その後の愛すべき不思議な家族2

   27

「それじゃあ、また明日ね。バイバイ、好美ちゃん」
 それぞれの家へ続く道が異なり始める地点で、好美は親友と呼べる存在の高木葉月と別れた。学校帰りに図書館で調べ物をしていたら、いつの間にか夕暮れになっていた。夏の日差しの長さを想定して秋の1日を過ごしていると、こんな目にあうといういい見本だった。だからといって、友達と図書館にいた時間を悔いたりはしない。今井好美にとっては、とても大切な日常のひとつだからだ。
 本当なら楽しい気分で帰れるはずなのに、自宅へ近づくたびに物憂げな気持ちになる。両親から虐待などを受けているわけではない。きちんとした教育を受けさせてもらってるし、お世話もしてくれる。豪華とは言えなくとも、人並みの暮らしはできているはずだ。そもそもお金持ちな生活は望んでないので、今のままでも不満はなかった。
 だけど……。そんなふうに思いながら、好美は重い足を引きずるように帰宅した。家は普通の一軒家だ。他と少し違うのは、隣に個人――つまりは好美の母親が経営している小さな美容院があることだ。当初は父親と一緒にやりたがったみたいだが、何故か田舎なのに美容院が多い環境もあって、さほど繁盛していない。そのため、父親は安定した収入を求めて、普通の職に就いた。家庭内の財政状況は潤ってると言い難いが、それでも家と店を持ってる事実に変わりはない。
 都会の友人などは羨ましがったりもするが、田舎では中古の一軒家も、格安で借りられる店舗もわりと余っている。なので色々な不満に目を瞑れれば、あくまでも中古に限った話ではあるが、比較的安価で土地と家を購入できる。
 子供ながらに住宅事情へ詳しくなってしまったのは、よく母親が「こういう家もいいわよね」と言って、新聞の広告欄についている物件を見せてくるせいだ。お店と繋がってない家に、憧れのようなものを抱いてるみたいだった。とはいえ、そう簡単にはいかないので、今も隣にある寂れた美容院で仕事中なはずだ。
 案の定、家には鍵がかかっていたので、持っていた鍵を使ってドアを開ける。やっぱり、今日もいないと好美はため息をつく。仕事中の母親ではなく、父親の方だ。正社員として仕事はしているが、好美は決して自分の父親を好きではなかった。
 自室で勉強したりしながら時間を潰していると、夜になって母親が帰宅する。時間は午後8時。普段は午後の6時過ぎ頃に帰ってくるのだが、今日はずいぶんと遅かった。もしかしたら、閉店時間ぎりぎりにお客さんが来たのかもしれない。
 自営業は一般家庭とはまた別の事情があるので、好美は文句を言ったりしない。母は自分を養ってくれるために、一生懸命働いているのだ。食事の時間が遅れたくらいで、不満を口にできるはずがなかった。
 居間へ行くと、お皿に盛りつけられた惣菜が、母親の手で並べられている最中だった。
「ごめんね、好美。今日はこれで我慢してくれる?」申し訳なさそうに母が言った。
「大丈夫だよ。普段は美味しい料理を作ってくれてるもの。それに、たまには惣菜も美味しいわ」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」
 母の好子と2人で食卓を囲み、惣菜をおかずに白米を食べる。ご飯は朝に炊かれたのを、レンジでチンするのが今井家の恒例だ。
「んくっ、んっ……はあ、美味しい……」
 惣菜と一緒に購入してきたらしい缶ビールを片手に、好子がうっとりした声を出す。毎日のように飲んではいるけれど、ほとんどが1本だけ。多くでも2本飲めば終わりだ。そのため、好美も「飲みすぎだよ」と注意したりはしなかった。悪酔いして当り散らしたりもしてこないし、嗜む程度なので何も問題はない。
「仕事終わりのビールは最高よねぇ」改めて好美が缶ビールの感想を口にする。
「私には、苦いだけの飲み物にしか思えないけどね」
 以前に一度だけ、興味本位でひと舐めさせてもらった。あまりの苦さにすぐ吐き出し、即座に「不味い」と言って、母親に大爆笑された。きっと大人になっても飲んだりはしないだろうと思ってるが、飲酒できる年齢の20歳を過ぎると、何か変わったりするのだろうか。そこらへんはよくわからないが、今現在の私に法を犯してまで飲みたいと思わせるような魅力は皆無だった。
「そういえば、お風呂は洗っておいたよ」好美が言う。
「助かるわ。ご褒美にハグしてあげよっか?」
「いいわよ、別に」
 怒って言ってるわけじゃないのを示すために、軽く笑う。もっとも好子は大雑把な性格をしているため、多少の文句程度なら軽く受け流す。理路整然としている高木葉月の母親とタイプは違うが、どちらも強い女性に変わりはなかった。

