その後の愛すべき不思議な家族

   9

 林間学校。初めて聞く行事に、高木葉月は参加していた。学年全員で県内のキャンプ地へ行き、そこで一泊してくるという内容だった。以前なら心から行きたいとは思わなかったに違いない。
 普段の学校でさえ、母親である高木和葉に心配させたくないがゆえに通っていたようなものなのである。けれど最近では状況が一変した。父親である高木春道のおかげで、憂いの原因だった同級生からのいじめがピタリとなくなったのだ。
 孤立していた学級内で親しい友人もでき、今ではよく遊んだりもしている。当時なら、苗字がいきなり変わったことなんて、恰好のいじめネタである。それが現在では、簡単な説明で皆が納得してくれる。学校生活が本当に楽しくて仕方なかった。
 どうしてかは不明だが、ついでに担任である小石川祐子も優しくなった。何かと葉月の面倒を見てくれようとするのだ。このことを自宅で母親に告げたら、なんとも冷たい口調で「無視しなさい」と返ってきた。未だにその理由もわからない。
「楽しみだね。どんなとこなんだろう」
 葉月の隣に座っている今井好美が、ウキウキした様子で話しかけてきた。昔からいじめには参加してなかった少女で、一番最初に仲良くなった同性の友人でもある。
 綺麗で可愛らしいショートカットが、少し地味っぽい顔を魅力的に明るくしている。家が美容院をしており、散髪はずっと両親がしてくれてるのだと言う。髪型にもこだわりはなく、勧められるがままにやってもらってるらしかった。
 その話を聞いて羨ましがると、すぐに家を紹介してくれた。それ以来、格安料金でお世話になっている。葉月ほど安くはないものの、ある程度割り引いてくれるので、和葉も利用中だ。母親どうしの仲も良く、嬉しいかぎりだった。
 これも全部高木春道のおかげである。父兄参観以来、男子が葉月のいじめを止めると言い出し、それに従うような形で女子のリーダー格も変なちょっかいを出してこなくなった。そうして嫌がらせなどは激減し、今では多数の友人もいる。
 もっとも、女子のリーダー格を中心としたグループは、まだしこりが残っているのか葉月に話しかけようとはしてこない。そのせいでクラスの女性は、はっきりと二分化されてしまっていた。
 片方は葉月を中心とするグループ。そしてもう片方が、かつての中心的存在だった室戸柚をリーダーとする集団だった。だが以前ほどの求心力はなく、その数もぐっと減っている。加えて男子の後ろ盾もなくなり、どちらかといえば居心地が悪そうだった。
 室戸柚の父親は地元で不動産業を営んでおり、家もかなり大きい。葉月は見たことがないのだが、クラスメートのひとりからそう教えてもらった。きっと母親の実家ぐらいなのだろう。行ってみたい気もするが、現状では断られて終わりである。
 お金持ちのお嬢様だからかは知らないが、他の生徒とは少し違う雰囲気をまとっている。綺麗な色のワンピースを好み、茶色がかったロングヘアーが合わされば、まるで人形のごとき可憐さとなる。女子の中心となるのも、当然の展開に思えた。
 そんな室戸柚のグループから離反し、葉月と行動を共にするようになった女児たちは、相手の現状について全員が「自業自得」と声を揃える。いじめられたくないから従っていただけで、わがままな性格にはほとほと嫌気がさしていたという。
 クラスの分裂により、影響力が弱まった途端に、ぞろぞろと葉月側へ女生徒が集まりだしたのが証拠だった。同情する人間が少ないなか、葉月だけは違った。孤立する寂しさを知ってるからこそ、放っておいたりできない。
 全員で仲良くしたくて、何度か話しかけたりしてるのだが、そのたびに無視されてしまう。どうしてここまで嫌われることになったのか。原因は今もって不明なままである。
 前の方の席に座っている葉月が振り向くと、後部座席に陣取っている室戸柚と目が合った。けれどすぐに逸らされてしまい、たまらなく悲しい気分になる。仲良くしたいのにできない。そんなもどかしさが、今もなお胸のうちでくすぶり続けている。
