その後の愛すべき不思議な家族2

   6

 家から外に出ると早速、太陽の光が春道の頬を照らしてきた。日が直接当たると暑く感じるものの、風が吹いてくれば、半袖では少し肌寒く感じる。春から夏へ移行し始めているといった感じだ。家の中で仕事をしている春道にとって、朝から外へ出て新鮮な空気を吸うのは比較的珍しい出来事になる。せっかくの機会だからと大きく深呼吸をしていると、玄関から妻の高木和葉が出てきた。
「春道さん、これを持ってください」
 のんびりと外で両手を伸ばしていた春道に、大きな紙袋を渡してくる。中には葉月や和葉が早朝から一生懸命作ったお弁当が入っている。その他にもビデオカメラなどがあり、娘の雄姿を撮影してやろうという意気込みが感じられる。
「運動会日和と言ってもいいくらいの天気ですね。葉月があれだけはしゃいでいたのもわかります」
 春道の隣で、和葉も「んんっ」と両手を上にして伸びをする。自然と上半身のふくらみが強調されるような姿勢になる。思わず目を奪われたあとで、慌てて視線を逸らす。夫婦だから別に見ていても怒られたりはしないのだが、なんとなく後ろめたく感じられてしまった。当の和葉は春道のリアクションには気づかず、動きやすいようにと選んだジャージ姿で軽くストレッチをしていた。
 春道も同じタイプのジャージを着ており、和葉のとは色違いだった。黒と黄色がベースの春道に対して、彼女のジャージは白とピンクが基本色になっている。一緒に暮らし始めた当初は、ペアルックみたいな恰好をする日が来るなんて夢にも思ってなかった。けれど気がつけば、当たり前のように同じメーカーの服などを着たりしている。これも一種の慣れなのだろうか、そんなふうに思っていると、軽めのストレッチを終えた妻が笑顔で手を差し出してくる。
「荷物を半分持ちますので、早く学校へ行きましょう。葉月が待ちくたびれているはずです」
「ひょっとしたら、むくれてるかもしれないな」
 春道は素直に荷物を手渡す。ここで自分が持つと言い張っても、和葉は男らしいと喜ぶような女性ではない。逆に相手が男性であっても、頼られたりするのを喜ぶようなタイプだ。これも一緒に生活をするようになって、わかってきたことだった。
 2人で仲良く荷物を半分ずつ持ちながら、徒歩で葉月の通っている小学校へ向かう。一応は保護者用の駐車場も用意されているみたいだが、すぐに埋まってしまうのはわかりきっていた。自宅から学校まではそう遠い距離ではないし、それなら徒歩で行こうと朝に話し合って決めた。せっかくの駐車場なのだから、遠方から我が子の活躍を見に来る人たちに利用してもらいたかった。
 並んで歩いていると、途中で妻の和葉が、なんだか嬉しそうに「ふふっ」と笑った。気になったので「何か楽しいことでもあったのか?」聞いてみる。すると和葉は、当たり前でしょうと言いたげな感じで、こちらへ顔を向けてくる。
「春道さんと、こうして2人でお出かけをするのは久しぶりですもの。それだけで、妙に楽しくなってしまいました」
 かわいいと思ったのを悟られないように平静を装う。下手をすれば、この場で抱きしめかねないほどの威力をもった攻撃だ。戸惑うというより照れまくりの春道は「そうか」と言うのが精いっぱいで、気の利いた台詞で応じるのは不可能だった。
 本当ならもっと頻繁に夫婦で外出できればいいのかもしれないが、生憎と春道には仕事がある。和葉が専業主婦になった現在では、可能な限り仕事を受注して、収入をアップさせた。おかげで前より暮らしぶりはよくなったが、どことなく妻は寂しそうにしていた。だからといって不平不満は口にせず、いつも変わらぬ態度で接してくれる。妻の心遣いに、改めて感謝の念がこみあげてくる。

