その後の愛すべき不思議な家族2

   23

 葉月が遠足だと言って、朝からウキウキしながら登校していった日の昼。少しだけ遅めになった昼食を取りに、春道は自宅1階のリビングへやってきた。すでに準備は終えているらしく、妻の和葉はソファに座ってテレビを見ていた。春道の姿に気づくとすぐ立ち上がり「お昼の準備をしますね」と言ってくれた。普段と変わりない仕草なだけに、違和感を覚える。
「今日は、心配をしていないんだな」
 ダイニングテーブルに座りながら、和葉の背中に声をかける。振り返った妻は「心配……ですか」と意外そうな顔をした。
「葉月の料理の腕前は、春道さんが思ってる以上に上達しています。もう以前みたいな失態を演じたりはしないでしょう」
 得意そうに教えてくれる。どうやら、春道が見てないところでも特訓をしていたらしい。これまでは調理実習などの話を聞くたびにそわそわして、昼頃からは祈るようにテーブルへ肘をついて座っていたものだ。そんな和葉を見るたびに、春道も不安を抱えた。けれど、今日に限っては大丈夫そうだった。
「なるほどな。さすが和葉だ。当初はどうなることかと思ったけどな。あの、どーんには」笑いながら、近くにあった新聞を手に取る。
「笑いごとではありません。春道さんがあの子に、免許皆伝などとわけのわからないものを与えるから、あそこまで事態が悪化したのです」
「耳が痛いな。今井好美ちゃんにも、暗黒魔導士だのと言われてしまったしな」
 自宅では春道が被害にあったが、学校では今井好美がずいぶんと苦労をしたらしい。直接的な文句は言われなかったが、かなりの敵意を持たれたのは間違いなかった。今では思い出になりつつあるみたいなので、葉月が暴走しなければ、そのうち忘れてもらえるだろう。
「少しは反省をしてください」
 新聞を読んでいる春道を、和葉がジト目で見てくる。苦笑いを浮かべ「悪かったよ」と言ってから、新聞に視線を戻す。地元で発行されてるだけに、全国紙よりは薄いものの、独特な内容の記事が多い。その分だけ色々と知識も得られる。ひとりで暮らしていた時には取っていなかったが、毎日見るようになると、新聞もなかなかいいものだと思うようになった。
「さあ、できましたよ」
 春道の昼食は、昨晩の残りに和葉が少しアレンジを加えてくれたものだ。どこぞの金持ちではあるまいし、毎食違うおかずが出てくるわけがない。本来なら残りものでもおかしくないのだが、気を遣って妻はいつも味つけなどを多少変えてくれる。おかげで飽きは一切なく、前日と同じおかずだったとしても美味しく平らげられる。
「うん、美味い。相変わらず、和葉の料理は最高だな」
「もう……褒めても何も出ませんよ。ですが、ありがとうございます」
 昼食時に飲む用の緑茶を湯呑みに入れて、差し出してくれる。ありがたく受け取ったあとで、春道は昼食に集中する。テレビを見ながらゆっくりと食べるのではなく、短時間で一気に食事を終える。昔からそうだったので、別に変には思ってなかった。和葉や葉月と一緒に食事をするようになって、食べるのが早いですねと言われるまでは。
「相変わらず、あっという間に平らげますね」
「まあな。ゆっくり食べてると、その間にお腹が一杯になってしまうだろ」
「……前にも言われましたが、その感覚が私には理解できません」
「きっと、男性特有の感覚なんだろう」
「それも少し違うような気もしますが……」
 和葉が苦笑して首を傾げると同時に、家のチャイムが鳴った。立ち上がった和葉がインターホンで「はい」と応じる。すると、聞き慣れた声が、スピーカーを通して春道の耳にまで届いてきた。

