愛すべき不思議な家族 26

 松島葉月の担任を務める女教師に呼び出されたまではいいものの、肝心の重要な話はまったくでてこない。もうとっくに松島母娘が参加していた二人三脚も結果がでてる頃だろう。いい加減に苛々してきた春道は、単刀直入に尋ねることにした。
「そろそろ本題に入ってもらえませんか」
  春道の発言を受けて、松島葉月の担任を務める女教師の表情が一変した。
  ようやく本題に入ってくれるらしい。そう思ってホッとしたのも束の間だった。小石川祐子と名乗った女担任の次の台詞は、全然予想していなかった驚愕をもたらした。
「私……貴方のことが好きになっちゃったみたいなんです」
  ……何だ。一体全体何がどうなってるんだ。内心で春道はパニクっていた。無理もない。松島葉月に関する話だと思っていたら、いきなり告白をされてしまったのだ。これでビックリするなという方が無理な相談だ。
「……な、何かの罰ゲームですか……?」
  なんとか平静を保とうとしたが、こうした状況に慣れてないだけに声がどもってしまう。どうしてこんな事態になってるのか、未だに理解不能である。
「そ、そんなんじゃありません。へ、変な意味じゃなくてですね……」
  その台詞で春道はピンとくる。
「ああ、人間的に好きになったとかですか。どうしてそう思ったかは知らないですけど、そんな風に評価してもらえるほど人間はできてないですよ」
  考えてみればおかしな話なのだ。前方に立っている女教師と会ったのは、葉月の授業参観での一回だけだ。しかも些細な立ち話をごく短時間した程度。告白などの展開になったりするわけもない。
  だがこれで納得した。恐らく松島葉月のいじめをなんとかしたのを春道だと知って、お礼でも言いたいのだろう。しかしおおっぴらに謝罪すれば、自分ではいじめを処理できませんでしたと、事情を知らない人間にまで暴露するようなものだ。
  そこで思いついたのが、人気のない場所でお礼を言うことだったに違いない。春道とて、悪戯に葉月がいじめられてた問題を蒸し返すつもりはないし、解決したのは自分だと自慢する気もほとほとなかった。
  頭の中で結論が出たおかげで、春道はだいぶ冷静さを取り戻していた。あとは素直にお礼の言葉を受け取って、運動会を行っているグラウンドへ――。
「――いいえ、違います。そうじゃなくて……愛してるんです」
  おもいきって告白しちゃいましたとばかりに、小石川祐子は顔を真っ赤にしている。勝手に言い切ったみたいな感じになられても、春道にはどうしていいかわからない。
  ひとめ惚れなぞ経験のない春道には、相手の思考回路がまるで理解できなかった。一度しか会っておらず、しかもロクな会話をしてないのに愛してるなんて言える時点で、違う人種なのではないかとさえ思ってしまう。
「……本気ですか」
  戸惑いつつも、やや呆れ気味に尋ねた春道に女教師は勢いよく頷いた。教職についてはいるものの、今の対応からしても精神年齢は実年齢より幼いのかもしれない。松島葉月と大差ないようにも感じる。
「……申し訳ないですが、俺には妻がいるんで無理です」
  妻がいなくても、こういったタイプの女は苦手なので付き合うつもりはなかった。だから童貞なのかもしれないが、性経験をしたいがためだけに付き合ったりするのはより失礼になる。
「そういう男っぽいところが、いいんですよね。ますます憧れちゃいます」
  まだ若そうに見える外見どおり、大学を出てすぐ教職へ就いた女性なのかもしれない。
「正直、私……奥さんより満足させてあげる自信ありますよ」
  舌なめずりでもしそうな勢いで、小悪魔みたいな笑みを浮かべる。顔立ちもどことなく年齢より若く見えるので、可愛い系の女性として仲間内の男性からは人気も出るだろう。
  しかし、こういったタイプの女性は同性にはあまり好かれない。春道が学生時代の頃、こういった女子がクラスにいた。男子生徒にチヤホヤされる代わりに、どことなくほかの女生徒からは煙たがられてるように見えたものだ。
  おまけに奥さんより満足させれるなんて台詞を、平然と口にしてくるあたり他人の物を極端に欲しがる人種である可能性が高い。