 食事とお風呂が終わると、好美は居間でテレビを見る。母親が帰宅する前に宿題は済ませているし、明日の授業でやるだろう箇所の予習も終わった。部屋へ戻っても、たいしてやることがなかった。あとは寝るだけなので、それまでは時間を自由に使える。
 好美の自室にはテレビがない。だから何か見たい番組があれば、こうして居間で視聴するしかなかった。飽きたら部屋へ戻って、ベッドで横になりながら読書でもすればいい。友人の佐々木実希子ならゲームなり、身体を動かしたりしたがるだろうが、好美はこういう時間の過ごし方が好きだった。
 やがて母親がお風呂から上がってくる。身体や髪の毛を拭いたバスタオルを首から下げたまま、居間へ座る。脱衣所でドライヤーをかけてきたらしく、ショートカットの髪の毛は濡れていなかった。徐々に秋も深まっていく季節だというのに、上半身はタンクトップだけ。好美が風邪をひくよと言っても、お風呂上りはこれでいいのよなんて笑う。
「今日は、もう1本だけ飲んじゃおうかな」
 そう言って好子は、冷蔵庫から新しいビールの缶を1本だけ取り出す。ロング缶を買えばお得のような気もするが、彼女は頑なに普通サイズのを購入する。適度な量で飲みやすいからというのが理由だった。
「なんか、面白いテレビやってる?」缶ビールのプルタブを開けながら、好子が聞いてくる。
「やってるよ。9時のニュース」
「アンタ……本当にニュースとか好きよね」
「楽しいじゃない。色々な社会情勢を知ったりもできるし」
 嘘はついてない。そう思ってるのは本当だ。けれど母親はどことなく寂しそうな目をする。
「何も小学生の頃から、勉強漬けになる必要はないんじゃない? ここは都会と違って、受験戦争なんてものもないし」
 好美らが住んでいるのは田舎町で、住人の数もさほど多くない。一応は市内となっているが、あちこちに田園風景が広がってるくらいだ。中学校や高校もあるが、都会みたいに選択肢は多くない。その代わりといってはなんだが、地元の学校にならほぼ確実に進学できる。子供の人数が多くないだけに、どこの高校も定員割れする学科ばかり抱えているからだ。よその土地で受験に失敗した子が、高校卒業の肩書だけを求めてやってくるケースも多かった。
「そうかもしれないけど、勉強は必要よ。成績が良くなければ、良い高校や大学にも入れないでしょ」自然と抗議をするような口調になる。
「好美が無理をしてるわけじゃないのなら、構わないけど……」
「大丈夫だってば。それに……私には目標があるんだから」
「目標?」好子が興味ありげに尋ねてくる。
「そうよ。偉くなって、男の人をこき使ってやるの。女だからって、色々と我慢しなくてもいいように」
 好美がそう言うと、母親の好子がハっとしたような顔つきになった。
「アンタ……まさか……。そんなふうに考えるようになったのは、私のせいなの?」
 缶ビールをテーブルの上に置いてから、四つん這いに近い体勢で母親が好美のもとまで来る。迂闊な発言をしてしまったと後悔しても、今さら取り消したりなんてできない。覚悟を決めて、好美は口を開く。
「だって……今日も帰って来ないじゃない。お父さん……」
 好美の家は決して母子家庭ではない。しかし父親には浮気癖があった。そのため、家には帰って来ない日も多かった。何か意地悪をされたとかはなく、帰ってくれば優しくしてくれる。ただ好美からすれば、いつも家でひとりの母を見てるだけに複雑な気分だった。そのうちに男は浮気をするのが当たり前と考えるようになった。それでも母親が離婚をしないのは、生活費をきちんと入れてくれてるからだろう。要するに浮気性の父親抜きでは、自立した生活を送れないのだ。
 だったら自分は偉くなろう。男に頼らなくても生活のできる女になろう。成長するにつれて、そういう思いはどんどん大きくなった。

