リセット
62
いつまでも高橋和夫のことを気にしていても仕方ないと、哲郎は気持ちを切り替えることにした。
宿泊予定の部屋へ戻るなり、一緒に班を組んでいる連中が哲郎の周りを取り囲んだ。何が起こるのかと、一瞬だけ緊張する。
「……本気なのか」
呟いた哲郎に、確かな意思を証明するべく、数人の男子学生が何度も頷いてみせる。
同級生が要求してきたのは、女性陣と一緒にお喋りをする場を設けてほしいというものだった。
すでに哲郎と水町玲子の交際は、知らない方が珍しいレベルにまで達している。ゆえに誘いやすいだろうと言ってくる。
水町玲子を部屋へ連れてくるついでに、同じ班の女子学生も引っ張ってきてほしいみたいなのである。
哲郎と班を組みたがった大半の男性が、水町玲子と同じグループになる女性目的だったのだから、ある意味で当然といえば当然の要求だった。
断ってもかわいそうな気もするし、なにより哲郎自身も水町玲子と一緒に夜を過ごしたかった。
決して不埒な意味ではなく、学生らしく健全に夜のお喋りというものを楽しみたかったのである。
「わかったよ。駄目もとで頼んでくる」
携帯電話どころか、一時期流行したPHSもないこの時代。いくら恋人が相手とはいえ、簡単に連絡をとれる方法は存在しない。
夕食が終わって各班が宿泊する予定の部屋へ戻れば、程なくして消灯時間がやってくる。
その後は教員による見回りが開始され、決して間違いなどが起きないように監視される。
不条理な気がしないでもないが、まだ両親に扶養されている学生という身分を考えれば、学校側としては当然の処置になる。
本来なら異性との交際も厳しくチェックされ、禁止されている。常に学年どころか、全国テストでもトップクラスの成績を誇る哲郎だからこそ、特例が認められているにすぎなかった。
そのため、やっかみを受ける回数もだいぶ多くなっている。しかしそういう出来事が発生するたび、教員たちは「悔しいのなら、1度でも梶谷に実力テストで勝利してみろ」と通告する。
入学して以来、通っている高校内における実力テストで、哲郎の上の順位に名前を書かれた生徒は存在しない。つまり、ずっとトップを独占していることになる。
教員たちは恋愛にうつつをぬかしながらでも、そこまでできるのなら学校内でも交際を認めてやると遠回しに言っているのだ。
特例を作るのはあまり望ましくないものの、他の学生には哲郎という巨大な壁ができる。絶対に異性交遊を認めないわけではないと頭が柔らかい一面を見せつつも、実際には無理難題を突きつけているも同然だった。
学校内でも交際をするために一生懸命頑張れば、必然的に学生たちの学力も向上する。教員たちにとっては、一石二鳥の手法だったのだろう。
現在は特例が認められている哲郎であっても、極端に学力を低下させればせっかくの特権を剥奪されるのは目に見えている。
ゆえに哲郎も負けられないと、勉学に励んでいる。もっとも幾度となく経験してきた授業内容なので、良い点をとるのは比較的簡単だった。
もうすぐ消灯間近というのもあり、廊下にはあまり人影がない。その中をまるで忍者のごとく、哲郎はするすると目的地へ向かって進む。
忍び足で歩き、廊下に足音が響かないように最大限の注意を払う。恋人の少女が泊まっている部屋の前で、心臓をドキドキさせながらドアをノックする。
コンコン――。緊張しているせいか、ノックの音がいやに大きく響いて聞こえた。想像以上だったために驚き、哲郎は慌てて周囲を見渡す。
幸いにして、音を聞きつけた教師が全速力で向かってくるような事態にはならなかった。
直後にドア向こうから、控えめな声で「誰ですか」と応答がある。間違いなく水町玲子だった。
「俺だよ、哲郎」