「やあやあ。俺だよ、和葉」
「兄さん? どうしたのですか、急に……」
 来訪者は和葉の実兄で、戸高家当主の戸高泰宏だった。和葉がとても驚いているのは、彼が高木家に来るのはとても珍しいからだ。昼食中の春道を気遣ってか、和葉がどうしましょうかと言いたげにこちらを見てきた。
「せっかく来てくれたんだから、時間があるなら上がってもらえばいいんじゃないか。知らない仲でもないし、俺が昼飯を食べてても、あの人は気にしないだろ」
 頷いてから、和葉は再びインターホンのスピーカーに向かって声を出す。「少し待っていてください」
 リビングを出て行ったのは、玄関で実兄を迎えるためだ。実際に和葉が退室した数秒後には、戸高泰宏がリビングへやってきた。
「春道君は昼食中だったのか。タイミングが悪かったな。出直そうか?」
「終わったも同然ですから、大丈夫ですよ。それより、今日はどうしたんですか?」
 高木家へやってきたのは泰宏ひとりで、妊娠中の奥さん――戸高祐子の姿は見えない。もっとも彼女は葉月の担任として遠足へ参加中らしいので、同行できるわけがなかった。実兄だけならからかわれる心配もないからか、和葉は実家へ帰省した際に比べれば精神的に余裕がありそうだった。
 春道が昼食を終えていたのを確認すると、実兄と話す前に手早く食器を下げてくれる。泰宏へコーヒーなども用意するので、まずは春道に相手をしておいてほしいのだろう。
「ああ、もうすぐ家内――祐子も出産の準備に入るからね。予定日やどこの病院に入院するのかを教えておこうと思ったんだよ」
 色々と言い合う仲とはいえ、戸高祐子は和葉にとって義理の姉になる。知らなければ問題になるかもしれないと考え、わざわざ教えに来てくれたのだ。
「出産するなら慣れた土地がいいと思って、こっちの産婦人科を利用するのもあるけどね」
「……何かあったら、私に様子を見に行けという話ですか」
 淹れたばかりのコーヒーを実兄へ出しながら、和葉が小さくため息をつく。
「基本的には俺がなんとかするつもりだけどな。それに祐子のお母さんも来てくれる。ただ、緊急で何かあって、誰も近くにいなかった場合とかはさ、お願いできないか」
「……さすがにそれは心配のしすぎではありませんか? 入院するからには、近くに看護婦さんもいるでしょう」
「いるにはいるが、世の中には万が一の事態も多いだろ。フォローが多いのに、こしたことはないさ」
「要するに、奥さんが心配でたまらないわけね。あの兄さんが、ひとりの女性にここまで夢中になるなんて驚きだわ」
 春道の隣に腰を下ろした和葉が、どことなくおかしそうに笑った。
「俺をどう思ってたのかは知らないが、こう見えても普通の男だぞ。強いて特徴を上げるなら、嫁さんや妹を大切にするというところだな」
 胸を張って話す戸高泰宏を見て、ふと春道は大切にしようとしてるのは女ばかりだなと気づく。ボーっとしていたせいか、それをうっかり口にしてしまう。瞬間的に戸高泰宏が固まり、和葉は吹き出した。
「春道さんのおかげで兄さんの本性が理解できました。単なる女好きだったのですね。これでは妹といえど、油断はできません」
「こ、怖くなる冗談はやめてくれ。春道君もだ。ちゃんと君も大切にするぞ」
「……両方大丈夫なのか」
 春道の呟きに和葉が「恐ろしいですね」と応じる。普段、戸高祐子にからかわれまくってる分、実兄で憂さを晴らしてるような感じだった。
「か、勘弁してくれよ……あ、そうだ。お土産を持ってきたんだ。ほら、おまんじゅうだ。よかったら食べてくれ。お茶受けにも最適だぞ」
 普段はひょうひょうとしてる戸高泰宏が、今回は面白いほどの動揺を見せる。それだけ妻の出産が心配で、本来の余裕を失ってるのかもしれない。だとしたら、これ以上からかうのもかわいそうだ。ここらでやめておくことにして、あとは普通の雑談を楽しむ。