「寂しい思いをさせて悪いな。収入も安定してきたし、これからは少し仕事をセーブして、夫婦や家族で外出する機会を増やそう」
「あ……ごめんなさい。そういう意味で言ったわけではないのです。いらない気を遣わせてしまいましたね」
「いらないってことはないさ。俺にとっては、おおいに必要だからね。そもそも、俺が遊びに行きたいんだ。だから、和葉が嫌だと言っても、無理やり連れて行くからな」
「ふふっ、春道さんは強引ですね。でも、嬉しい。ありがとう」
 微笑む和葉の表情があまりに美しくて、ドキっとしてしまう。きちんとした夫婦になってから、ある程度の時間が経過しているのに、こういう場面は意外に数多く存在する。慣れきって空気のような存在になるより、いつまでもこんな感じでいたいものだ。春道も笑顔で「おう」と返すと、それを待っていたかのごとく、前方から運動会の開始を知らせる号砲が聞こえてきた。
 葉月の通う小学校の敷地へ足を踏み入れ、運動会が開催されてるであろうグラウンドへ向かう。すでに多数の保護者が、学校側が用意してくれた観覧席で子供たちがはしゃぐ姿を見守っていた。学年ごとにまとまっているみたいなので、春道たちは3年生のところを探す。すると顔見知りの女性を見つける。今井好美の母親だった。
「こんにちは。いつも葉月が仲良くしていただいて、ありがとうございます」
 和葉がにこやかな表情で挨拶をする。すぐに今井好美の母親も「いいえ、うちの娘こそ」と返してくれる。一気に和やかな雰囲気となり、春道たちが座るスペースも自然にできる。そこには、佐々木実希子の父親がいた。母親が仕事らしく、自分が代わりに来たのだという。構えていたビデオカメラを下ろしながら笑う顔は、娘さんによく似ている。
 それぞれの子供たちの仲が良いので、自然と保護者同士で会話をする機会が増えた。その結果、お互いに仲良くなった。だからこそ、不在の人がいれば目立つ。自宅から持ってきたブルーシートを地面に敷きながら、和葉が周囲を見渡す。誰かを探すような仕草をしたあとで、今井好美の母親に話しかける。
「室戸さんのご両親はまだ来てないみたいですね」
 気まずそうに「ええ……」とだけ応じた今井好美の母親に代わって、佐々木実希子の父親が口を開く。
「どうやら、仕事が上手くいってないみたいです。色々と忙しくて運動会は見に行けそうもないと、この間、室戸さんのお父さんが嘆いてました」
 世の中はまだまだ不景気。企業倒産などは珍しくなく、自分たちで不動産業をしている室戸家も例外ではない。以前に葉月を虐めていた中心人物とはいえ、今は仲の良い友人。不幸な目にだけはあってほしくなかった。
「その分、私たちで柚ちゃんの応援もしてあげましょう」佐々木実希子の父親が、再びカメラを構えながら言った。
「そうですね。それがいいです」
 今井好美の母親も笑顔で同意する。ブルーシートを敷き終えた和葉も、異論なしといった感じで頷く。室戸家の心配を春道たちが心配しても、どうにもならない。両親が観覧に来られない室戸柚が、寂しくならないようにしてあげるのが、せめてもの手助けだ。
「あ、春道さん。丁度、葉月の出番ですよ」
 興奮しきった様子で、和葉が手招きをする。グラウンドではタイミング良く、3年生のクラス対抗100メートル走が行われるところだった。急いでビデオカメラを紙袋から取り出し、後ろの人の邪魔にならないよう、春道もブルーシートに座って撮影を開始する。隣には妻の和葉がいて、自分の緊張を誤魔化すかのように春道の太腿をキュッと掴んでくる。
 スタートを担当している老齢の男性教員に、横一列に並べさせられている。途中で葉月がこちらに気づき、嬉しそうに右手をぶんぶん振る。即座に和葉は左手を上げて応じるが、まだ緊張しているのか春道の太腿部分のジャージをより強い力で握り締める。いつ肉まで一緒に捕まれるか気が気ではないが、もうすぐスタートになるので心配ばかりもしていられない。

