その後の愛すべき不思議な家族

   15

「お買い物♪ お買い物♪」
 どこかで聞いたことのあるフレーズを口ずさみつつ、見慣れた町をひとりの少女がスタスタ歩く。時折左右へ視線を飛ばしては、景色を眺めてにこにこ笑う。何が面白いのかは不明だが、とにかく楽しいみたいだった。
 春道と妻の高木和葉が話し合った翌日に、愛娘である高木葉月へ、ひとりで買い物へ行くよう伝えた。最初は少し驚いていたが、すぐにいつものにこやかな笑みとともに、コクコクと何度も首を上下に頷かせた。
 毎月、母親の和葉が小遣いを渡してるみたいだが、それとは別にお買い物賃として千円が支給された。それでノートを始めとした、冬休みの宿題をするのに必要な道具を揃えることになる。
 心細かったら断ってもいい。心配ならまた後日にしてもいい。過度の心配をしまくる母親を尻目に、好奇心旺盛な娘は「大丈夫だよー」と、なにひとつ深刻にとらえてない表情で、同じ言葉を繰り返した。
 考えてみれば春道も同じ感じなので、難しく考えてるのは和葉ひとりということになる。だが怒らせると後が怖いので、間違ってもそんな指摘はしない。成り行きを見守ってるうちに、事前の予定どおりに買い物が決行されることになった。

