その後の愛すべき不思議な家族

   4

「お待たせしました」
  春道が立ち上がろうとした矢先に、小石川祐子が注文したコーヒーをウエイトレスがトレイに載せて持ってきた。凄まじく絶妙なタイミングでの登場に、隠れて会話を聞いていたのではないかとさえ疑ってしまう。
  くさすぎる台詞を吐いてしまっただけに、照れ隠しも兼ねてさっさと立ち去ろうとしたのだが、これでは逆にすぐ帰れなくなってしまう。ひょっとしたらグルだったのかと勘ぐってるうちに、ウエイトレスは小石川祐子の前にコーヒーカップを置く。
「どうぞ、ごゆっくり」
  そう言うと微笑みながら会釈をする。接客態度も先ほどとは雲泥の差で、コーヒーの出し方ひとつとっても超がつくほど丁寧だった。去っていく足取りもどこか軽やかで、本当に同一人物なのかと思えてくる。
  だが小石川祐子は、ウエイトレスの不審な態度を気にしてる様子はなかった。そんなのはどうでもいいとばかりに、置かれたばかりのコーヒーカップを手にとって口をつける。
「……春道さんみたいな人もいるんですね」
  ひと息ついてから、女教師がふとそんな台詞を口にした。どういう意味なのか、春道にはよくわからない。もしかしたら、昼メロの登場人物みたいな台詞を、真顔で言う男がいるとは思わなかったとからかわれてるのかもしれない。
  そうだとしたら、小石川祐子が沈んでる表情をしてる理由が不明だった。どこか悲しげでいながら、どこか安堵してるようにも見える。春道はますます目の前の女教師を理解できなくなる。
「あーあ、振られちゃいましたね。ここまでやっても駄目なんて、奥さんが本当に羨ましいです」
  コーヒーカップをテーブルに置いた女教師が笑顔を見せた。何か吹っ切れたような顔をしており、これ以上春道に変なちょっかいをかけてくるような気配はない。完全にこの問題は解決した。そんな気がする。
「仕方ないから諦めます。春道さんには、どんなアプローチをしても無駄みたいですし」
「そうだな。まだしつこく続くなら、警察へストーカーに狙われてると被害届を出していたところだ」
「スト……!」
  顔を蒼くさせた小石川祐子が、小首を傾げながら「冗談ですよね」と聞いてくる。春道は「さあな」とだけ答え、今度こそ立ち去ろうと伝票をまとめて手にする。
「あ、自分の分は払いますよ」
「いいさ。ついでだ」
「じゃあ、ご馳走になっちゃいます」
  微笑む小石川祐子に、春道もかすかな笑顔で応じる。以降はこの女教師と、こうして二人きりで会ったりすることもない。あとは残っているもうひとつの問題を解決するだけだった。カウンターで支払いを済ませた春道は、急ぎ足で店を出るのだった。

 慣れ親しんだ愛車を飛ばして、なんとか景色が夜の闇に包まれる前に目的地へと到着した。春道の視界に映ってるのは、もちろん戸高家――つまりは和葉の実家である。葉月を連れて向かうところといえば、ここ以外に春道は思いつかない。
  玄関前まで歩き、側にあるインターホンを鳴らす。自分の心臓の音が聞こえるほどに、春道は緊張していた。いかに和葉の実兄である戸高泰宏が温厚な人物とはいえ、家出してきた妹の事情を知れば、元凶となった人物に穏やかな応対をするとは思えない。
  下手をすれば一発殴られた挙句に、ボロクソに怒鳴りつけられるかもしれない。だが仮にそうなっても、春道は甘んじて受けるつもりだった。いかに小石川祐子の策略が原因であっても、とどめのひと言を発したのは他ならぬ自分自身なのだ。
  インターホンの音が周囲に響き渡る。ここらはとても静かな土地なので、こうした音がことさらに強調される。都会なら隣の家にも聞こえたりするかもしれないが、ここではその心配もない。
