リセット

  61

 初日の予定が終わり、哲郎たち一行は宿泊予定のホテルへ到着した。まだまだ旅館が多いこの時代。しっかりしたホテルの存在は、それなりに珍しかった。
 洗練された都会的な建造物に泊まれるとあって、生徒たちの興奮も最高潮に達している。
 親元を離れて、子供どうしで旅をする。小学校であれ、中学校であれ、高校であれ、友人や恋人がいれば楽しいものだった。
 それなりに仲の良い友人と同室にはなったものの、自室に戻るのはせいぜい寝るときくらいだ。それ以外の時間は、ほぼすべて皆で集まって騒いでいる。
 とはいえ、これまでの哲郎の人生における修学旅行のメインステージは、大半が己の宿泊する部屋だった。
 基本的に友人が少なかったので、ひとりで部屋にこもって勉強していた。遊ぶのは後の人生でもできると割り切り、己のスキルアップのためだけに時間を費やした。
 結果として学生時代の哲郎は、周囲から天才と称される人物になっていた。誰もが一回こっきりの人生を、知識や経験を持ち越した上で何度でもやり直せるのだから、他者よりも優秀になるのは必然だった。
 そして現在、ついに哲郎は水町玲子と一緒の修学旅行を実現させた。おかげで、いつになくテンションは高めになっている。
 ホテル内にある食堂に集まり、ここでもクラス毎、班別になって夕食をとる。だが、ある程度は自由に席順を変えるのが許された。
 おかげで哲郎は水町玲子と、隣同士になって食事をとることができた。もっとも、ほぼ毎日同じ食卓を囲んでいるだけに、目新しさという点は感じられない。
 ただ家族ではなく、友人たちに囲まれている状況だけが違う。新鮮なお刺身などが乗っている膳の中で、互いに好きなものなどを交換したりする。
 哲郎にすればごく普通のやりとりなのだが、周囲のクラスメートにはいちゃいちゃしてるとしか見えないみたいだった。
 食事の間中からかわれ続けるも、水町玲子は赤面したりしない。むしろ楽しそうに笑って応じている。
 入学当初から交際事実を明らかにしてきただけに、哲郎も水町玲子も冷やかされるのにだいぶ慣れてきていた。
 最近では制止する役目を担う教師でさえも、一緒になってからかってきたりする。学校公認のカップルとなった哲郎と玲子の仲の良さを、誰もが羨ましがり、そして自分たちもそうなりたいと目標にしていた。
 修学旅行中の幸せな一ページ。素晴らしい記憶になると思った矢先に、哲郎の背筋がゾクリとした。
 異変を察知して周囲を見渡すも、変わった点は見受けられない。様々な困難が降りかかるのを目撃してきただけに、神経が過敏になってるのかもしれないと考えた。
 その矢先、ひとりの男子生徒と不意に目が合った。どこかで見た覚えがあるけれど、名前と顔が一致しない。
 声もかけられずに目を合わせ続けること数秒。やがて相手は目を逸らして、哲郎の視界から消えた。
「どうしたの、哲郎君。さっき、高橋君を見てたみたいだけど」
「高橋君?」
「いやだ、忘れてしまったの。小学校からのお友達でしょう。高橋和夫君よ」
 高橋和夫――。久しぶりに聞いた名前が、哲郎の記憶を呼び起こす。確かに小学校の頃からの友人であり、もっとも仲が良いと呼べる男性だった。
 けれど水町玲子との交際を発展させ、過去をやり直しているうちに、すっかりその存在を忘れていた。
 最初の人生ではわりとよく話していた覚えもあるが、ここ最近の人生では遊ぶどころか会話をした記憶もほとんどなかった。
 それが不満なのだろうかと思ったが、あの背筋が凍りつきそうな視線を哲郎に送ってきたのが高橋和夫だとしたら、その程度の理由では片付けられないような気がした。
 もっと根深い何かがあるのではないか。確かめたい気持ちもあったが、すでに相手は哲郎の視界からいなくなっている。
「同じ高校だったんだな……」
 何気なく哲郎が呟くと、きょとんとした水町玲子が補足をしてくれた。
「高校だけじゃなく、中学校も一緒だったじゃない」
 高橋和夫には申し訳ないが、まったく気付いていなかった。内心の驚きを表に出さないようにしながら、哲郎は曖昧に頷いた。

