その後の愛すべき不思議な家族2

   26

 白雪姫だったのか、めでたしだったのかもわからない演劇が終わった数日後。ひと仕事終えた春道が、仕事部屋の遮光カーテンを開けると、外はすでに暗くなっていた。いつの間にか夜になっていたらしい。室内にある時計が示してるのは、午後7時。普通なら夕食を終えていても、おかしくない時間だった。あまりに春道が遅い時は先に食事をとっているが、この時間ではまだ和葉も葉月も待ってくれている可能性がある。急いで仕事部屋を出ると、階段を下りてリビングヘ向かった。
 夏と比べて日が落ちるのも早くなった。もうすぐ冬だな。そんなことを考えながら、リビングのドアを開ける。
「パパ、おめでとー」
 家じゅうへ響き渡るかのような大声がいきなり発生する。目をパチクリさせる春道の頭に、紙吹雪が降り注ぐ。どうやらクラッカーを使用したらしかった。視界の先に立ってるのは、愛娘の葉月だ。しかし彼女が両手に持っているクラッカーはまだ発射されていない。不思議に思って周囲を見渡す。最初に発射されたのは、左前方に笑顔で立っている和葉のだった。
「うーん、ううーん」
 気難しそうな顔で唸りながら、何度も葉月が両手を動かす。クラッカーを使いたがってるみたいだが、どうにも上手くできないでいる。見かねた和葉が助けに入る。
「ほら、こうするのよ」
「できないよー。ママだけずるいー」愛娘がむくれた口調で母親を非難する。
「ず、ずるいと言われても……。何故、クラッカーの紐を引っ張るだけなのに、こんなに苦戦するのですか」
「知らないよー」
 唇を尖らせた葉月と、困惑する和葉の母娘漫才を見せられていると、そのうちにパアンという音がリビングヘ響いた。葉月の持っていたクラッカーがようやく発射されたのだ。和葉のに驚かされてから結構な間が空いた分だけ、春道は冷静さを取り戻せた。
 どうして葉月と和葉がクラッカーを用意していたのか。春道がリビングへ姿を現した途端に鳴らしたのか。考えた末に辿り着いた結論はひとつ。今日は、春道の誕生日だった。仕事が忙しくてすっかり忘れていたが、葉月と和葉は覚えていてくれたらしかった。
 本来なら感動的なワンシーンになるはずだった。いきなりクラッカーが鳴ったのに驚いて、床に尻もちをついた愛娘が目の前で泣きそうになっていなければ。
「ほらほら、葉月。パパをお祝いしないと」
「うん……」
 母親に慰められて、なんとか葉月が立ち上がる。暴発に近い形で鳴ってしまったのが最後で、予備のクラッカーは残ってなさそうだった。少しだけ寂しそうにしていたが、途中で何かに気づいたように笑顔を浮かべる。恐らく、父親の春道へ心配をかけさせないように心掛けたのだろう。
「今日はパパの誕生日だよ。忘れてると思ったから、葉月がママに頼んで……ええと……」
「サプライズよ」悩む葉月に和葉がこっそり耳打ちする。
「そう、それ。サプライズしたんだよー。驚いた?」
「……ああ。色んな意味で驚いたよ」
 笑顔で尋ねられた春道は、そう言うしかなかった。戸惑ってるというより、呆然としてるのに近い感じだ。自分はどうすればいいのかわからないでいると、駆け寄ってきた葉月が服の袖を引っ張った。
「ほらほら。パパは主役なんだから、早く席についてー」
 導かれるまま、ダイニングテーブルに座らされる。何が出てくるのか不安に思っていると、隣の席に和葉が座った。
「どうやら、葉月がひとりでおもてなしをするようです」
 すでに葉月は春道の袖から手を離し、ひとりでキッチンへ行ってしまった。お目付け役の和葉を置いていった時点で、不安が高まる。こうなったら娘を信用するしかないと、春道は覚悟を決める。

