その後の愛すべき不思議な家族

   1

 インターホンが鳴り響く。自室でゆったりとしている高木春道の耳にも、はっきりと届いてきた。面倒だとは思いながらも、応対をサボるわけにはいかない。もし、そんなことが松島――現在は高木和葉となっている妻にバレたら何を言われるかわからない。
  かといって娘である少女に任せたりもできなかった。理由は単純明快。せっかくの休みである今日を有意義に過ごすべく、友人と遊びに出かけてしまっているからだ。要するに、この家には春道しかいない。
  期日が迫っていた仕事をなんとか納品し、せっかくひと息つけていたのに、邪魔するとは一体どんな人間なのか。両親ではないのを祈りつつ、春道は重い腰を上げる。
  高木と標識がかかっている古びた家。お世辞にも綺麗とはいえないが、結構な広さがある。その二階部分を春道がひとりで使っていた。もっとも、最近ではちょくちょくと娘である葉月が遊びにくるため、完全な個人使用という状態ではない。
  階段を降りて、すぐに玄関へ向かう。すっかり田舎暮らしに慣れている春道は、相手を尋ねる前にガチャリとドアを開く。ご近所では鍵すらかけてない家も結構ある。高木家にかんしては、小さい子供もいるのできちんと鍵はかけている。
  開いたドアの隙間から、早速日の光が差し込んでくる。時刻はすでにお昼を過ぎており、太陽が一日の中で一番元気にはしゃいでいる。
「こんにちは」
  ドアを開けた春道に、笑顔で挨拶してきたのはひとりの女性だった。春道の娘である松島――ではなく、高木葉月の担任を務める女教師で、確か名前は小石川祐子だったはずである。
  名前まで覚えていたのには理由がある。つい最近行われた葉月の運動会において、春道は目の前にいる女性から告白されたのだ。その時はさっくり断ったのだが、そのせいでずいぶんと罵倒されてしまった。
「……葉月ならいませんけど……」
  担任教師が休日に尋ねてくる理由なんて、そうそう見当たらない。葉月に用があったのだろうと判断したがゆえの発言だったが、女担任は「構いません」と丁寧に告げてきた。
「今日はご家族の方へお話を伺いにきたんです。簡単に言うと家庭訪問です」
  では一体何の用ですか。そう尋ねる前に、女教師に言われてしまった。しかし、担当児童がいない家庭訪問に意味があるのだろうか。率直な疑問をぶつけてみるも、あっさり「もちろんです」と返される。
「本人がいないからこそ、普段気になってることなどを聞けたりもするじゃないですか。我が校では恒例の行事なんですよ」
「はあ……そうなんですか」
  葉月が通ってる小学校について、春道はよく知らない。だからこそ、恒例の行事なんて説明されれば、先ほどみたいに頷くしかないのだ。
  こういう時、和葉がいれば問題ないのだが、生憎と少し前にとった長期休暇の影響でしばらく休みがとれない状況になっている。数日前に、本人の口から直接聞いてるだけに間違いはない。
  しかし解せない点もある。学校で行事があれば、しつこく説明したがる葉月が、この家庭訪問については一切話してないのだ。相手を疑いたくはないが、以前あんなことがあったので、素直に信じるのは危険な気がする。
「そんなに構えないでくださいよ。今日は本当にお仕事なんです。ほら、きちんとプリントもありますよ。葉月ちゃんから見せてもらってないですか?」
  春道が怪しんでるのは、相手も重々承知していたようだった。とっておきのアイテムだとばかりに、ショルダーバッグの中から一枚の紙切れを取り出し、それを渡してくる。プリントには、確かに家庭訪問のお知らせと書かれていた。
  各家庭の訪問予定日や、予定時刻なども細かく記入されており、きちんと学校で配布されるようなものだった。単純に葉月が教え忘れたのだろうか。それとも、ここ数日仕事で忙しかった春道を気遣い、母親にだけ教えていたのだろうか。
  ともかく、玄関で立ち尽くしていても仕方ない。春道は葉月の担任教師に上がってもらうことにする。先導してリビングへ案内し、備えられている椅子を勧める。
  きちんと身なりを整えている相手に対して、春道は部屋着でもあるジャージ姿のままだが、いきなり訪ねてきたのだからどうしようもない。事前に情報が与えられていれば、もっとしっかり準備をしていたのだが、今さらどうにもならない。