 戸高泰宏が持ってきてくれたおまんじゅうを食べながら、あれこれ話してるうちに葉月が帰宅した。玄関まで和葉が迎えに行く。
「そういえば今日は遠足だったね。あいつも無理をしてなければいいけど……」
「もうすぐ出産ですもんね。いっそ休んでもよかったような気もしますけど」春道が言う。
「祐子は産休を取るのではなく、出産を機に退職するからね。最後にどうしても遠足に参加して、教え子たちと遊びたかったらしいよ。そう言われると、とても反対できなくてね」
 なんやかんやあったが、戸高祐子も基本的に子供好きなのだ。だからこそ小学校の教師にもなったのだろう。それでも出産後は教員を辞めて、夫の戸高泰宏を支えるというのだから、どれだけ想ってるのかがわかる。数年前の春道なら羨ましいと思ったかもしれないが、今はそんなふうに考えたりもしなかった。泰宏に祐子がいるように、自分には和葉がいてくれるからだ。
 その妻が、愛娘を連れてリビングへ戻ってくる。山に遠足と聞いていたので、さぞかしグッタリしてるかと思いきや、予想外に愛娘は元気だった。
「あー、おじちゃんがいるー。こんにちはー」
「こんにちは。遠足は楽しかったかい?」笑顔で挨拶を返した戸高泰宏が、葉月に聞く。
「うんー。すっごく面白かったよー」
「それはよかったね。ところで妻は……祐子先生は無理してなかったかい?」
「うんー。途中でね、仲町君とかが、先生の荷物を持ってあげたりしてたよー」
 葉月に遠足の様子を教えてもらってるうちに、戸高泰宏の顔に安堵の色が広がる。
「そんなに心配なら、電話でもして、直接聞けばよかったでしょうに」
 帰宅後の手洗いとうがいをしにいく葉月を見送りながら、和葉が呆れたように言った。
「そうなんだけどさ。仕事中にしつこく電話をかけるのも気が引けるだろ」
「……まさか、奥さんの安否を確かめるために、我が家で葉月が帰宅するのを待ってたわけではないですよね?」
「何を言ってるんだ、和葉。お兄ちゃんがそんな男に見えるか?」
「ええ、見えます。とても」
 場に沈黙が舞い降りたところで、葉月がリビングへ戻ってくる。周囲の空気などまったく気にせず、テーブルの上に置かれているおまんじゅうに瞳を輝かせる。
「おまんじゅうだー」
「おじさんが買ってきてくれたのよ。お礼を言ってから、いただきなさい」
 和葉が戸高泰宏の隣に座りながら、葉月に言った。ダイニングテーブルには椅子が4つしかないので、愛娘が春道の隣に座れるように移動したのだ。
「はーい。おじちゃん、ありがとう」
 にこにこ笑顔の葉月はおまんじゅうをひとつ手に取って、空いていた春道の隣の椅子に座る。美味しいと言ってぺろりと食べたあと、手拭きで指を綺麗にする。
「そういえば今日ね、遠足でカレーを作ったんだけどね、葉月、男子の班の助っ人をしたんだよー」
「凄いじゃない。それだけ、葉月の料理の腕が上達したということよ」
「えっへん。でもねー、創作料理は失敗しちゃったー」
 悪気なく笑う葉月を見て、和葉の表情が硬直する。「創作……料理?」
「うんー。作ってって頼まれたのー。でも、作り方がわからなかったから、調味料を全部使ってみたのー。ひとつでも美味しいから、まとめると凄く美味しくなるよねー」
「……そ、それで、その料理を食べた方々は……」和葉の口からは、擦れた声しか出てこない。
「カレーは美味しそうに食べてくれたんだけど、創作料理にスプーンをつけるとしょんぼりしてたよー。和也君は美味しいって全部食べてくれたのに、何でだろうねー?」
 本当に不思議だとばかりに葉月が小首を傾げる。どうやら今日の犠牲者は、仲町和也君だったらしい。
「フ、フフ、フフフ……」
「どうしたの、ママー? なんか、笑い方が変だよー」
「台所に立ちなさい葉月。たった今から創作料理の特訓をします」
「で、でも宿題が……」
「後回しで構いません。幸いにして、味見係が2人もいますから、私が納得するまでやらせます」
 葉月が怖い顔をした和葉に、台所まで引っ張られていく。その様子を見ながら、春道の正面に座っている戸高泰宏が呟いた。
「2人の味見係のうちの1人は、間違いなく俺だよな……」

 続く

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