「まずはケーキだよー」
 両手で大きなお皿を持ってくる。実に美味しそうなショートケーキのホールが、ダイニングテーブルの真ん中へ置かれる。他に何も乗ってないテーブルの上で、主役としか思えない存在感を放つ。
「これは葉月が作ったのか? 凄いじゃないか」
 素直に感嘆の声が出てくる。それだけ愛娘が運んできたショートケーキは綺麗だった。専門店で販売されてても、おかしくないような出来栄えだ。
「えへへー。まだまだ他にもあるんだよー」嬉しそうに笑いながら、葉月はキッチンへ駆け足で戻っていく。
 夫婦2人だけになったところで、本当に葉月が作ったのか妻に確かめてみる。今までならここで、実はケーキ屋さんに頼んでいたものなのですというオチがついていたはずだった。
「私も多分に手伝いましたけど、葉月が主導で作ったのに変わりはありません。春道さんは果報者ですね」
 生クリームにまみれながら、一生懸命にケーキを作ってくれてる愛娘の姿が簡単に想像できた。あまりに微笑ましいシーンだったので、いつの間にか春道は自然に笑っていた。隣に座っている妻も穏やかに微笑む。
 葉月の手伝いをした和葉なら、この後どうなるのかを知ってるだろうが、あえて春道は聞こうとしなかった。せっかくだから、愛娘の用意したサプライズを堪能させてもらうつもりだった。
「お待たせしましたー。パパの大好きなグラタンでーす」
 どこぞの食堂の看板娘みたいに、元気な声で持ってきた品を紹介してくれる。少し前までは、葉月が料理をするといえば不安しか覚えなかった。それが、母親に手伝ってもらったとはいえ、グラタンまで作れるようになるのだから感動ものだった。
「美味しそうだな。これも葉月の手作りなのか?」
「もちろんだよー。パパに喜んでもらおうと思って、一生懸命作ったのー」
 涙が出そうなくらいジーンとしてるところに、妻の和葉が余計な口を挟んでくる。
「今年の葉月の誕生日に、変なプラモデルやぬいぐるみは嫌だものね」
「……まだ覚えてたのか」
 去年はうっかり葉月の誕生日に出張を入れてしまった。電話で事実を知らされた春道は急いで帰宅したのだが、途中でプレゼントを買えるような店はなかった。ようやく見つけたのは、個人で経営している寂れた玩具店だった。そこでプラモデルやぬいぐるみなどを購入したのだが、あからさまに怪しい商品ばかりだったのだ。ある意味ではプレミアがつきそうだったものの、小さな娘に相応しいプレゼントではなかった。
「ぬいぐるみは変じゃないよー。葉月、今も一緒に寝てるもんー」優しい愛娘が春道のフォローをしてくれる。
 実は誕生日後に、欲しいものを何でも買ってあげるつもりだった。けれど葉月はあの白いぬいぐるみが気に入ったから、他のはいらないと言った。心から嬉しそうにぬいぐるみへ頬擦りする娘を見て、来年こそはと心の中で誓ったのを今もきちんと覚えている。
「ウフフ、そうだったわね。ごめんなさい」
 素直に和葉が謝ったので、葉月もすぐに笑顔で「うんっ」と応じた。その後すぐにキッチンへ戻り、春道のために作ってくれた料理を次々と持ってくる。ほとんどがからあげなどの好きなものばかりだった。普段はもう30歳も近いのだからと、和葉にカロリーコントロールされてるだけに嬉しい限りだった。
「たまには、こういうのもいいですからね」
 春道の気持ちを察したらしい和葉が、そう言って笑った。そうしてる間にも、葉月の手でダイニングテーブルに料理が並べられる。全部の準備が終わったところで、コックとウエイトレスという2役を、ひとりでこなしてくれた葉月も席に着く。春道の正面で笑顔を作り、大きく両手を広げる。
「さあ、召し上がれ」

