その後の愛すべき不思議な家族

   32

 年末から怒涛の勢いで続いてきたイベントもようやくひと段落し、春道は戸高家の客間で久しぶりにゆっくりと目覚める。
 元旦に葉月の買物も終わっており、残りの三が日の間はゆっくりしようと決めた。
 妻にもその旨は告げており、確かに色々ありましたからと、いとも簡単に同意を得ている。
 恐らく和葉自身も、そこそこ疲労が溜まっているのだ。肉体はもちろん、精神的にも苦労する出来事があったのだから当然だった。
 外も静かすぎるくらいにシンとしており、文字どおりの寝正月を送るのには絶好の日である。
 さあ、もうひと眠りするか。春道が再び、布団の中へ顔を埋めようとしたその瞬間だった。
「――うあふっ!」
 どこかで聞いた覚えのある悲鳴が、すぐ横で発生した。
 何事かと思って横を見ると、妻が眠っている布団の上に、笑顔を浮かべながらどっしりと座っている少女がいた。
 もちろん少女は葉月であり、苦悶する母親の顔を見つめながら「ママ、おはよー」と爽やかに挨拶する。
 子供は風の子というとおり、葉月は元気そのものだが、たまらないのは母親の和葉である。
 春道ともども、今日はゆっくりしようと決めていたにもかかわらず、強烈な愛情を含んだダイナミックな起こされ方をした。
 和葉でもあんな悲鳴を上げるんだなと、そ知らぬ顔でひとり体勢を戻した春道に気づかないまま、母娘の朝の会話が開始される。
「ママ、喜んでくれたー?」
 瞬間的に怒りのオーラを放出するも、あまりに無邪気な愛娘に和葉は毒気を抜かれたみたいだった。
 春道も先日あの起こし方をされたばかりだが、一発で目覚める代わりに相応のダメージも受ける。
 常識人の和葉であれば、恐らく「パパには、しちゃ駄目よ」と葉月をたしなめるに決まっていた。
 そのあとどうするかは不明だが、とにかく春道だけでも眠らせてあげようと考えるのが優しい妻である。
「そ、そう……ね。もう少し……優しく、起こしてくれた方が……嬉しいわ……」
 葉月に上から退けるよう告げてから、ゆっくりと和葉は上半身を起こした。
「でも……どうしたの、急に。いつもは、きちんと起こしてくれるでしょう」
 多少はダメージから回復した和葉が、フライングボディアタックを食らった腹部を撫でながら、葉月に尋ねた。
「だってねー。こうすると、ママが大喜びするって言われたのー」
「言われた? ……誰にかしら」
 ほんの少しとはいえ、和葉の声に怒気が含まれたのは、気のせいではないだろう。嫌な予感とともに、冷たい汗が横になっている春道の頬を流れる。
 止めろ……葉月。お前に良心というものがあるのなら、懸命に誤魔化すんだ。声よ届けとばかりに、春道は心の中で愛娘へ懇願した。
「パパにー。この間、こうやって起こしてあげたら、大喜びするから、ママにもしてあげなさいってー」
 願いは空しく露と消え、春道の背中に何やら恐ろしいまでのプレッシャーがぶつけられる。
 つい先日の出来事なので、忘れたくても忘れられない。そんなことを言った覚えは……確かにある。
 いきなりの衝撃で目覚めた春道は、その場の勢いも手伝って、ささやかな復讐の仕掛けをした。
 それがよもや、この状況下で発動するとは夢にも思っていなかった。
 これでは本末転倒で、ますます春道の状況が悪くなるだけだ。ここは素直に謝るのが得策だと判断する。
「ま、待ってくれ。これには深いわけが……!」
 ガバッと振り向いた先にいる愛妻は、春道を視界へ捉えているのに、葉月へ残酷な指令を発動した。
「パパもまだ眠ってるみたいだから、大喜びする起こし方をしてあげて」
「うんー」
「う、うんって……ちょっと待て! だ、だって、俺は起きて……や、止めろ……葉月……止めろ――っ!」
 懸命の制止も空しく、数十秒後の客間には、春道の「ぐふぉ」という悲鳴が木霊していた。