 涙ながらにそのことを告げると、母親の好子が好美の小さな身体を抱きしめてきた。
「ごめんね。好美にそこまで考えさせるなんて、母親失格だね」背後から聞こえた声は、とても優しかった。
「私こそ、ごめんなさい。あんなこと、言うつもりじゃなかったのに」
「いいのよ。好美が何を考えてるのがわかって、嬉しかったわ。でもね」
 好子に両手で、身体の向きを変えさせられる。至近距離で見つめ合う形になった好美に、母親の真剣な視線が注がれる。
「お母さんは女性だから幸せを得られた。それに、女性には女性の戦い方があるの」
「女性の戦い方?」
「そうよ。お母さんが離婚をしないのは、生活のためじゃないわ。お父さんから、別れないでくれと土下座をされるからよ」
「……え?」
「今回もそろそろ帰ってくるはずよ。他の女のところからね」不敵に好子が笑った。
 意味が分からないで好美がきょとんとしていたら、玄関からチャイムが鳴った。すると好子「ほらね」と言いながら立ち上がる。数分後、居間には父親の姿があった。
「今までは好美に心配させたらいけないからと、夜中に話し合いをしてたけど、今回はそうする必要はないわね」
 居間に戻ってきた好子がそう言った直後に、父親の大輔は「すまんっ」と母親に土下座をした。確かに戻ってはきたけれど、浮気を繰り返す男を許し続ける好子もどうかしてる。無意識に両親を見る好美の視線が冷めていく。
「謝るより、これにサインしてもらえるかしら」そう言って、居間にあったタンスから好子が取り出したのは離婚届だった。
「そ、それだけは勘弁してくれっ。このとおりだ」
「あらあら、情けないわね。私以上の女を見つけたんじゃなかったの?」
「そ、それは……」大輔が口ごもる。
「どうせまた、料理の味が違うとかのくだらない理由で別れたんでしょ」
 今度はギクリとする大輔。どうやら好子の指摘したとおりみたいだった。
「それでまた私が一番だとおべっかを使って、家庭に戻るつもりなの? さすがに虫がよすぎるでしょ」
「わ、わかってるけど、俺にはお前がいないと駄目なんだっ。気づいたんだよ、お前だけがいてくれれば幸せだって」
「ふうん。じゃあ、お小遣いはもうなしでいいわよね。私だけいればいいんでしょ?」
「え……?」
「嫌なの? それなら……」
「わ、わかった。小遣いはもういらないっ。だから勘弁してくれ。このとおりだっ!」
 必死に土下座を続ける父親と、その父親を虐める母親。なんだかよくわからない展開ではあったが、段々と真面目に将来を考えていたこれまでの好美がアホらしく思えてくる。
「じゃあ……好子さんは世界で一番素敵な女性ですと言ってもらえるかしら」
「よ、好子さんは世界で一番素敵な女性ですっ」
「そうなんだ。それなのに浮気するの?」
「な、なんていうか……ご馳走ばかりじゃ飽きるというか……つ、つまみ食いも時には必要なんだよっ」
 わけのわからなさすぎる言い訳を聞いて、好子は呆れたようにため息をつく。右足で土下座中の夫の頭を踏みつけ、どうと言わんばかりに好美を見てくる。
「男なんてこの程度よ。こっちは多少のことでうろたえず、どっしりと構えてればいいのよ。どうせ浮気するんだったら、あえてさせればいいわ。そうすれば余計にこちらが有利な立場になれるんだから」
「そ、そんなものなのかな……」
「そんなものよ。浮気するたびに、私以上の女はいないと思い知り、こうして泣きついてくるだけだしね」
 好美にはやはりよくわからないが、大輔が最終的には自分を選ぶという絶対の自信があるみたいだった。
「なんやかんやで、私もこいつに惚れてるしね。まあ、こういう夫婦の形もあるってことよ」
「よ、好子ぉ」
「調子に乗らないっ」
 足元にすがりついてきた大輔を、ひたすら蹴りまくる。しかし夫婦喧嘩をしてるというよりかは、まるでじゃれあってるようにも見える。きっとこれまでも、好美が寝てる間に似たような展開を何度も繰り返してきたのだろう。
「……アホらしい。私、もう寝るわね」
 そう言って自室に戻ったあと、何故か妙におかしくなって、好美はしばらくお腹を抱えてひとりで笑い続けた。

