その後の愛すべき不思議な家族

   16

「クリスマス♪ クリスマス♪」
 これまたどこかで聞いたことのあるメロディを口ずさみながら、ひとりの少女が自宅のリビングで楽しげに身体を揺らしている。
 踊っていると形容するほどダイナミックでもなく、単純にリズムをとってるような感じだった。
 ひと仕事終えたばかりの高木春道がリビングで見たのは、ウキウキしながらツリーの飾りつけをしている娘――高木葉月の姿だった。
 リビングのドアを開けた音で、春道の乱入に気づいた葉月は、すぐに大きめの黒目を輝かせた。
 その眩しさたるや、ツリーの頂点で光ってる金色の星に勝らずとも劣らない。こちらを見てすぐに、愛娘は口を開いた。
「パパも、一緒にクリスマスしよう」
 弾んでる声だけで、相手がどれだけ喜んでるかわかる。
 自分の背丈くらいの小さなクリスマスツリーをバックに、両手で持った飾りつけ用のアイテムをぶんぶん振り回す。本人は嬉しさ表現のつもりなのだろうが、そそっかしい一面があるだけに、呑気に微笑んでる場合ではなかった。
「クリスマスか……そういや、今日は24日だったな」
 リビングにあるカレンダーを見つつ、確認ついでに呟いた。
 仕事終わりなだけに、ボサボサの頭を掻きながら前方にデンと居座っているクリスマスツリーを見た。
 大きさはさほどでもないが、なかなかに立派なものである。
 一体いつの間にこんなのを用意したのだろう。それとも、前々から持っていたのか。浮かんだ疑問を、直接当人へぶつけてみる。
「家族皆で、クリスマスをしたいって言ったら、ママが買ってくれたのー。パパにも、この間お夕飯の時に教えたよー」
「そ、そうだったな。つい、うっかりしてた」
 愛想笑いを浮かべてその場を取り繕うが、心の中では「まったく覚えてねえ」と冷や汗だらだらだった。
 今年最後の仕事で、年末の追い込みに入っていたため、ここ最近の記憶が極端なぐらい曖昧になっている。
 心ここにあらずといった感じで、自分がいつ夕食をとったのかさえ、覚えてない有様である。
 このことを正直に、妻の高木和葉へ告白しようものなら、烈火のごとき文句にプラスして鉄拳制裁が行われるのは確定的だった。
 それにしても、これだけ立派なツリーをポンと買い与えるのだから、さすがは和葉だと感心する。
 娘に甘いといえばそれまでだが、結婚前の春道との誓約を今でも律儀に果たしたりしている。
 そういう点をとってみても、極端に真面目な性格をしてるのだ。それが悪いとか良いとかではなく、和葉個人の特長というべきだった。
「じゃあ、はい。パパもー」
 相変わらずのキラキラお目目で、手にしていた飾りつけ用のパーツを春道へ手渡そうとする。
 とても拒否できない空気が現場に発生し、何も言えないまま春道はアイテムを受け取る。
 年内の仕事はすべて終了したので、言わば今日が春道の仕事納めとなる。
 細々とした書類整理が残っているものの、さしたる量ではなかった。
 たまには、こんなのもいいか。修羅場が終わったこともあり、気持ちに余裕も生まれている。
 仕事に没頭するあまり、娘にとってはせっかくの冬休みだというのに放置プレーが続いていた。
 もしかしたら、妻もその点を危惧して、わざわざ本格的なクリスマスツリーを買い与えたのかもしれない。和葉も一部上場企業の地方店ながら、課長という役職を任されてるだけに、愛娘とゆっくり遊んでる暇はないはずである。
 ゆえに、葉月はクリスマスイブの今日も、こうしてお昼からひとりでツリーの飾りつけをしているに違いなかった。
「けど……普通、ツリーって、クリスマスになる前に準備しておくものじゃないのか」
 浮かんできた疑問を、なんとなしに口からこぼしてしまったのを次の瞬間に後悔する。
 あれだけ楽しそうだった愛娘が、いきなり両目を潤ませていた。
 一体何がどうなってるんだとパニクりつつ、原因を探るべく頭脳回路をフル稼働させる。
「そ、それはね……あの……昨日、お友達とクリスマスパーティーをしてきたから、準備してる時間がなかったの」
 困った様子を見せながらくれた回答で、春道はようやく相手の真意を理解する。
 本格的なツリーを購入してもらったのが初めてだっただけに、恐らくは皆で一緒に飾りつけをしたかったのだ。なのに春道が心ない発言をしたものだから、悲しさのあまり思わず泣きそうになってしまった。
 本音を見抜けば見抜くほどに、己の迂闊さと無神経さが恨めしくなる。
 うまくフォローするどころか、逆に愛娘へ気を遣わせてしまっている。これでは、どちらが親かわからなかった。
「そ、そうか……それなら今日は、家族全員でクリスマスだな」
「……うんっ!」
 時間を戻れない限り、一度失敗したものを帳消しにするのは不可能だ。けれどこうして、挽回することはできる。
 葉月に笑顔が戻ったのを見て、春道は心から安堵した。
「違うよ、パパ。そこにはね、このお星さんを付けるんだよー」
「そうなのか。こういう飾りつけは初めてだからな……さっぱりわからん」
「パパにも苦手なものってあるんだねー」
 何故か、感心したように葉月が呟く。ひょっとして、春道をスーパーマンか何かと勘違いしてたのだろうか。親として頼られるのは嬉しいが、あまりに勘違いな幻想を持たれると処置に困る。
 家族の前なのだから、別段恰好をつける必要もない。素直な感情を、普通に表へ出して娘と会話する。
「そりゃ、そうだ。こういうのは、初めてだからな」
 クリスマスパーティーらしきものを、両親に行ってもらった経験はあるが、こうしてツリーまで準備するのは初めてだった。
 仕事にしているプログラム関連なら得意なのだが、生憎とクリスマスツリーの飾りつけはジャンルが違う。完璧にこなせる自信など、微塵もなかった。
 普段とは真逆で、娘に教わりながらクリスマスツリー完成へ向けて、着々と共同で作業をする。
 その間にも、楽しそうな様子で葉月は春道へ話しかけてくる。
 そういえば、こうしてきちんと会話をするのも久しぶりだ。仕事が忙しかったせいもあり、ずいぶん寂しい思いをさせた。
 償いをするかのように、春道も律儀に愛娘の言葉に応じる。
「それでね。昨日の友達とのパーティーでね。皆でクリスマスプレゼントを交換したんだよー」
「ほー……で、葉月は何が貰えたんだ」
 心の中で春道が「しまったあぁぁぁ」と大絶叫したのは、直後のことだった。
 丁寧に愛娘は自分が送ったプレゼントや、貰ったプレゼントについて説明してくれたが、ろくに聞こえていなかった。

