その後の愛すべき不思議な家族

   21

 年齢は四十台後半程度。中年太りしてはいるが、顔立ちはそれほど悪くない。若い頃に今より痩せていたのであれば、ホストと言っても通用するぐらいのレベルだった。
 スーツも立派なのを着こなし、立ち振る舞いはどこの優良会社の社長という感じだった。
 そんな男性が名刺とともに、一枚の写真を応対中の戸高泰宏へ手渡した。
 それを見ていた戸高泰宏が「残念ながら……」と口にしたものの、相手に諦めるような気配はなかった。
 まるで戸高泰宏が絶対に知ってると確信してるような態度で、なんとか思い出してくださいと執拗に繰り返している。
「そう言われましても……本当に覚えがないのです。申し訳ありません」
 一家の主らしく、丁寧な言葉で応対する戸高泰宏が、写真を相手男性へ返そうとした。
 けれどなおも食い下がる男性は「他にご家族はいませんか」と尋ねる。
 その時に戸高泰宏が、チラリと視線を向けたのが実妹の和葉だった。
 小さいながらも届いてくるやりとりの声を耳にして、多少は興味を惹かれていたらしく、和葉は兄の無言の求めに応じる。
 どうせなら自分たちもと野次馬根性を発揮して、春道と葉月も和葉と一緒に謎の男性の側まで歩いていく。すると相手は、すぐそれぞれに名刺を手渡してくれた。
 きちんと葉月にも両手で差し出し、こうしたのを受け取った事のない愛娘はそれだけで大喜びだった。
「柳田……信一郎さん……ですか」
 和葉が名刺を見ながら、声を出して相手の名前を読む。柳田信一郎という名前の男性は、すぐに頷いた。
「名刺にも書いてありますとおり、個人で輸入販売会社を営んでおります」
 言葉どおり、春道が見ている名刺には、柳田輸入販売会社社長という肩書きが名前の横に明記されていた。
 男性の話では何かを専門的に扱ってるのではなく、多様な商品を海外から仕入れて販売してるらしかった。
「家具はもちろん、食料品まで手広くやっております。大手が扱わないような掘り出しものを見つけては、国内向けの会社へ販売するのです」
 男性の職業については大筋で理解できたが、問題は和葉が現在見ている写真だった。
 写っているのは男性で、日常のひと幕に撮影された一枚のようである。
 年齢は春道と同じくらいで、二十代後半ではないだろうか。顔立ちも結構整っており、イケメンと呼ばれる部類に入りそうだった。
 その写真を見て、妻がどんな反応を示すか気になったが、恰好いいなど、春道をやきもきさせるような台詞は出てこなかった。
「私にも覚えはありません。他を捜した方が、よろしいかと思います」
 あくまでクールな和葉の受け答えに落胆しつつも、柳田信一郎は一応春道たちにも写真を見てほしいと頼んできた。
 頼まれれば断る理由はなかったが、戸高家とほとんど関係性のない春道が、満足できる情報を相手へ与えられるとは思えなかった。
 案の定、和葉の背後からのチラ見を経て、こうしてじっくり見ても写真の男性が誰かはさっぱりわからない。そのこと告げようとした時、場にいる一同を驚愕させる声が木霊した。
「あ、このおじちゃんなら、葉月、知ってるよー」
「へえ……そうか。葉月がね……」
「珍しいこともあるものですね。私や春道さんが知らないのに、葉月だけが知ってる……なんて……?」
 春道と和葉が、写真を受け取ったばかりの愛娘を勢いよく同時に見る。
 すると葉月は驚きもせず、ごく当たり前のように顔を上下にコクコク動かした。
「身近な誰か……同級生の子と顔が似てるとか、そういうことではないの?」
 誰より動揺している和葉が、信じられないといった表情で葉月に問いかける。
「ううんー。多分だけどね、このおじちゃんで間違いないよー」
 多分だけど、間違いない。なんとも怪しげな発言なのだが、藁にもすがりたい状態なのか、柳田信一郎はしゃがみこんで葉月の顔を正面から見つめた。