「それで、何をお話すればいいんですかね」
  一度部屋に戻って着替えてこようかとも考えたが、そうすれば女教師をこの場にひとり残すことになってしまう。それではあまりにも失礼だ。同じ失礼でも、ジャージ姿の方がまだマシに思えたので、春道はこのまま話を進めようと決断したのである。
「そんな堅苦しいものではないんです。葉月ちゃんのこんな様子が気になるとか、そういうのはありませんか」
  元来の松島姓から、春道の高木姓に変わっても何ひとつ文句を言わなかったし、不満がってる様子もなかった。それどころか、一緒に夕食をとれるのを、心の底から喜んでるように見えた。
  普段も元気一杯で、母親である和葉の手を焼かせることはあっても、別段変に感じたりはしない。普通にある光景のように思えたし、微笑ましくもあった。もっとも、春道の仕事が切羽詰ってる時はこの限りではないが。
  春道が「別にないですね」と答え、相手は「それならいいんです」とにこやかに頷く。これで家庭訪問は終わり。そんな空気が漂い始める……と判断するのは早すぎた。
「もうお昼ですけど、きちんと食事はとりましたか」
  何故か突然、葉月とは無関係な問いかけが飛んでくる。何が起きたのか理解する暇もなく、矢継ぎ早に相手は言葉を繋げてくる。
「奥さんがいないからって、手を抜いたりしたら体に悪いですよ。よろしければ、私が作りますよ。こう見えても料理には自信があるんです。きっと吃驚しちゃいますよ」
  手料理を食べなくても、すでに充分すぎるぐらい驚いている。一体全体何がどうなって、こんな展開になってるのか不思議で仕方ない。
  小石川祐子という名前の女教師は、許可を出した覚えもないのに、いつの間にかキッチンに立っていた。ショルダーバッグの中から食材を取り出し、袋から取り出してひとつずつ水洗いしていく。
  ジャガイモ。ニンジン。タマネギ。あまり大きくないバッグだけに、そんなものを忍ばせていたなんて予想もしてなかった。いくら袋詰めされてたとはいえ、プリントなどと一緒に入れてていいものかも疑問だ。臭いが移る可能性を考えなかったのだろうか。
  まな板などはさすがに高木家のものを使用して、女教師は食材を調理していく。椅子に座りながら、春道はその手際を見つめていた。……そして、ようやくこれは何かがおかしいぞと気づいた。
「ちょ、ちょっと待ってください。べ、別に腹が減ってると言った覚えはないですよ」
「駄目ですよ。私は顔を見ればわかるんです。一食くらいと侮ってはいけません。きちんと三食とらないと健康を保てないんです」
  制止しようとする春道を、わけのわからない論理で華麗にスルーをする。最初からこちらの意見など関係ないと言いたげだ。
「そもそも、俺は昼飯を食ってます。こんなことをしてもらう必要はありません!」
  今度は少し強い口調で告げる。これで諦めてくれると思ったのだが、またしても己の考えの甘さを痛感させられるだけの結果になってしまった。相手の手は止まらず、着々と調理を進行させていく。
「私を気遣ってるんですね。遠慮なんてしないでください。児童の保護者へ対するケアも、教職者にとっては義務みたいなものなんです。それに私の肉じゃがは美味しいですよ」
  まったく話が通じない。しかも、相手の狙いが何なのかもわからない。まさか、訪問してる家庭すべてで、肉じゃがを作ってるはずがなかった。怪しく思いながらも、女性の体に触れて強制的に行為を中断させるのも躊躇われる。
  こうした状況に何度も遭遇してれば話は別なのだろうが、春道にすれば生まれて初めてのシチュエーションである。何をどうしたらいいものかさっぱりわからず、ひたすら慌てふためくだけだった。
  何て言えばいいのか。どんな対応をすればいいのか。そんな考えが頭の中を何周もしてるうちに、気づけばリビングに良い匂いが漂い始めていた。
「さあ、できましたよ」
  にっこり笑顔で勝手に使用した鍋を、これまた勝手に使用している鍋つかみで持つ。鍋敷きの上に置いたあとで、やはり許可も得ずに食器を取り出して、綺麗に肉じゃがを盛りつけていく。
「遠慮しないで召し上がってください」