  本来ならこうした女性とは係わり合いになりたくないのだが、松島葉月の担任を務めてる女教師だけにそうもいかない。適当にあしらった挙句、春道以外の人間に影響が及んだりしたら洒落にもならない。
「葉月ちゃんのお父さんがその気なら、今夜にでも時間を作れますけど?」
  女性経験のない春道にとって、魅力的すぎるお誘いなのは確かだ。けれど童貞歴もここまでくると、若い頃と違って焦りはすっかり消えている。むしろ一生このままでもいいや的な、変な余裕さえ生まれていた。
  さらに奥さんより満足させてあげると言われても、比較対象となるべき体験がないのでいまいちピンとこない。したがって春道には、あまり有効な誘惑手段とはならなかった。
「どうですか?」
「遠慮しときます」
  再度、今夜の逢瀬について尋ねられた瞬間、きっぱり春道は拒絶の返事を相手へ差し出す。
  直後の視界に映ったのは、唖然とする女教師の顔だった。もしかして、誘った相手に断られた経験がないのかもしれない。
  悪いことをしてしまったかなと一瞬思ったが、よくよく考えれば悪いのは春道ではなく、既婚者の男性にモーションをかけてきた女教師の方だ。印象どおりの男らしさを発揮した形になったのだから、向こうもこれでスッパリ身を引いて――。
「どうしてですか!?」
  ――くれなかった。ヒステリック気味に叫び、下手をすると春道に掴みかかってきそうな剣幕だ。
「確かに綺麗な奥様ですけど、女は顔だけじゃないでしょう! 色々と他にも見るべきところが――」
「だからって不倫は駄目だろ」
  あまりに相手が子供じみてるので、ついつい春道も地がでてしまった。さすがにまずかったかと若干慌てるも、大木を背にしている女教師はお構いなしだった。
「不倫するのが怖いのね、この臆病者! 奥さんより私に魅力を感じておきながら、せっかくのチャンスをふいにするなんて信じられないわ!」
  春道からすれば、あまりに乱暴な発言をする正面の女性が、小学校の教師になれている事実の方がずっと信じられない。
「……悪いけど、別にチャンスだとか思ってないぞ。大体、自分の奥さんの方がずっと魅力的だしな」

 ――ガクッ!
  意図せずに高木春道と娘の女担任の会話を盗み聞きする形になっていた松島和葉は、二人の死角になっている木の陰で危うく体勢を崩し、地面へ倒れこみそうになってしまった。
  なんとかギリギリのところで踏み止まれたので、高木春道たちには和葉の存在がバレなかったみたいである。
  本当に危なかった。それというのも、高木春道が変な台詞を恥ずかしげもなく堂々と口にするからだ。もう少しで「え?」と素っ頓狂な声まであげるところだった。
  本心からの台詞かどうかは不明だが、和葉を驚かせるには十分すぎるほどのインパクトがあった。もっとも、高木春道本人はこの場に当人がいると思ってないからこそ、あのような発言ができたのだろう。
  ますます簡単に二人の前に出るわけにはいかなくなった。先ほどの台詞を聞いてたと判明すれば、高木春道だけではなく和葉まで変に気まずくなってしまう。聞かなかったことにするのがよりベターな選択である。
「な、何ですか、それ。女をバカにするのもいい加減にしてください!」
  高木春道の心情を正確に理解するのは不可能だが、迷惑がってるのは表情を見れば明らかだった。確かに和葉の目から見ても、あの女担任の行動はまともと言い難い。 運動会の最中に職務を放棄した挙句に、児童の保護者を誘惑してるのだ。
「別にバカにしてるつもりはなく、素直に思ってることを言ってるだけなんだがな」
  高木春道の言葉で、幼稚な女担任がさらに激昂する。優しい両親のいる裕福な家庭で、我侭いっぱいに育てられた女性なのかもしれない。相手が自分の意のままにならないだけで怒るなんて、未熟もいいところだ。
  他人が自分の想像どおりに行動してくれること自体が稀なのである。すべてがすべて、頭の中で思い描いたように展開するなら、現実世界で苦労する人間など誰ひとり存在しなくなる。
  先ほどまで大騒ぎしそうな勢いだったのに、今度は急に女担任が押し黙った。ようやく諦めたのだろうか。高木春道はそう判断したみたいで、心なしか顔に安堵が浮かんでいる。
「……ずいぶんと奥さんを愛してるようですけど……私、知ってるんですよ」
