その後の愛すべき不思議な家族
33
戸高家で過ごした三が日がいい思い出となり、春道たちは戻った自宅で普段の日常へ溶け込みだしていた。
もう少し冬休みが残っているらしく、葉月は友達と遊びに行っている。
さすがはしっかり者の和葉の娘というべきか、すでに冬休みの宿題はすべて終えているみたいだった。
葉月と仲が良いらしい今井好美という少女も、なかなかできるらしく、共にあとは始業式まで自由に遊べる身分になっている。
だが日頃一緒に過ごしている仲良し三人組のもうひとり。空手をやっている佐々木実希子という女児が、ほぼ手付かずで宿題を残しているらしかった。
そこで葉月や今井好美が、遊びがてらに陣中見舞いをしてるはずだ。先日、ノートを写させてあげないのかと春道が尋ねたところ「自分でやらないと駄目なんだよー」と、実に優等生な回答が返ってきた。
優しげでありながら、意外に頑固な面も母親譲りであり、どれだけ佐々木実希子が拝み倒しても、葉月が顔を縦に上下させる可能性はないに等しかった。
佐々木実希子が若干憐れではあるものの、どちらかといえば葉月の言葉が正論だけに、当人も面と向かって反論ができないはずだった。
小学生らしい微笑ましいやりとりを頭の中で想像すれば、何とも言えない穏やかな気分になる。
けれど春道としても、あまり自室でまどろんではいられない。休暇をとっていたのは五日――つまりは本日までなのだ。PCに電源を入れて、いざ仕事へ励もうとするが、どうにもやる気がでてこない。完全に作業ペースを見失っていた。
だからといって「できません」では、社会人として失格なので、どうにかこうにか作業してるうちにお昼を過ぎていた。
「昼飯でも食べに行くか……」
ここが松島家だった頃は、和葉が逐一食事を運んでくれていた。
廊下にある小型の冷蔵庫を開けば、三食分の料理が用意されていた。
思わず懐かしい気分に浸る春道の視界には、該当の冷蔵庫が今も廊下で鎮座している。
中に入っているのはドリンク類ばかりで、おかずが入っていたりすることもない。高木家に変わってからは、リビングに下りて食事をとるようになっていた。
冷蔵庫の中におかずが入ってるのは同じだったが、場所が変わるだけでずいぶんと印象も異なる。
当初こそ戸惑ったりしたが、今ではだいぶ慣れていた。春道も、家族の一員になれたからだろうか。自分勝手に、そんなことを考える。
「ただいまー」
冷蔵庫の中には二人分のおかずが用意されていたので、葉月も自宅で昼食をとるのだとすぐにわかった。
一旦お昼には帰宅して、食事をとったあとで、午後からまた遊びに行くのだろう。小さい頃は、春道もそうだったので、気持ちはよくわかる。
「あれ、パパがいるー」
「……人を希少生物みたいに言わないでくれ」
仕事に没頭すると、朝食のみならず、昼食も夕食も一般の人とは違う時間になる。
わざとそうしてるのではなく、時間の経過に気づけないのだ。最初は和葉も待ってくれていたが、呼ばれても無反応なぐらい集中しているため、途中で家族揃っての団欒は頓挫した。
時間が合えば一緒に食事するということになり、現在に至っている。
そんな状態なので、戸高家で三食一緒にとれていた愛娘は、普段よりも大はしゃぎしていた。
そうした姿を見るたび、一緒に食事をしようと決意するのだが、なかなか実現させられないのが不甲斐ないところだ。何せ今日みたいに、お昼だと気づく方が珍しいのである。
「昼飯の準備はできてるぞ。手は洗ったか?」
「うんー。途中で、きちんと洗ってきたよー」
足音で大体判別ついてはいたが、帰宅時の手洗いは大事なため、念のために確認した。
こうした配慮ひとつとっても、気軽に出てくるようになってきた自分自身が、まさしく父親みたいでなんだか気恥ずかしくなる。
自分のを用意するついでに、向かいの席の前に葉月の分を並べておいたので、その気になればすぐに食事できる。
「えへへー。パパと二人だけで、お昼ご飯を食べるのって、凄く久しぶりだねー」
「そういや……そうだな」
戸高家での食事は、常に和葉や泰宏もいた。
そう考えると、愛娘と二人きりというのも、確かに久方ぶりだった。
変な感情など抱くはずもないが、何故だか妙に照れ臭くなる。
「あ、そうだ。ママね、今日、きっと遅くなるって言ってたよー」
「本当か?」
尋ねた春道に、葉月が「うん」と頷いてみせる。
常日頃から忙しく仕事に追われている妻が、年末から家族のため、立て続けに休みをとっていた。
春道には有給休暇が溜まっていたからと言っていたが、そのせいで相当に仕事が溜まってるのは想像に難くない。家族を第一に考えて、苦労を背負い込んだ愛妻には頭が下がる。
加えて、春道への待遇も未だに持続されていた。
現在はどうであれ、この生活に引き込んだ責任があるからと、生活費はすべて和葉が支払っている。
さらには御小遣い制も継続されたままであり、毎月春道に一定の金額が支払われる。
偽装ではなく、本物の家族になったのだから、そこまで甘えられない。当然のごとく、春道は和葉へそう訴えた。
しかし、頑固な愛妻は最後まで、春道による生活費の支払いなどを了承してくれなかった。
――その分、お仕事を頑張ってください。決まって最後に、穏やかな笑顔でお決まりの台詞を発して口論を締めくくる。
この分では何を言っても無駄と、とりあえずは相手の好きにさせておくことにした。
よくよく考えれば、春道にとって、損は何ひとつないのである。
「だからねー。今日の晩御飯は、葉月が作るねー」