 遠慮なく、相手の好意に甘える。すでに午後7時を過ぎているのに、葉月も和葉も春道がリビングへ来るのを待っていてくれた。その分だけお腹も空いているはずなのに、本日の主役である春道に最初に食べてもらおうとする。じっくり感動するのも大事だが、今回に限っては早めに食べるべきだろうと判断した。
 手に取ったフォークでグラタンを食べる。中まできちんと火が通っているだけでなく、食欲を誘う香ばしいにおいが鼻腔にまで漂ってくる。マカロニにたっぷりのクリームソースを絡ませ、ゆっくりと口の中へ運ぶ。ほどよい熱さが、味をより引き立てる。たまらず春道は「美味いっ」と口にした。その瞬間、じっとこちらを見ていた葉月がやったーと喜んだ。愛娘の努力を知っている和葉も、一緒になって嬉しそうな顔をする。
「よかったわね、葉月」
「うんっ。パパに喜んでもらえたから、大成功だねっ」
 にこやかな母娘に釣られ、春道も笑顔になる。「せっかくだから、皆で食べよう」
「うんっ。葉月、実はもう、お腹がぺこぺこだったんだー」
 春道の提案にすぐ同意した葉月が、自分の分のグラタンにフォークを伸ばす。
「とっても美味しいねー。えへへ」自分の作ったグラタンの味に、葉月が満面の笑みを浮かべた。
「本当ね。これなら、私より上手かもしれないわ」
「わー。ママに勝っちゃったー」
 葉月の言葉に怒ったりせず、むしろ嬉しそうに「負けちゃったわね」と和葉が応じる。クラッカーの一件を見た直後にはどうなるかと思ったが、実に楽しい誕生日を過ごさせてもらえている。優しい母娘に感謝しながら、出された料理をすべて平らげる。
 食後のデザートにと、今度は皆で葉月手作りのショートケーキを食べる。砂糖と塩を間違ってるなんてベタな展開はなかった。残念がったりなどするはずもなく、心から安心して満足するまでケーキを堪能させてもらう。
「ふーっ、食った、食った」そう言って春道は、椅子の上でお腹を両手でポンポンと叩く。
「明らかに食べすぎではありますけど、今日は春道さんの誕生日ですからね。大目に見ることにしましょう」
「そうしてもらえると助かるよ」
「ウフフ。それと、これは私からのプレゼントです」
 にっこり微笑んだ和葉が、ロングスカートのポケットから包装紙に包まれた小さな箱を取り出した。
「え? 何だろう。開けてもいいかな」
「どうぞ」
 丁寧に包装紙を取り除き、四角い箱のふたを開ける。中には良い意味でレトロな感じの懐中時計が入っていた。
「へえ……懐中時計か」
「ええ。春道さんは確か、アンティーク系のものもお好きだったと思いまして」
「よく見てるな。確かにそのとおりだ。うん、デザインもいいし、気に入ったよ」
「そう言ってもらえて何よりです」嬉しそうに和葉が笑う。
 だがそれ以上に、ニヤついている人間がこの場にひとりいた。数々の料理で春道をもてなしてくれた葉月だ。
「ママだけじゃないよ。葉月もパパにすっごいプレゼントを用意したんだからー」
 トタトタとキッチンへ走って行ったかと思ったら、数秒後には大きな箱を持って戻ってきた。
「そういえば料理中からありましたね。それは一体何なのですか?」
 口ぶりからして、和葉も箱の中身が何なのかは知らないみたいだった。
「えへへー。これはね、葉月がひとりで作った超大作なのですっ」
「超大作ってことは、それも料理なのかな」
「うんっ。パパと葉月の想い出といえばプリンだからね。パパの大好物で作ってみたのー」
「それは楽しみだな。早速、開けてもいいか?」
 葉月が頷いてくれたので、言葉どおりに楽しみな気持ちで箱を開けた。そして春道は目撃する。衝撃的な物体を。
「……プリン?」
「うんっ」葉月が当たり前のように頷く。
 大きなプリンというのもたまに見かけるので、巨体なのはまだ許容できる。しかし問題はその色だ。
「……実に鮮やかな黄緑色ですね」
 春道と一緒になって箱の中を覗き込んだ和葉が、ぼそりと呟いた。そう。葉月が作ったプリンは、美しいほどの黄緑色をしていたのだ。頭になかった色なので戸惑いこそしてしまったが、黄緑色だからといって変な味とは限らない。抹茶やメロンも緑色だが、とても美味しいじゃないか。自分自身にそう言い聞かせながら、春道は恐る恐る愛娘に尋ねる。
「俺の好物で作ってくれたと言ってたが……何でこのプリンはできてるんだ?」
「これはね、ほうれん草っ」
「……お、おお。それはまた、なんて言うか……ワイルドだな」
 戸惑いはより強くなったものの。それでもほうれん草ならなんとかいけるかもしれない。そう思った春道の隣で、妻の和葉が不吉な発言をする。
「ですが、このプリンからはほうれん草以外の香りもしますよ」
「そうだよ。だって、他にもかぼちゃとか入ってるもん」当たり前でしょとばかりに葉月が言った。
「か、かぼちゃ……とか?」
「うん。パパ、お野菜も好きでしょ? だから、アスパラとかも一緒に入れてみたのー」
「……どうやって作ったのか謎ですね。少しだけレシピを聞いてみたい気もします」
「他人事みたいに言うなっ」
 春道の抗議を、妻は「他人事ですから」としれっと受け流す。
「さあ、パパ……食べてみて」
「ち、ちくしょう……そんなキラキラした瞳で見られたら、食べるしかないだろうが」
 やけくそになって春道は、不可思議な色をしたプリンにかぶりつく。甘く彩られた様々な野菜の匂いと味が、口内へ広がる。要するに、壮絶な味だった。
「ね、美味しい?」
「ああ。ほんのりと涙の味がするよ」
 聞いてくる葉月にそう答えたあと、春道は口内のプリンを決死の思いで飲み込んだのだった。

 続く

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