 バスに揺られること数時間。ようやく林間学校の舞台となるキャンプ場に到着した。児童たちは一堂に集められ、学年主任の先生の話を聞かされる。その後、各クラスに分かれて担任から注意事項などの説明を受ける。
 朝も早くから出発してきていたため、まだ昼前である。スケジュールは予め決められており、葉月たち児童はそのとおりに進行していく。まずは近くの山へハイキングすることになっていた。
 それぞれの班ごとに固まって、登山道を歩いて行く。生徒たちは全員、体操着とスニーカーの着用を事前に義務付けられていたため、山登りに不都合な恰好をしてる人間は誰もいない。
 小さな山らしく、三十分程度あれば登頂できるとの話だった。渡されていた予定表にも登山と昼食、それに下山を合わせて二時間のスケジュールとなっている。元来運動が好きな葉月は、ウキウキしながら歩き続ける。
 時折周辺に目を向けると、見たことのない花などがそこかしこにあった。綺麗な風景だけに、両親にも見せてあげたかった。その旨を隣を歩く今井好美に告げると、笑顔を浮かべながらこんな台詞を返してくれた。
「それなら、今度はパパやママと一緒に来ればいいんじゃないかな」
「うんっ。そうだよね」
 葉月も笑顔になる。黙って登るよりも、誰かと話してる方が疲れを誤魔化せる。そんなふうに判断したのか、葉月と好美の会話を皮切りに、周囲の仲間たちも雑談を始めた。
 山登りは楽しみながらが基本。学年主任もそう話していただけに、私語を叱責したりしない。むしろ楽しげな児童たちを、微笑ましそうに見つめている。自分もまた近くの生徒たちに話しかけつつ、一緒にイベントを楽しんでいる。
「いつもいつもベラベラと、ずいぶん忙しい口だよね」
 聞こえてきた声の主を探すと、葉月の視界に室戸柚の姿が映った。取り巻きたちも一緒にいて、不機嫌そうな視線を向けてきている。
「じゃあさ、柚ちゃんも一緒にお話しよう。きっと楽しいよ」
 精一杯の笑顔を浮かべて誘ってみたが、鼻で「フン」と一蹴されて終わってしまった。葉月は歩み寄ろうとするのだが、いつもこんな感じで気まずい雰囲気になる。あれだけ楽しそうに弾んでいたたくさんの声も、一斉に収束してしまう。
「残念だけど、貴女の口ほど元気じゃないの。それに話し方もムカつくし。ストレスで病気にでもなったら、どうしてくれるのかしら」
「ご、ごめん……柚ちゃん……」
 自分ひとりが嫌な気分になるのはいいが、周囲まで巻き込むのは気がひける。そこで素直に謝罪したのだが、相手はより機嫌を悪くして、きちんと整えられている流麗な眉毛を折り曲げた。
「さっきから、ずいぶんと馴れ馴れしいわね。いつ、人を名前で呼んでいいって許可したのかしら。柚ちゃんじゃなくて、室戸さんでしょ。勝手に友達面しないでくれる?」
 一気にたたみかけられて、葉月が無言になるとすかさず取り巻きの女生徒たちが「もう一回謝りなさいよ」と声を上げる。以前なら、これにクラスの大半が加わった。壮絶ないじめとなり、教師がやってくるまで続けられたほどだった。
 しかし現在は違う。葉月にも仲良くしてくれている友人がおり、その何人かが今にも激しく言い返そうとしてるのがわかった。ここで大きな喧嘩にでも発展すれば、他のクラスの生徒にまで迷惑をかけてしまう。それを危惧して、要望どおりの謝罪をする。
「室戸さん、ごめんなさい……」
 徒党を組んで歯向かってくると想定していたのか、葉月の行動に室戸柚は毒気を抜かれたような顔をする。その直後、興ざめしたとばかりに、無言で目の前から立ち去る。
 かつてのリーダーがいなくなったあとで、友人たちが「謝る必要なんてなかったのに」と葉月をいたわりつつも、相手への怒りを募らせる。このままでは、せっかく林間学校もギスギスしたものになる。それを防ぐためにも周囲をなだめる。
「葉月はいいんだよ、慣れてるから。それより、皆で楽しく遊ぼう。ね?」
「葉月ちゃんがそう言うなら……」
 被害を受けた張本人に怒る様子がないため、友人たちも納得してくれる。本音では皆、喧嘩なんてしたくないのだ。簡単に引き下がったことからも明らかだった。わかっているからこそ、葉月も気をつけなければならない。
