リセット
65
結局、お土産を買ったりする前に、全員で喫茶店へ入った。結構な人数がいたので、幾つかのテーブルに別れて座る。
哲郎を除く全員が初めての喫茶店。誰もが経験者と同じテーブルへつきたがるが、そうもいかない。店内であまり騒ぐのもマナー違反なので、最終的には早い者順に決まった。
例外は恋人の少女でもある水町玲子だった。彼女だけは哲郎の隣に座り、心細さを埋めるようにぴったりと寄り添ってくる。
旅先なのが開放的な気分にさせてくれるのか、修学旅行中の水町玲子はいつにも増して大胆だった。
普段はあまり周囲の目にとまらないよう、公の場所では控えめに哲郎へ接する。人前で手を握るなんて、考えられなかった。
それが今では、腕でも組みそうなくらいに身体を密着させてくる。制服越しでも伝わる体温が、哲郎の鼓動を加速させる。
どうかしたのかと恋人の少女へ尋ねる前に、哲郎にはすべきことがあった。それは飲み物を注文するという行為である。
喫茶店に皆で入ったまではいいものの、誰もがこれからどうするのか、すがるような視線で哲郎を見つめているのだ。
このままでは大勢の不審者と、店主に認識されてもおかしくない。そこで哲郎は普通にコーヒーをブラックで注文する。
注文をとりにきた店主が応じると、堰を切ったように他の班員も注文を行う。ただし、揃いも揃って「同じもの」である。
「ブラックって、砂糖もコーヒーも入ってないんだぞ。普通にアイスかホットかで注文したらいいだろ」
哲郎がそう言っても聞きやしない。店主が君も大変だなといった感じで苦笑する。
唯一、哲郎の話を理解してくれたのが水町玲子だった。日々の食事を共にする機会が多いだけに、恋人の少女が甘党なのは十分に承知していた。
そこで砂糖を多めだけでなく、クリームも一緒にお願いするようアドバイスする。そのとおりに注文した水町玲子は、テーブルの上に置かれた自分のコーヒーを心から美味しそうに堪能できた。
ところがそうはいかなかったのが、哲郎と同じブラックコーヒーを頼んだ連中である。あまりの苦さに目を見開きつつも、強がりで「ああ、美味しい」なんて感想を口にしたりする。
田舎者ぶりを丸出しにしてるも同然なのだが、哲郎は笑ったりしない。幾重にも積み重なった人生経験がなければ、きっと自分も同じ状態になっていたのがわかるからだ。
「だから言っただろ。無理をしなくていいぞ」
最初に六十余年の人生を過ごしてきた哲郎には、砂糖の入らないビターな味の方が好みになっていた。
お菓子などでもそうなので、よく水町玲子の父親には今時の若者らしくないと言われる。もっとも、そうした部分を気に入られてもいる。
ひとり涼しげにコーヒーを楽しむ哲郎を、恋人の少女が頼もしそうに眺める。どんな状況であろうとも堂々と行動できると、こちらを尊敬さえしていた。
哲郎の超能力が備わっているわけでなく、以前に水町玲子本人から聞いた。イメージを崩さないように努力をする必要もない。あくまで自分らしくあればいいだけなのだ。
「落ち着いて、会話でも楽しめばいいだろ」
注文したコーヒーをすぐに飲み終わり、あとはどうするんだとばかりに慌てる班員たちを落ち着かせる。この時ばかりは、さすがの哲郎も苦笑いを浮かべた。
喫茶店はコーヒーを早飲みする大会の会場ではない。例えば、恋人同士がゆっくりと愛を語らったりする絶好の場所なのである。
とはいえ、それをこの時代の高校生に理解しろというのは、大学レベルの難問を出題するようなものだった。
仕方なしに哲郎が話題を提供し、各人が少しずつ会話に参加する。若者だからかは知らないが、他の班員も徐々に喫茶店の雰囲気に馴染みつつあった。
