その後の愛すべき不思議な家族2

   7

 うっぷとなりそうなのを堪えながら、昼休憩が終わって、競技が再開されようとしているグラウンドを見る。下を向いてると大変な事態になりそうなので、顔を上げてるしかなかった。
「……大丈夫ですか?」
 顔面蒼白にでもなっていたのか、側にいた佐々木実希子の父親が、心配そうに春道の状態を聞いてくる。
「なんとか。それより、午後の競技って何がありましたかね」
「まずは両親も参加しての、二人三脚みたいですね」
 なるほどと言って頷く春道の前に、苦しむ原因を作った愛娘が現れる。大好きな母親と手を繋ぎながら、満面の笑みで二人三脚に参加する旨を告げてくる。
「ママと一緒に頑張るから、パパは応援しててね」
 白組の葉月は、白色のハチマキをギュッと結び直す。大好きな母親と一緒に競技へ参加できるので、午前中の100メートル走よりも気合が入っている。微笑ましそうに和葉が隣で愛娘を見つめる。あとはグラウンドへ向かうだけと思いきや、途中で葉月が急にきょろきょろし始めた。春道は「どうかしたのか」と問いかける。
「うん……柚ちゃん、どこに行ったのかな」葉月が不安げに言う。
 今井好美や佐々木実希子はブルーシートに座って休憩を取っているが、先ほどまで一緒にいたはずの室戸柚の姿が見えなくなっている。両親が経営している不動産業が上手くいってないという話を聞いてるだけに、春道も嫌な予感を覚える。すると、どこかで聞いた覚えのある笑い声が近くから聞こえてきた。
「久しぶりですね、和葉さん。午後の二人三脚に、葉月ちゃんと一緒に参加なさるそうで」
 どこからともなく現れたのは、何かとお騒がせな戸高祐子だった。葉月のクラスを担当している女教師で、旧姓は小石川だ。和葉の実兄と紆余曲折の末に結婚した。その戸高裕子が、姿を見せるなり和葉へ挑戦的な視線をぶつけた。
「あ! 柚ちゃんだ」
 小石川祐子の隣にいる少女を見て、葉月が驚く。確かに室戸柚で、左足を紐で結ばれている。虐待をされてるといった感じではないが、心境は極めて複雑だと言わんばかりに苦笑いを浮かべる。
「先生に捕まっちゃった……」
 室戸柚の簡単すぎる説明を受けて、呆れたように和葉が「一体、どういうおつもりですか」と、戸高裕子に問いかけた。
「決まってるじゃないですか。私も二人三脚に参加するんです。この室戸柚さんと一緒にね!」
 胸を張って答える戸高祐子の隣で、室戸柚が肩を竦めて「らしいです」と繋げた。
「貴女は教師でしょう。どうして二人三脚へ参加する必要があるのですか?」和葉が再度、先ほどと同様の質問をする。
「もしかして、負けるのが怖いんですか?」
「質問に質問で返すのは感心しませんね。まずは私の疑問に答えてください」
「ならば勝負をしましょう! 私が勝ったら、春道さんを貰いますっ!」
 人差し指を差されて困惑する和葉以上に、春道は戸惑いを覚えた。戸高祐子が以前に好意を抱いてくれてたのは知っていたが、まさか結婚してもなお、諦めてないとは予想外だった。
「何をいきなり、わけのわからない発言をしているのですか。春道さんは商品などではありませんし、そもそも勝負をするとも言っていません」
「わかりました。では、決定ということでいいですね」
「……は?」
 まるで話を聞かない戸高祐子の勝手さに、さすがの和葉も怒りを覚えたみたいだった。けれど相手はまったく意に介さない。不敵に笑ったあとで和葉に背を向けると、強制的にパートナーとした室戸柚を引きずるようにこの場から立ち去ってしまう。あとに残された面々が呆然とする中、葉月ひとりが気合い全開で「頑張るぞー」と声を上げた。

