愛すべき不思議な家族 24

 昼休みになって、大多数の生徒が親と一緒に昼食をとっていた。もちろん松島葉月も同様である。
  正午からの四十五分は昼休みと定められており、その時間帯だけはクラスから離れて保護者と行動してもいい決まりになっていた。
  なので葉月も友人たちと一時的に離れて、春道や和葉と一緒の時間を過ごしている。
  もふもふと和葉の作ったおにぎりを頬張りながら、一生懸命に話しかけてくるも何を言ってるのかは理解できない。
  そうしてるうちに、母親から「食べるか喋るか、どちらかにしなさい」と注意され、ひとまずは食べることに集中する。しかしすぐにまた同じ展開になる。
  運動してお腹が空きまくっているが、運動会の短距離走で一位になった自慢もしたい。幼い少女の考えはそんなところだろう。だからこそ、先ほどみたいな状態になるのだ。
  小さな口一杯に食物を詰め込み、頬を膨らませてる様子を見てると、どうもハムスターを思い出してしまう。
「ふぇも、はぁふぅひぃ、ふぅおいれふぉ」
  相変わらず、何て話しかけられてるのかはわからない。ただ、口をもごもごさせてる姿はやはり小動物にしか見えない。
  そんなことばかり考えてるものだから、春道の視界の中で、娘である少女の顔が突如ハムスターに変化した。
  首から下は体操着姿の少女なのに、顔だけは巨大なハムスター。不気味なはずなのに、どこか愛くるしさも備わっている。そんな姿に春道は思わず吹きだしてしまった。
  突然の出来事だったので、食事中の葉月のみならず母親の松島和葉も、魔法瓶から紙コップにお茶を入れようとしていた動作を中断する。ここでようやく笑うのを止めた春道だったが、過ぎた時間は決して戻らない。
「何で、パパは笑ったのー。面白いことがあったなら、葉月にも教えてくれないと駄目なんだからー」
  口内の食物を胃袋へ落としてから、松島葉月が春道のジャージの袖を引っ張る。この格好だと浮いてしまうかと危惧していたが、他の父親も似たり寄ったりの格好だった。
  ちなみに松島和葉は七分袖で無地のTシャツに、下はブルーのジーンズという実に動きやすそうな格好だ。もっとも授業参観などならともかく、運動会で着飾ってくる母親の方が今日に限っては少数派になる。
  服装といえば、春道が小学生の頃はまだ女子はブルマーを着用していたものだが、現在では男女ともに同じ形状の半袖、短パンになっている。別に変な趣味はないので、時代の流れと言われれば素直に頷くが、ほんの僅かな寂しさも覚えてしまう。
「だから、何が面白かったのー」
  考え事に耽っていたせいで、松島葉月の相手をするのをすっかり忘れていた。おかげでジャージの袖が、早くも少し伸び気味になっている。春道が反応するまで、ずっと引っ張り続けていたに違いない。
  一応は松島和葉も普段同様に娘の行動を諌めていたみたいだが、運動会でテンションが上昇している愛娘には効果がなかったようだ。
  素直に「お前の顔」とは言えないだけに、気にするなと煙に巻こうとするもなかなか納得してくれない。これは難儀しそうだなと思っていると、都合よくあと少しで昼休み終了を告げるアナウンスがグラウンドに流れた。
  葉月たち児童は所属する学級に戻らなければならず、とりあえずこの問題の解決は後回しになる。
  春道が考え事をしてる間に、昼食を食べ終えて休憩をしていた松島葉月は、多少残念そうにしながらも所定の場所へ戻っていく。
  なんとか助かったな。声に出しそうになって、慌てて途中で引っ込める。葉月はいなくなっても、春道の側には愛娘を溺愛している母親の松島和葉がいるのだ。下手なことは言わないのが無難である。
  とりあえず安堵してから、春道はほとんど昼食をとってない事実に気づく。お腹が空いてなかったわけではなく、葉月やその友人たちの相手をしていてゆっくりしてる暇がなかったのだ。
  ようやくのんびりと食事ができるようになったところで、春道はビニールシートの上に置かれているバスケットに手を伸ばす。中には和葉手製の三角おにぎりが並んでいる。
  バスケットはもう二つあり、そちらにはおかずが多数つめられている。合計三つのバスケットが存在してるが、三人分の食料なのでとりわけ多くもない。
「……いいんですか?」
  左手におにぎりを持ち、右手に割箸を持って本格的に食事をしようとした春道に、思わぬ人物から待ったがかかった。隣に座っている松島和葉だ。
  もしかしたら、これは娘のためだけに用意した昼食ですとか言われるのだろうか。しかしすでに春道は、僅かといえバスケット内のおかずを口にしている。今さらそんな警告を受けるとは考えにくい。
  お互いを見合ったまま、僅かな沈黙が発生する。このまましばらく続くかとも思ったが、春道が要領を得ていないと理解した和葉が先に言葉を続けた。
「もうじき参加予定の父親による短距離走の時間ですけど、運動前にお腹に食物を入れても大丈夫ですか」
「……え?」
  春道は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。台詞内容に驚きを隠せなかったのだ。
「……あの子は、パパからきちんと了承を貰ったと言ってましたけど、まさか春道さんは知らなかったのですか」
「い、いや、もちろん知ってたよ」
  ジト目に近い視線を向けてくる和葉のプレッシャーの前では、そう答えるしかなかった。それに言われてみれば、確か最初に運動会について聞いた時、一番がどうのと言われていた記憶がある。
  万が一聞いてなかったとしても、そこら辺を確認する時間は充分すぎるくらいにあった。きちんと何の種目に参加するか把握してなかったのは、春道の落ち度と言わざるを得ない。