 そして今、ひとり歩く少女の背後を、挙動不審な二人がこそこそ追っている。春道と和葉の夫婦である。
 欠伸半分で娘を眺めている春道とは違い、母親の視線は真剣そのものだ。心配するのは悪いことではないし、親子なら当然だ。しかし、ここまで熱を入れるのはさすがにどうかと思う。下手をすると、挙動不審で警察に職業質問されかねない。
 もっともこの町はそれほど大きくないし、葉月が向かっているのは、春道がよく行く銭湯の近くにある商店街だ。顔見知りの人間が通行する可能性は高い。早速、中年の女性が葉月に話しかけている。
「い、いけません。もしかして、あれは誘拐しようとしてるのではないでしょうか! 葉月が可愛いのはわかりますけど、いくらなんでもこれを見過ごすわけにはいきません!」
「待て。そして少し落ち着け」
 現場に特攻しようとする愛妻の襟首を掴み、強制的に急停止させる。勢いあまって首が多少締めつけられる結果になり、ゴホゴホ咳をしながら、和葉は恨めしそうな視線を春道へ向けてくる。
「よく見ろ。あれは近所のおばちゃんだ」
 中年女性を指差した上で、しっかり観察するように告げる。春道でも相手の顔に見覚えがあるのだから、あの家に以前から住んでいる和葉が知らないはずがなかった。
「た、確かに……と、ということは……前々から――」
「だから、そこから少し離れろ。何でもかんでも心配しすぎだ。葉月はああ見えてしっかりしてるから、大丈夫だって」
「わかりました。どうやら……私がひとりで焦りすぎてるみたいですね」
 深呼吸を繰り返し、ようやく平常心を取り戻してくれたみたいだった。これでひと安心だと、春道もホッとする。正直なところ、ひとりで買い物をする葉月より、テンパりまくっている愛妻の方が心配だったのである。
「……ところで、ひとつ気になった点があったのですが、お聞きしてもよろしいですか」
「ん? あ、ああ……別に構わないけど」
「先ほど、ああ見えてとおっしゃってましたが、春道さんの目には普段の葉月はどのように映ってるのですか?」
 にこやかな笑顔が逆に怖かった。冷静さを失ってるような様子だったのに、何故かいつもこうしたことだけは決して聞き逃さない、見逃さない。返答に詰まった春道は、いつもの手法を使う。葉月の話題を口にして、なし崩し的に場を流すのである。
 そうした意図に妻も気づいてるみたいだったが、自慢の愛娘の話題になると、最終的に機嫌がよくなる。そうして高木家の平穏が保たれるのだ。だからこそ、今回も同様の手口で場を切り抜けようとする。
「ほ、ほら、いつまでも目を離していると、葉月が先へ進んでしまうぞ」
 いつの間にやら葉月は近所のおばさんとの会話を終えており、目的地へ向けての歩みを再開していた。小さな背中がさらに小さくなり、このまま黙っていればすぐに見失ってしまうのは間違いなかった。
 いくら目指してる店がわかってるといっても、この間からの和葉を見てれば道中を監視したがってるのは明らかだ。愛娘を放置しておいてまで、春道への追求を続ける可能性は極端に低かった。
「いけません、早く追いましょう」
 想像どおりの展開になって、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、足を動かす直前にジト目で春道を見てきた愛妻が「……この話は、いずれ後でまたゆっくりしましょう」と強烈な言葉を突き刺してきた。
 どうやら先ほどの話題が出た際には、徹底的に逃げ回る必要がでてきた。口は災いの元とはよく言ったものである。
「どうやら、ここまでは順調みたいですね」
 目的の店へ向かう葉月は、きちんと車に気をつけながら歩道を歩いている。昨晩、しつこいぐらいに母親の和葉が教えていたことを、きちんと実践してるのだ。横断歩道につけば、青信号になっても左右を確認してから手を上げてゆっくり渡る。
 模範的な行動に、春道も感心する。和葉の教え方がよほどいいのか、それとも葉月がとことん素直なのか。大人もあまり交通規則を守らない中で、娘の振る舞いは相当に立派だった。
 誇らしげな気分になったあとで、春道はふと苦笑してしまう。これではまるで親バカである。ついこの間まで、自分が子供を見てこんな感想を抱くなんて想像もできなかった。
 だが不思議と嫌な感じはしない。もしかしたら、自分は子供好きだったのだろうか。そんなことを考えてるうちに、いつの間にか苦笑が微笑へ変わっていた事実に気づく。どうやら春道も愛妻と同じく、娘が可愛くて仕方なくなってたらしかった。
 やがて葉月は文房具を取り扱ってる店へ到着し、春道と和葉の夫妻も挙動不審気味に店内へ入る。子供に人気がありそうなファンシーなグッズなども売っているが、それらには見向きもせずにノートが用意されてる売り場へ向かっていた。
「……あれー。そう言えば、葉月の使ってるノートってどういうのだっけー?」
 春道の目の前にある背中が、その発言を聞いた瞬間にガタッと崩れ落ちた。すぐに体勢を戻したが、脱力しきったみたいによろよろしている。
「そ、そんな初歩的なミスをするなんて……あ、あの子ったら……」
 とても複雑そうな様子で和葉が呟く。本来なら、今日の夕食時に小言のひとつでも与えたいのだろうが、そんな真似をすれば隠れて尾行していたのが葉月にバレてしまう。叱りたくても叱れないジレンマで、表情まで微妙な感じになっていた。
 なんとかフォローをしてやるべきか春道が思案していると、母親をさらに複雑にさせる台詞が葉月の口から飛び出した。
「ママが昨日いっぱい言うから、忘れちゃったよ、もー」
 頬をふくらませて、ぷんぷんしてるところがなんとも愛らしい。……なんて感想を抱いてる余裕は、和葉にはないに違いなかった。よもやここで、自分のせいにされるとは想像もしてなかったはずである。
「……わ、私のせい……なんでしょうか?」
 くるりと振り返った愛妻が、悲しげに尋ねてきた。基本的には娘の言葉にも一理あると思っていたが、こういう顔を見せられれば、とてもそのとおりだと頷けない。葉月のフォローをするつもりが、いつの間にやら和葉を慰めるはめになってしまった。
「これでいいやー」
 ちっとも深刻そうな様子を見せず、わりとあっさり葉月は買うべきノートへ目星をつけた。ノートを片手にレジへ向かい、店員へ「これください」と元気に声をかける。
 母親とよく一緒に買い物へ行ってるので、レジで商品の代金を支払うという仕組みはよく理解してるみたいだった。順調に支払いを済ませ、ノートを入れたレジ袋を片手に見せの出入口へ向かって歩き出す。一応はこれで買い物終了となる。
