その後の愛すべき不思議な家族2

   36

 元旦に襲来した春道の両親は、翌日の午後には慌ただしく帰っていった。それでも、祖父母と遊べた葉月は嬉しそうだった。貰ったお年玉の半分で玩具やぬいぐるみを購入し、残り半分は貯金したらしい。若くして貯金癖があるのはいいことだ。さすがは私の娘ですというのは、母親の和葉の感想だ。
 今年は春道の実家には帰省しなくてもよくなったが、まだ問題は残っている。妻の高木和葉の実家――つまりは戸高家に、妊娠の報告をまったくしていなかった。和葉の体調も問題ないとの話だったので、帰省と一緒に済ませようという話になった。ついでに和葉の父親の墓前にも報告ができる。
 おでかけが好きな葉月は、例え目的地がどこでも大喜びでついてくる。今回は広い戸高の屋敷なので、なおさら楽しみにしている感じだ。春道が車を運転してる際も、かくれんぼをしようと何度も誘われた。そんな愛娘を助手席の和葉がたしなめる。何度となく同じやりとりをしてるうちに、車が目的地へ到着した。何回か車でお邪魔させてもらっているので、どこに駐車すればいいかはわかっていた。和葉が事前に帰省する旨を連絡した際に、使用許可も貰ってくれていた。
「やっぱり広いねー」到着したばかりの戸高家を見上げながら、葉月が言った。
「そんなことはないよ」
 春道がそうだなと言う前に、他の誰かが葉月の感想に反応した。妻の実兄で、現在の戸高家当主の泰宏だ。車の音を聞きつけたのか、わざわざ出迎えに来てくれたみたいだった。
「兄さん。もう会社が始まっているのではないのですか?」
 春道より先に車から降りた和葉が尋ねたが、戸高泰宏は当たり前のように「休んだに決まってるじゃないか」と笑った。
 戸高泰宏は亡くなった父親から会社なども受け継いでいるため、三が日の間は来客の応対で忙しいだろうと和葉が予想した。そのため、春道たちは三が日があけてから戸高の実家へ帰省したのだ。
「まさか……俺たちのせいですか?」春道も車から降りて質問する。
「そんなことはないよ。昨年はほとんど有給休暇を使わなかったからね。それを消化する意味でも、休める時に休まないとね」
 気を遣ってるかどうかわからない戸高泰宏の言葉に曖昧な返事をしていると、相手は「それに……」と続けてくる。
「俺がいないところで、春道君と祐子を会わせるわけにはいかないよ。寝取られてしまうからね」
 ニヤリとする戸高泰宏に、真っ向から反論するのは春道ではなくて妻の和葉だった。
「兄さん。くだらない冗談を言ってる暇があるなら、出勤したらどうですか。会社のトップたるもの休日出勤は当たり前でしょう」
「当たり前って、それだと俺は休めなくなってしまうぞ」
「あら、いやだわ。私は最初から休むなと言ってるのですけど、気づきませんでした?」
 ウフフと笑いながら、とんでもない暴言を実兄にお見舞いする。やはり和葉は、怒らせてはいけないタイプの女性のようだ。調子に乗りすぎないようにしよう。春道がそんなことを思っていると、戸高家の玄関から今度は泰宏の妻の祐子がやってきた。噂の張本人で、何かと春道をからかってくる女性だ。ちなみに、葉月の元担任でもある。
「ほら。見て、坊や。貴方の本物のお父さんが来てくれたわよ」
 心臓に悪い冗談を、挨拶代わりにいきなり炸裂させてくれる。もっとも最近では夫を愛して尽くす女性だとわかってしまっただけに、前ほど慌てたりしなくなった。相手の言動に調子を合わせてみてもよかったが、現在の和葉は妊娠中。情緒不安定になってもマズいので、普通の応対を心がける。
「悪いけど今日は、そういうのはなしでお願いさせてもらうよ。大事な報告もあることだしね」
 つまらなさそうにする戸高祐子の隣で、泰宏がふうんといった顔をする。
「大事な報告か。それなら立ち話じゃなく、家の中ですることにしよう」