「本当かい? 本当に……知ってるんだね」
 至近距離から尋ねられても、葉月の答えは変わらなかった。
「うんー。葉月を励ましてくれたおじちゃんだよー」
 励ましてくれたという言葉を聞いて、和葉が首を傾げて訝る。
 どういう意味か考えようとしたみたいだが、結局は途中で諦めて、言葉の真意を愛娘へ質問する。
「葉月がね、学校でいじめられてた時だよ。泣いてたらね、このおじちゃんがどこからかやってきたのー」
 和葉や柳田信一郎どころか戸高泰宏まで、話し始めた葉月に注目していた。
「自分や友達を信じろって言ってくれたのー。それで葉月、少しだけ楽になったんだよー」
 にこやかな笑顔で話し続ける愛娘の説明に、春道は少なからず疑問を覚えた。
 黙ってスルーして、あとで大問題に発展するのも嫌なので、この場で解消しておくことにする。
「そうか。ところで……そのおじちゃんとは、一体どこで出会ったんだ」
 春道の質問に、葉月を除く全員が一斉に頷いた。
 誰もが知りたがってたところに、タイミングよく場に出てきたのだろう。これ幸いとばかりに、耳を澄ませて春道を含む面々が、葉月の次の言葉を待っている。
 溜めて一同を焦らす目的もない葉月は、問われた内容について変わらぬ笑顔で答える。
「おじちゃんと会ったのは、夢の中だよー」
「……は?」
 想定外すぎた解答に、春道は思わず間抜けな声を発していた。
 見れば和葉を始めとして、柳田信一郎や戸高泰宏も口を開けてポカンとしている。
 およそ大人がするような表情ではないが、申し合わせたように全員が同様の表情を浮かべていた。
 普段は冷静な和葉でさえもその有様なのだから、葉月の台詞の衝撃度は改めて説明する必要がないぐらいである。
「も、もう一度、ママに教えてくれる? そのおじちゃんと会ったのはどこなの」
「だから、夢の中だよ。葉月の夢の中ー」
 同じ質問をされてもブーたれることなく、丁寧に謎の男性と出会った場所について教えてくれる。
 葉月に悪気がないのは、澄み切った瞳を見ればすぐに理解できた。
 だが一回希望を抱いたがゆえに、柳田信一郎の落胆ぶりは、春道が見てても気の毒なほどだった。
「そう……夢の中で会ったのね。教えてくれてありがとう」
 愛娘の頭を撫でて、和葉がお礼を言う。善意の行動だったのだから、責めるのは筋が違っている。
 戸高泰宏たちも、似た結論に達していたのだろう。葉月を責める者は、誰ひとりとしていなかった。
 最初こそ「どういたしましてー」と胸を張った葉月だったが、持ち前の洞察力で自分の発言が信じてもらえてないのを察したらしく、不安げな表情で春道の服の裾をクイクイ引っ張りだした。
 母親の和葉や戸高泰宏が、柳田信一郎の応対に当たっているため、話しかける相手が春道しかいなかったのだ。無視するのもかわいそうなので、しゃがみつつ「どうした」と愛娘の目を見る。
「葉月、嘘言ってないよ? 本当に夢の中で、あのおじちゃんと会ったんだよ」
「わかってるよ。俺の娘は、嘘を言うような人間じゃないさ。それにしても、夢の中で会うなんて珍しいな」
「もー! パパも信じてないでしょー」
 感受性が豊かだからなのか、下手な小細工はすぐに見破られる。
 こうなっては仕方ないと、春道は本気で葉月との会話に応じる。
「信じてるさ。けど、あの人はどうやって、そのおじちゃんと会えばいいんだ? まさか葉月が、自分の夢の中に連れて行くのか?」
「う……で、でも……」
 普段は割と聞き分けのいい愛娘が、これまでになかったぐらい引き下がる。
 この熱心さから考えても、夢で会ったというのは適当な発言でないとわかる。
 春道としても葉月の意見を尊重したいのはやまやまだが、生憎と有力な情報にはならない。それでも、もしかしてと考えて、夢の中でその男性が名乗ってないか聞いてみる。