  敷地も広大なら、隣近所との距離もそこそこに離れているからだ。都会みたいに、家が密集して建ち並んだりはしてないのである。
  インターホンを押してから待つこと少し、静かだった家の中からドタドタと足音が聞こえてきた。この勢いから察するに、やはりさすがの戸高泰宏も怒っており、嫌味のひとつでも言ってやろうと思ってるに違いない。
  ドアが開かれ、予想どおり玄関に現れた戸高泰宏は「いやー。よく来たね、春道君」と、明るい声で話しかけてきた。
「は? は、はあ……」
  まずはフレンドリーな態度で接し、油断させようという魂胆なのだろうか。一応疑ってみたものの、戸高泰宏がそんな計算をするような人間には思えない。どちらかといえば、天然に属するタイプなのだ。
「和葉と喧嘩しちゃったんだって? あいつも気が強いから、春道君も大変だろう」
  怒られるどころか、同情されてしまっている。どう返答したものかと玄関先で悩む春道の元へ、新たな足音が近づいてくる。
「あー! やっぱりパパだー」
  現れた笑顔の葉月が、春道に向かって突進してきた。本人は腰に抱きついたつもりなのだろうが、正確には鳩尾に頭突きをかましてきたに等しい。
  喉元までこみあげてきた悲鳴をなんとかこらえつつ、春道は娘の頭を撫でる。そうしてやると、妙に喜ぶのだ。そんな光景を、戸高泰宏が微笑ましそうに眺めている。
「ママが、後からパパも来るって言ってたから、葉月ずっと待ってたんだよー」
「……そうか。それは悪かったな」
  どうやら実兄である戸高泰宏には事情を説明してたようだが、愛娘の葉月には実家へ遊びに来た程度しか言ってなかったようだ。春道と和葉が喧嘩したせいで家出するなどと正直に言えば、ほぼ間違いなく少女は拒否をする。そう判断しての処置だろう。
  春道もそれでいいと思った。いくらギスギスした場面を途中まで見られてるからといって、夫婦喧嘩の内容まで事細かに教える必要はないのだ。下手に自分のせいだと勘違いされたら、それこそ厄介な事態になる。
「こんなところで立ち話もなんだから、とりあえず上がるといいよ」
  家主である戸高泰宏に勧められた春道は「お邪魔します」と口にして、相手の言葉に甘えることにした。そもそも戸家に来た目的は和葉との和解である。それを成さないうちに帰ったりしたら、何のためにやってきたのかわからない。
  ひとりスタスタと先を歩く戸高泰宏の背中を見ながら、春道は靴を脱いで玄関に揃えて置く。見慣れた二つの靴は、それぞれ和葉と葉月の母娘のものだ。
「ママなら、おっきな居間にいるよー」
  そう言って春道を案内してくれるのは、戸高泰宏ではなく葉月だった。好奇心旺盛な少女だけに、ここへ来てから家の中を探検させてもらったりして遊んでたに違いない。
  そう考えれば、こんな大きな家の中を春道ひとりで歩き回るよりはずっと安心だった。素直に少女の言葉に従い、妻の和葉がいるという大きな居間とやらに向かって歩いていく。
「で、パパはママに謝りに来たんだよねー」
  いきなりの発言に、思わず春道はむせそうになってしまった。くりくりとした大きな瞳で、少女はこちらをじーっと見つめている。どうやら和葉が説明するまでもなく、母親がこんな場所へ連れてきた理由をきちんと理解してるみたいだった。
  子供っぽさを多分に残しながらも、大人顔負けの心遣いを発揮する少女らしく、こういったケースでの勘の鋭さは天下一品である。そこまで悟られてるなら、下手な誤魔化しは無意味だった。
「ああ、そのとおりだ。パパがちょっとヘマをやらかしたせいで、ママを怒らせてしまったからな。なんとか機嫌を直してくれるといいんだが……ママ――和葉はどんな感じだ」