 観覧席で見ている春道の視線の先に、スタートを待つ複数の人々がいる。二人三脚の参加者たちで、戸高祐子組と高木和葉組も含まれる。勝手に景品扱いされた春道は黙って応援するしかない。
「いや、大変な事態になりましたな」競技へ参加する予定のない佐々木実希子の父親が、からかってくる。
「冗談に決まってますよ」
 笑いながら春道が応じる。和葉の実兄――戸高泰宏との件で、葉月の女担任教師がそれほど悪い人間じゃないのはわかっていた。きっと、彼女なりに何か考えているのだろう。思い浮かぶのは、室戸柚の両親が運動会に不参加という事情だ。午後は保護者と一緒に参加する競技が多くなるだけに、室戸柚はひとりで見学する時間が増える。同時に寂しい思いもするはずだ。戸高祐子が保護者の代わりをすれば、多少なりともそうした気持ちを解消できるかもしれない。
 独特な性格の女教師の真意がどこにあるかは、春道にはわからない。ただ、そんな気がしただけだ。もしかすると和葉も、似たような答えに到達したがゆえに、文句を言いつつも二人三脚勝負に応じたのだろうか。負けたからといって、本当に春道を差し出したりはしないと思うが、果たして結果はどうなるか。やや緊張しながら見ていると、スターターの男性教諭が頭上に掲げたピストルを鳴らした。
「さあ、柚ちゃん。先生の明るい未来のために、友達を蹴散らすのよ!」
 とても生徒を導く教師とは思えない発破をかけ、全力で戸高祐子がパートナーの室戸柚を引っ張る。自分にその気がなくとも、足を動かさなければ転んで地面に突っ伏してしまう。室戸柚は最終的に走るのを選択し、女教師と一緒になってゴールを目指す。
「ママ! 負けていられないよ。葉月たちも頑張らないと!」
「わかっています!」
 愛娘の求めに応じ、和葉も持ち前の運動神経の良さを発揮する。お祭り気分の組が多い中、火花を散らす2組が壮絶な先頭争いを繰り広げる。
「奥さん、諦めてください! 私のお腹には、春道さんの子供が――!」
「見え透いた嘘はやめてください! ……あとで本人には激しく詰問をしますが」
 ひいっと後退りしたくなるような会話が、春道のところにまで聞こえてくる。当然、他の保護者や生徒の耳にも入っている。ただ座ってるだけなのに、急速に周囲の評価が低下してるのを肌で感じる。
「あの女教師が絡むと、本当にろくなことがないな……」
「まあ、そう言わないで。彼女なりに一生懸命なんだから」
「そうだろうけど、さすがに……って、戸高さんっ!?」
 いつの間にか春道の隣には、佐々木実希子の父親ではなく戸高泰宏が座っていた。高木和葉の実兄で、戸高祐子の夫になる。今は普通に仕事をしているはずなのだが、どうしてこんなところにいるのだろう。
「久しぶりだね、春道君」
「久しぶりなのは確かですけど、どうしてここに?」目をパチクリさせながら、春道が尋ねる。
「もちろん、妻の雄姿を見るためさ。今日、運動会があると聞いていたから、気になって仕事どころじゃなくなってね。トイレだと偽って、大事な会議を抜け出してきたよ」
 さらっと、とんでもない発言がされる。聞かなかったふりをした方がお互いのためになると判断し、あえて春道は追及をしなかった。
「一生懸命に頑張る姿は素敵だよね」
「主役は生徒なんですけどね」
 観覧席で春道と戸高泰宏が会話してるなんて夢にも思わず、戸高祐子と高木和葉の二人三脚対決はクライマックスへ突入する。スタートの感じからして、室戸柚を引きずるようなパワープレイを演じそうに見えたが、意外にも戸高祐子は彼女に主導権を握らせていた。一緒になって大きな声で「イチニ、イチニ」とタイミングを合わせる。一方の高木和葉、葉月組は、母娘ならではの抜群のコンビネーションを見せる。走力は互角なので、あとはどちらの呼吸がより合ってるかで勝敗が決する。そして数秒後。最初にゴールラインを通過したのは、高木和葉と葉月の母娘ペアだった。

