愛すべき不思議な家族 12

 よほど聞きなれない音だったのか、窓際の席に座っている何人かの児童が、校舎から駐車量をチラ見してきた。
 その後春道が車から降りると、窓越しに見える児童の顔が増えていた。生徒が教室内を自由に動けてるので、なんとか授業開始にはギリギリセーフのようだ。
 だがホッとしたのも束の間だった。滅多に鳴らない携帯電話が、何をトチ狂ったのかスラックスのポケット内で暴れだしたのだ。
 授業の邪魔になれば申し訳ないと思い、事前にマナーモードにしていた。したがって、購入時から一度も変えてない着信音が鳴ったりはしなかったが、代わりにさっさと電話にでろよとばかりに本体が振動している。
 無視をしてやろうかとも思ったが、携帯電話のディスプレイに表示された名前を見て、選択できない方法だと判明する。
 発信者は懇意にしてくれてる会社の社長だったのだ。小さい会社ながらも、業績を最近グングンと伸ばしてるところで、昔から付き合いがあった。
 フリープログラマーとなった春道に、初めて仕事をくれたのがこの会社なのだ。以来ほとんど専属で仕事を発注してくれる。年収の大半を占めており、これまでなんとか生活してこれたのもそのおかげだった。
 そんな理由から無視できない春道は、マナーモードになっている携帯電話の受話ボタンを押す。
「あ、高木君?」
 もしもしと応答するよりも早く、相手の声が耳に届いてきた。
「どうかしたんですか」
「いや、例の仕事に関してなんだけどさ」
 少しばかりの休みを満喫してから、とりかかろうと思っていた仕事のことだろう。まさか納期を早めてほしいなんて要望じゃないよな。内心ビクビクしながら、春道は相手の次の台詞を待った。
「ちょっと量が増えそうなんだけど大丈夫かな。その分報酬も上げるし、納期も少しくらいなら延期してもいいからさ」
「大丈夫です」
 春道は即答した。納期の変更なしで、仕事量が増えるのなら少しは考えたかもしれないが、延期してもいいのだったら話は別だ。ましてその分、ギャラもきちんと上乗せしてくれると言ってるのだから、仕事を貰ってる側からしたら断る理由などなかった。
「それは良かった。なら追加分の指示をメールで送っておくから、あとで見といて」
「わかりました。それじゃ、失礼します」
 電話を終えると、校舎内はシンとなっていた。どうやらすでに授業が始まってるらしい。用件だけ聞いて通話を早めに切り上げたはずなのだが、どうやら思ってた以上に時間がかかっていたみたいだった。
 業務上の話だった場合、第三者に聞かれたらマズいと判断して車内で通話していたので、再び春道は運転席から地面へと足をつける。
 少し遅刻してしまったな。一度ため息をついてから車にロックをかけ、小走りで授業中の校舎へと向かう。
 靴箱が並ぶ懐かしい光景の玄関を通り抜け、教室の脇を通過するたびに児童たちの元気な声が聞こえてくる。
 一階には理科室等の特別教室があり、プラスして一、二年生の教室。二階に職員室や三、四年生の教室。そして三階に五、六年生の教室等がある。
 田舎の小学校だけに生徒数はさほど多くなく、一学年に二クラスずつしか存在していない。しかも一クラスに二十数人程度だ。
 春道が小学生だった頃も児童減少が叫ばれていたが、それでも今ほどではなかった。一学年に三クラスはあったし、一クラスあたりの人数も三十人台だったと思う。
 対岸の火事みたいに思っていた少子化問題だが、こうして小学校の現状を見て初めて大変な事態なのではないかと感じる。
 とはいえ、今は将来の日本を憂いてる場合ではない。すでに授業は開始されてしまっているのだ。
 ご丁寧に廊下のあちこちに校内の案内図が設置されているので、それを見て春道は自分が行くべき教室の位置を確かめる。わざわざ授業参観用に教師たちが用意したのだろう。
 松島葉月は小学二年生なので、在籍してる教室は一階になる。止めていた歩を再び進ませる春道だったが、途中でふとした疑問に頭を悩ませる。授業参観に来たはいいが、肝心の葉月の教室が何組かわからないのだ。