「……名前は……知らない。けど、会ったんだもん。ほんとに、葉月、そのおじちゃんとお話したんだよ」
 これで名前がパッと出てくる方が、逆に怪しかったりする。やはり葉月は嘘をついてないのだと、春道は確信した。
 だからといって、夢の中の会話では有力な情報源にならない。葉月にはかわいそうだが、なかったものとして扱うのが一番良い方法に思えた。
 しかし、そもそも柳田信一郎は、どうして写真の男性を捜しているのだろうか。浮かんだ疑問を解消するために、愛娘を連れて対象の男性の側へ行く。すると、丁度その事について話してるみたいだった。
 戸高泰宏も和葉も同様の思考に行き当たり、春道が葉月の相手をしてる間に質問していたのだ。まだ話し始めの段階だったので、何食わぬ顔で輪の中に加わる。
 妻が一瞬だけ、横目で葉月の姿を捉えたが、離れて遊んでるように注意はしなかった。
 話を聞かせても問題ないと判断したのか、それともあとで春道を叱るつもりなのかは不明だが、どちらにせよ許可をしたと解釈してもよさそうだった。
「実は……この方は、命の恩人なのです……」
 写真の男性の名前を告げたあとで、ポツリポツリと柳田信一郎が話し始めた。
「今から十年ぐらい前の話です。当時から今の会社を興していた私は、少しでも大きくしようと必死でした」
 まるで、懺悔でもするかのような話しぶりだった。
 過去を思い出すように瞼を閉じ、かすかに俯いては静かな声で言葉を続ける。
「幸いにして、最初の頃は仕事も上手くいき、想像よりもずっと早く会社は軌道に乗りました。ですが、所詮はまやかしにすぎなかったのです」
 成功したと思っていたのに、翌年になると収入が激減した。言いながら、柳田信一郎が自重する。
 ひょっとしたら、本人にとっては思い出したくない過去なのだろうか。それなのに、あえて質問に応じてるのだとしたら、よほど強く写真の男性に会いたいと願ってる証拠だった。
「会社を設立する前から目をつけていた商品は、確かに国内でもそれなりに売れました。ですが、掘り出しものなんて、そうそう見つかるはずもありません。それがわからない当時の私は、年齢は大人でも、心はまだまだ子供でした」
 両目を開いた柳田信一郎が、今度は空を見上げる。頭上からは、いつの間にかパラパラと小雨が落ちてきていた。
「私がそれなりの売り上げをあげたと聞くや、国内の大手企業も参戦。そうした情報を手に入れた海外の仕入先は、卸値をグッと引き上げました」
 要するに、足元を見られたのである。相手の会社のみならず、売り手と買い手が存在する市場では、そうしたケースは珍しくもなかった。
 起業前に想定できていなかったのだとしたら、柳田信一郎の見通しが甘すぎただけの話だ。冷たいようだが、それが社会というものである。
 春道自身もフリーで仕事を受けてるがゆえに、そうした受注の苦労は身をもって知っていた。もちろん「あそこへ外注を出したらこんなに安い」なんて駆け引きをされたのも、一度や二度の話ではなかった。
 多少は同情を覚えるが、いちいち失敗した当人の身になって悲しんでいたら、自分の人生が幾つあっても足りそうにない。会社を設立したり、フリーで仕事を請けたりするには、相応のリスクを背負う必要があった。
「悔しくはありましたが、これもビジネスと割り切り、私は国内の大手輸入企業に負けないよう、必死に世界各国を巡りました」


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