「あー……楽しかったぁ」
 ゴール直後、最初に口を開いたのは葉月だった。僅差で負けた室戸柚もすぐ笑顔になり「楽しかったね」と同調した。その後、一旦、観覧席まで戻ってくる。和葉や戸高祐子も一緒だ。室戸柚はペアを組んでいた女教師に深々と頭を下げる。
「先生、ありがとう」
 室戸柚自身も、戸高祐子が自分のためを思って、強引に二人三脚へ参加させてくれたとわかっているのだ。ペアはすでに解消されているが、足を繋いでいた紐を、何かの絆みたいに大事に持っている。感動的な場面に出会えたと涙ぐみそうになる保護者もいる中、当の戸高祐子は不服そうに「はあ?」と眉をしかめた。
「ありがとうじゃなくて、ごめんなさいでしょ。柚ちゃんのせいで、春道さんを入手し損なったじゃない」
 両手の中指で室戸柚のこめかみをグリグリして、不満を表明する。もちろん力がろくに入ってないのは、笑ってる室戸柚を見ればわかる。きっと戸高祐子なりの照れ隠しなのだろう。
「あ、そういえば……」
 しばらく和やかな光景を見つめていたが、急に春道は大事な会議をサボリ中の社会人の存在を思い出した。皆に紹介しようと周囲を探したが、またもやいつの間にかいなくなっている。
「あのおじさんなら、さっき帰っていったよ」同じ観覧席に座っていた佐々木実希子が教えてくれた。
 和葉が「どうかしたのですか」と気にする様子を見せていたが、皆に会わずに帰ったのなら、そうしたい理由があったのだろう。わざわざバラす必要もないと考え、春道は「なんでもない」とだけ返した。
「変な春道さんですね」
「放っておけよ。あ、いよいよ次で最後の種目みたいだぞ」
 グラウンドに設置されてるスピーカーが、保護者対抗のリレーを開催すると告げてきた。春道と一緒に佐々木実希子の父親も参加予定になっているので立ち上がる。
「お父さん、頑張って」佐々木実希子がすかさず声援を送った。
「おう、任せておけ」
 力こぶを作って応じる父親の姿に目を細める友人を見て、少しだけ室戸柚が羨ましそうな表情を浮かべる。すると隣にいた葉月が、いきなり抱きつく。
「わっ!? 葉月ちゃん!?」
「柚ちゃんも一緒に、葉月のパパを応援しよ!」
「そうね。柚ちゃんも応援してくれれば、春道さんも頑張るでしょう」和葉も、葉月の意見に同意する。
 葉月たちの手で輪の中へ連れ込まれたも同然の室戸柚は、うろたえながらも嬉しそうだった。そうした光景を見せられれば、春道も頑張るしかない。皆の「頑張れ」という応援を背中に受けながら、指定の位置へ向かう。クラスから選出された父親4人がチームとなり、リレーに挑む。各学級対抗で、トップを取れば葉月たちの所属する白組が優勝となる。春道はアンカーを任され、責任の重大さに緊張を覚えた。それでもリレーが開始されるとそうも言ってられず、第3走者の佐々木実希子の父親からバトンを受け取ると、全力でゴールを目指した。
「パパ、頑張れーっ!」
 室戸柚と肩を組みながら、必死で応援してくれる愛娘の姿が視界に映る。心の中で「もちろんだ」と応じながら、運動不足の両足を懸命に動かす。途中で転びそうになりながらもなんとか体勢を立て直し、周囲の期待どおりに春道はトップでゴールをした。白組の点が追加され、あとは残りの学年の対抗リレーの結果待ちとなる。
 最終的に白組は優勝できなかったけれど、それでも生徒たちは運動会を満喫できたみたいだった。各生徒は後片付けを終えてから、保護者との帰宅を許可される。春道たち一家は、室戸柚と一緒に帰り道を歩いた。
「葉月ちゃん、今日はありがとう。また明日ね」
 笑顔で手を振り、室戸柚が自分の家へ続く道を歩いていく。葉月は見えなくなるまで彼女の背中を見送り、大きな声で「またね」と叫んだ。
 ……けれど、翌日から室戸柚は学校を休んだ。

 続く

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