その後の愛すべき不思議な家族
10
キャンプファイヤーを楽しみにしていた児童たちからは、当然のごとくブーイングが上がったものの、決定事項は覆らない。結局、夕食の後に肝試しをすることに落ち着く。男女一組となり、指定の場所に置かれたカードを取ってくるのだ。
脅かし役は先生たちで、危険のないよう見守る役割も兼ねている。事前から計画していたイベントではないため、それほどおおがかりな道具などは存在せず、ごくごく簡単なものになるのは明らかだった。
そうはいっても、葉月は楽しみで今からウキウキしている。肝試しがどういうものか知ってはいても、今日まで参加したことが一度もないのだ。怖い話などもわりと平気なため、早く夜にならないかなとさえ思っていた。
しかしその前に夕食作りが待っている。昼食を終え、軽いゲームを皆でしたあと、下山する。こうした山道みたいなのは、学校近くにもあるため、全員慣れた足つきだった。むしろ、先生たちの方が呼吸を荒くしている。
予定時刻よりも若干遅れてキャンプ場へ帰還する。すぐに夕食作りの準備へ、班毎にとりかかる。登山前に寄せておいた具材を持ち寄り、調理を開始する。メニューは嫌いな人間があまりいないカレーだった。
この日のために、母親の和葉から調理工程を学んできた葉月は、張り切って包丁を持つ。頼もしげに皆が見つめる中、まずはじゃがいもを皮ごと真っ二つにして鍋の中へ――。
「ま、ま、待って、葉月ちゃん!」
鼻歌交じりで料理しようとしてたのに、何故か親友の今井好美が制止してきた。見れば他の班員たちも、申し合わせたように揃って顔を蒼ざめさせている。一体何があったのだろうか。不思議がっている葉月から、これまたどういう理由か包丁が取り上げられる。
「も、もの凄く男前な切り方だけど、ほ、本当にお母さんから習ったの?」
親友の笑顔が、何故だかとてもぎこちない。額へ浮かんだ冷や汗が、ツツーと頬を流れ落ちる。どうやら何かを間違ってしまったみたいだが、それがどこなのか葉月にはさっぱりわからない。なので、とりあえず今井好美の質問への答えを優先させる。
「うんー。ちゃんと、美味しいカレーの作り方を教えてもらったよー。まずはねー、お野菜を切るのー」
「う、うん、そうよね。そ、それじゃ、包丁の使い方とかはどうかな」
「包丁のつかいかたー?」
聞き返した葉月に、同じ班のメンバーが一斉に頷く。コクコクと勢いよく、全員で顔を上下させる姿は、まるで電動仕掛けの玩具だ。自分も参加したい衝動を抑えつつ、まずは包丁の使い方を今井好美に説明する。
「包丁はねー……どんどん切ればいいんだよー。葉月に任せてー」
「え!? あ、あのね、葉月ちゃん。お、お野菜を切るの、わ、私にやらせてくれないかなー、なんて……だ、駄目かな」
せっかくカレーの作り方を教えてもらってきたのだから、是非とも皆にご馳走してあげたかった。しかし、先生も班のメンバーで協力して調理するように言っていたのを覚えている。今井好美がやりたいというのなら、拒む理由はない。
笑顔で「うん、いいよー」と応じた瞬間、何故か全員がホッとしたような表情で「ありがとう」と声を揃えた。不思議なこともあるものだなと思いつつ、葉月はそれなら何をやろうかと次の仕事を探す。
「は、葉月ちゃんには、まずカレーに使うお野菜を洗ってもらおうかな。み、実希子ちゃんと一緒にやってくれる?」
「そうだね。一緒にやろうよ」
今井好美の呼びかけに応えて、水道口の付近で佐々木実希子が手招きする。空手を習っているスポーツ万能な少女で、ポニーテールが特徴的だ。同じ班に所属していて、登山の途中で葉月が室戸柚にからまれた際、一番怒りを露にしていた人物でもある。