 高橋和夫の存在が気にはなったものの、そればかりに執着していては、せっかくの修学旅行を楽しめない。
 どうして仲の良かった友人が、会話の回数こそ激減したとはいえ、睨むように哲郎を見ていたのか。
 意識がまたそちらへ行こうとしたところで、タイミングよく水町玲子が声をかけてくれた。おかげで、一時的にであっても高橋和夫の存在を頭の中から消失させられた。
 けれど水町玲子の話題は、その高橋和夫についてだった。哲郎が同じ学校名のを知らなかったのを、とても不思議に思っているみたいだ。
「本当に知らなかったんだね。意外だな。哲郎君と高橋君って、仲が良いお友達でしょう」
「え? あ、ああ……でも、昔の話だからね。向こうが今もそう思ってくれているかどうか……」
「そうなの? 高橋君は、よくお話をするって言ってたよ」
 水町玲子の発言に、哲郎はまたも驚かされる。中学や高校に進学して以来、高橋和夫と会話をした覚えがない。にもかからわず、相手はこちらとの仲の良さをアピールしている。
 しかも哲郎の恋人を相手にである。よく高橋和夫と会話をするのかと尋ねると、水町玲子は小さく首を左右に振った。
「学校でたまに会った時くらいかな。哲郎君と一緒の時は、あまり話しかけてこないね」
 あまりどころか全然だった。だが当の水町玲子に、口説かれているという意識は見受けられない。哲郎の友人だから会話に応じているものの、あくまでも認識度合いは知人レベルだ。
「その……なんだ。まさか、玲子の好みだったりしないよな」
 若干のためらいを混ぜた質問を受けて、意地悪そうに水町玲子の口角がつりあがった。
「うふふ。どうかな」
 微笑みと一緒に差し出された言葉に、哲郎の心臓がおもいきり反応した。あまりにも、意味ありげな回答だったからだ。
 嫌な汗が頬を流れ、瞬きが異常なくらいに多くなる。そんな哲郎を見て、おかしそうに水町玲子が笑った。
「やっぱりね。哲郎君、焼きもちをやいてるんだ」
 哲郎が嫉妬を前面に押し出しても、恋人の少女は決して嫌がらない。それどころか、嬉しそうなリアクションをみせる。
 けれど、おかげで水町玲子にからかわれただけだと確信できた。安堵しつつも、哲郎はグッタリしながら質の悪い冗談は止めてくれとお願いする。
「ごめんね。でも、この前は斗賀野さんの一件で、私も同じ気持ちを味わったんだから、お返しだよ」
 そう言ったあとで、また楽しそうに笑う。もしかしたら、嫉妬の深さをそのまま哲郎の好意と判断しているのかもしれない。
 哲郎からジェラシーを引き出せたことで満足したのか。これ以上の意地悪な展開は起こらなかった。
「心配しなくても、私が好きなのは哲郎君だけだよ。安心した?」
「安心した。俺にとって、玲子だけがすべてだからさ」
 相手に重いと受け取られる可能性もあったが、それが哲郎の偽らざる気持ちだった。
 恋愛経験が少ないからかどうかは不明だが、とにかくひとりの女性を全力で愛する傾向があった。
 哲郎の一途な純情を決して鬱陶しく思ったりしていないのは、こちらの発言に対するリアクションでわかる。
「私もだよ……。哲郎君がいなかったら、生きていけないかもしれない」
 頬を朱に染めながら、本気の言葉を返してくれる恋人の少女が誰よりも愛しかった。