 居間へ案内された春道たちに、戸高祐子がお茶を出してくれる。その間は、夫の泰宏が赤ちゃんの面倒を見ていた。すっかり慣れた感じで、日頃からよく手伝いをしてる感じが伝わってくる。
 お茶請けも用意してくれたあとで、戸高祐子も居間に座る。葉月を含めて5人になったところで、泰宏が自分の妻に赤ちゃんを手渡しながら、外での会話の続きを促す。
「それで……大事な報告っていうのは何かな」
 いくら実の妹とはいえ、こういう報告は夫がするべきかなと思ったので、春道が代表して口を開く。
「実は……妻が、和葉が妊娠をしまして……」
 やや険しかった泰宏の表情が一気に明るくなる。
「何だ、そうだったのか。大事な話と言ってたから、よくない類のものかと思っていたよ」
「よくない類って……どうして、そういう方向に考えが及ぶのですか」ややイラついた様子で、和葉が泰宏に指摘する。
「いや、だってな。和葉が意味もなく暴れて、春道君に怪我をさせ、もう耐えられないと逃げられる可能性だってあるだろう」
「ありませんっ!」
 声を張り上げる和葉の隣で、葉月が不安そうな顔をする。
「ママ……パパに暴力を振るうの?」
「そ、そんなこと、あるわけないでしょう。ママはいつだってパパと……春道さんと仲良しよ」
 ねえと同意を求められれば、素直に頷くしかない。もっとも夫婦喧嘩はたまにするけど、それでも春道と和葉は仲が良い夫婦の部類に入るはずだ。
 しばらく兄妹の言い合いが続くのかと思っていたら、意外なことに戸高祐子が夫の泰宏を「駄目よ」とたしなめた。
「和葉さんが、そんな真似をするはずがないでしょう。それに、妊娠中なのだから、あまり興奮させないようにね」
「……そうだな。すまなかった」戸高泰宏が、素直に和葉へ頭を下げた。
「わかってくれればいいのです。祐子さんも、ありがとうございます」
 場を収めてくれたことに関してお礼を言った和葉に、戸高祐子が笑顔を見せる。
「それで……妊娠したのは誰の子なの?」
「春道さんのに決まってるでしょう! 他に誰がいるというのですかっ!」
「ハッハッハ。駄目だぞ、祐子。和葉は妊娠中なんだから、あまり興奮させないようにな」
「そうだったわね。ごめんなさい、和葉さん」
 どこかで聞いた覚えのあるやりとりを繰り返す戸高夫婦を見て、付き合いきれないとばかりに和葉が頭を抱える。
「だから私は帰省に反対だったのです……」
「まあ、そう言うな。せっかくだから、親父にも挨拶をしていけ。新たな孫の誕生を喜んでくれるだろうしな」
 泰宏の言葉に「そうかしら」と言いながらも、和葉は春道に視線を向けてきた。お墓参りをしたいのだと察し、こちらから提案する形で挨拶をしにいくことになった。
 葉月だけでなく戸高夫妻も同行し、皆でお墓参りをする。特別な事態は何もなく、平穏無事に終了した。
「今夜は泊っていくんだろう? せっかくだから、ゆっくりしていけ」
 屋敷へ戻る道中で泰宏がそう言ってくれた。お泊り大好きな葉月もいるので、もとより一泊するつもりだった。ありがたく好意に甘える旨を告げると、赤ん坊を抱いたままの戸高祐子が嬉しそうに笑った。
「それなら、今夜は私が手料理を振舞わせてもらいますね。春道さんと葉月ちゃんには、きっと満足してもらえるはずです」
「ウフフ。私の名前だけないのは、誰かひとり分にだけ、毒でも入っているからでしょうか」
「さすがは和葉さん。よくご存じですね」
「ええ、それはもう。ですが……誰のに入るかはわからないので、祐子さんも十分に気をつけてくださいね」
 女性2人がにこにこしながら、物騒なやりとりをする。当初はいつ本格的な喧嘩に発展するのかヒヤヒヤしていたが、恒例行事になりつつある最近ではそこまで不安にならなくなった。
「ママと先生、また、いつものやってるねー」
 和葉の隣から、春道の側にやってきた葉月が楽しそうに笑う。
「そうだな。いつも最終的には俺が悪いという結論になるから、被害を受ける前にさっきの居間へ戻るぞ」
 隣を歩く葉月の手を握り、小走りでさっさとその場から逃走する。かけっこだーとはしゃぐ愛娘と移動していると、背後から2人の女性の怒声が聞こえてきた。
「あなたは黙ってて!」
「兄さんは黙っててくださいっ!」
 どうやら、戸高泰宏が余計なひと言を2人に言ってしまったようだ。あの人も懲りないなと思いつつ、自分が被害者にならなかったことに、春道はひとり安堵するのだった。