以前から室戸柚にはあまり好感を抱いてなく、いじめられてる葉月を陰ながら何度か助けてくれた。本当はもっと堂々とやりたかったらしいのだが、仲の良い友人たちに頼むからそれだけは止めてほしいと言われていたらしく、あまり表立って動けなかった。
そんな話を今井好美から聞いたことがある。その友人たちを葉月は責めたりしない。誰だっていじめられるのは嫌だ。クラスの的となっている人間を助ければ、矛先が自分たちへ向くかもしれない。そう懸念するのも当然だった。
「じゃあ、葉月。お野菜洗うねー」
班員たちの要望に応じようと、そう話した時だった。たまたま室戸柚が側を通りかかったのである。今回はちょっかいを出そうと考えてなかったみたいだが、葉月と目が合った途端に口を開いてきた。
「包丁を持っているのに、野菜を洗ってほしいなんて頼まれるぐらいだから、どうやらまともな使い方も知らないようね。料理の経験がなかったとしても、少し考えればわかるでしょう。情けない」
今にも食ってかかろうとする実希子を、葉月は自分が悪いんだからと制する。それが弱腰だと映ったのか、友人の機嫌が若干悪くなる。なんとかしなければいけないと、打開策をあれこれ思案する。
「そうだよね。葉月、ちょっと考えてみるね。お野菜を切ってて駄目だったんだから……あ、わかった! 刺せばよかったんだね」
「さ!? ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どこをどう考えたら、そんな危険思想に辿り着くって言うの! お、おかしいでしょ。アンタたちも、よくそんな子と同じ班を組めるわね!」
どうしてか、後退りをしながら室戸柚が叫ぶ。顔面冷や汗だらけで、何をそんなに恐れてるのか、葉月にはさっぱりわからなかった。この場では、佐々木実希子だけがケタケタと笑っている。
「お前よりマシだよ。それより、いい加減にしておかないと、葉月ちゃんが正しい包丁の使い方を実践するかもしれないよ。特等席で見物していく?」
佐々木実希子の台詞に、室戸柚は生唾を飲み込みながら「遠慮しとく」と答えた。最後に葉月を一瞥してから、そそくさと去っていく。何がどうなってるのか、未だに理解できていない。そのことを友人に尋ねると、他の班員たちまで笑いだしてしまった。
「気にしなくて大丈夫よ。でも……包丁は刺すものじゃないわ。間違えちゃ、駄目よ」
諭すように話す今井好美の声は、何故か少し震えていた。
主に今井好美がメインシェフとなって作ったカレーは、母親の和葉の手料理に匹敵するぐらい美味しかった。佐々木実希子などはおかわりまでしたぐらいだ。他の班から味見しにくる生徒までいて、まさに大絶賛という形容が相応しかった。
大満足の夕食が終わったら、いよいよ夜の最大のイベントとなる肝試しの開催である。怖いのが駄目なのか、今井好美はどうにか辞退できないか、しつこく担任の女教師に食い下がっていた。
結局不参加は認められず、学年全員が参加することになった。クラス内の男女で二人一組になり、指定された場所まで行ってカードを取ってくる。お昼の登山時に、小石川裕子が話していた内容そのままだった。
カードというのはどうやらトランプみたいで、風などで飛ばされないよう石が上に置いてあるとのことだった。きちんと生徒たちが入手していくかどうか確かめるらしいので、その地点の近くに脅かし役も兼ねて、教師がひとり隠れるのだと予想できた。
「葉月ちゃん、よくそんなに冷静でいられるね。私なんか、今すぐにでも気絶しちゃいそうなのに……他に何か考えられなかったのかな。どうして、よりにもよって肝試しなんかに決まってしまうのかしら……」
今井好美はまだ納得いかなそうだったが、決まってしまったものはどうしようもない。男子の誰かと一緒だし、大丈夫だよと励ましてるうちに、小石川祐子手作りのくじを引かされる。