「位置について……よーい」
 老齢の男性教員の言葉で、並んでいた全員が構えを取る。片足をスタートラインとなる白線に密着させ、気合を漲らせる。ビデオカメラ越しに見る葉月も、いつになく真剣な表情をしていた。
 男性教師が右手を高く上げ、スターターピストルの引き金を引く。パアンという渇いた音がグラウンドに木霊し、3年生の女子生徒たちが一斉に駆け出す。順位が点数に影響するとあって、それぞれが所属するクラスの仲間たちが大きな声で声援を送る。中でも葉月の名前が、もっとも多く叫ばれる。
 仲間の応援に背中を押され、葉月が全力でグラウンドに用意された100メートル走のコースを駆け抜ける。基本的に運動神経はさほど悪くないだけに、中盤を過ぎたあたりでトップに躍り出る。
「やった! やりましたよ! 春道さんっ!」
「い、痛っ! お、落ち着け! つ、つねってる! 俺の太腿!」
「その調子よ、葉月! そこまでいったら、トップを取りなさい!」
 興奮する和葉は俺の悲鳴にも気づかずに、人の太腿を掴みながら熱烈な応援を続ける。懸命に両足を動かす葉月は70メートル時点でも先頭だったが、80メートルを過ぎたあたりで、ひとりの女子生徒に追いつかれてしまう。嫌な予感がして隣を見ると、心配そうにしながらも、春道の太腿を掴んで気合を入れようとしている妻の姿があった。
 やめてくれと言う暇もなく太腿に激痛が走る。苦悶する春道が構えるカメラが、3番目にゴールを通過する葉月の姿を撮影し終えると、ようやく愛妻の右手が太腿から離された。
「1位を取れなかったのは残念ですが、葉月はよく頑張りました。春道さんも、そう思いませんか……って、どうして太腿を左手で押さえながら、蹲ってるのですか?」
 真顔で聞いてくるところが、なんとも恐ろしい。とはいえ、葉月が関係すれば、自分を見失うくらいに冷静さを欠くのは昔からだ。今さら驚く話ではなかった。
 今井好美らの出番も終わり、着々と各種目が進行していく。事あるごとに葉月は春道たちに手を振ってきた。心から運動会を楽しんでるのがわかる。虐められていた頃を考えれば、学校の行事で笑顔を見せているのが夢みたいだった。
 やがて昼食の時間になると、葉月が室戸柚を連れて春道たちのところへやってきた。側には今井好美や佐々木実希子もいる。すでに和葉はブルーシートの上にお弁当の準備を終えており、葉月と一緒に朝握ったおにぎりを室戸柚にも手渡す。お弁当を持ってきていなかったらしく、室戸柚は嬉しそうに「ありがとうございます」と言って受け取った。
「午後の種目へ参加する体力をつけるためにも、たくさん食べておかないとな。ほら、柚ちゃん。これを食べていいよ」
 室戸柚の目が大きく見開かれる。春道が両手で抱えている、おにぎりと表現すべきかどうか迷う米の塊を目撃したからだ。
「駄目だよ。それはパパのー」
「……どうしてもか?」
「諦めてください、春道さん」和葉が耳元で言う。
「……いただきます」
 項垂れたあとで大きく口を開き、巨大なおにぎりを頬張る。味は悪くないが、とにかく量が多すぎる。誰かにお裾分けをしたくても、何故か春道が視線を向けると、誰もが顔を背けてしまう。まさにひとりぼっちだった。それでも、せっかく愛娘が自分のために作ってくれたのだからと気合を入れて完食する。問題はお腹がパンパンの状態で、保護者も一緒の午後の競技へ参加できるのかという点だった。

 続く

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