 そんなことがあった数日後。仲の良い友人の高木葉月から、好美は自宅に招かれた。佐々木実希子や室戸柚も一緒だ。高木家のリビングで皆と仲良くお喋りをしていると、葉月の父親がやってきた。好美も何度となく顔を合わせており、どのような性格の人間かは知っていた。
「お邪魔しています」
 好美が挨拶をすると「ああ、いらっしゃい」と返してくれる。そのあとで、せっかくだから何か食べるかと言ってくれた。好美は遠慮するつもりだったが、遠慮を知らない佐々木実希子が目を輝かせる。
「ぜひ、お願いしますっ」
「よし、任せておいてくれ」
 佐々木実希子の言葉に笑顔で応じると、高木春道は冷蔵庫から大きな箱をテーブルの上まで持ってきた。
「遠慮はしなくていいからな。じゃあ」
「えっ? 葉月ちゃんのお父さんはどこへ――」
 好美の台詞が言い終わる前に、高木春道はスっとリビングから退出してしまった。あまりにも不可解すぎる展開に首を傾げる。すると高木葉月が「あっ」と声を上げた。
「これ、昨日のパパの誕生日に、葉月がプレゼントしたプリンだー。まだ残ってたんだねー」
 好美の中で嫌な予感が急速に膨れ上がる。箱のふたを取ったら駄目だと本能が叫ぶ。しかし食欲に支配された佐々木実希子が、迂闊にも開けてしまう。そしてお目見えする限りなく黄緑色の不気味な物体。これをプリンと呼ぶのは、純粋なプリンに失礼な気がする。
「せっかくだから皆で食べてー。ほうれん草やかぼちゃで作ったんだよー。パパも泣きながら食べるほど喜んでたんだからー」
「そ、それって、本当に喜んでたの……?」室戸柚が声を震わせる。
「好美ちゃんがおやつを求めたんだから、責任もってたくさん食べてよね」
 好美に横目で睨まれた佐々木実希子は、冷や汗を流しながらも「わかったよ」と泣きそうな声で言った。
「は、葉月ちゃんは食べないのかしら」
「うんーっ。皆が食べてるのを、見るのが好きだからー」
 何度も室戸柚が高木葉月にも食べるように勧めるが、首を決して縦に振らない。もしかして、この黄緑プリンがどんな味なのかわかってるのではないか。そんな疑惑すら浮かんでくる。
「と、とりあえず、食ってみるぞ」
 スプーンを持った佐々木実希子が勇者に見えた。だが次の瞬間には、あえなく敗北を喫してしまう。凄まじいまでの破壊力を目の当たりにして全身が震える。一刻も早く逃げたいけれど、キラキラした瞳で見つめてくる高木葉月の前からは動けない。こうなればと、好美と室戸柚が一緒にプリンと食べる。口内へ広がる微妙すぎる味に何も言えなくなっていると、高木葉月の母親がリビングへやってきた。
「こ、これは……。は、春道さんの仕業ですね。ほら、皆。早くお水を飲みなさい」
 好美たちの介抱が終わると、高木和葉は鬼の形相でリビングを出て行った。
「どうしてママは、あんなに怖い顔になってたんだろうねー?」
「……さあ。私にはわからないわ」
 そう答えながら、好美は心の中で強く思った。やっぱり男って最低だ。

 続く

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