  勧められたところで、春道は和葉お手製の昼食を堪能したばかりである。別にお腹は空いてない。無理して食べる義理もないのだが、調理した張本人は期待に満ちた瞳で、こちらをじーっと見つめている。
「だ、だから、申し訳ないんですけど、肉じゃがを食べたかったわけでもないし、作られても困るんですよ」
「そんな……! 女の手料理をひと口も食べずに拒否するなんて、それでも男なんですか。せめて少しだけでも食べたらどうですか」
  何故そこまで言われなければならないのかと思っても、相手は娘の担任である。下手に機嫌を損ねて、春道の目が届かないところで嫌がらせなんかをされたりしたらたまったものじゃない。仕方なしに食卓へつき、調理されたばかりの肉じゃがを口に入れる。
  正式に高木姓となった妻の和葉も、料理の腕は相当に高いが、この女教師もまたかなりのレベルだった。じゃがいもの柔らかさは程よく、ひと口食べただけでも独特の風味がふわりと広がってくる。春道も思わず「うまい」と呟いてしまったほどだ。
「それはよかったです。たくさんありますから、夜にご家族で食べてくださいね」
  それだけ言うと小石川祐子はその場から立ち上がり、ちらりと時計を見たあとで「もうこんな時間ですし、そろそろおいとまさせていただきますね」と告げてきた。
  何か魂胆があるのではと疑っていただけに、あっさり帰宅宣言をされて若干拍子抜けしてしまう。元々変な気持ちを持っていたわけでもないので、さくっと帰られても別に影響はない。だが、やはり意味がわからなかった。
  家庭訪問と言って、急にやってきたと思ったらいきなり肉じゃがを作り、そそくさと帰ろうとする。もしかして、本当に言葉どおり春道の身を案じて、昼食を作ってくれただけなのかもしれない。それならば、一応は感謝しておかないといけないだろう。
「なんか、色々とすみませんでした。こちらばかり世話になってしまって申し訳ない」
「いいえ、気にしないでください。好きでしたことですから」
  玄関まで女教師を見送り、ドアが閉まると春道はポリポリと頭を掻いた。とりあえず、盛ってくれたぶんだけでも食べておこう。相手が親切心でしてくれたなら、それが礼儀だ。そう決めて、肉じゃがの香り漂ってくるリビングへ再度足を向けるのだった。

「……これは何ですか」
  帰宅した松島――高木和葉に呼びつけられ、私室でくつろいでいた春道が、リビングへ到着した途端の質問だった。相手の視線の先には、日中に女教師が作っていった肉じゃがが鍋とともに存在している。
  すでに時刻は午後七時近くになっており、窓から室内へやってくる色も薄暗くなりつつあった。この時間に和葉が家へいるのだから、定刻どおりに仕事を終えれたのだ。
「あー、肉じゃがだー。これが今日の晩御飯なのー」
  和葉の問いに答えたのは、春道ではなかった。遊びから帰宅して、自室で宿題をしてるはずの葉月だった。いつの間にかリビングへとやってきており、鍋の中に入っている肉じゃがを見つけたのだ。
  愛娘の言葉には答えず、先ほどから腕組みをしている和葉は「これは春道さんが作ったのですか」と、妙に怖い顔で聞いてきた。
「いや、違う。別に頼んだわけじゃないんだが、葉月の担任の先生が家庭訪問だって来て、作って置いてったんだ」
「……は?」
  怒り気味だった相手の顔が、急にきょとんとなる。春道の説明が、よほど予想とかけ離れたものだったに違いない。これが逆の立場でも、同様の状態になっていただろう。
  沈黙してしまった相手へ、もう一度説明するべく、口を開こうとした瞬間だった。今度は春道が、予想外の台詞を浴びせられる。
「ねえねえ、パパー。家庭訪問って何ー? 葉月、知らないよー」
「……は?」
  先ほどの和葉と、まったく同じリアクションをしてしまう。あの女教師は、確かに家庭訪問のお知らせというプリントを持っていた。だからこそ、春道も信じたのである。
「……どうやら、詳しく話を聞かないといけないみたいですね」
  痛いほど突き刺さってくる視線に気づき、妻である女性を春道が横目で見ると、いまだかつてないぐらいの威圧感を放っていた。


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