「……何だ、これは……」
 戸高家の玄関でドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた白い塊を見て、春道は思わず呟いた。
 外へ行こうとおおはしゃぎの愛娘が、毛糸の帽子や手袋どころか、耳当てまでつけた完全装備の理由がようやく判明した。
「いやー、積もったね。ひと晩で、結構降ったね」
「昨晩は冬型の気圧配置が強かったみたいですから、こんなものでしょう」
 戸高泰宏と和葉の兄妹が、当たり前みたいに春道の背後で会話をする。
 春道の実家や、現在住んでいる地方でも雪は降る。しかし、これほどまでの豪雪に遭遇する機会はないに等しかった。
 足がズッポリ埋まるくらいの積雪があり、戸高家みたいに立派な屋根がなければ、外に出るのもひと苦労しそうだった。
「春道君は、これだけの雪を見るのは初めてかな」
 戸高泰宏の問いかけに春道が頷くと、ひとりとても楽しそうな愛娘が「葉月も初めてー」と声を上げる。
「そうなのですか。一応は幼少時をこの地で過ごしてますからね。このぐらいは当たり前です。酷ければ、家のドアが開かなくなったりもしますので」
「開かなくなるって……どうするんだ、そうなったら」
「簡単な話です。二階の窓から外へ出て、雪かきをしてから玄関を開けます」
 いとも簡単に言い放った妻に、春道は「ちょっと待て」と慌てる。
 二階の窓から地面へ飛び降りようものなら、下手をすれば骨折する。
 浮かんだ疑問をぶつけると、和葉はそんなことですかといったような顔をした。
「積もった雪がクッションになりますので、怪我はしません。ですが、慎重を超えるぐらいの積雪がある際は、慎重になる必要があります。全身が雪に埋まって、出てこれなくなりますので」
 よくよくニュースで、雪下ろしの際の事故が伝えられるが、改めて雪国のヘビーさを思い知らされる。
「えーい」
 自然の厳しさに生唾を飲んだ春道とは対照的に、葉月は元気よく純白の海へダイブしていた。
 戸高家のような立派な屋根があれば、玄関先に雪など積もらなさそうだが、戸高泰宏曰く横殴りの雪が吹けば関係ないとのことだった。
 和葉が言うような事態になるのは稀で、被害にあうのは築年数が古い戸高家以外の住居が多いらしい。本当の豪雪地帯と呼ばれる地域に比べれば、まだ良い方なのではないかとも付け加えた。
 戸高家の玄関先にはそれほど積もってなかった雪も、葉月が転がっている中庭へ行けば状況が一変する。
「冷たいよー。でも、楽しいねー」
「まったく……葉月は元気ね」
 軽くため息をつきつつも、和葉は実に母親らしい微笑を浮かべている。
 朝に若干機嫌を損ねさせてしまったので、ここらで挽回しておこう。そう考えた春道は、愛妻の側まで歩を進めた。
「春道君も、葉月ちゃんを見習わないとね」
「うわっ!?」
 完全に油断していたせいもあり、戸高泰宏におもいきり背中を叩かれた春道は、派手にバランスを崩した。
 簡単に倒れてなるものかと両手をバタバタさせると、指先に何かの感触が伝わってきた。
 咄嗟の防衛本能で、春道はその何かを掴み、自らの体重を支えるために力を込める。
「きゃあ!?」
 実に可愛い悲鳴が聞こえたと思った頃には、春道はまともに雪の中へ突っ伏していた。
 顔だけを横へ向けて、未だガッチリ手で掴んでるものの正体を確認すると、それは人が身に着けるべき衣服だった。
「……春道さん、私に何か恨みでもおありですか……?」
 視線の先にいたのは、顔に雪化粧を施して美白となった愛妻の和葉だった。
 こめかみに血管が浮き出てるように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。悪びれもせずに「ごめん、ごめん」と笑ってる戸高泰宏は放置しておき、和葉への弁解の言葉を考える。
 けれど何かを口にする前に、新たな衝撃が春道の背中へ加えられた。
「葉月も、パパやママと一緒に遊ぶのー」
 見るといつの間にやら来ていた葉月が、春道と和葉へ抱きつくように折り重なっていた。

