その後の愛すべき不思議な家族2

   22

 楽しかった夏休みも終わり、季節が移動するのに合わせて日差しも柔らかくなってくる。不思議なもので、過ぎ去ると肌を焼くほどのギラついた太陽でさえ懐かしくなる。2学期に突入した小学校。所属する教室で葉月は、朝の会が始まるまで親友の今井好美らとの会話を楽しむ。特に元気なのが佐々木実希子だ。理由は今日が、普通の授業の日とは違うからだった。
 今日は葉月たちの学年で遠足が行われる。学校が用意してくれたバスで、地元では結構有名な山へ向かう。キャンプする場所もあったりするので、遠足ではよく利用される。皆で登山を楽しんだあと、昼食を作って食べるというのが大体の流れだった。
 例のごとく、葉月は今井好美らと同じ班になった。昼食の材料は学校側が用意してくれるので、前日は皆でお菓子を買いに行った。いつものスーパーであれこれ話しながら買い物をしてるうちに、どんどんウキウキした気分になった。朝起きた時からワクワクが止まらず、自然と笑顔が作られる。何故か今井好美だけは悩むような表情をしているが、他の皆も楽しそうだった。
 そうこうしてるうちに、教室へ担任の戸高祐子がやってきた。だいぶお腹も大きくなっていて、今回の遠足が一緒にできる最後の行事になる。
「皆、準備はいいわね。それでは校門前まで移動します。お喋りをしないでね」
 教室にいる皆が「はーい」と声を揃えた。遠足を楽しみにしてる面々ばかりなので、本当に話を聞いてるかどうかは定かじゃなかった。担任の女教師もそれがわかっているらしく、苦笑をしながら改めて生徒たちに移動を指示した。
「いやー、楽しみだな。登山だよ、登山」佐々木実希子が葉月に話しかけてくる。
「そうだねー。葉月も昨日からワクワクしてたよー」
 お喋りをするなと言われたものの、廊下を移動してる途中でどうしても声が出てしまう。周りを見渡せば、どの生徒も似たような感じだった。家の不動産業が持ち直し、安定してきたという室戸柚も笑顔で会話に応じてくれる。
「昨日もスーパーで、楽しそうにお菓子を選んでたものね」
 学校側からおやつの金額として、定められた上限は500円だった。前日にこの話を父親の高木春道にしたら、自分の時代は300円だったのにと驚愕していた。ともかく、設定金額が決まっているからこそ、何を買うのかを慎重に見極める必要があった。
 選ばれたお菓子には、それぞれの性格が反映されてるように思えた。葉月は皆で楽しく食べられそうなのを数多く選んだ。それに対して佐々木実希子は、とにかく量が多そうなのを購入した。室戸柚は少し上品そうなチョコレート菓子を好み、今井好美は柚胡椒味や梅味などのおやつを主に選択した。そのお菓子たちは、それぞれが背負ってるリュックの中だ。
 登山には1,2時間かかる予定のため、途中の休憩時間で食べるのを許可される。今から楽しみで仕方がなかった。
 校門前へ到着すると、クラスごとに使用するバスが待っていた。といっても葉月たちの学校では学級数が少ないので、とんでもない台数になったりはしない。戸高祐子に指示されたバスへ乗り込み、決まった班ごとに好きな席を選ぶ。葉月たちは後ろの方の座席に決めた。
 午前8時。皆を乗せたバスが学校を出発する。いよいよ遠足が始まる。毎年の行事ではあるけれど、ワクワクするのに変わりはなかった。走行中のバスの車内では、各班ごとの出し物――主にクイズ大会などが開催されて盛り上がった。楽しんでるうちに目的地となる山の麓へ到着し、駐車場でバスが停車した。