自分の名前を告げると、最初の慎重な対応ぶりが嘘みたいに、目の前のドアが勢いよく開いた。
最初に飛び込んできたのは、とても嬉しそうな水町玲子の笑顔だった。恋人の少女は、今にも抱きついてきそうな勢いで哲郎を大歓迎してくれる。
第一関門となる女性の班の部屋への進入は、水町玲子のおかげでなんとか達成できた。本題はここからである。何の成果もなしに帰った日には、同じ班のメンバーに何を言われるかわからない。
すでに恋人がいる哲郎にすれば、別に成否はどちらでも構わないのだが、修学旅行の機会にどうしても恋人を獲得したい男連中は尋常じゃないくらい必死になっている。
――あ、梶谷君だ。水町玲子と同じ班の女性が、哲郎を見るなり声をかけてきた。警戒している様子はなく、普通に出迎えてくれる。
私服の持込は禁止されているので、男女ともに全員が体育着で眠ることを義務づけられていた。そのため、水町玲子を面々とした女性たちも体育着姿で座っている。
各自に二人部屋が与えられているのだが、やはり全員で集まりたいのか、水町玲子の部屋には彼女の班員たちが見事に揃っていた。
「まさか、哲郎君から来てくれると思わなかったな」
同じ班のメンバーの目などお構いなしに、恋人の少女は普段どおりに哲郎へ甘えてくる。当初は戸惑ってばかりだったが、最近では挙動不審になることもなく相手ができていた。
哲郎自身、恋人と仲良くするのは嫌いではないが、いかんせん人の目は気になる。加えて同室にいる女性たちも、どこか気まずそうだった。
「私たちはお邪魔みたいね。自分たちの部屋へ戻りましょうか」
玲子と同じ班の女性のひとりが、他のメンバーへ提案する。概ね賛成みたいだったが、それでは哲郎が困る。
慌てて引き止めると、恋人の少女が泊まっている部屋へやってきた本来の目的を説明する。
「まだ消灯まで時間もあるしさ。どうせだったら、一緒に話でもしないか」
思春期に恋人が欲しいと願うのは、男性も女性も一緒。とはいえすぐに了承せず、少し考えた様子を見せる姿は実に女性らしかった。
躊躇いがちにしながらも「梶谷君がそこまで言うなら……」と、申し出を受ける旨を告げてくる。
自分たちが率先して参加するわけでなく、哲郎に言われたから仕方なく応じるのだ。従って、決してふしだらな女ではない。誰かに目撃された際の言い訳を、今から作っているのである。
過去も未来も女性の本質は変わらない。そして、それは男性にも言える。例えれば今回は、哲郎が合コンをセッティングしたようなものだからだ。
お互いに想いあっている哲郎と玲子には、さして重要でないイベントだが、自分たちは遠慮しておくと避けるわけにはいかなかった。なにせ、こちらは主催者みたいな立場なのである。
哲郎がいなくなれば、女性陣の言い訳も崩壊する。加えて教員に事が露見した場合にも、不利益を被る確率が高くなる。
教員たちの受けがいい哲郎がいればこそ、見つかったとしても軽い注意で終わる可能性が強い。ゆえに女性たちも、男性陣とのお喋りをしようと決めた。
「じゃあ、場所は俺の部屋でもいいかな」
哲郎の部屋には餌を待つ雛鳥のごとく、同じ班の男子たちが待機している。見事戦果を上げたと報告すれば、大歓声が起きても不思議ではないほど期待しているはずだった。
「私は構わないけど」
そう言って水町玲子は、同じ班の仲間たちを見る。恋人である自分は平気だが、他のメンバーは違うかもしれないと考えたのだ。
視線で意見を求められた班員たちは、互いの顔を見てそれぞれの意思を確認する。
「私たちなら大丈夫よ。梶谷君の部屋へ行きましょう」
メンバーを代表して、ひとりの女性が舞台を哲郎の部屋とすることに異議はないと告げてきた。