  思わせぶりな口調に、隠れている和葉が眉をしかめる。学校行事以外であの女教師と会話をした覚えはないし、昔からの友人だったりもしない。
  娘がこの小学校に入学してなければ、赤の他人としてそれぞれの人生を過ごしていた確率が非常に高い。間違っても重大な秘密を打ち明けたりするような相手ではなかった。
  何を言い出すのかと、高木春道のみならず和葉も耳を澄ませる。
「葉月ちゃんの血液型……お父さんともお母さんとも違いますよね? 本人はその意味に気づいてなかったようですけど、お二人からは生まれるはずのない血液型です」
  小石川祐子という名前の女教師の口から発せられた事実に、和葉の背筋が寒くなる。確かにそれは女担任の指摘どおりだった。
  最初に高木春道の血液型を聞いた時、本心では最悪だと絶望した。和葉と一緒だったのである。せめて葉月と一緒だったなら……何度もそう思った。
  けれど娘に父親――高木春道の血液を尋ねられた時、和葉は素直に教えた。本人が自発的にこの意味に気づく頃には、物事をある程度理解できる年齢になってるだろうと予測したのである。
  そうなってから和葉は、娘に出生の秘密をすべて打ち明けるつもりだった。一時は高木春道が口を滑らせたりしたらどうしようなどとも考えたが、そういうタイプではないとわかって最近では安心するようになっていた。
  ところが、まさかこんなところに乱入者が存在するとは砂粒ほども予想してなかった。まだ真実を打ち明けるには、葉月は幼すぎる。女担任がどういうつもりで言ったかは知らないが、マズい展開になりつつある。
  嫌な予感が頭を離れず、全身にべっとりと汗をかく。いっそこのタイミングで姿を現して、相手を怒鳴りつけてやれば――いや、それだと向こうが逆上して葉月にすべてをバラす可能性がでてくる。それだけはどうしても避けたかった。
「――だから?」
  酷く冷たい声が高木春道の口から発せられた。夫婦となってるだけあって、それなりに会話をしてきたが、あんな態度も口調も初めてだった。
  威圧的な雰囲気に押されたのか、女担任がその場から一歩後退りする。
「だ、だから……お、奥さんは隠し事をしてたんですよ。葉月ちゃんは貴方の本当の娘じゃないんです!」
  高木春道のどこがそんなに気に入ったのか、気後れしてるのに小石川祐子は引く素振りを見せない。
「そんなのとっくの昔に知ってるよ。けど、血の繋がりってそんなに大事か? アンタは両親と血が繋がってないと言われたからって、今までの思い出全部を嘘だったと思うのか。違うだろ。子供じみた発言は止めろ」
  高木春道の発言は、和葉が驚くほどに言いたいことを代弁してくれていた。
  完全に立ち入る隙はないとこれで悟ったのか、ギリッと唇を噛みながらも女教師は両目に涙を溜めている。
「葉月にその事実を暴露したいなら勝手にすればいいさ。けど、その時はそれなりの代償を払ってもらうからな」
「……じょ、女性を脅すんですか……?」
「脅してるつもりはねえよ。最初に問題発言をしてきたのはそっちだからな。くだらない真似は止めた方がいいぞっていう忠告だ」
  最近は女性に言い争いで負ける男も多いと聞くが、小石川祐子との一件にかんしては、完全に高木春道の勝利だった。
「べ、別に葉月ちゃんに言うつもりはありませんよ。私だって、そこまで鬼じゃないですから」
  負け惜しみだとしても、本心からの言葉に思えた。これでとりあえずはひと安心といったところだ。
「その代わり……奥さんには別です」
「奥さんに……って、ますます言っても無駄だろ。何を考えてんだ」
「葉月ちゃんの件じゃありません」
  今度はこっちが攻勢になる番だとでも言いたげに、精神年齢が低いと想像できる女教師が笑みを浮かべた。
「ここで密会してた事実を懇切丁寧にご報告してあげます。子供の運動会を途中で放り出して、人気のない場所で私を口説いてましたってね。嫌だって抵抗したのに、旦那さんが無理やり――なんて言葉も付け加えたら一体どうなっちゃうんでしょう」
  ……そろそろ頃合だろう。そう判断した和葉は二人に向かって一歩足を踏み出す。
「……別にどうもなりません」



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