 バスから降りた葉月は、前方にそびえる大きな山を見上げて「ふわ〜」と驚きの声を上げた。田舎地方なので大小を合わせると、遠足用に使える山は数多くある。その分だけ、名前は知っていても実際に訪れた経験はないという山がでてくる。
 とはいえ地元なだけに、両親と一緒に来たという生徒も存在する。そういう人たちは得意げに、周囲の仲間へ「俺は来たことあるぜ」と自慢をしていた。
「はい、皆。これから山に登るわよ。途中で休憩が入るとはいっても、しばらく歩くんだから、張り切りすぎないようにね」戸高祐子がクラスの皆を集めて言った。
「先生は妊婦なのに、山登りをして大丈夫なんですか?」
 今井好美が質問したとおり、戸高祐子のお腹はかなり大きい。葉月も心配になっていたが、当の本人は大丈夫よと笑う。
「お医者様の許可はとってあるし、小学校低学年の皆が遠足に使うコースだからね。何より、妊婦であっても運動は大事なのよ」
 山へ来たからといって、頂上まで競争をするわけじゃない。今回の行事はあくまで遠足。ゆっくり歩いて、昼食を作れる場所まで移動するだけだ。登頂するわけでもないし、医者や他の教師も参加を認めたのであれば、大丈夫なのだろう。
「心配してくれてありがとうね。でも、先生……どうしても参加したかったの。これが皆と一緒に遊べる最後の機会ですもの」
 あちこちから「えーっ」と拒絶反応を示すような声が発せられた。頼りない面もあるかもしれないが、今では葉月を含めたクラスの全員が戸高祐子を好きになっていた。それだけに別れは寂しいが、赤ちゃんを産むためと言われれば、誰にも反対はできない。
「さあ、行きましょう。他のクラスに遅れてしまうわよ」
 気がつけば、出発地点に残ってるのは葉月たちだけだった。戸高祐子に促されて、ぞろぞろと山道を歩く。教師たちが選んだコースには、確かに急な登りはなかった。その代わりに、緩やかな坂道が続く。だからといって辛いわけでもないので、歩きながらお喋りを楽しむのも可能だった。
「いやあ……妊娠って大変そうだよな」
 4人で形成された葉月たちの班で、1番の元気印こと佐々木実希子が、妊婦の戸高祐子を横目で見ながら言ってきた。同じ女性なだけに、妊娠が他人事に思えないのかもしれない。
「でも、私たちだって、将来は素敵な旦那様と結婚して、祐子先生みたいに赤ちゃんを産むことになるのよ」応じたのは室戸柚だ。
「先のことすぎて、よくわかんないよな。考えたこともないし。好美はどう思う?」
「私に聞かないでよ。そもそも妊娠の前に、結婚するかどうかだってわからないんだから」今井好美はどことなく不機嫌だ。
 肩をすくめた佐々木実希子は、触らぬ神に祟りなしとばかりに、話題を終了させた。一応は葉月も少しだけ聞かれたが、よくわからないとしか答えられなかった。
 葉月たちが歩いてるのは山道というより、ハイキングコースみたいな感じだった。小学生でも無理なく登れるので、とても楽しい。
「もう、だいぶ歩いたよね。ちょっと疲れちゃったかも」
 葉月がそう言うと、少し前を歩いていた佐々木実希子が振り返る。「だらしないな」
「アタシなんか、まだまだ全然余裕だぜ。ひとりだけで頂上まで行ってこようかなってくらいだ」
「さすがだわ。よくなんとかと煙は高いところが好きというものね」
 今井好美の言葉に、何故か佐々木実希子は照れるような様子を見せた。
「そんなに褒めるなって。なんとかじゃなくて、もっとはっきり言っていいんだぞ」
「……なんだか凄く申し訳ない気持ちになってきたから、やめておくわ」先ほどまでの笑顔と違って、切なそうに好美が言った。
「え、何でだよ? 煙と同じくらい高く飛べるんだから、なんとかってのは凄い奴ってことなんだろ」
 何も知らなければ葉月も「わー、凄いね」と拍手をしていたかもしれないが、生憎と今井好美が発した言葉の意味は知っていた。
「あのね、実希子ちゃん。好美ちゃんのは昔からある言葉でね。ええと、その……」
「はっきり言っても大丈夫だと思うわよ。だって実希子ちゃんだもの」
 葉月と室戸柚のやりとりを聞いて、さすがの佐々木実希子も自分の解釈が間違ってると理解したみたいだった。
「なんだか……嫌な予感がしてきたぞ」
「あ、あはは。実はその……おバカな人と煙は高いところが好きって言葉が、あの……」
「あっはっは。そういうことだったのか。葉月は物知りだなぁ。教えてくれてありがとうな」
 そこまで言ってから、佐々木実希子の目が鋭くなる。
「で、好美はどこ行った」
「……ひとりでずいぶんと先を歩いてるみたいね」
 室戸柚が、いつの間にか単独で先行していた今井好美の背中を指差した。
「逃がすかっ」
 叫ぶように発して、佐々木実希子が全力で走り出す。その様子を眺めていた室戸柚が「皆、元気ね」と言ったあとで、クスっとした。