くじには番号が書いてあり、同じ数字を手にした男子とペアを組んで肝試しに出発するのだ。今井好美も佐々木実希子もすぐに相手を見つけ、何事か会話をしている。葉月もそれに習って、パートナーとなるべき人間を探し回る。
「何だよ、お前が三番か」
葉月と同じく、三と書かれた紙を持っていたのは、よりにもよって仲町和也だった。父親の高木春道が学校へ来るまで、室戸柚とともにいじめの中心人物となっていた男児である。
当時のことにかんしては謝罪をしてもらったので、葉月の中では解決済みの問題となっているはずだった。それでも嫌いとまではいかなくても、複雑な感情が心の片隅に残っている。例えるなら恐怖だろうか。なので、どうしても緊張を隠せない。
「お前も今井とかと一緒でお化けが怖いのかよ。もう泣きそうになってんじゃねえか」
知らず知らず半べそをかいていた葉月の顔を見て、何を勘違いしたのか仲町和也がそんな台詞を口にした。言われて初めて気づいたが、親友の今井好美もまた、出発を前にして半泣き状態になっている。
「ち、違うもん。葉月、お化けなんて怖くないもん……」
本当は威勢よく言い返したかったのだが、どうにも元気な声が出てこない。整理できたようでいて、実はまだ散らかったまま。心の中を片付けるのは、なんと難しいのだろう。この歳になって、葉月は初めて痛感した。
そんな葉月の背中に、鋭い視線が突き刺さってくる。仲の良い友人たちのものとは明らかに違う。強い憎しみの中に、どこか挑戦的な意思が感じられる。一体誰だろうと、視線の主を慌てて探すが、周囲にこちらを注目している人間は誰もいない。
「何、きょろきょろしてんだよ。だから大丈夫だって言ってんだろ」
すぐ側にいる仲町和也には、心細さによる行動と思われてしまったみたいだった。男子といっても、中には及び腰になっている生徒もいる。佐々木実希子とペアを組んでいるのも、そのひとりだ。
そうした男子生徒たちに比べると、仲町和也は非常に堂々としていた。恰好をつけておきつつ、足を震わせたりもしていない。実に自然な振る舞いで、余裕を全身に滲ませている。道理でクラスの中心的人物となるわけだ。改めて葉月はそう思った。
野球部に所属している仲町和也は、運動神経抜群で、体力測定などを行っても常に各種目でクラスのトップ争いをしている。部活のせいで坊主頭にしてるものの、それが実によく似合っていた。顔立ちも悪くなく、学級内でも女子の人気は高い。
調子に乗りすぎるところがたまにきず。担任の小石川祐子から、よくそう言われていたのを覚えている。もう少し冷静さと理知的さを身につけたら、ひょっとしてファンクラブが結成されるほどの事態になるかもしれない。
そんなことを考えてるうちに、葉月たちの番がやってきた。いつの間にか、今井好美や佐々木実希子たちのペアも出発している。スタート地点の人影もまばらになっており、残っている人間はわずかだった。
「俺たちは最後の方の出発だったんだな」
その点に関しては意外だったので、葉月も頷いて同意する。三番なんて数字を引いたので、てっきり三番目にスタートするとばかり思っていたのだ。ところが、実際は大きい方。つまりは最後の数字から順に出発していったのである。
「今度は葉月ちゃんたちの番ね。これも林間学校の思い出になるんだから、怖がってばかりいないで、きちんと楽しんでくるのよ」
脅かし役は全員、引率の先生たちなのだから、何も必要以上に恐する必要もない。そもそも葉月は、こうしたイベントにあまり臆したりしない。躊躇いを見せているのは、パートナーが仲町和也だからである。
けれどこのイベントをクリアすれば、相手への苦手意識も克服できるかもしれない。そう考えて、葉月は仲町和也との肝試しに出発するのだった。
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