  今日一日、ずっと共に行動していたであろう葉月に情報を求めるのが最適だった。返ってくる答えによって、ある程度の対応方針も決められる。
「わかんないけど、朝はすっごい怖かったよ。何も言わないで、葉月を連れてくんだもん」
  そう言うと、葉月はにぱっと小悪魔のごとき笑みを見せた。どこか悪戯っぽく、春道を脅かして面白がってるようにも思える。この様子から察するに、朝のうちは機嫌が悪く、午後を過ぎてから多少はマシになってきたという感じだろう。
  もし今も和葉の機嫌が最悪なら、心優しい少女は本気で春道を心配して、様々な情報を与えてくれているはずだ。少しだけホッとしながら、案内された居間へ続く扉を開ける。
「……何をしにきたのですか」
  春道の姿を発見するなり、妻である女性の目つきがスッと鋭くなった。機嫌が直ってるどころか、昨夜よりも悪化してるのではないだろうか。急いで少女の姿を探すも、葉月は戸高泰宏と何やら楽しそうにおしゃべりをしている。
「黙って立っていてもわかりません。もう一度聞きますよ。何をしにきたのですか」
  強烈な殺気をこめた視線に射抜かれる春道へ、静かながらも重い口調で和葉が言葉をぶつけてくる。とてもじゃないが、平和的に解決を図れるような雰囲気ではなかった。
「いや、その……あれだ。昨日のは誤解だったんだよ、うん」
  張り詰めた空気をなんとかしようと、あえて春道は場違いなくらい明るい声を出す。乗ってきてはくれないだろうが、なんらかの変化が期待できるのではないかと判断したのだ。
「そうですか。わかりました」
  考えていたよりもあっさりと、和葉は春道の弁明に納得してくれた。ひとつ問題があるとすれば、視線の鋭さや威圧感たっぷりの態度が何も変わってない点だった。
「……それで、何をしにきたのですか」
  居間に到着して、最初に浴びせられた質問が繰り返された。どうやら先ほどの発言に対しての反応は、ただ単に受け流しただけにすぎなかったようである。
  出会った当初に比べて、最近ではずいぶん感情を表に出すようになってきていた。それでも、他の人間よりはずっと冷静沈着だったりする。
  そんな和葉だけに、こうして一度怒りを爆発させると、かなり悲惨な事態になる。今回の一件で、つくづく春道は痛感していた。
「だ、だから……その……一緒に帰ろうと思って、迎えに来たんだ」
  ここで春道まで怒ってしまったら、事態の解決はより難しくなってしまう。さらに、何度も己に言い聞かせているとおり、現状を招いた原因の大半は春道にある。逆ギレをしてられる立場ではないのだ。
  柄ではなくとも、精一杯の笑顔を使って許してほしいとアピールしたつもりが、怒れる妻にはまったく通用しなかった。
「誰か迎えに来てほしいと頼みましたか」
  勇気をだしての発言も、冷たく一蹴されて終わりである。春道から視線を逸らし、愛娘を見つめて「葉月が頼んだの」と問いかける。普段は明るい少女も、この時ばかりは怯えながら首を左右にブンブンと振った。
「誰も頼んでないのに、わざわざ迎えに来たわけですか。ずいぶんお節介なのですね」
  居間にいる時間が長くなっていくたび、相手の言葉に含まれる棘が増えていく。まだまだ絶好調で怒りを増幅してるらしく、さすがの春道も雰囲気に飲み込まれて、何も言えなくなってしまう。
「落ち着けよ、和葉。お前がそんな態度だったら話にならないだろ。少しは春道君の言葉も聞いてあげたらどうだ」
  どうするべきか悩んでいる春道に、思わぬ人物から助け舟が出された。葉月と一緒に、居間で妹夫婦のやりとりを眺めていた戸高泰宏だった。


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