 途中で休憩をとりながらだったため、目的のキャンプ場へ着いたのは午前11時過ぎだった。到着すると早速、学校側が用意してくれた料理の材料を受け取る。メニューはお決まりのカレーだった。
「お、おい……まさか、高木に作らせるんじゃないよな」
 男子のひとりが、包丁を握ってる葉月を見て、冷や汗交じりに話しかけてきた。特訓の成果を知ってる好美ちゃんたちとは違い、他のクラスメートは葉月の料理の腕が以前のままだと思ってるのだ。
「大丈夫だよー」
 言いながら葉月は、洗ったばかりの素材を丁寧に切っていく。それだけで周囲から「おおー」という歓声が上がった。
「見ろよ。あの高木が普通に料理をしてるぞ」
「し、信じられねえ……」
 女子は素直に賞賛してくれるが、男子はからかうような大げさなリアクションばかりをしてくる。
「いつまでも見てないで、お前らもカレーを作れよ。俺らだけ、昼飯がなくなっちまうぞ」
 仲町和也が、葉月の料理風景を見物していた男子たちを迎えに来た。
「あ、仲町君じゃない。上手く作れないようなら、手伝ってあげるわよ」そう言って室戸柚は、何故か葉月の背中を押してきた。
「そ、そうしてもらえると、助かるけど……」
「決まりね。それじゃ、葉月ちゃん、よろしくね。仲町君の班に、助っ人に行ってあげて」
 室戸柚に言われたのと、仲町和也が困ってるという理由もあって、葉月は「うん、わかったー」と応じた。母親の和葉に特訓してもらったおかげで、カレーや肉じゃがを作るのには自信があった。
 今井好美が不安そうにしてるのは気になったが、とにかく葉月は仲町和也の班に加わってカレーを作った。
「じゃあ、和也君はジャガイモとかを洗ってー」
「わ、わかったよ。その……は、葉月、ちゃん……」
 どうして仲町和也は葉月の名前を呼んだくらいで、顔を真っ赤にしてるのだろう。不思議に思って小首を傾げながらも、洗ってもらった材料を切る。高木和葉から教えてもらった手順どおりに調理していくと、すぐに美味しそうな匂いがするようになった。
「美味そうなカレーの匂いだぜ。男だけの班で、まともなカレーが食えるとは思わなかったよな」
 仲町和也と同じ班の、ひとりの男子生徒が嬉しそうに笑う。とても喜んでくれてるようなので、無意識に葉月も笑みを浮かべた。
 唐突にその男子が「他の料理も作れるのか?」と聞いてきた。
「他の料理ってー?」
「例えば……よく言うじゃん、創作料理とかってさ。自分で考えるオリジナルみたいなの」
「そういうのがあるんだー。じゃあ、なんか適当に作ってみるね」
 母親からしつこく注意されたのもあって、どーんとはやらなくなった。料理に使う素材は普通に切れるものの、味つけの仕方はよくわからない。レシピがあればなんとかなるけど、そんなものはなかった。仕方ないので、美味しくなりそうな調味料を片っ端から入れてみる。
「お、おい……」仲町和也が、心配そうに背後から声をかけてくる。
「多分、大丈夫だよー」
 残った材料を適当に煮込んでみたけれど、あらゆる調味料が喧嘩し合って、これまでに嗅いだ経験のない臭いを立ち昇らせる。
「……お前のせいだぞ」
「……すまん」
 仲町和也と、先ほどの男子が何やら会話をしているけれど気にしない。
 完成した料理を食べる際に、仲町和也の班からは「美味い」のあとに「酷い」という感想も聞こえてきた。自分の班に戻っていた葉月はそれも気にせずに、室戸柚らが作った美味しいカレーライスを頬張る。すでに事情を知っている今井好美が、仲町和也たちの方を見ながら、小声で「憐れね」と呟いたのが印象的だった。

 続く

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