その後の愛すべき不思議な家族
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「費用はこちらで全部持つ。悪い話じゃないだろう」
兄の発言に対して、妹の和葉は結論を出せずにいた。
元来、甘えるのをよしとしない和葉でも、今回ばかりは事情が違う。やはり女性なだけあって、結婚式に興味があるのだ。
もっと早くに、考慮してやれなかった自分自身が情けなくなる。
戸高泰宏もその点を考慮して、わざわざ今回の申し出をしてくれたのだろう。そうでなければ、一生に一度の大事な式を合同でやろうなんて考えない。
申し訳なく思いつつも、簡単に好意に甘えていいのかという気にもなる。春道と和葉は結婚しているが、当初の取り決めどおりに式をあげてはいなかった。
けれど現在と結婚当初では、事情が大きく異なっていた。そうなれば、結婚式へ対する気持ちも変わってくる。
こうした状況にならないと気づけないのだから、鈍感と言われたとしても、何ひとつ反論できなかった。
「そうか……それなら、披露宴だけでも合同にしたらどうだ。春道君のご両親も、息子の晴れ姿を見たいんじゃないかな」
いつか参加した結婚式で、楽しそうにしていた両親の姿が思い浮かんでくる。
父親はどうかわからないが、確かに母親は喜んでくれそうだった。
「私は……反対です。合同の披露宴となれば、当然、兄さんの会社の役員や、戸高家に縁のある方々も呼ばれます」
すべて説明し終えたわけではなかったが、そこまでで和葉の言いたいことは理解できた。
要するにこれは、春道のためを思って反対してくれたのだ。
戸高家は代々続く名家であり、この地域への影響力もかなりある。その当主が披露宴をするとなれば、各界の著名人が集まってくる可能性も考えられる。
合同の披露宴となれば、否応なく戸高家令嬢の夫の春道にも注目が集まる。仕事は何をしてるのですか、なんて話題も当然のごとくでてくる。
会社の社長を務めている戸高泰宏とは違い、春道はフリーのプログラマーという社会的にあまり認知されてない仕事をしている。
自分の仕事に誇りを持っていても、周囲が好意的に見てくれるとは限らない。特に上流階級の人間ほど、そうした傾向が顕著に現れる。
春道は別に気にしたりしないが、式に参加している両親が負い目を感じるかもしれない。和葉はそれを危惧しているのだ。
高木家と戸高家の問題でもあるし、本来なら断るのがベターなのだろう。けれど春道は、あえて承諾の返事をした。
「春道さん? 本気ですか」
これには誰より、妻の和葉が驚いていた。
愛娘の葉月は話題についてこられず、ひとり行儀よくソファに座りながら、小石川祐子に出されたオレンジジュースをちびちび飲んでいる。
「せっかくの好意だし、向こうの面子もある。俺は別に構わないぞ」
いくら勘当された身とはいえ、戸高家に令嬢がいたのは周囲の事実だ。その和葉が、式もあげられない状況にあるとなれば、妬みを持つ者から戸高泰宏が嫌味を言われかねない。
相手からすれば、妹を喜ばせると同時に、そうした陰口も封じたいに違いなかった。
春道の考えにまで到達してくれたのか、和葉も「そこまで言うのであれば……」と賛成する意思を示してくれた。
だがここで、とんでもない人間が待ったをかける。
「こっちの面子? 別にそんなのは、どうでもいいよ」
合同の結婚式及び披露宴を提案してきた戸高泰宏が、春道の言葉を笑いながら否定した。
「まだやってないなら、単純に一緒にどうって誘ってるだけだから。嫌なら、断ってくれればいいよ。面子なんて考えてもいなかった」
屈託なく笑う戸高泰宏の顔を見てれば、相手の発言が嘘でないとわかる。
どうやら春道が勘ぐりすぎていただけで、ただの親切心で提案してくれたみたいだった。