 松組、竹組とある二クラスのうち、どちらに所属してるのかわからない。偶然家で見つけたプリントには書いていたはずだが、そこまで確認してなかったし、そのプリントも持ってきてはいない。
 まいったな……。そうは思っても、家にプリントを取りに戻ってる時間はない。立ち止まって悩んでても仕方ないし、いっそ勘で選ぶしかなかった。
 といっても二クラスしかないのだから、確率は二分の一である。仮に松組に入って松島葉月がいなかったら、竹組に所属してるのが確定する。春道はまず、二年松組に入ってみることにした。
 目的のクラスを発見して、いざ教室のスライドドアに手をかけると、まるで春道の到着を待っていたかのごとく教室内から女子児童の声が聞こえてきた。
「先生、松島さんだけ相手がいませーん」
 相手を小ばかにするからかい口調。もしかしたら声の主は、松島葉月をいじめてる生徒のひとりかもしれない。
 教室内でどんな授業をしてるのかは不明だが、とにかく葉月が目の前の松組にいるのだけはハッキリした。
 さらに続くからかいの台詞と、他の児童の笑い声。教師がそれを止めようとするも、あまり効果は現れていない。声の感じからして、担任は若い女性のようだ。
 教室内での様子を廊下から分析してても埒が明かないので、春道は意を決してドアを開いた。
 ガラガラと特有の音が鳴り、教室内の視線が春道ひとりに集中する。生徒も教師もシンとなり、突然の乱入者に驚いてるようだった。
 教室内を見渡せば、予想どおりに若い女性が教壇に立っている。生徒たちは机を教壇から見て横向きにし、それぞれパイプイスに座っている大人の男性と向かいあっていた。
 どうやら生徒たちの父親みたいだが、スーツ姿の人間さえあまり多くなく、春道のようにビシッと決めてる男性は皆無だった。
 もしかしてやりすぎてしまったか。雑音が止んだ周囲の様子からそう思い、少し後悔をし始めた時、松島葉月の嬉しそうな声が飛んできた。
「パパッ!」
 その言葉に、教室内が再び騒がしさを取り戻す。
「葉月ちゃんのお父様ですか」
「ええ、そうです」
 多少気恥ずかしかったが、否定したら単なる不審者なので、女性教師の問いかけに頷く。
 歳は春道よりも三つ、四つ程度は下に見える。まだ新米教師といった感じだが、その分若々しく、顔もスタイルもなかなかのレベルだった。
「それでは、娘さんの向かいのイスに座ってください。丁度、生徒たちにお父さんの似顔絵を描いてもらおうとしてたんです」
「そうなんですか」
 と言って春道は、立ち上がって手を振っている松島葉月の席へと近づいていく。他のイスは全部埋まっているのに、そこだけポツンと空席になっていた。
 どうやらひとりだけ相手がいないのを、同級生にからかわれていたようだ。そのせいもあるのか、春道が正面に座ると、松島葉月の笑顔は未だかつてないほど明るく輝いた。
「似顔絵か。カッコよく描いてくれよ」
「うんっ!」
 小学二年生にもなって、授業参観で親の似顔絵を描かせるのもどうかと思うが、学校――もしくは女担任の方針なら仕方ない。
 大体親密な学校関係者でもない春道が、こんな状況で変にツッコみをいれようものなら、教室内にいる全員に空気の読めない男と思われること間違いなしである。
 おとなしく絵のモデルになっていると、松島葉月は真剣な表情でスケッチブックに鉛筆を走らせている。真面目にやってる相手からすれば失礼かもしれないが、どことなく微笑ましく思えてしまう。
 春道は決してロリータコンプレックスなどではない。ただ、子を持つ親の気持ちが少しだけわかった気がしたのだ。
 ――ん? ふと視線を感じ、周囲を見渡すと数人の女児が慌てて春道から目を逸らした。来ないと思っていた同級生の父親――つまりは春道がやってきた事実にまだ驚いているのだろうか。
「どうかしたの」
 左右に気を配っていた春道に、可愛らしい声が目の前からかけられた。
「いや、なんでもない。それより似顔絵はできたのか」
「えへへ〜」
 大切な宝物でも隠そうとするかのごとく、葉月がスケッチブックをギュッと両手で抱きしめた。恐らくもう完成したのだろう。
 春道が教室に到着して十五分程度が経っている。他の児童たちも、続々と自分の父親の似顔絵を書き終えたみたいだった。