「……何で?」
せっかく妻が愛情込めて作ってくれた料理を、危うく吐き出しそうになるのを懸命に堪え、ようやく春道はそのひと言だけを搾り出した。
「ママ、朝早くに仕事へ行ったから、晩御飯までは作っていけなかったのー。それでね、葉月にパパへ渡しなさいって、お金をくれたんだー」
事情はわかったが、どうして葉月が夕食担当になるのだけは、どうしても理解ができない。何より、春道は身の危険を覚えた。
明らかに夕食は二人で、外で食べてきてという意図なのに、どういう理由か愛娘は歪んで捉えている。
「だったら、パパと一緒にレストランでも行かないか。葉月の好きなものを、頼んでいいんだぞ」
レストランという単語に、少女の口角に涎が溜まる。誘惑されてるのは、一目瞭然だった。
もうひと押しと考えた春道は、さらに言葉を続ける。
「葉月は、パパと一緒にお出かけするのが嫌か? それだったら、仕方ないけどな」
「う、ううん。そんなことないよ。葉月、パパと一緒にお出かけするっ」
――パパこそ、葉月の手料理を食べるのが嫌なのー? この発言だけを恐れていた春道にとって、愛娘の反応は歓迎すべきものだった。
結局、葉月が友達と遊び終えて帰宅したら、一緒に外出するということで話はまとまった。
午後からも今井好美や佐々木実希子と遊ぶ予定が入っている葉月は、慌しく昼ご飯を食べると、食休みもそこそこにまた出かけた。
少しは妻の手助けになるようにと、春道は二人分の食器を洗ってから、二階の仕事部屋へと戻るのだった。
「うーん……とりあえずは、ここまでにしておくか」
ひと段落ついたところで、PCの電源を落とし、伸びをする。
単純なストレッチだが、凝り固まった肩をほぐすのに、意外と効果を発揮してくれる。
本来なら深夜まで仕事をするところなのだが、今日ばかりはそうできない事情があった。
愛娘と外食するために、早めに仕事を切り上げた。丁度いいぐらいの時間だろうと思っていた春道に、なんとも言えない視線が突き刺さる。
「……お腹……空いた……」
「は、葉月っ!?」
奇妙なプレッシャーを感じた方へ顔を向けると、部屋の隅で壁に背をもたれさせながら、体育座りしている少女がいた。
もちろん葉月であり、若干の恨みがましそうな目で春道を見ている。
もしかしてやってしまったのかと焦り、時計を見ると時刻は午後七時三十分だった。
春道には平気な時間でも、育ち盛りの娘には遅いくらいである。
急な用事が入った時のために、最近ではリビングに春道の部屋の合鍵が用意されている。
家族しか知らない隠し場所なので、誰かに盗られたりする心配もない。その合鍵を使って、いつの間にか春道の仕事部屋へやってきていたのだろう。だが、まったく気づいてなかった。
それも不満だったに違いない。無言のまま、頬をふくらませている。
「わ、悪かった。で、でも、声をかけてくれれば……」
「何回もかけたもん。パパ、ちっとも気づいてくれなかったよ」
小さく「うっ」と呻いたきり、春道は何も言えなくなった。
集中力を高められるのは良いが、そうなると葉月はもとより、和葉の声ですら耳へ入らなくなる。
これまでも同様の状況を何度も発生させては、家族から怒られていた。
懲りない春道に向けられるジト目が、余計に精神を追いつめてくる。
とりあえず、愛娘のご機嫌をとる必要がある。
「お、お腹が空いていると、ご飯も美味しくなるんだ。パ、パパは葉月のためを思って……」
「……わーい……嬉しいなー……」
駄目だ。弁解をすればするほど、泥沼へハマっていく。かくなる上はひたすら謝り、外食をするために春道は着替えるのだった。
「美味しかったー」
出かけるまでは色々あったが、レストランで食事を終えて出てくる頃には、葉月の機嫌もすっかり直っていた。
代償として、夕食前にぬいぐるみを買わされてしまったが、今回は春道に責任があるので、仕方ないと諦めがついている。
問題は安いぬいぐるみとはいえ、その存在を和葉に知られた場合である。嫌味のひとつや百個は、当たり前に飛んでくる。
お土産のプリンで、どこまでご機嫌がとれるかは不明だが、とにかくこの一手にかけるしかない。そんな思いを抱きながら、春道は葉月とともに帰宅する。
鍵を閉めたはずなのに、ドアが開きっぱなしになっている。
最悪な展開が頭をよぎったものの、玄関には見覚えのある靴がひとつだけちょこんと存在していた。
妻の和葉が帰宅しており、その際に鍵をかけ忘れたのだと考える。
もしくは、すぐに春道たちが帰宅すると判断して、気を遣ってくれたのかもしれない。リビングにいるであろう愛妻へ「ただいま」と声をかける。
だが出迎えに来てくれる雰囲気はなく、明らかにいつもと違っている。
ある種、特殊な空気を敏感に察知した葉月が、少しだけ心配そうに「ママー?」と言いながら、リビングへ続くドアを開けた。
「え……? あ、ああ……お帰りなさい」
食卓に座っている和葉は、テーブルに肘をついて俯いていた。
帰宅した葉月に気づいて顔を上げたものの、浮かべた微笑は驚くぐらいぎこちない。尋ねるまでもなく、何かアクシデントが発生したのだとわかる。
「晩御飯……食べてきた?」
「う、うん……」
明らかに元気のない母親の姿に、葉月も戸惑っている。
何も聞かないで的なオーラが放出されているが、放っておけるはずもない。意を決して、春道は口を開いた。
「どうか……したのか?」
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