 レジを打ってくれた店員に「ありがとうございましたー」と丁寧にお礼を言ってから、葉月が店を後にする。そして若干意気消沈中の愛妻を連れて、春道も出入口から外へ出た。
「あとは自宅へ戻るだけですね」
 ようやく安心した様子で、高木和葉がそう呟いた。表情にも余裕が生まれており、春道も安堵する。だがここで、思いもよらない問題が発生した。
「お買い物♪ お買い物♪」
 やはりどこかで聞いたことのあるフレーズを口ずさみながら、愛娘が帰宅ルートとは別の方へ歩いていってしまったのだ。妻の和葉ともども、慌てて春道も葉月の後を追う。そこにあったのは、見慣れたスーパーだった。
 春道だけでなく、妻の高木和葉も買い物の際はよくここを利用する。ちなみに、銭湯で衝撃の初対面を果たしたあと、二度目の対面を迎えたのがこのスーパーである。
「ま、まさか……貰ったお金でノート以外のものを購入し、私へ虚偽の報告をするつもりなのでしょうか」
 この店にノートを始めとした文房具品は売ってないため、それしか考えられなかった。今度ばかりは反論もなく、春道も愛妻の意見に同意する。
「何か食べたくなったんだろ。ま、いいじゃないか」
「よくありません!」
 あくまで葉月の味方をしようとする春道に、和葉がピシャリと言い放った。その目は真剣そのもので、本気で怒ってるみたいだった。
「お菓子を買うのは構いませんが、うそはよくありません。欲しいのであれば、正直に話して事前に許可を貰うなりしなければなりません。子供だからこそ、今のうちにしっかり教えておかなければならないのです」
 さすがは母親だなと感心する。確かにそのとおりだった。この問題に関しては、春道の方の認識が甘かった。素直に謝罪はしたが、それでもすぐに出ていきたがる愛妻の肩を掴み、現場への乱入を抑える。
「まだ報告を誤魔化すと決まったわけじゃない。単純に自分の小遣いで買ったのであれば、まったく問題はないはずだ」
 どうして邪魔をするのかと尋ねてきた和葉に、春道はそう答えた。これには妻もハッとして「そのとおりですね」と応じ、葉月の帰宅まで問題を後回しすることに決定した。
 こうしたやりとりをしてる間に、葉月は商品を持ってレジへ行き、にこにこ顔のまま支払いを済ませた。レジ袋を店員から受け取ると、先ほど同様に「ありがとうございます」とお礼を口にする。
「これでようやく帰るみたいだな」
 スーパーから出た葉月は、本来のルートへ戻り真っ直ぐに自宅を目指し始める。あとは帰宅の際に何もないことを祈りながら、春道と和葉は全力ダッシュで回り道をして、愛娘より先に家へ到着しなければならなかった。
「なんとか……間に合ったみたいですね」
「あ、ああ……そのようだ」
 それほど長い距離を走ったわけではないのに、息切れしまくりの現状が年齢を感じさせる。とはいえ、まだなんとか二十代なので、明らかに運動不足が原因だった。まめに運動することを決意してから、和葉と一緒に玄関からリビングへ移動する。
 そして待つこと数分。買い物を終えた愛娘が帰宅してきた。リビングへ来る前に洗面所へ寄って、きちんと手洗い、うがいをする。このへんは教育ママである、和葉の日頃の指導の賜物だった。
「ただいまー」
 リビングへやってきた愛娘を、夫婦揃って「お帰り」と出迎える。葉月は早速、和葉の側までとことこ歩いていく。ノートを買ったおつりを母親へ返そうとしてるのだ。スーパーの件がどうなったか気になり、春道も横目でチラチラ様子を窺う。
「うん。丁度ね、ありがとう」
 妻の明るい声を聞けば、いちいち結果を確認するまでもなかった。どうやらスーパーでは、自分のお小遣いを使って、食べたいものを購入したみたいだった。
「パパー」
 母親とのやりとりを終えた葉月が、今度は春道の側へ駆け寄ってきた。いつも以上の笑顔を浮かべ、手にしていたレジ袋を誇らしげに掲げてみせる。
「どうしたんだ、それは」
 スーパーで購入したのは知っていたが、そんなことを話そうものなら、隠れて見ていたのを暴露するようなものだ。知らないふりをして、わざとらしく尋ねてみる。
「これはねー。葉月からパパへのプレゼントなのー」
 そう言って、葉月がレジ袋の中から取り出したのはプリンだった。おつりを自分の財布へしまった和葉が横へ来て「あら、ママのはないの?」と娘へ問いかける。
「もちろん、あるよー。皆で食べようと思ってね、葉月のお小遣いで買ってきたのー」
 和葉と一緒にお礼を言ったあとで、春道はふとプリンにもう一度視線を向ける。普通に市販されてるものなのだが、どうも見覚えがあるような気がして仕方ないのだ。ひとり考えこんでると、母娘は食卓について早速プリンを食べようとしていた。
「あっ!」
 娘から「パパも早くー」と呼ばれた瞬間に、春道は己の中で芽生えた疑問に対する答えを見つけ出した。
「なるほどな。これはお返しってわけか」
「うんーっ!」
 それはそれは元気な声で、大きくそして嬉しそうに葉月が頷いた。これに不満気味なのが、ひとり取り残された形になった和葉である。一体何事かと、交互に春道と愛娘の顔を見る。
「ママはわからないみたいだな。どうしてこんなものを買ってもらったのって、自分で葉月を怒った原因なのにな」
 この発言を聞き、ようやく妻もこのプリンが何なのか気づいたみたいだった。これは春道が、初めて葉月に買ってあげたものだった。当時はまだお互いに心を許してなかったため、ひと騒動になってしまったのである。
「ねー、あの時のママってば、もの凄い顔だったんだよー。パパにも見せてあげたかったなー」
「ハハハ。俺はいいよ。……毎日見てるからな」
「ち、違うのよ、葉月。あ、あれは貴方のためを――って、春道さん! 今、何か言いませんでしたか!?」
「気のせいだろ。それより早く食べようぜ。せっかく葉月が、俺たちのために買ってきてくれたんだからな」
 春道の提案に、葉月が賛成とばかりに両手を上げる。二対一になったところで、仕方ないわねと和葉もため息まじりに了承する。
「そうね。いただきましょうか」
「わーい。葉月ね、プリン大好きなのー。でもね、でもね。パパとママはもっと好きー」
 スプーン片手にプリンをパクつきながらの台詞に、春道はたまらず赤面してしまう。照れ隠しにプリンを一気食いしつつ、きっとこの甘さは一生忘れないなと思うのだった。


面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。

 


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