「何なら、会社の役員も含め、取引先の連中も呼ばなければいい」
そんな戸高泰宏から、またも爆弾発言が飛び出した。
「普段から懇意にしてくださってる方々を、招待しないわけにはいかないでしょう。兄さんはもっと、会社のトップである自覚を持ってください」
「ハハハ。和葉は、俺の秘書みたいだな」
さすがに社長という立場だけあって、勤務時には秘書が様々な業務を手伝ってくれるのだろう。春道が羨ましいと思っている一方で、キランと目を光らせた人物がいた。
戸高泰宏の隣に座っており、近い将来に妻となるべき女性の小石川祐子だった。
「秘書というのは、初めて聞きました。まさか……女性ではないですよね?」
「女性だよ。それも結構な美人でね。彼女がいると、仕事がはかどるんだ」
あっけらかんと禁断の台詞を口にする実兄を、妹の和葉が呆れたように眺めている。
春道もあちゃーと思う中、ひとりだけ葉月が平和にオレンジジュースを飲み続けている。
「なら、その人と結婚すれば」
冷たく言い放ったあとで、小石川祐子は戸高泰宏を一瞥する。
相当ピリピリしている空気が放出されているが、当人の戸高泰宏はどこ吹く風である。
「それが、もう人妻なんだよ。惜しいよね」
「へえ、それは残念ね。でも、恋愛は自由よ?」
「まあ、そうなんだけどね」
暖簾に腕押し。まさにこの言葉が、今の戸高泰宏にピッタリと当てはまる。
いつもこんな調子なのか、やがて怒るのも疲れたとばかりに小石川祐子がため息をついた。
しかしジェラシーを覚えているあたり、本気で戸高泰宏が好きなのだとわかった。
和葉も春道と同様の感想を抱いたのか、ほんの少しだけ微笑ましそうに見ている。
「まったく……パーティーでテンパって、プロポーズをした時が懐かしいわね」
「ぱーてぃでぷろぽーず?」
まだ学校で英語を習っていない葉月が、どういう意味なのかと担任教師でもある女性に質問する。
「ええ、そうよ。実はね――」
「あーっと、そういえば、ちょっと祐子に用があったな。うん。じゃ、ちょっと二人でさっきの提案を考えてみてくれ」
そう言うと戸高泰宏は、何事か話したがっていた小石川祐子を引きずるようにして、揃ってリビングから退出していった。
「……どうやら、余程のミスをやらかしたみたいですね」
何を言われても朗らかに笑ってるイメージの強い戸高泰宏も、先ほどばかりは引きつった表情を浮かべていた。
小石川祐子が何を話そうとしたのかおおいに気になったが、話すべき題材は他にあった。
「俺は合同披露宴をやってもいいと思うぞ。金銭的な問題とかの話じゃなくてな」
「それはわかっています。兄さんのことですから、本気で会社の役員を呼ばない可能性もありますしね」
だがそうなると、花嫁を披露するための宴の意味がわからなくなる。
春道にすれば、両親に見せてやれるだけ親孝行になると考えたが、和葉がどう思ってるかは未だに不明のままだった。
そこでおもいきって「和葉はどうしたい」とストレートに尋ねてみた。
「正直、気が進みません。質問に質問で返すのは本意でありませんが、あえて春道さんにもお伺いします。どう思いますか?」
「そうだな。俺も和葉の綺麗な姿を見てみたい」
「なっ――! は、春道さんは、いつも突然すぎるんです。普段はあまりそういうことを言わないくせに……」
「え? 何か言ったか」
わざと聞こえないふりをしてやると、やや拗ねたような感じで愛妻が「なんでもありません」と応じた。
同じソファに座っていた愛娘も「葉月も綺麗なママを見たいー」と春道の意見に賛成してくれた。
「で、どうするかは決まったかな」
三十分後ぐらいにリビングへ戻ってきた戸高泰宏は、どことなく憔悴しているみたいだった。