  スポーツ万能とまではいかないものの、運動神経はそれほど悪くないと自負している。こうなったらやるしかない。問題は長年の引き篭もり生活で、どこまで肉体が弱まっているかである。下手したら走ってる途中で足がもつれて派手に転びかねない。
  松島和葉に参加する種目の詳細について尋ねようとしたところで、グラウンド内にその旨を告げるアナウンスが流れた。午後一番の種目が父親による短距離走だったのだ。
  食事しようとするのを制止されて当然である。むしろ助かったと言ってもいい。満腹の状態で全力で走ろうものなら、よしんば完走できたとしても、醜態を晒してしまう確率はかなり高い。
「とりあえず、行ってくるか」
  おにぎりと割箸を元の場所に戻し、春道は座っていたビニールシートから立ち上がる。同じ境遇の父親たちと目が合うと、誰もが「負けませんよ」声高らかに宣言してるみたいだった。皆、自分の子供にいいところを見せようと必死なのだ。
  この機会に父親の威厳でも回復しようと思ってるのだろうか。本物の父親とは言い難い春道にはいまいちわからない感情だった。
  担当の児童たちの案内で、春道たち父親一同は白線――つまりはスタートラインの後ろに整列させられる。春道の順番は前から数えて五番目だった。
  順番待ちをしてる時間で、春道は何気に考える。普通、こうした運動会で保護者が参加する競技といえば、我が子と一緒に二人三脚なんて種目がもっともメジャーかつポピュラーなはずだ。
  何故に運動不足な中年親父連中を集めて、短距離走を開催せねばならないのか理解不能である。本来なら参加を辞退したいところだが、今さらになってそんな真似をしたら松島母娘に何を言われるかわからない。
  そうこうしてるうちに、春道の出番がきてしまった。周囲を見渡せば、メタボリックになりかけのお父さんたちが揃っている。これならなんとかなりそうだ、などと油断は禁物。太っていても運動神経抜群の人間も、広い世の中には多数存在する。
「パパー! がーんーばーってー!」
  どの児童よりも大きな声が、グラウンド上に響き渡った。松島葉月の声援を皮切りに、次々とスタートラインに並ぶ父親たちへ応援メッセージが飛んでくる。
  どうやら学級別に分けられており、この種目も順位ごとの点数がそれぞれに与えられるみたいだった。そんなわけで「葉月ちゃんのお父さん、頑張れー!」と男女問わずに沢山の声が春道に浴びせられる。
  たまにはこういうのも悪くないな。そんなふうに考えれるほど、春道は素直な性格をしてなかった。
  児童の父親全員が参加してない点から深読みしてみると、強制参加の種目ではない。そこまで推測できればあとは簡単。要するに春道は、クラス代表のひとりとしてこの場にいるのである。恐らく葉月の奴が立候補したに違いない。
「パパー! がーんーばーってー!」
  先ほどとまったく同じ応援メッセージが、松島葉月の口から発せられる。無責任とはまさにこのことだ。
  代表になってるからには、無様な成績で終われば、直接的には非難されなくても落胆の視線に襲われること間違いない。余計な重圧をありがとう。膨大な皮肉を込めて、是非とも呑気に観戦してる少女に送ってやりたい気分だった。
  安請け合いを後悔しても、とっくの昔に引き返せる状況じゃなくなっている。何故なら、春道はすでに白癬のすぐ内側に並び、スタートの号砲を待ってる段階なのだ。
  春道がどれだけ悲しんでも時計の針は無情に進み、パアンと乾いた音が澄み切った青空へと木霊す。
  こうなればヤケクソだと、春道は一歩目を踏み出す。昔からスタートは得意だったので、いの一番にトップスピードまでギアを入れ替える。チラリと横目で左右を見ても、迫ってくる人影は確認できない。
  一度走り出してしまえば、余計なことを考える余裕もなくなる。児童たちの大声での応援も耳に入らず、視界に移っているゴールテープだけをひたすらに目指す。
  種目が始まるまではあれだけ長く感じたのに、いざ本番になると一瞬である。現役世代とは違い、足が多少言うことを聞いてくれないが、なんとか転倒だけは逃れそうだった。
  走りながらも、心臓がバクバクいってるのがわかる。それこそ学生の頃はこんな距離なんて何でもなかったのに、三十も間近に迫ってくるとこんなにもキツくなるとは想像以上だった。
  日頃の運動不足を本気で嘆きつつも、ゴールは目前。途中から速度が落ちてきたのは、体力の無さゆえである。他の父親連中も同様だったのが救いだった。
  結局、春道は誰にも追いつかれたりせずに、トップを守ったままゴールテープを最初に切る。一位になった嬉しさよりも、もう走らなくてもいい嬉しさが勝ってるのは、立派な中年になってる証拠だろう。
「パパ、かっこいいーっ!」
  人を勝手に学級の父親代表に推薦してくれた少女の歓声が届く。疲れと安堵で、後でとっちめてやろうという気さえなくなっていた。
  やはりブンブンと両手を大きく振ってくる松島葉月に控えめに応じつつ、春道はゆっくりと呼吸を整える。職業、引き篭もりと形容しても過言ではない人間に、短距離走みたいなハードな種目をやらせるのは禁物だ。下手をすると大変な事態になりかねない。
  兎にも角にも、最低限の責任だけは果たせた。これで葉月もクラスメートにからかわれたり、なんて展開にはならないはずだ。肩の荷が下りたところで、改めて春道は大きなため息をつく。
  ゴール地点にいた児童から「おめでとうございます」と声をかけられてから、のんびりと歩いて松島和葉が座っている場所まで戻ることにする。あとは食事をしながら、ゆっくりと観戦してればいいだけだ。
  他にも参加する種目がありますよ。なんて台詞を言われないように祈りつつ、陣取っている地点を目指すのだった。



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