「では、皆の作品をひとりひとり発表してもらいます」
 キリのいいところで女担任が両手を叩き、似顔絵を描く時間を終了させた。
 出席番号の若い順から黒板の前に呼ばれ、教卓の上で作品を発表していく。
 なんと言えばいいのか、非常に小学生らしい完成品の数々にどこか和やかな気分になっていた。春道が日頃接する絵といえば、グラフィックデザイナーが手がけたアートばかりだからかもしれない。
 そんな感想を抱いてる間に、いよいよ松島葉月の番となった。しっかりと両目で春道を見つめながら、誇らしげにスケッチブックを教卓に乗せる。
 児童の父親たちから「おおー」と感嘆の声が漏れた。元々デザイン系の素質でもあるのか、小学校の低学年とは思えないくらい上手だった。
 無論、プロの作品と比べるのは失礼にしかならないレベルだが、それでもこれまで見てきたクラスメートたちの作品の中では群を抜いている。
 娘さんの作品はどうですかと女担任に尋ねられたので、春道は「ええ、とても上手です」と答えて拍手をした。
 すると他の父親たちからも拍手が起こり、照れくさそうにしながらも、松島葉月はまんざらでもない様子だった。
 最後に子供たちから父親に似顔絵がプレゼントされ、父兄による授業参観は幕を閉じた。今日だけは掃除も免除され、児童たちは父親と一緒に帰ることが許された。
 春道もそうしようと思っていたところ、女担任に突然呼び止められた。用件を尋ねると、どういうわけか女性教師は頬を朱に染めてもじもじとしている。
「あの……失礼ですが、葉月ちゃんのお父様はどんなお仕事をなさってるのですか」
 春道の職種が葉月と何の関係があるのかと思ったが、担任教師からの質問だけに邪険に扱ったりもできない。
「フリーでプログラマーをしています。昔からPC関係は強かったので、気づいたら今の仕事をしていました」
 そう言ってガラにもなく愛想笑いを浮かべると、女担任の顔の赤みが一段と増したようだった。
「そうなんですか。以前に葉月ちゃんから、お父様はお仕事が忙しくて遠くにいるのだと伺っていたものですから」
 聞けば松島葉月の入学時から、ずっと担任はこの女性教師が務めてるとのことだった。
 生徒数も多くない学校だけに、特別な事情がない限りは同じ教師が複数年担任をするらしい。
 それなら大層仲が良いのかと思いきや、松島葉月はあまり担任に懐いてるようには見えなかった。
 それも当然かと春道は思う。担任教師と仲が良かったら、葉月がいじめられてる問題についてもっと真剣に取り組み、いじめが拡大するのを防いでくれていたはずである。
 現在こうして向かい合っていても、相手の口から紡がれるのは雑談ばかりで、いじめのいの字もでてこない。松島和葉が娘のいじめについてクレームをつけたのだから、事情を知ってるはずなのにである。
 さらに女担任が何事か口にしようとした時、思いがけない人間から声をかけられた。葉月の同級生の男子児童である。その顔にどこか見覚えがあるなと思っていると、素早く松島葉月が春道の背に隠れた。
 葉月の行動で相手の正体を思い出す。春道の記憶が確かならば、松島家前までやってきて、執拗に葉月をいじめようとした男子児童のひとりだったはずである。
「プログラマーってことは、ゲームとかも作ったりするんですか」
 いじめっ子らしく生意気な口をきくだろうと想定していたのに、男児は春道の予想を裏切って丁寧な言葉遣いで尋ねてきた。
 よく見れば背後には仲間らしき男児も2人ほどいる。保護者の姿が見えないので、恐らく子供たちを残して先に帰ったのだろう。
 どことなく緊張してるような男児たちからは、それほど悪辣ないじめっ子である印象は受けない。
「そうだな。そういった種類の発注も受けたりはするな。例えば――」
 相手の態度がわりかしきちんとしていたので、春道もそれなりに対応し、自分が手がけたゲームソフト名を二つほど教えた。
 有名メーカーの作品ではなく、あまり大作でもなかったが、どちらもそこそこ売れたタイトルだった。男子生徒たちも知ってたらしく、一様に目を輝かせて「すげー」などと小学生らしく感激する。