「わかったから、まずは退いてくれ」
 葉月にお願いして避けてもらったあとで、ひとり立ち上がった春道は、一緒に雪の中へ倒れこんだ妻へ手を伸ばした。
 とりあえず倒した原因については不問になり、お礼を言いながら和葉が春道の手を取ってくれた。
 互いの目を見つめ合いながら、春道はゆっくりと愛する妻の手を引く……途中で「ばーん」という声とともに、顔面へ雪玉を食らっていた。
 痛いと言う暇もなく、次から次に雪球が飛んでくる。それほど大きくはなく、固められてもなかったので、激痛というレベルでもなかった。
 投げている人間正体など、いちいち確認するまでもない。チラリと視線を向ければ、もの凄く楽しそうにしているひとりの少女が、腰に手を当てて立っていた。
「雪合戦スタートですー」
 勝手に宣戦布告をしたあとで、すでに用意していた雪玉を投げてくる。
 だが大きさや硬さは、たいしたことないとわかっている。大げさに避ける必要はない――はずだった。
「ぐふぉ!?」
「は、春道さんっ!?」
 愛妻を助け起こしたと同時にぶつかってきた雪球は、これまでよりワンランクもツーランクも上の強度だった。
 バランスを崩した春道を、今度は和葉が支える。
 一体何事かと混乱する春道の耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。
「油断大敵だよ、春道君。葉月ちゃんひとりだと不利だから、俺はこちらに味方するよ。団体戦だ」
 いきなり見事な不意打ちをかましてくれたのは、なんと戸高泰宏だった。
 葉月同様にダウンジャケットなどで完全防備しており、手袋二枚重ねなのを意味なく自慢する。
 誰が一番子供かわからない展開に、さしもの春道も呆気にとられる。
「さすがは兄さんというべきでしょうか……ここまで空気が読めないとは、想像以上です」
「……きっと、最近は家でひとりだから、家族の団欒に飢えてたんじゃないか」
 一応は義理の兄に当たるので、とりあえず戸高泰宏の立場が悪くならないようにフォローはしておく。もっとも、春道の意見は即座に否定された。
 近年では会社のパーティーで新年の挨拶をすることもあり、元旦から尋ねてくるような人物は減ったらしい。それでも昨日の夕方頃は、結構な人で戸高家はごった返していた。
 せっかくお年玉でお気に入りの玩具を購入した葉月だったが、遊んだりはせずに母親の和葉とともに来訪客の応対をした。
 もちろん春道も和葉の夫として、たくさんの人間へ挨拶する必要があった。改めて戸高家が、名家と呼ばれる所以を知った気がした。
 そうした人間の相手をしてる時の戸高泰宏は立派で、見直したものだったが、今日の一件で再び認識を改める必要があった。
「ま、空気を読まなくていいのなら、こちらにもやりようがあるさ」
 戸高泰宏の実の妹である和葉の了承を得たあとで、春道は声を張り上げる。
「あれー、どうして葉月はそっちにいるんだ? 団体戦なら、家族同士で結束するべきじゃないのかな」
 わざとらしく春道が言うと、愛娘は途端にハッとしたような表情になる。
 援護に入ってくれた戸高泰宏と、春道や和葉の顔を見比べたあとで、躊躇なく側にいる伯父さんへ雪球アタックを開始した。
「は、葉月ちゃん!?」
 驚く戸高泰宏の横っ面に、血縁者である和葉の渾身の一撃が命中する。
「兄さん、確か……団体戦でしたよね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 団体戦も何も、こっちは俺ひとり――もがっ!?」
 ダッシュでこっちの陣地へ到達したばかりの葉月が、裏切りの雪球を戸高泰宏へぶち当てた。
「葉月はいい子ね。あ、そうだ。先に負けた方が、今日の夕食当番にしましょう」
「お、おい、和葉!? そ、それは、さすがにあんまりじゃ――」
「兄さんも承諾してくれましたので、これより戸高家対高木家の雪合戦の始まりです」
 おーっと気勢を上げる葉月と、ひどすぎるーと悲鳴を上げる戸高泰宏。とても大人が揃ってやる遊びではない。けれど、これよりしばらくの間、戸高家の前から笑い声が絶えることはなかった。


面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。

 


小説トップページ ・ 目次へ ・ 前へ ・ 次へ