 仕事が急がしくて、娘の相手もろくにできていない。そんな春道に、葉月へのプレゼントを用意してる余裕が存在するはずもなかったのである。
 子供と一緒に過ごすクリスマスが初めてなので、すっかり失念していた。
 とはいえ、それは大人の言い訳にすぎず、プレゼントを心待ちにしてるであろう愛娘には通じない。まさしく大ピンチだった。
 そういや、葉月は何が好きだったっけな。ケーキとかを作れる調理セットを贈るのもいいかもしれない。いや、そんなのを渡せば、和葉が本気で怒る。
 頭の中で様々な考えがグルグル回り、とても短時間でまとまるような気配はなかった。
 急いで玩具屋にでも駆け込むべきなのだが、一緒にツリーの飾りつけを楽しんでる娘を放置して出かけるのも哀れすぎる。
 自分の迂闊さを呪ったところで、春道の時間が巻き戻ったりはしない。仮に可能だったとしても、修羅場をもう一度繰り返すのはごめんこうむりたかった。
 どこぞのCMみたいに、どうするという心の声に呼応して、選択できるカードが出現してくれないかと本気で願う。もっとも、現れたカードが一枚だけだったら、余計に苦境へ陥る可能性もある。
「パパー。具合でも悪いの? お顔が青いよー」
「ハ、ハハ……青いなら元気な証拠だろ。空も信号も、青い方がいいじゃないか」
 時折妙に洞察力が鋭くなる愛娘に内心の動揺を見破られ、我ながらとんでもない返答をした。
 それでも気を遣ったのか、本当に納得したのかは不明だが、心優しい娘は「そっかー。そうだよねっ」と快くこちらの言葉を受け入れてくれた。
 最初の窮地を回避できたまではよかったが、これですべてが解決したとは言い難い。この状況を打破するためには、第三者の協力が必要だった。
 つまりは、妻である高木和葉の帰還である。クリスマスなどのイベントが目白押しの年末商戦開催中なだけに、大型小売店は目が回るぐらいの忙しさになっている。
 しかも田舎町なだけに、そうした便利なお店は妻が勤めている一店ぐらいしか近所にはない。課長という肩書きを持っている以上、他の社員の先頭に立つ必要がある。
 そう簡単に休みなどとれるはずもなく、今もなお店内で忙しく働いてるはずだった。
 助け舟も期待できず、時刻は着々と夜へ近づいている。しかし、身動きのとれない春道にも、ここでチャンスが訪れる。
 なんとかツリーが完成したことにより、現場のリビングから離脱できる状況が整ったのだ。ここしかないとばかりに、春道は用事がある旨を告げて、葉月へのプレゼントを買いに行こうと考える。
 けれどその計画も、儚く砕け散る。デストロイヤーとなったのは、やはり娘の葉月だった。
「葉月ね、ママへのプレゼントにケーキを作るのー」
 春道は天を呪った。どうして自分に、ここまでの試練を与えるのだ。クリスマスを忘れていたからとって、あんまりではないか。いくら懺悔したところで、時間軸の変更など期待するだけ無駄である。
「心配しなくても大丈夫だよー。お友達の好美ちゃんから、ちゃんと作り方を教わってきたのー」
 好美ちゃんという名前には、春道も聞き覚えがあった。記憶が確かならば、学校で葉月と仲良くしてくれている同級生だった。
 しっかりした子であり、林間学校の際には、葉月から包丁を取り上げるという英断をした人物でもある。
「ほらー。ノートにも書いてるんだよ」
 何のために置かれていたのかわからなかったダイニングテーブルの上のノートが、待ちに待った役目を披露する。
 確かに鉛筆でビッシリとレシピが書かれており、料理ができない春道の目から見ても間違ってるとは感じなかった。
 だからといって、頑張れよと応援する気にはなれない。何せ春道の娘は、こと料理に関しては歴戦の勇者なのである。
「お、落ち着け、葉月。作り方がわかっても、作り方を間違えると、とんでもないことになるんだぞ」
「……? パパ、何言ってるか、よくわかんないよー」
 駄目だ。傷つけないよう遠まわしに言ったところで、葉月には通じない。心を鬼にしてでも、現実を教えるしかなかった。
 それも親の役目だと認識し、開いた春道の口から飛び出たのは驚愕の台詞だった。
 何をとち狂ったのか、いきなり皿を直接火にかけようとしていた。しかも、本人は鼻歌まじりである。
「最初にお皿を温めるのが、ポイントなんだよー。これは、葉月オリジナルなのー」
「や、止めろっ! た、頼むから、葉月オリジナルは止めてくれえぇぇぇ」
 ぶーたれる愛娘をなんとかなだめたあと、仕方なしに春道は葉月と一緒になってケーキ作りをするのだった。