 この状況はうまく使えるかもしれない。そう判断した春道はその場にしゃがみこみ、男児たちに目線の高さを合わせた。
「君は葉月の友達なのか」
 春道が事情を知ってると思ってない男児たちは「はい」と元気よく返事をする。
 そんなの嘘だと言いたいのか、背後では松島葉月が春道のジャケットの裾を強く握り締めてきた。
 両者の対応に内心苦笑いを浮かべながら、春道は言葉を続ける。
「なら安心だな。実は娘が学校でいじめられたりしてないか、とても心配だったんだ」
 この台詞に、男児たちがギクリとして顔色を変える。見れば、成り行きを見守っている女担任も同様だ。もしかしたら、この女教師は積極的に生徒間の問題に対処してないのかもしれない。
 悪質ないじめをする児童はもちろん悪いが、しっかり注意できない担任教師も問題である。もっとも、モンスターペアレントなんて言われる非常識な保護者が増えてきた昨今では、仕方のないことなのかもしれない。
 とにもかくにも、松島葉月を娘と呼ぶのに多少の照れを感じながら、春道は彼女がいじめられなくなるための工作過程を進行させる。
「君らが仲良くしてくれてるのなら、娘もいじめられる心配はないな。仮にいじめられてたとしても、守ってくれるよな」
「も、もちろんだよっ」
 実は自分たちがいじめをしてる張本人なんです。そんな台詞が言えるはずもなく、男児たちは揃って元気よく首を上下に振る。
「あ、あの、こ、今度遊びに行ってもいいですか」
「葉月がいいと言うならな」
 恐る恐る尋ねてきた男児のひとりに対して、キッパリとした口調で春道は告げた。
 児童らの目的はわかっている。制作途中や新作のゲームがないか、春道の仕事場を見学したいのだ。
 自分たちの目的を達するには葉月の機嫌が第一条件だと教えてやった以上、男児たちが彼女をいじめたりする回数は激減するだろう。もしかすれば点数稼ぎのために、他の児童たちによるいじめから松島葉月を本当に守ってくれる可能性もある。
 逆に松島葉月を脅したりして、春道の仕事場からゲームを盗んで来いとか、力ずくで家に遊びに行くのを了承させる等のパターンも考えられるが、そうなったらまた別の対策を施すしかない。
 要はいじめをなくすには、こうやって仲間を作らせればいいのだ。とはいえ、仲間でいさせるために万引き等をさせたりするグループには決して入れてはならない。
 そうなるとなくなったようでいて、新たな形でいじめに近い行為が展開する結果となってしまう。
 できればこれで万事うまくいってくれればいいがと思いつつ、春道は男子生徒たちとの会話を切り上げる。教室内で結構話し込んでいたせいで、帰宅してない児童はほとんどいなかった。
「それでは私たちもこれで失礼します」
 まだ何か話したそうな感じだったが、引き止めるほどの話題ではないのだろう。女担任は頷いて、春道たちを見送ってくれた。
「じゃ、帰るか。それとも、どこかに用でもあるのか」
 校舎から外に出て、愛車の前まで来たところで春道は松島葉月に尋ねた。
 ブンブンと首を左右に振った葉月だったが、相変わらず春道の車に乗ろうとはせずにジーっと見つめてるだけだ。
 もう一度どうかしたのか聞くと、今度はにぱっと無邪気な笑顔が向けられる。
「葉月、パパの車に初めて乗れるから嬉しいのー」
 春道からすれば、たったそれだけのと言える理由なのだが、彼女にとってはまったく違うみたいだった。松島葉月はそれほどまでに、父親とコミュニケーションをとるのを望んでいたのだ。
 父親としての経験など皆無に等しい春道は何と言っていいかわからず、ただ「そうか」とだけ口にして愛車の助手席のドアを開けてやった。
 やはり嬉しそうな顔をして葉月が乗り込む。
「なあ」
 ドアが閉まったのを確認してから、車内で春道は葉月に声をかけた。
「多分、明日からいじめは止むと思うけど、そうならなかったら俺に言えよ。こう見えても、いじめの切り抜け方なら結構知ってるんだぜ」
「――ウンっ」
 一瞬きょとんとしたあとで、松島葉月は心からの笑顔を浮かべたのだった。


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