境や困難を乗り越えて、ようやくここまで辿り着いたのだ。斗賀野真子には申し訳ないが、これまでの努力をすべて水泡に帰すわけにはいかなかった。
「申し訳ない。斗賀野さんに好意を持たれたのは光景だけれど、俺にとっての女性は玲子しかいないんだ。正直、他の人には興味がない」
 相手を傷つけないようにと気を遣った挙句に、期待を残すような結果になったら余計に事態がややこしくなるだけだ。斗賀野真子を傷つける結果になろうとも、きっちりと断るのがベターに思えた。
「俺を恨んでくれるのは構わないけど、玲子には何の罪もない。斗賀野さんの気持ちを踏み躙ったのは、あくまで俺ひとりなんだから――」
 そこまで言ったところで、あとは喋る必要がないとばかりに斗賀野真子が首を左右に振る。それもそうだと哲郎は思った。誰が自分をこっぴどく振った相手の言い訳を聞きたがるだろう。
 哲郎にできるのは、相手の憎しみをすべて受け止めて、袖にされた精神的苦痛を少しでも軽くしてあげる程度だった。だが斗賀野真子は、決してこちらを責めようとはしなかった。
「いいんです。最初から、こうなるのは……わかってましたから。想像していたとおり、梶谷さんは素敵な方でした」
 涙を拭い、気丈にも笑顔を見せる。もしかしたら斗賀野真子という女性は、哲郎が考えているよりもずっと強い心の持ち主なのかもしれない。
「逆に、私の告白に応じていたら、恋人を大切にしてくださいと、怒っていたかも……しれませんよ?」
 そう言うと斗賀野真子は、普段の真面目な姿からは考えつかないような悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
 初めて見る意外な一面にドキっとするが、それでも哲郎の心は動かない。誰に何を言われようとも、人生の最終目的は水町玲子と添い遂げることなのだ。
「本当に……すまない」
「ですから、謝らないでください。梶谷さんを想っていた時間は、決して悲しい思い出ではないのですから」
 再び斗賀野真子が笑う。貝塚美智子に告白された際も思ったが、哲郎には勿体無いくらいの女性なのは間違いなかった。
 いくらでも良い男性を見つけられそうなのに、何故か哲郎なんかを好きになってくれた。ありがたいことだけれど、とても不思議だった。
「明日からはまた、良いお友達として接してくださいますか?」
 恋人として付き合うのは無理だが、友人であれば話は別である。水町玲子を第一に考えていれば、やきもちを焼かれたりもしないはずだ。それになにより、高校生活における対人関係をむやみに悪化させたくなかった。
「それくらいなら、大丈夫だと思うよ。握手はできないけどね」
 わざと恋人を嫉妬させて、愛情を煽るなんて高度な技術を哲郎は会得していない。ならば余計な誤解を与える真似だけは、徹底して慎む必要があった。
 正面に立っている斗賀野真子は少しだけ残念そうにしたけれど、すぐに哲郎の意思を汲み取ってくれた。
「ありがとうございます。これからも良い友人として、切磋琢磨して勉学に励んでいきましょう」
 それがこの場における斗賀野真子との最後の会話になった。背中を向けた少女は、そのまま振り返りもせずに教室から出て行こうとする。
 開いたドアの向こうへ身体を躍らせた瞬間、小さな飛沫が宙へ舞ったのが見えた。それを涙と気づけたのは、少女の姿が教室から見えなくなったあとだった。
 ひとり教室に残された哲郎を虚無感が襲う。しかし、これでよかったのだ。力強く頷き、帰りの準備を整える。
「さあ、玲子のところへ行こう」
 風邪を引いて学校を休んだ恋人を見舞うため、哲郎も急ぎ足で教室をあとにする。

 今朝の約束どおり、哲郎は水町玲子の自宅へ真っ直ぐに向かった。アルバイトも入っているので、あまり長居はできないが簡単な見舞いはできる。
 放課後の一件がなければ、もう少しゆとりがあったのだが、斗賀野真子に文句を言うのは筋違いだった。