 騒がしい夕食を経て、客間で家族3人が川の字になって眠る。そんな夜を過ごした翌日。目覚めた春道の隣にいるはずの愛娘の姿がなかった。いつもなら得意のどーんをお見舞いされている頃なのだが、平和極まりない朝を迎えた。
 葉月はいないものの、妻の和葉の姿はある。枕元に置いていた腕時計を見ると、まだ朝の6時だった。一体どこへ行ったのかと思い、上半身を起こした春道は上着を着て布団から出た。
「ずいぶん冷えるな……」
 眠ってる和葉を起こさないように廊下へ出ると、一段とひんやりした空気が強くなった。窓から外の様子を窺うと、辺り一面が銀世界に変わっていた。
「雪が降ったのか……」
「そうみたいですね」
 いきなり背後で反応があったので、驚いて振り向くと妻の和葉が立っていた。
「おはようございます」きちんと着替えた和葉が朝の挨拶をしてくる。
「ああ、おはよう。ごめん、起こしちゃったか」
「気にしないでください。どちらにしろ、そろそろ起きるつもりでしたから。春道さんは葉月を探しに?」
「まあな。どこに行ったのかと思ったら……見ろよ」
 窓の外を見るように促す。春道が指を差した先には、朝も早くから新雪に足跡をつけながらはしゃいでる愛娘がいるからだ。隣には戸高泰宏がいて、一生懸命に雪かきをしてる最中だった。葉月も子供用のスコップを持っているが、手伝ってるというよりかは遊んでるという感じだ。
「まあ、葉月ったら……ウフフ。本当に雪が好きなのね」
「雪遊びなんて滅多にできないだろうからな。さて、俺も着替えて、雪かきを手伝ってくるよ」
「わかりました。では、私は祐子さんと一緒に朝食の準備をしていますね」
 和葉とその場で別れ、客間に一旦戻って着替えてから外へ向かう。薄らと明るくなってきてる空の様子と、地面に敷かれている眩しいくらいの雪の白さが感動的な風景を作り上げていた。
「あ、パパだー」春道の存在に気づいた愛娘が、嬉しそうに声を上げた。
「おや、春道君も雪かきを手伝ってくれるのかな」
「ええ、そのつもりで来ました」
「そうか。なら、そこに雪かき用のスコップがあるから、それでお願いするよ」
 わかりましたと返事をして、早速雪かきにとりかかる。かなりの重労働で、普段は仕事で部屋に閉じこもってる春道にはいい運動になりそうだ。
 春道と戸高泰宏が雪かきをする側で、葉月だけはひとりで一生懸命に何かを作っていた。真面目に雪かきをさせても戦力にはならないので、好きなようにさせておく。
 予定していた部分の雪かきを終えた頃、タイミングよく和葉が春道たちを呼びに来てくれた。
「お疲れ様です。そろそろ朝食ができますよ……って、あら。葉月は雪かきではなくて、雪だるまを作っていたのね」
「うんーっ。皆の分だよっ。これが葉月で、こっちがパパとママなのーっ」
「へえ、よくできてるじゃないか」
 家族分を作ったと大喜びする葉月の自信作らしい雪だるまを春道が眺めていたら、数がひとつだけ多いのに気づいた。葉月のだと言っていた雪だるまの側に、小さな雪だるまが置かれていたのだ。
 和葉も気づいたようで、不思議そうにしながら愛娘に尋ねる。「葉月、この小さいのは?」
「これはね。新しく生まれてくる赤ちゃんの分ーっ」
 にぱっと笑う葉月の答えに、一瞬だけ驚いたあとで和葉が優しげな笑みを浮かべる。
「ありがとう。きっとお腹の赤ちゃんも、お姉さんの作ってくれた雪だるまを喜んでいるわ」
「えへへ、そうだと嬉しいな」
 とてもほのぼのとした空気が、雪かきによって疲れた体を一気に癒してくれたような気がした。

 続く

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