もしかしたら、別室で小石川祐子に説教でもされたのかもしれない。けれど今回ばかりは、さすがの春道も相手を同情する気にはなれなかった。
「……せっかくなので、お言葉に甘えさせていただきます」
和葉がそう言うと、戸高泰宏と一緒に戻ってきた小石川祐子が「良かった」と喜んだ。
和葉の説得に尽力したのは、なんと娘の葉月だった。式や披露宴がどうこうより、単純に母親の綺麗な姿を見たがったのである。
「これで泰宏さんと春道さん。二人の夫を両親に紹介できます」
「ふしだなら娘で申し訳ないと、披露宴でお父様はさぞかし恥をかくことになるのでしょうね」
小石川祐子の軽口にも慣れてきたのか、余裕の笑みを浮かべながら和葉がやり返す。女同士の舌戦が激しくなるのを放置しつつ、戸高泰宏が春道にも回答を求めてきた。
「俺も和葉と同じ意見です。よろしくお願いします」
本当なら費用の半分を負担するつもりでいたが、妻の和葉がその必要はないと制した。
戸高泰宏はああ見えて意外と頑固なので、一度自分が払うといった以上、絶対に譲らないというのだ。
代わりに頂いたお祝い金を、すべて戸高泰宏へ渡すということで話がまとまっていた。
その旨を戸高泰宏へ告げると、少しだけ考えたあとで「春道君と和葉がそう言うのであれば、断れないね」と承諾してくれた。
妥協した提案でも悩んだぐらいなのだから、費用の負担なんて口にしていたら、即座に断られていた。
さすがに兄妹というべきか。全然違うようでいて、やはり似ているのだなと実感する。
「けど……あれはいいんですか?」
未だ和葉と何事か言い合っている小石川祐子を見ながら、夫となるべき戸高泰宏へ質問する。
「ああ、問題ないよ。むしろ、本来の自分を素直に出せているから、好印象なぐらいだ。我慢のしすぎは心身ともによくないしね」
器が大きいというべきなのか、何も考えていないだけなのか。とにもかくにも、戸高泰宏には春道と違う景色が見えているような気さえする。
とはいえ、戸高泰宏の発言について、多少なりとも理解できる点もある。
確かに小石川祐子は、以前に会った時よりものびのびしている。これも戸高泰宏のおかげなのだとしたら、春道が思っているより、ずっと凄い人物なのかもしれない。
「葉月も仲間に入った方がいいかなー」
そんなふうに尋ねられたら、与えるべき答えはひとつしかなかった。
「頼むから止めてくれ。ママひとりだけでも、大変なんだ」
和葉は小石川祐子との口論で忙しい。そう思い込んでいた春道の完全なるミスだった。
「……何が大変なのでしょうか。私たちも別室で、二人だけでお話をする必要があるみたいですね」
いつの間にやら背後へやってきた愛妻が、重低音溢れるボイスを春道へぶつけてくる。
振り返るまでもなく、怖すぎるくらいの顔をしてるのを容易に想像できた。
「いらないのでしたら、私が春道さんを引き受けますけど?」
「貴女は黙っていてください。春道さんは私のですっ!」
売り言葉に買い言葉だったのだろうが、普段なら絶対に口にしないであろう発言を大声で叫んでいた。
言い終わってから若干冷静になった和葉が「ハッ!」と顔を赤らめる。
「違うよ、ママ。パパは葉月のだよー」
唇を尖らせた葉月の台詞が、さらに和葉の羞恥心に追い討ちをかけたみたいだった。
「……聞こえ……ましたよね……」
「……それはもう……バッチリと……」
互いに恥ずかしがっている春道と和葉を眺めながら、いつもの調子で戸高泰宏が笑った。
「仲の良いところを見せつけられてしまったね。今から合同の披露宴が楽しみだよ」
春道も和葉も口を開けず、真っ赤な顔を俯かせているだけだった。
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