やがて普通に会話もできるようになると、あとは哲郎が場を盛り上げる必要もなくなった。
喫茶店を出る予定時刻にはまだなっていないため、哲郎は隣に座っている恋人の少女とお喋りを楽しむ。
喫茶店での憩いのひと時も終わり、哲郎たちは水町玲子の班員と一緒に、修学旅行中の街中へ戻る。
都会なだけでなく、色彩豊かな風景も魅力のひとつだった。日本古来の都なだけあって、威厳みたいなのも感じられる。
まとまって街を歩きながら、気になったお店へ入ってみる。先陣を切るのは、もちろん哲郎だった。
全員が知らない土地の知らないお店に入るのを躊躇う中、ひとりでも堂々とドアを開けて店内へ突入する。
哲郎からすればなんでもない行動なのだが、たったそれだけでさらなる尊敬を集める結果になる。
「それにしても、梶谷君は凄いよね。初めての場所でも、全然ビクビクしたりしないものね」
水町玲子と同じ班で友人の女性が、ふとそんな感想を口にした。
何度も来てるからねとは言えず、曖昧に笑って誤魔化す。今回の人生では、他の同級生と同様にここへは初めて訪れている。
それでも隣を歩いている恋人の少女が「そうよ。哲郎君は凄いんだから」と、まるで自分のことみたいに喜んでくれている。
下手な言い訳はぼろを出すきっかけに変わるかもしれないので、あえて何も言わないという対応を貫いた。
そのうちに哲郎たちは次のチェックポイントに到達する。他の班は早めにまわっているようで、スタンプを押される順番は最後の方だと担当の教員に説明された。
急いで全部まわったあとで、ゆっくり街中を観光しようと考えているのだろう。それもひとつの楽しみ方なので、哲郎たちとどちらが正しいかは評価できなかった。
「せっかくなので、風情ある寺院を静かに眺めてまわろうと決めていたのです」
「そうか。さすがは梶谷がまとめるグループだけはあるな。これなら心配はいらなさそうだ」
「旅行後に出題される、自由行動中のチェックポイントに関する問題ですか」
「……相変わらず、梶谷の洞察力には恐れ入るな。教師としてはやりにくいが、仲間には頼りになるリーダーか」
教員と哲郎のやりとりで、他の班員たちも、どうしてスタンプを貰えばいいだけの場所をゆっくり見学するのか気付いた。
この場所を担当している教諭と別れたあとで、同行中の班員たちが一斉に「どうしよう」と騒ぎ出す。
最初のチェックポイントでは、早く街中を見物したくて、心ここにあらず状態だったのだろう。だが、そんなのは予測済みだった。
「心配しなくていいよ。ある程度は、俺がノートに要点をまとめてあるから。あとで全員で写せばいい」
他のメンバーとは違い、哲郎には絶大なるアドバンテージがある。修学旅行から所属する高校へ戻ったあとで、どのような問題がテストに並ぶかわかっているのだ。
それもこれも、例のスイッチのおかげで何度も人生を繰り返せているからだった。問題を知っていれば、予習も最小限で済む。
完璧すぎるのも余計な誤解を招く恐れがあるので、ある程度はズレているところも用意しておく。とはいえ、これだけでも哲郎と水町玲子の班の平均点数はグッと高くなる。
必然的に教員たちの評価も高くなり、哲郎だけでなく、他のメンバーも修学旅行の楽しい想い出だけを記憶の中にしまっておける。
「こまめにノートをとっていたから、何かと思っていたけど、本当に哲郎君て凄いね。それ以外の言葉が出てこないよ」
「凄くはないさ。俺が教師だったらどうするかと考えていたら、この結論に達しただけだからね」
「それが凄いのよ。本当に尊敬しちゃう」
女性陣にチヤホヤされても、哲郎に嫉妬する男性班員はいない。誰もが水町玲子ひと筋なのを知っているからだ。
すべてのチェックポイントをまわり、好みの土産物屋へ入ったりしている間に、周囲は金色に包まれ始めた。