 夕食の時間が終わると、学校単位で借り切っていた食堂にて、学級ごとの催し物が行われた。
 発表会みたいな感じで、合唱や寸劇を披露したりする。哲郎たちの学級が用意していたイベントは、クイズ大会だった。
 各学級から三名の代表者を選出し、勝手に絶対的王者に祭り上げられた哲郎がひとりで相手をする。
 出題される問題は高校で勉強している内容が主で、この日のために複数の教員に協力してもらっていた。
 高校に入学して以来、常に学年トップを獲得し続けている哲郎がいるだけに、各学級の生徒だけでなく担任教師も気合が入っている。
 三問先に正解した学級が勝者となり、哲郎を破ったチームには商品が送られる。ノートや鉛筆といった他愛もない商品だが、この時代にはまだそこそこ高価だったりする。
 会場を盛り上げるだけでなく、勉学にもなるので、教師たちもおおいに哲郎の学級が主催のクイズ大会に乗り気だった。
 公平を期すために引率の教師が出題者を務め、いよいよ本番が開始される。次々と読み上げられる難問に、各学級の代表者が悲鳴を上げる。
 明らかに高校二年生への問題として難易度が高かった。しかし繰り返しの人生で、何度も大学を卒業している哲郎にはさほど難しく感じられない。
 問題文を最後まで聞くこともなく、一問また一問と正解する。それぞれの代表者を応援しながらも、圧倒的な強さの哲郎にブーイングをしてくる。
 けれど同級生は味方なので「悔しかったら、もっと勉強しろ」と哲郎の代わりに応戦してくれる。教師も学生も大盛り上がりで、水町玲子も楽しそうに哲郎へ拍手を送ってくれている。
 自分の彼氏の活躍が嬉しいのか、どことなく恋人の少女は誇らしげでもあった。このままあっさりと哲郎の優勝で幕を閉じるかと思いきや、意外な伏兵が登場する。
 予習していないとわからないような問題に、哲郎より先に手を上げて解答権を得たのは、なんと高橋和夫だった。
 小学校の頃は頭が良くなかったはずの旧友が、参加していただけでも驚きなのに、きっちりと正解を答えたのである。
 考えてみれば、哲郎が在籍しているのは地元でも有名な進学校なのだ。同じ高校にいる時点で、かなりの学力があることを証明されている。
 だが学力テストの結果で、上位陣の中に高橋和夫の名前を見つけた記憶はない。いまいち掴めない相手の実力が、哲郎に嫌な予感を覚えさせる。
 予期せぬダークホースの出現により、面白くなってきたとクイズ大会の熱気は最高潮に達する。
 それにしても、と哲郎は思う。挑戦者になっている高橋和夫は、何故かこちらを凝視している。普通なら出題者を見るはずなのにである。
 まるで自分の興味は哲郎だけにあると、高橋和夫に宣言されているみたいだった。勝手にライバル視されているせいなのかどうかは不明だが、不気味なのには変わりなかった。
 かつては仲の良かった友人男性なのに、関わり合いになりたくない気持ちが強く芽生えている。
 とりあえずは一刻も早くクイズ大会を終了させ、この状況から解放されるのが先決だった。
 予想外に高橋和夫に粘られたものの、伊達に哲郎も学力テストで最高順位をとり続けていない。後ろから迫ってくる相手を振りほどくように、一気にスパートをかける。
 集中して問題を聞き、冒頭部から質問の全体分を想像する。その上で挙手をして、渦巻く歓声の中で見事に正解を勝ち取る。
 クイズ大会の結果は哲郎の圧勝に終わり、挑戦する立場になっていた各学級の代表者たちは誰も商品を獲得できなかった。
 高橋和夫もさぞがっかりしてると思いきや、相手男性を見ると、わずかに口元へ笑みを浮かべていた。
 こちらへ声をかけてくるでもなく、次の瞬間には真顔に戻して、他の生徒たちの中へ紛れ込むように消えた。
 例えようのない不安と恐怖により、再び哲郎は自身の背中が冷たくなっていくのを感じていた。


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