「ただいまー」
 玄関でドアの鍵が開く音がした直後、聞き慣れた声がリビングまで届いてきた。
 だが当の春道に、いつもどおりの対応をする気力も体力もなかった。
「あ、ママだー。おかえりなさいー」
「はい、ただいま……って、どうしたのですか……この有様は……」
 リビングに入ってきた妻の高木和葉が、キッチンに積みあがった無残に変わり果てた食材や、そのすぐ下でグッタリしている春道を見つける。
「……クッキングだ……」
「そ、そうですか……私には、まるで何かの戦争後みたいに見えますが……」
 使った皿や容器も台所でひとまとめになっており、生クリームなどの残骸も床などに飛び散っている。
 惨劇を演出した張本人だけは、脱力しきっている春道を尻目に、鼻の頭にクリームを乗せて元気にはしゃいでいる。
「葉月ねー、ママにプレゼントがあるのー」
 事前にお小遣いで買っていたという箱を、葉月が母親へ手渡す。中には、先ほど完成したばかりのケーキが入っている。
 味はまったく保障できないが、それなりの形にはなっていた。あとは和葉が、どんな反応を示すかである。
「まあ、ありがとう。とても嬉しいわ」
 箱を開けて中身を確認するなり、破顔した和葉が愛娘の頭を撫でた。
 それだけでリビングがほんわかとした空気になり、春道も苦労が報われたと安堵する。
「パパと一緒に作ったんだよー」
 相変わらずにこにこしたままの娘へ、今度は和葉が持っていたバッグの中から小さな箱を取り出した。
「ママも葉月にプレゼントがあるの。はい」
 和葉のプレゼントは、可愛らしいキャラクターの腕時計だった。
 腕時計自体を持っていなかっただけに、葉月はおおいに喜んでいる。
 心から幸せそうな母娘の姿を眺めながら、春道はひとり冷や汗で顔面を濡らしていた。
 どうやって言い訳しようか考えていると、唐突に葉月がこちらを向いた。
「ママもパパも、プレゼントどうもありがとう」
「……は?」
 娘からのお礼に「どういたしまして」と応じている和葉とは対照的に、春道は呆気にとられていた。
 プレゼントなど何ひとつ渡しておらず、感謝される理由が見当たらなかった。
「い、いや……だって、俺はプレゼントなんて……」
 ここまできたら、素直に謝ってしまうと考えた矢先、ぶんぶんと愛娘が首を左右に振った。
「もう、貰ったよ。今日一日、葉月とツリーの飾りつけをしてくれたり、ケーキを作ってくれたもん。充分だよ」
「……そう。よかったわね」
 春道ではなく妻の和葉が、優しく微笑んで葉月の頬に手を触れた。
 本来なら春道自身が何か言ってやるべきなのだが、妻が気を利かせてくれたのである。
 あまりに温かすぎる言葉を受けて、下手に口を開いたら情けない声を出してしまいそうだった。
「さあ、それじゃ……少し片づけてから、皆でパーティーをしましょう。今日はご馳走を買ってきたの」
「わあーい。パパもほら、こっちこっち」
 愛する娘に手招きされ、照れ臭くなりながらも側へ歩いていく。両親以外と祝う初めてのクリスマスは、春道にとっても忘れられない想い出の1ページとなった。


面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。

 


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