夕方となり、自由行動を認められていた時間が終了になる。名残惜しく感じながらも、各班がゴール地点へ集まりだす。
すでに哲郎と水町玲子の班も到着しており、あとはクラスが全員揃うのを待つばかりだった。
各学級を担任する教師たちが、忙しく走り回っては生徒の安否を確認している。幸いにして、何か大きな事故があったという連絡は入ってないみたいだった。
各班ともにしっかりとチェックポイントをすべて通過し、それぞれの自由時間をしっかり楽しんだ。
哲郎たちも同様で、途中からは各カップルに分かれて道を歩いたりしていた。歴史ある街並みを、大好きな少女と一緒に眺める。
これまでの人生における修学旅行では、このような幸福は存在していなかった。それもこれもすべて、途中で諦めなかった自分へのご褒美なのだと哲郎は考える。
頭の中を覗き見ることはできなくとも、何か考え事をしてるのはわかるのだろう。少しだけ心配そうに、恋人の少女が哲郎の手を握ってきた。
もう少しすればまたバスに乗って、本日の宿泊予定になっている旅館へ向かうことになる。残りの日程の中で、今日ほどに自由行動がある日はなかった。
「楽しかったね」
多数の学生が集まっているのは、大きめなお寺の観光者用に用意された駐車場だった。
恋人の少女の発言に頷きつつも、哲郎はまだ少しだけ自由行動の時間が残っているのを確認する。
軽く水町玲子の腕を引っ張り、駐車場から移動をする。細くしなやかな手が、驚きを見せつつもしっかりとついてくる。
ほんの数十秒歩いただけで、駐車場の喧騒が聞こえなくなる。現在位置がすでに結構な高さにあるので、道の端に立って下を見れば、近くの街並みを一望できる。
金色の夕日に照らされた街は美しく輝き、見るものすべてを魅了するようなオーラを放っている。
「……綺麗ね」
思わずといった感じで、哲郎のすぐ側に立っている水町玲子が呟いた。
まったく同じ感想を抱いていたけれど、哲郎の口はうまく開いてくれなかった。
かけたいと願う言葉はたくさんあるにもかかわらず、ひとつとして綺麗な形に整ってくれない。
「ねえ、今……何を考えているの」
こちらを真っ直ぐに見つめてくる少女。ただでさえ整っている顔立ちが、夕日の演出でより美しく見える。
「……未来のことさ」
ようやく出てきた言葉がそれだった。何を言ってるんだと焦るも、今の哲郎にあれこれと女性を喜ばせるための計略を練っている余裕はなかった。
どんなに長い時間をかけて勉強しても、こと女性への対応についてはまったく正解を得られない。だが、えてしてそんなものかもしれないと哲郎は内心で苦笑する。
一方の水町玲子は気にする素振りを見せたものの、小さく「ふうん」と言っただけで何を考えているのかという追求はしてこなかった。
そんな恋人がいじらしいと同時に、とても可愛く思えた。気付けば哲郎は、誰よりもキザな台詞を口にしていた。
「大人になったら、また玲子と一緒のこの景色を見たいなと思ってた」
景色を見ながら呟く哲郎の横顔を、頬を赤らめた水町玲子が見つめてくる。
やがて二人の顔は正面から向き合い、足元に伸びている影がゆっくりと重なった。
唇に伝わってくる温もりと吐息が、まさに今、哲郎がこの時代に生きているのを教えてくれる。
この先の未来は、哲郎もまだ一切経験していない。けれど玲子と一緒なら、うまくやっていける。
「……そろそろ、戻ろうか」
「うん……」
駐車場へ戻るまでの間、凄く照れくさくて、哲郎も水町玲子もお互いの顔をまともに見れなくなっていた。
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