話もまとまったところで、早速哲郎たちは修学旅行の夜を楽しむために移動を開始する。
哲郎の予想通り、部屋へ到着するなり、待ちに待っていた男性陣が歓声を上げた。
期待していたとはいえ、実際に女子がやってくるまでは、気が気でなかったのだろう。全員に安堵の様子も見てとれた。
思い思いの場所に座り、哲郎と水町玲子の班員で円を作る。全員が未成年でお酒は呑めないため、ジュースとお菓子での宴会が開始される。
あまり大きく騒ぎすぎると、すぐに見回りの教員が突入してくるため、声のトーンは抑え気味に会話を行う。
素で恥ずかしがっているのか、もしくは女性らしい恥じらいを演出しているのか。女性陣から話しかけたりはせず、最初は男性たちによる一方通行の会話ばかりが展開される。
男女ともに、誰が誰にどのような反応を見せるのか窺っている。張り詰めたような緊張感まで発生しており、まるで部屋の中は飢えた獣たちが一堂に会した狩場みたいだった。
誰が誰を狙うのか。目でお互いを牽制しあいながら、それぞれが好みの女性へモーションをかける。
ギラついた視線の男たちが相手なだけに、女性側が不必要に積極的になる必要はなかった。受身の状態で、声をかけてくる男性が自らの好みと一致するか冷静に観察をする。
こうなってくると単なるお喋りではなく、もはや戦いだった。ピリピリする空気を尻目に、哲郎と水町玲子だけは他の面々と違ってリラックスしていた。
「いつもは部屋にいても、お父さんの声が聞こえたりするものね」
哲郎の家より広いとはいえ、哲郎が本来存在していた時代みたいにしっかりとした建造物はまだまだ少ない。家の中であれば、誰がどこで話しているのかは容易に推測できた。
普段から周囲に気を遣った会話を心がけていただけに、一種の抑圧から解放されたような気分になっているのだろう。
「そうだな。でも、ここでもあまり変わらないぞ」
そう言って哲郎は、一生懸命にお喋りをしている男女の集団を指差す。すると水町玲子は「そうね」と小さく笑った。
「もしかして、あの中に加わりたいとか思ってるのか」
「うふふ。まさか。私には哲郎君がいるもの。だけど、もし誰とも交際していなかったら、きっと参加していたと思うわ」
誰が誰を好きで、告白をしたらしい。そんな噂がどこからか聞こえてくるたびに、男子よりも女子がはしゃいでいた。
時には玲子も輪の中に混ざっていて、未来でいうところのガールズトークに花を咲かせる。微笑ましく眺めていられるのも、哲郎がしっかりと恋人の少女の好意を獲得しているからだった。
「人を好きになる気持ちに、男も女もないわ。そして、私たち高校生は今が一番多感で、好奇心が旺盛なのよ。先生方も、そこら辺の事情を考慮してほしいわよね」
「そんなものか。昔から玲子ひと筋だったから、そういう気持ちはあまりわからなかったな」
「それで正解。私以外に色目を使っていたら、焼きもちを焼きすぎて、どうなるかわからないわよ」
「怖いな。肝に銘じておくよ」
ジュースを飲み、お菓子を食べながら、ひとつの部屋で肩を寄せ合いながら、いつもよりずっと近い距離で会話をする。
それだけで相手への理解と愛情が深まったりするから不思議だった。壁に背を預けたままで、寄り添う恋人の体温がとても生々しく感じられる。
顔が真っ赤になり、体に負けないくらい心も熱くなる。老婆からスイッチを貰えずに人生を終えていたら、きっとこんな気持ちが自分の中にあるのを知ることもなかった。
燃え上がる幾つもの種類の情を味わいながらも、哲郎はどこか満たされた気分になっていた。
面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。
小説トップページ ・ 目次へ ・ 前へ ・ 次へ |