 いじめられっ子だったはずが、いつの間にか葉月を中心としたグループが形成されていた。そんな柄ではないのだが、せっかく集まってくれたクラスメートたちを突き放す気にはとてもなれない。
「強いね……葉月ちゃんは」
 皆、またもとどおりに雑談を始めたのを見て、ハラハラしながら事の成り行きを見守っていた今井好美がそんな感想を呟いた。心から感心してるみたいで、どことなく尊敬の念も見てとれる。
「えー? 別に葉月は強くないよー。お相撲さんでもないし」
 葉月の受け答えを聞いた今井好美は、いきなりぷっと吹きだした。真面目に言ったつもりだけに、相手の反応はまさに予想外。どうして笑われてるのかが、さっぱりわからなかった。
「そういう意味じゃないのよ。うふふ。さあ、私たちも登りましょう。せっかくなんだから、葉月ちゃんの言うとおり、楽しまないとね」
 ついさっき爆笑した理由を聞きたいところだったが、しつこく尋ねても仕方ないと判断して「うんっ」と元気に返事をする。室戸柚を思えば心がチクリとするものの、残念ながら状況を好転させる良策は見当たらない。ひとまず、流れに身を任せるしかなかった。
 その後は変ないざこざもなく、スケジュールどおりに頂上へと辿り着く。道中以上の美しさで、景色を眺めてるだけで何ともいえない幸福感に包まれる。そうした風景のひとつとなって、母親の作ってくれたお弁当を食べる。本当に幸せだった。
「お弁当、美味しいね」
 同じくお弁当を食べている今井好美が話しかけてきた。わりと上品なタイプなのに、珍しく口周りにご飯粒をつけている。そうしたことに気づけないほど、気分が高揚しているのだ。葉月も同様なだけに、わかりすぎるぐらいに理解できていた。
 ご飯粒がついてるのを指摘すると、今井好美は「本当だ」と言いながら赤面する。恥ずかしそうにしているものの、照れ笑いを浮かべ、こんな小さなハプニングでも楽しい話題の種となる。
「でも、本当に綺麗だよね。パパにも――」
「――そうね。パパにも見せてあげたかったわよね。それなら、今度一緒に来ましょうか。先生、葉月ちゃんにお弁当作ってあげる」
 いつの間にやら、どこからともなく現れた小石川祐子が葉月の台詞を途中で奪ってしまった。しかも、好き勝手に自分の願望を混ぜて完成させている。女担任を見ると、どうしても少し前の肉じゃが事件を思い出す。
「いらなーい。お弁当ならママに作ってもらうもん」
「あら、ママだなんて。葉月ちゃんたら気が早いのね。でも先生、そういうのは大歓迎よ。きっと春道さんと幸せにしてあげるわ」
「あはは。先生って面白いねー。でも、何を言ってるのか、葉月、よくわかんない」
「しょうがないわね。それならゆっくり、レクチャーしてあげるわ。今なら丁度お昼休憩中だし――」
 とまで小石川祐子が口にしたところで、学年主任の先生の「小石川先生ー」という声が聞こえた。明らかに目の前の女教師を探している。何故か舌打ちをしつつも、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて「今、行きます」と返事をする。
「呼ばれてるみたいだから、先生行くわね。あ、そうだ。どうも夜のキャンプファイヤーは中止になりそうよ」
 キャンプファイヤーは、夜の食事を終えたあとの一大イベント――言わばメインと形容してもいいものだった。それがなくなりそうだと聞かされれば、当然「えー、どうしてー」と不満が表に出てくる。
「何でも、この前参加した学校がボヤ騒ぎをしちゃったみたい。これから参加する学校はキャンプファイヤーを自粛してほしいという要望が、会場を貸してくれたところからついさっき届いたのよ」
 あとで学年主任の先生から詳しい説明があると聞かされても、そう簡単に参加してる児童たちが納得するとは思えない。女教師にそう告げると、わかってるとばかりに頷いた。
「だからその代わりに、肝試しを企画することになったのよ。キャンプ場に戻れば、それほど危険なルートはないしね。楽しみにしてるといいわ」


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