 水町玲子の母親に挨拶をし、恋人の部屋へ向かう。着替えをしてたりするといけないので、ノックをして名前を告げてから入室する。
「あ、哲郎君。今日は、ごめんね」
 額に濡れタオルを乗せていた水町玲子が、哲郎の姿を見るなり、布団から上半身を起こして出迎えてくれた。
「気にしないで、眠ってなよ。無理をしたら、治るものも治らなくなるからさ」
 そう言って哲郎は、恋人が寝ている近くへ座る。風邪をうつされるかどうかなんて、最初から心配していなかった。
 恋人の母親にも言ったが、玲子の風邪なら大歓迎だった。普通に少女の首筋へ手を伸ばし、熱がどのくらいあるのかを確認する。
「まだ結構、熱があるみたいだね」
「うん……でも、朝よりはずいぶん楽になったよ」
 哲郎の心配を払拭したいのか、事あるごとに恋人の少女は元気な様子を見せようとする。
 そのたびに哲郎はひやひやしながら「無理をしないで」と同じ台詞を繰り返すはめになる。
 翌日には学校へ行きたがる水町玲子をなだめ、体調が戻るまではゆっくり休むように勧める。
 どうやら両親にも同様の忠告をされていたらしく、むくれながらも仕方ないといった様子で納得してくれた。
「あーあ、早く哲郎君と一緒に学校へ行きたいのにな。うふふ。不思議ね。勉強はそんなに好きでも得意でもないのに」
 笑う水町玲子の顔に苦しさは感じられない。哲郎が見舞いに来てくれて、嬉しいといった雰囲気が全身から放出されている。
 改めて見舞ってよかったなと思っていると、水町玲子は何気なしにとある質問をしてきた。
「そういえば、哲郎君。学校って、今終わったばかりなの?」
 哲郎も水町玲子も、学校が終わればすぐ帰宅する。だからこそ、水町家へ到着する時間も大体一定だった。
 哲郎が一度自宅へ戻ったりすれば話も変わってくるが、今日は格好から学校から真っ直ぐ水町宅へやってきたのがわかる。
 にもかかわらず、普段から三十分程度は遅れている。怪しんでいるというわけではなさそうで、単純に疑問に思ったのだろう。
 斗賀野真子という女性の性格を考えた場合、誰かに今日の出来事を事細かに報告する可能性は極端に低い。だが物事に絶対はない。それが口約束なら、なおさらだった。
 事が露見する前に、自らの口で事情を説明しておいた場合も多々ある。もっとも哲郎の場合、他人には予想もできない裏技が使えるのだから、何度でもやり直しがきく。だからといって、恋人への誠意まで適当にしたいとは思えなかった。
「もしかして……何か、変わったことでもあった?」
 女性の直感というべきか、恋人の少女はすぐに哲郎が何かを隠しているのを見抜いた。
 ここまでくれば秘密にし続けるのは、二人の関係に逆効果しか及ぼさない。そう判断した哲郎はおもいきって、放課後の一件を説明しようと決めた。
「実は……」
 体調不良の相手に話すべき内容でないかもしれないが、話さなかったからと気にしすぎて余計に病状を悪化させられても困る。それならばと、おもいきったのである。
 最初は黙って聞いていた水町玲子の顔が、展開が進むにつれて徐々に険しくなってくる。明らかに不快に思ってる証拠だった。
「それで哲郎君は、斗賀野さんに何て言ったの?」
「俺? 玲子以外は女に見えないって」
 すると玲子はいきなり吹き出した。不機嫌さは微塵もなくなっており、笑顔で「それは、ちょっと酷いかもよ」なんて言ってきたりする。
 どうやら正直に話すという選択は正解だったみたいだ。哲郎もホっと胸を撫で下ろす。これで今回は、例のスイッチに頼らずに済む。
 繰り返してきた人生のおかげで、少しは成長してるのかもしれないと、この時ばかりは哲郎も自分自身を少しだけ褒めようと思った。


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